夕食
ひとまず、夕食を食べながら今後について話し合いたいという。
そういえば、朝食も食べ損ねていたし昼食も追放騒ぎで食べていなかった。
ラヴィーナの地にやってきてから数時間、食事を失念するくらい切羽詰まったような状況だったのだ。
食事の話題になった途端、ぐーっとお腹が鳴った。
誰もいない廊下で信じられないくらい響いて恥ずかしかったが、先を歩く領主様には聞こえていなかったようだ。
食堂は晩餐会が開けそうなくらいの、長い長い食卓があった。
そこに二人分の食事が用意されていた。
「あの、こちらには、領主様以外……」
「イグナートでいい」
皇弟であり、ラヴィーナの領主であるお方を名前で呼ぶなんて恐れ多い。
けれども私の意見なんぞ聞き入れてもらえないだろう。
領主様改め、イグナート様の言うことは絶対! なのである。
「して、どうした?」
「いえ、その、イグナート様以外に、こちらに住んでいるお方はいないのかな、と思いまして」
「使用人以外、ここに住んだことのある者はいない」
「そうだったのですね」
もしかしたら奥方やご子息、ご子女がいるのではないか、と思ったがいないらしい。
「この八年、私を訪ねてくる者などいなければ、近づこうと思う者でさえいなかった。なんせ、帝都では死んだことにされている亡霊だからな」
どういう反応をしていいものか、わからなかった。
イグナート様は本来であれば帝都で重要な任に就いて、大勢の人達から傅かれるような立場にいるはずだったのに。
パーヴァル殿下のせいで、人生が想定外の事態になったのだ。
「ソフィヤ・トィルシナ、お前は帝都に残してきた者はいないのか? 恋人か、婚約者がいるのであれば、呼び寄せてそれなりの地位を与えることもできるが」
「いえいえ、おりません」
というか、恋人なんていたことすらない。
神官は結婚を許されていたものの、忙しすぎて恋人どころか、誰かと親しくなる暇もなかった。
そういえば誰と誰が付き合っているとか、結婚したとか、そういう噂話を耳にしたこともあったような。
自分には関係のない話だと思っていたのだ。
あまり気にしていなかったが私もいつの間にか二十歳になり、結婚適齢期も終わりかけに入るような年齢だった。
恋人もいなければ、友達すらまともにいなかったな……と人生を振り返る。
それでも寂しくなかったのは、メルヴがいてくれたからだろう。
と、そんな話をしている間に食事が運ばれてくる。
前菜は鱈のゼリー寄せ。
上品な魚の風味が口いっぱいに広がる。
焼きたてのライ麦パンに合わせるのは、マッシュルームの酢漬けと大雷鳥のレバーペースト。どちらもおいしくって、感激してしまった。
ふと、イグナート様と目が合う。
何か問題でもあったのかと思いきや、そんなことはなかった。
「キャビアも載せて食べてみろ」
「キャビア……」
噂に聞いていた高級品!
聖教会の食事にも〝パユースナヤ・イクラー〟と呼ばれる、比較的安価な塩辛いキャビアが出ることがあった。
けれども私が食堂に行く頃にはすべて食べ尽くされていて、口に入ることはなかったのである。
ガラスの器に惜しみなく盛り付けられたキャビアは、宝石のようにキラキラ輝いていた。
それを銀のスプーンで掬い、マッシュルームの酢漬けを載せたライ麦パンにそっと載せる。
「――わあ、おいしい!」
口の中でプチプチ弾け、ナッツを思わせるようなクリーミーな香ばしさを感じる。
これがキャビアなんだ、と感激してしまった。
メインは北方鹿のサワークリームシチュー。
ここまで乗せてもらったトナカイの姿を、うっかり思い出してしまう。トナカイは使役獣として活躍するだけでなく、食料としても重宝されているのだろう。
トナカイの肉はナイフを入れるとホロリと解れ、舌の上でとろける。
おいしすぎて、言葉を失ってしまった。
デザートはチーズタルト。中に甘酸っぱいベリージャムが入っていて最高だった。
食後の紅茶もしっかりいただいて、お腹いっぱいになる。
こんなにたっぷり食べることができたのは、初めてかもしれない。
普段、粗食ばかり口にしている私の胃がびっくりしないか、少し心配になってしまった。
食後の祈りを捧げていたら、イグナート様にじっと見つめられていることに気付く。
もしや、何か粗相をしてしまったのか。
「申し訳ありません。私、もしかして食事のマナーに問題がありましたか?」
無意識のうちにがっついて食べていたのかもしれない。
そう思っていたが、イグナート様は首を横に振る。
「いいや、食事のマナーはまったく問題なかった。というか、古い貴族がするような、丁寧すぎるくらいの食べ方だったが」
「そ、そうだったのですね」
救貧院の院長が元貴族で、食事のマナーにうるさかったのである。
そんな説明をすると、イグナートは「そういうわけだったのか」と納得した様子だった。
どうやら身寄りがない私が、貴族みたいな食べ方をするので気になっていたようだ。
「もしや、どこぞの没落令嬢かと思っていた」
「いえいえ、とんでもない! 私は救貧院の前に捨てられていた子どもだったんです」
イグナート様は反応に困っているような表情を浮かべていた。
「すまない、いらぬことを言った」
「いいえ、事実なのでお気になさらず」
あまりこういう話はおおっぴらにしないほうがよさそうだ。




