第23話 緩やかな変化
それから書庫から何冊か持ち帰った本を読んでいたら、ドアをノックする音が聞こえた。思えば前の屋敷では、トリア姉様はノックなしに部屋に入って来たのが遠い昔のようだ。
「はい」
「失礼します。サティ様、アルバート様をお見かけ──」
シルエさんはドアを開けて私とノアールを交互に見た途端、深い溜息を落とした。心なしかこめかみを押さえている。
「(もしかして立ち眩み?)……シルエさん?」
「あー、いえ。アルバート様を探していたのですが……」
「アルバート様でしたら書庫でお会いして、その後ノアールと入れ違いになって居なくなってしまったのです」
「なるほど(つまりまだサティ様に、ご自身のことを話していなかったのですね。私もすっかり忘れていましたが……)」
シルエさんはノワールを一瞥した後、テーブルに変わった形の小瓶を二つ置く。中身は何かの種のようだが、芽キャベツに近い色合いをしている。
「これは?」
「サティ様がお望みだったサツマーィモゥとジャッガイモゥーの種でございます」
「た、た、種!?」
「緑の佳人に頼んで、新たに希望した野菜に加工して頂きました」
さらっと、とんでもない事を言い出した。
「え、ど、ドライアドって、あの樹木の精霊さん?」
「おや、ご存じでしたか。彼女たちは森の植物などについては詳しいですからね。サティ様の魔力で作られた鉱石をお渡ししたら、喜んで協力してくれましたよ」
「鉱石? ……あ」
アルバート様は毎日私の魔力量を確認して、肉体が負荷にならないようにと魔力を鉱石に変えてくれている。そしてその鉱石は春の妖精が作り出す《春の祝福》に似ていると話してくれた。
「《春の祝福》に似ていると言っていた鉱石ですね」
「はい。アルバート様から、サティ様のお力になるのなら、他の妖精や精霊との交渉で使用しても良いと許可をいただきましたので」
「樹木の精霊なら望む野菜の種を改良してくれるんですね……。盲点でした」
半ば諦めていたのに、こんなところですんなり手に入るとは思っていなかった。
「あくまでサティ様が毒の除去を行った現物があったからこそ、緑の佳人が協力して下さったのです。あの現物には食材への感謝の気持ちと、美味しく食べたいという喜びの感情がギッシリ詰まっていましたからね。精霊はそういった思いが大好物なのです」
「なるほど」
さすが妖精の国。サフィール王国では緑の佳人は森の守護者という記述が多く、植物に詳しいとはあるが、それ以上のことは書かれていなかったのだ。
「じゃあ、これを畑に撒けば……」
「はい。お望みの植物が実るかと」
「シルエさん! ありがとうございます!」
私が大はしゃぎしたので、ノワールは目を覚ましたようだ。私とシルエさんが談笑しているのが気に入らなかったのか、私のお腹にぐりぐりと頭を押しつけてくる。
「ぐうう」
なぜかシエルさんは呆れた目をしていたが、今はノワールを撫でるのが優先だ。もふもふ癒し。
「ノワール。起こしたから不機嫌になったの?」
「クン(楽しそうに話しているなんて狡いぞ。だいたい、なぜそんなに嬉しそうなのだ? まさかシルエが気に入ったとか?)」
両手でわしゃわしゃを撫でまくっていると、不機嫌もあっという間に消えてしまった。
(可愛い)
「クウ(それだけで誤魔化されないぞ)」
頬にキスして上げたらかなり大人しくなった。
シルエさんが「なんという」と、ちょっと引いていたけれど、犬好きなんてみんなこんなものだと気にしないことにした。
いやアルバート様の眷族だから偉い存在なのかもしれない。例え立場が偉くても、ノワールが嫌がっていないのなら私は存分にモフモフをする。
「見て、ノワール。緑の佳人さんが、サツマイモとジャガイモの種を作ってくれたの! ジャガイモはもともと寒い地域でも大丈夫だから先にジャガイモを植えて、サツマイモは温室を作ってから植えようね」
「ワフ!(ああ、シルエに頼んでいた種ができたのか。緑の佳人は元々、春の妖精女王エーティンの眷族だからな。女主人の気配を持つ鉱石を差し出されたら新しい植物の一つや二つ嬉々として作っただろうな)」
ノワールが尻尾を振って嬉しそうだったので、再度頭を撫でて上げた。一緒に喜んでくれるのがすごく嬉しい。アルバート様も喜んでくれるだろうか。
