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第24話:海底から現れた「星空の部屋」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!


 重圧感のある重低音が、ドーム状の空間全体を腹の底から揺り動かした。

 だが、それは先ほどまでの暴走による破滅的な大揺れではない。アリアによってバイパス油圧弁が正しく調律され、数百年の眠りから目覚めた古代の巨大機構が、整えられた水圧の導きに従って静かに、そして力強く動き出した「目覚めの音」であった。


 シューーーーーッ!


 主シリンダーのピストンが滑らかな往復運動を繰り返すと、ドーム下部の巨大なバラスト(浮力制御タンク)に溜まっていた数千トンもの海水が、一気に外部へと吐き出されていく。


「うお……ッ!? なんだ、体が浮き上がるような感覚が……!」


 台座の上にへたり込んでいたケリーが、驚愕の面持ちで周囲を見回した。

 足元の石床が、まるで巨大な海底エレベーターのように、ゆったりとした速度で上昇を始めていたのだ。


「……バラストタンクの排水に伴う正の浮力発生だ」


 アリアは濡れた銀髪を手で軽く払い、右目の防水ゴーグル越しにルーペの焦点を中央の構造物へと合わせた。


「この水門遺跡は、過剰な水圧と不協和音の振動によって海底の泥の中に固定されていた。だが、油圧回路が正常化し、排水フラップが正しく閉じ合わさったことで、本来の『浮遊機能』を取り戻したんだ」


「浮遊機能じゃと? では、この巨大な構造物全体が海の上に上がっておるのか?」


 シルクが足元の石床を前足で確かめながら、金の瞳を輝かせる。


「ああ。水門としての機能を保ちつつ、干満の差や天体測定のために海上に姿を現す……それがこの『古代の水門大時計』の本来の機能だ」


---


 その頃、港町アルト・マリーナの埠頭では、集まった船乗りたちと住民から、割れんばかりの歓声とどよめきが沸き起こっていた。


「見ろ! 潮が……潮が引いていくぞーっ!!」

「倉庫の浸水が止まった! 水門が……沖合の水門が閉まったんだ!!」


 港の石畳を洗っていた足首ほどの海水が、引き潮の波に乗ってサァッと沖合へと引いていく。

 第一埠頭で固まっていた王城の特級魔導技師フィリップたちは、信じられないものを見る目で、引き波の向こう側の海面を注視していた。


 沖合の浅瀬。

 ゴゴゴ……という重厚な水音と共に、群青色の海面が激しく盛り上がり、大量の泡と白い水しぶきを撒き散らしながら、白真珠色の巨大な石造りのドームと、繊細な真鍮装飾の施された青銅の塔がゆっくりと姿を現したのだ。


「ば、バカな……! 海の底に沈んでいた遺跡が、海上に浮上したというのか……!?」

「あの小さな小娘たちが……本当に魔法を使わずに、あの暴走を止めたとでもいうのか!?」


 フィリップが震える声で叫ぶ横で、老船長バルトロが涙を拭い、力強く拳を突き上げた。


「やった……! やったぞ! あの時計師さんたちが、俺たちの街を救ってくれたんだ!!」


---


 外部の喧騒が届かない遺跡の心臓部。


 ゆったりとした浮上が完了すると、ガコンッという重厚なロック音が響き、ドーム全体の振動がピタリと収まった。

 ドーム内部に残留していた湿気ともやが、天井に開いた換気口から外部の爽やかな海風へと吸い出されていく。


 それと同時に、アリアの革鞄の中で四つのパーツが合体した『完成した星図アストロラーベ』が、強い共鳴光を放ち始めた。


 ウオン……ッ!!


