第三六話 「師範軍師」
ヴァンがレージュから御褒美を貰った翌日。
デビュ砦の廊下を歩くヴァンは巡回している兵を見つけると声をかける。
「よう、調子はどうだ?」
「あっ、ヴァ、ヴァン王太子殿下!」
慌てて跪いて頭を垂れる巡回の兵にヴァンはどこか疎外感を感じる。彼の前にも何人かの兵とも話したが、いずれも同じような反応だった。
この兵士も、頭を下げているのは俺にじゃない。俺の頭に乗っかっている大理石の王冠に頭を下げているのは分かる。自分に敬礼して欲しいわけではないが、そのことを彼に言っても困惑するだけだろう。それに、レージュやビブリオからは「王冠を被って大人しく敬われておくように」と釘を刺されているので余計な事は言わずにおく。
「今は辛いときだが頑張ってくれ」
「はっ! 勿体なきお言葉!」
これ以上何か言っても彼を萎縮させるだけだと判断したヴァンは手を振って兵士の脇を通り過ぎていった。
自分が去った後に、背後から小さなため息が聞こえた。兵たちの緊張を解してやろうと思って声をかけたのだが、逆に緊張を与えてしまったようだ。
「……違うよな。王様ってのはこういうのじゃないよな」
ついこの間まで義賊をやっていたヴァンに、王として振る舞えというのは無理がある。ビブリオからそのための勉強は受けているのだが、一朝一夕で身につくものではない。身につけている衣装も義賊団時代のままの使い込まれた革の鎧だ。
今までは、王位だ進軍だ砦奪還だと動き回っていたからそこまで考えなかったが、こうして一カ所に腰を据えると嫌でも考えてしまう。
自分は、王太子として相応しいのか?
レージュに頼れと言った手前、兵たちからも頼られるべき王太子でないといけないだろう。しかし、どうすれば……?
「どうにも、このままじゃいかんよな……」
赫赫の頭を掻いて窓の外を眺めていると、曇り空の下で、砦外にある修練場で誰かが剣を振っているのが見えた。
「あれは、リオンだな」
遠目からでも、実に気合いに満ちた動きをしていることが分かる。二振りの剣を使った雄々しくも鮮麗された動きは見るものを引き込ませる魅力すらある。そんなリオンの動きを見て、ヴァンも体を動かしたくなってきた。あわよくば稽古でも付けてもらえないだろうか、などと考えたヴァンは、部屋に戻って王冠を大理石の箱の中にしまってから修練場へ足を向ける。
曇り空の下を歩いて修練場の近くまでやってくると、双剣が風を切る音が聞こえてくる。金属でできた剣ではなく調練用の木剣だが、近くで見るとやはり迫力が違う。背はそう高くないが、がっしりとした肉体に金色の逞しい髭と髪で獅子のようなリオンは、日々の鍛錬を怠らない。
マルブル軍は、オネットのように厚い装甲を纏った重装歩兵が有名だが、リオンは革の鎧の要所要所に金属のプレートが仕込まれているだけの軽装である。マルブル軍の多くは陣を敷いて隊列を組み、槍を突きだして堅固な守りを作る戦法を好むが、リオンの部隊は軽装で騎乗し、機動力と突破力を重視した動きをするとレージュは言っていた。
先日まで地下牢に半年近くも捕らわれていた彼だが、本調子にはいかないまでも、すでに随分回復してきている。カタストロフは、どうにかしてリオンを戦場で使おうと考えていたのだろう。傷は多いが骨も筋肉も傷ついておらず、解放した翌日にはもう剣を振っていた。野性の治癒力かねとレージュは笑っており、次の戦にも参加させるとも言っていた。
リオンは、革の鎧のあちこちに鉛の重りを付けて木人形を相手に稽古をしている。負荷をかけながら調練することはよくあるが、あそこまで多くの重りをつけることは普通はない。それでも剣の冴えが全く鈍っていないように見えるのは流石と言ったところか。
「殿下、そんなところで覗いていないで出てきたらどうだ?」
覗いていた事がバレたらしい。ヴァンは赫赫の髪を掻きながら鍛錬場に入っていく。
「いつから気づいてた?」
「そこの窓から見ている時から」
なんだ、最初からバレていたのか。
「実はなリオン。お前に稽古をつけて欲しくてな」
ヴァンが話を始めてもリオンは剣を振る手を止めない。
「俺が、殿下に」
「ああ。頼めるか」
「殿下には、剣より先に習うことがあるんじゃないですかね」
皮肉気味に笑ってリオンは木人形の首を切り落とし、剣を振るうのを止め、ヴァンに向き直る。王としての教養の事を言っているのだろう。
「言いたいことは分かるが、今は体を動かしたくなってな。もっと強くならねばならないのだ」