「温室。ああ、それでしたら大浴場の傍に部屋を一つアルバート様が作っていたので、すぐにできるのではないですか?」
「え!?」
温室。その素晴らしい響きに胸がトクンと高鳴った。
「おや、聞いていなかったのですか?(あ、これはサプライズだったようですね。まあでも、ここに本人も居ますので、あとで何とかして下さい)」
「グウ(そ、それはできてからサティに教えたかったのに……シルエの奴余計なことを)」
「温室……、というか大浴場ってあったんですね」
「ええ、色んな種族がたまに訪れるほど、あの温泉は効能がいいようです」
「(あ、銭湯みたいな感じなんだ……知らなかった。屋敷の中って結構広いから全部見て回っていなかったもんな)温泉、温室……楽しみです!」
そんな感じで順風満帆。毎日が穏やかで素晴らしい時間でした。
浮かれていたからこそ、私はこの領土が危機に瀕していることに気付くのが遅れてしまった。
***
ふと抱きしめていた温もりが消えたことで、目を覚ました。部屋は薄暗く、カーテンの隙間から、しんしんと雪が振っているのが見える。
(急に冷えると思ったら……)
ふと一緒のベッドに居たはずのノワールの姿がない。
「ノワール?」
返事はない。
なんだか急に不安になって部屋を出て廊下を見渡してみたが、ノワールの姿はない。ふとアルバート様の部屋の扉が開いており、明かりついていた。
(もしかしてアルバート様の元に戻ったとか?)
部屋の傍で話し声が聞こえてきた。相手はシルエさんのようだ。
『幽世の影響はサティが嫁いだことで収まったが、森を枯らす毒と泥が浄化することはない……か』
『はい。……恐らく、幻獣あるいは高位のものが死ぬ間際に呪いそのものとなって、森を埋め尽くそうとしているようです』
『そうか。雪の浄化でもなお浸食を遅らせる程度とは……』
アルバート様の声は淡々としていたが、何処か疲弊したような雰囲気があった。
『サティ様のお力を借りるのはどうでしょう』
(わ、私!?)
『サティ様が《春の浄化》を行って貰えれば、毒と泥を何とかすることが可能かもしれません。春の妖精の持つ浄化は妖精の中で一番ですし』
『それは駄目だ』
『アルバート様……』
『確かに彼女は春の妖精としての権能を身につきつつある。……だが、その力が覚醒したらミデルは今度こそ力尽くで、奪いに来るだろう。それに春の権能の恩恵にあやかろうとする者も増える。……サティを巻き込みたくはない』
『しかし、このままではアルバート様の体に呪いが移ったら……この領土も、我ら眷族も、泥に――』
シルエさんは悲痛な声で告げた。しかしアルバート様はどこか楽観視したような雰囲気で微かに笑った声が聞こえた。
『俺に呪いが転移したら俺ごと燃やし尽くせば泥も消える。俺一人が死んでも冬の妖精はすぐに生まれるだろう』
(それって……アルバート様じゃない別人が……冬の妖精王になるってこと!?)
そんなの絶対に嫌だ。
そう思ってドアを開こうとして伸びた手は途中で止まった。
(ここで飛び出しても、それは感情論なだけで解決にはならないし、代案も思い浮かばない。それに春の権能が覚醒したら、余計にアルバート様に迷惑をかけてしまう!)
グッと堪えて、自室に戻ろうと廊下を歩き出した。
(私が魔法を使わず何とかなる方法を考える。……うーん。年単位で掛かるかもしれない。何よりその毒と泥についてもよくわからないし、調べることも難しい。なにより時間が無い)
足を止めて考えをまとめるが、一人で何とかしようというのがどう考えても無茶だと結論づける。
こうなれば――。
決意し、アルバート様の部屋に戻りノック無しに扉を開いた。
「「!?」」
「アルバート様! 私の権能が覚醒せず、そしてアルバート様が死なない方法を今すぐ、速やかに考えましょう!」
「サティ!?」
「おや、おや。これは嬉しい助っ人ですね、アルバート様」
アルバート様は驚いていたが、シルエさんはたぶん気付いていたのだろう。
(扉のドアを少し開けていたのも、シルエさんがやったんだわ)
さりげなく私に気付かせてくれたことに感謝しつつ、緊急作戦会議になった。




