19・二羽の鴉
冥府に帰り、前にも行った大きな観音開きの扉の前で、葵は前と同じく貫太郎を待っている。今度はわずかな時間で貫太郎はそこから出てくると、葵の顔を見てにまりと笑った。
「任務完了、招魂した魂も無傷で新鮮ってことで無事終わったよ。これから病院まで送ってやるよ」
「うん……あ、これ返さなきゃ」
そう言って、葵は認識ペンダントとナイフを差し出す。ナイフを受け取った貫太郎はしばらく手の中の物を見つめていたが、硬い表情で葵に問いかける。
「葵、これを使って過去をやり直すか?」
葵は貫太郎の言う意味が分からず、黙って見返す。
「現世の時間軸は過去から続く時空間の重なりによって出来ている。このナイフはそれを切ることができる。葵がやり直したい時に連れていくことも……できる」
じゃあ、あの三者懇談の日に戻れる? それよりもっと前にも? 思わず、その話にのりそうになって、葵は大きく頭を振った。違う、あのバカな私もすでにもう自分の内にある。あるからこそ、今があるのだ。やったことの責任も含めて、私はこれから生きていく。
「ありがとう、貫太郎。でもそのナイフは使わなくていいよ。このままで、この私で生きていくよ」
「葵、俺はやっぱり人を見る目があるな。ただのお人好しじゃなかったぜ。これで最終試験も終わりだ」
貫太郎は、葵の返事に満足そうに頷く。
ごそごそと鞄をさぐると一枚の紙を取り出し、ビリビリと破ると葵の頭から花吹雪のように放った。それは葵の体に付くと、ボタン雪のように消えていく。葵が苦しんだ冬も一緒に粉々に消えていくかのようだ。
「わたしは試されていたの?」
「まあね、葵が承諾していたら契約の延長だったろうな。良かった、良かった」
良かった、を繰り返す貫太郎に葵は複雑な気持ちになってうつむいてしまう。そんな葵に貫太郎は構わず手を引いて冥府を出て行く。
「貫太郎、もう会えないの?」
「会ってどうするよ、俺、死んでるんだぜ」
「だけど……これきりでさようならなんて、私は寂しいよ」
葵の言葉に貫太郎は顔を背ける。
「俺がこの姿で今度、おまえに会うってことはおまえが死ぬ時ってことなんだ。おまえ、生きたいんだよな。だったら俺に会いたいとか言うな」
「生きたいけど貫太郎と離れるのも嫌なんだから仕方ないじゃない」
背中に抱きついた葵に、貫太郎はため息をつく。
「この姿はおまえが寿命をまっとうした時までとっておけよ。おまえが大往生した時は必ず俺が招魂してやる。俺は昔に戻ったら、同じことをしない自信がまだない。俺の罪の償いはまだ終わってない。それにまた、葵みたいな奴がいたら、俺はまた人助けしちまうだろうし。お人よしだからな、俺は。それまでは、蒼い目の鴉を見かけたら、それが俺だ。葵ががんばってるかどうか、幸せかどうか、時々見に行ってやるよ。だから、取り戻した命、大切にしろよな」
くるりと体を反転した貫太郎が、葵をぎゅっと抱きしめる。
「これで飛んでやるから目、閉じとけよ」
その言葉に葵も貫太郎に両手で抱きついて目を閉じた。二人の体は勢い良く空に舞い上がる。
暴風の中で、葵はこれなら飛ぶのも悪くないと……思った。
目を開けると、白い天井が見えて葵は顔を横に向けた。そこには何日か振りの母親の姿があった。ぼんやりと週刊誌に目を通している母親に葵は声をかけた。
「お母さん、付いてくれてたんだ。仕事行かなくていいの?」
母親はしばらく顔を上げなかった。たっぷり十秒はたったろう頃、もの凄い勢いでベッドに身を寄せる。
「あ、葵、葵、目を……」
そのまま葵に抱きついて、母親は子どものように泣き出した。ベッドから手を出した葵は自分を抱く体に手を回す。
「お母さん、ただいま。そしてごめんね。私、生きるよ」
葵の言葉に、母親の泣き声は一段と大きくなった。
「葵、おっ早よう」
「お早う、なっちゃん」
五月晴れの朝、葵はやっと馴染んできた高校の制服を着て、新しく出来た友達と歩いていた。一年歳下の友達に初めは気後れしていたのだが、自分でも驚くほどそのこだわりは無くなっている。
結局葵は一年遅れで高校生になった。今度は塾の先生や卒業した後も何かと気にかけてくれた中学の先生にも太鼓判を押され、自分も納得して受けた高校に通っている。忙しくて、相変わらず人間関係にも悩むこともあるがそれも生きるってことだ。
その葵の頭上を黒い影が横切る。くちばしのところが少し白い鴉がフェンスに止まってカアと鳴いた。
「あ、ちょっと白、だ」
「え? 何か言った葵? 嫌だあ、朝から鴉なんて。早く行こう」
「うん」
そう友達に返しながらも、葵はフェンスに止まった鴉の横にもう一羽の鴉が止まったのを見て小さく手を振った。二羽の鴉は、それを確認したかのように空に飛び立っていく。
飛び立った二羽の鴉。その片方の鴉の目は蒼かった。
了
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