青鍮色の表面から溢れ出た光の筋が、ドーム中央の巨大天球儀へと放射される。

天球儀の内部に組み込まれていた永久磁場レンズが反応し、空間全体の石壁に、青白い光の網目が縦横無尽に走り抜けた。


「うわあ……ッ」


ケリーが息を呑み、周囲の壁を見上げた。

そこには、単なる幾何学模様ではなく、南の夜空に輝く星座の配置と、無数の精密な目盛りが光の刺繍のように浮き上がっていたのだ。


「……ただの鑑賞用ホログラムではない」


アリアは真剣な眼差しで、光が集束していくドーム奥の巨大な石組みの壁を見つめた。


天球儀の最下部に位置する最終ギアが、カチリと音を立てて噛み合わさると、それまでただの壁に見えていた石組みが、重々しい油圧音と共に左右へとスライドしていった。


ズズズ……ッ。


壁の向こう側に現れたのは、光の粒子が神秘的に漂う円形の隠し部屋——『星空の部屋アストロ・チェンバー』の入り口であった。


---


三人(二人と一匹)は吸い寄せられるように、光の溢れるその部屋の前へと足を踏み入れた。


部屋の中央には、真鍮と青鍮で削り出された巨大な円形の石板が設置されていた。

その表面には、アリアの手元にある『星図アストロラーベ』と幾何学的に一致する精緻な目盛りと、古代の職人によって刻まれたメッセージ(刻印)が遺されていた。


「……読めるか、アリア?」

ケリーが尋ねる。


アリアはルーペを嵌め直し、指先で石板に刻まれた古代文字の溝をそっと撫でた。前世の知識、この世界の言語解読、そして職人同士の「設計思想の対話」が、アリアの頭の中で刻印の意味を紐解いていく。


「……『星は巡り、刻は流れる。されど、見えざる歪みは地脈を狂わせ、星の巡りを違わせたり』」


アリアの静かな声が、密室に響く。


「『我、星の正しき時を記録せんと、この水門と天文台を海底に秘める。いつか、世界の時間に潜む狂いに気づき、真の調律を行わんとする同胞の来たるを信じて——』」


アリアの手が、刻印の最後で止まった。


「……『同胞(時計師)』への遺言か」


ケリーがゴクリと息をのむ。

「世界の時間に潜む狂い……? 一体どういうことだ、アリア? 街の水門は直ったんだろ?」


「……港町の水門の暴走は、この巨大な構造物の表面的な症状に過ぎない」


アリアは刻印の奥——『星空の部屋』のさらに深部へと続く重厚な青銅の扉を見つめた。

その扉の向こうからは、チク、タク、チク、タク……という、街の水門ギアとは比較にならないほど、精密で、壮大な「時の刻み音」が響いてきていた。


「この海底遺跡の真の姿は、単なる排水装置ではない……世界の時間を観測・記録するために作られた『巨大な天文台遺跡』だ。そして、この扉の奥に……古代の時計師が残した『世界の秘密』が眠っている」


「世界の秘密……」


シルクが金の瞳を細め、ひげをひくつかせる。

「くくく……ただの出張修理のはずが、とんでもない大仕掛けに行き当たったようじゃな」


---


扉を開く前に、張り詰めていた緊張感がふっと解けると、アリアは突如として猛烈な寒さと不快感に見舞われた。


ハックション……ッ!


アリアは小さいくしゃみをして、濡れた身体をキュッと縮こまらせた。

水圧作業による興奮と熱気が引いたことで、冷たい海水を吸った水着と薄手のアウターが、急速に彼女の体温を奪っていたのだ。


「うわっ、アリア! 風邪ひくぞ!」


ケリーは大慌てで自分の乾いた革の上着を脱ぐと、アリアの華奢な肩の上からすっぽりと覆い隠すように羽織らせた。

大柄な騎士の上着は、アリアの小柄な身体を膝下まで包み込み、すっぽりと包まれた愛らしい姿になる。


「っ……あ、ありがとう……」


上着から伝わるケリーの熱い体温と、ほのかな陽の匂い。

そして、ケリーが「あ、いや……その、水着の恰好が……ッ」と今更のように顔を赤くして大慌てで目を逸らすのを見て、アリアの耳の先もポッと朱色に染まった。


「み、見るな! 作業の一区切りだ! これより内部の探索に入る前に、体制を整える!」

「み、見てねえよ! 俺は入口で見張りと準備をしてるからな!」


ケリーはバタバタと慌ただしい足取りで『星空の部屋』の入口へと戻り、照れ隠しのように仁王立ちになった。


アリアはケリーの大きな上着の袖をぎゅっと握りしめながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

暴走する水門を止め、アルト・マリーナの街を救い、浮上させた古代の水門大時計。

そして、その先に姿を現した『星空の部屋』と、奥へと続く天文台遺跡への扉。


鞄の中で青く輝く『星図アストロラーベ』の感触を確かめながら、アリアは鋭く美しい瞳を扉の奥へと向けた。


古代の時計師が残した「世界の時間の狂い」とは何なのか。

浮上した天文台遺跡の探索と、世界の根幹に迫る大いなる調律の旅が、今まさに扉を開こうとしていた。

 

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