「俺が見たところ、殿下は人並み以上には強い。だが殿下が強くなるべきは戦う力じゃない」
獅子の眼光がしっかりとヴァンを見据える。
「戦いは、俺たちの役目だ」
戦士の活躍の場が戦場であるように、王の活躍の場は他にある。戦場では、王がいれば士気向上に役立つが、人員を王の保護に割かなくてはならない。さらにそこで万が一があれば、国は、軍は大きく傾く。ヴァンが戦場に出る必要はないと暗に言っているわけだ。
「じゃあこうしよう。俺を動く練習用人形だと思ってくれ。一人で木人形相手に剣を振るより練習になると思うぞ。もっとも、こいつのように首を切り落とされるのは勘弁してもらいたいが」
それでも食い下がるヴァンにリオンは声を上げて笑う。
「なるほど、殿下はあきらめが悪いようだ」
リオンは修練場の隅にある小屋から様々な模擬剣を抱えてやってきた。剣や槍・槌・棒・短剣・大剣・盾、これらは全て木製である。金属の剣と比べて殺傷力は低いが、打ち所が悪いと死ぬこともある。
一般兵たちは主に剣・槍・盾を使うが、上級将校(将軍)クラスになると自分に合った武器を使う。たとえばリオンは双剣を、オネットは特注の大盾を最も信頼して使っている。
「では殿下、俺の練習にお付き合い願えますかね。お好きな武器をどうぞ」
「重りは付けたままか」
「俺に付き合って頂けるのでしょう。だったらこの方が練習になるのでね」
明らかになめられているが、それでも構わない。大陸最強とやり合えることにヴァンは内心でワクワクしていた。自分だって剣には多少の自信がある。盗賊狩りの騎士団を何度も追い払った実績が実力を証明している。それを試してみたいと言う気持ちは当然のことだろう。
ヴァンが剣を一本拾って構えると、リオンも同じように剣一本で構える。双剣を使うまでもないということか。
こうして互いに武器を取って向かい合ってみると、リオンが何倍も大きく見える。鷹の目でしっかりと観察してみるが、隙がどこにもない。そして、ただ向かい合って構えているだけなのに、全身から冷や汗が吹き出す。呼吸もだんだん苦しくなってくる。発する気の大きさだけでもこんなに差があるのか。だが、打ち込むだけ打ち込んでやる。何もできずに膝を折るわけにはいかない。
ヴァンは決死の思いで足を動かし、リオンに接近して打ち込む。
しかし、大陸最強の壁はあまりにも高く、あまりにも厚く、あまりにも強かった。どの武器を使ってもどう組み合わせてもリオンは超一流の動きでヴァンを打ちのめした。素手のリオンにすら、ヴァンは一太刀も浴びせることなく組み伏せられた。しかも、これで本調子ではなく、さらに重りというハンデもついているのにだ。
ヴァンの名誉のために言っておくと、普通の兵士が調練でリオンを相手にしたならば、打ち込むことすらできずに戦意を喪失するか気を失ってしまうのだ。打ち込めるだけマシなのだが、ヴァンはまだそのことを知らない。
「……降参、だ」
全身が痛む。起きあがる体力ももう尽きた。喋る事さえ、絶え絶えだ。
「殿下、人形は首を落とされても降参などしないぞ」
「……お前は、悪魔か」
今にも死にそうなヴァンと違い、リオンは重りを付けたまま涼しい顔をしている。汗こそかいているものの、準備運動を終えてこれからという感じだ。
この先、自分がいくら強くなってもリオンには絶対に勝てないだろう。それほどの実力の違いを思い知らされた。剣でも槍でも素手でも自在に使いこなし、どこにも弱点が無い。
いつだったかレージュが言っていた。リオンが何故最強なのか。それは――。
☆・☆・☆
「それは戦いのセンスだ」
「センス?」
「そう。筋肉量や体格だけ見るなら、リオンは最強たり得ない。例えば体格だけならオネットやヴァンのほうが優れている。リオンを最強たらしめているものは、彼の天性の戦いのセンスなんだ。どんな武器だろうと、どんな場所だろうと、どんな状況だろうと、リオンは100%の全力で戦える。それだけは誰にも真似できない。誰にだって、武器にしろ相手にしろ場所にしろ有利不利はあるからね。でもリオンにはそれが無い。常に有利、常に最強を見せられるから兵も安心する。だから、大陸最強なんだ」
あの時はよく分からなかったが、実際に手合わせをしてみてよく分かった。なるほど、これは最強だ。この強さを馬の上だろうが船の上だろうが水の中だろうが雪の中だろうが乱戦の中だろうが敵に囲まれていようが発揮出来るというのは凄まじい事である。
レージュはこうも言っていた。
「でもチェスではあたしの方が勝つ。実際の指揮能力でも負けない自信はあるよ。ま、チェスと違って絶対的な評価はできないけどね」
「全く、敵わないな。レージュにもリオンにも」
「なに言ってんのさ」
にひひとレージュは笑う。
「ヴァンにも、あたしやリオンに勝っているところはいっぱいあるよ」
「それはなんだ。王族の血か?」
「そんな生まれ持ったものじゃないよ。だったらあたしは翼があって空を飛べたけど、それでリオンに勝っているわけじゃない。チェスや部隊の指揮は生まれたときは知らないことだしね。みんなが持ってるけど自分が一番持っているもの、それは無形有形に限らず一人一人に必ずある」
「じゃあ、俺にはなにがあるんだ?」
「人から教えられるものじゃないでしょ、そういうものは。自分で答えを見つけなきゃ。にひひ」
なら、俺はいつ、その答えを見つけられるんだ……。
☆・☆・☆
「殿下、何か急いでいるようだが、焦ったところで良い成果はでないぞ」
「……分かるか」
「剣が、迷っている。自分の立つ場所を探しているようだ」
見透かされていたか。
「まったくだ……」
勝てないな。この男には。しかし、不思議と悔しくはない。大陸最強の武力が無くても王になっている奴はいる。
少しずつだが、分かってきた。全身をボコボコに打たれて分かってきた。
王は強いに越したことはないが、最強を冠する必要はない。やはり、体を動かすのは気持ちの良いものだ。性に合っている。頭の中だけで考えていてはこんな事までわからない。
「だが、筋は真っ直ぐな剣だ。俺は殿下のそういう所は好ましく思っている。迷いを解消できればもっと剣の腕は良くなるだろう」
「大陸最強にそう言ってもらえると光栄だな」
昔から、男は拳で語ると言うが、全くその通りだった。この短い調練の間に、真剣に、全力でぶつかり合った。それで随分とリオンが身近に感じられるようになった。
「実はなリオン――」
抱えている悩みを打ち明けようかと思ったがリオンに先に制されてしまう。
「殿下、そういうのはレージュやビブリオと話してくれ。オネットでも良いが、あいつは心配性だからな。殿下を気にして戦で動きが鈍ると困る。俺は戦場で戦うしか能がないので殿下が求めるような答えはなにも出せないからな。だが――」
リオンは歯をむき出して笑い、寝ているヴァンの肩に腕を回して立たせる。
「もしも殿下が体を動かしたくなったら、いつでも相手をしましょう」
「……ああ。ありがとう、リオン」
「ならば、悩みでないなら聞いてくれるか」
「というと?」
「俺には夢がある。人が人として生きていける世界を作るという夢だ」
「人が人としてとは。随分と壮大な夢ですな」
「そうだ。人が人として、明日を心配することなく、未来を憂うことなく生きていく世界を作りたい」
ヴァンの思う理想郷。それは空想の理想郷に等しい。この世は、世界は、その夢を語るヴァンを嘲ってきた。そんなことができるはずがない、ただの一人の男に世界を動かす力があるものか、と。そして世界に打ちのめされたヴァンはその夢を心の中にしまい込み、義賊として生きる道を選んだ。だが、レージュとの出会いで再びその熱い思いがこみ上げてきた。今の彼には、思い立ったあの日よりも数多くの力がある。大陸最強の戦士が肩を貸してくれるのだ。この力で、今一度、縛られた世界を相手にする。立ち上がってみせる。
「そいつは良いな。そんな世界を、一度見てみたいものだ」
「必ず見せてやる。だから、俺に力を貸してくれ。リオン」
「俺は戦う場があればいい。殿下が切り開きたい道があるならば、俺をそこに送ってくれ。多少は役に立つだろう」
「ああ」
役に立つ、どころの話ではない。リオンは間違いなく、戦場においてここ一番苦しい局面で力になってくれるであろう。こんなに素晴らしい男も付いてきてくれるのだ。今度こそ、夢を実現してやる。
人が人として生きる世界。それは確かに壮大で素晴らしい世界だろう。しかしそれは、奴隷や貧民などの弱者の救済しか見ていないのではないか。そう考えたリオンだが、ヴァンには何も言わなかった。
16/09/29 サブタイトル変更「旧:赫赫と獅子」
16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/29 文章微修正(大筋に変更なし)
17/07/09 文章微修正(大筋に変更なし)




