12 雨色の空
いつもと変わらない賑やかな教室の中で、自分だけが取り残されているような感覚。
頬杖をつきながら、ぼんやりと窓際で景色を眺めていた舞も、きっと同じ心理と出会っている。
晴れた空の早さは一定のはずなのに、俺たちに与えられた時間だけが、急ぎ足で通り過ぎていった。
―――――
志乃さんの家の門前。俺たち四人だけ。
みんなの口数は少ない。どうしても、心に影が差してしまう。
けど、抵抗したところで、これが最後だ。気持ちを切り替えよう。昨夜、あれだけ月のたもとで考え続けたのだから。
「もうすぐだな」
「そだねっ……なんか、あんまり実感ないや」
「ああ。でも、また会えるよ。約束しただろ?」
「……うん。ありがとね。いいことを信じた方が、幸せだよねっ」
舞は、少しだけ元気になってくれた。なんとなく、場の雰囲気も明るくなった気がした。こういうのは舞の得意技だな。
「雨模様氏」
「はい」
名前を呼ぶ凛。雨模様の声からは、芯の強さが感じられた。
「我は、たくさんのことを雨模様氏に教えてもらった。神様としての心のあり方、正しい選択を続ける難しさ。いろいろじゃ」
凛が伝えたのは、神様としての感謝の気持ち。
「……元気でのう。おかえりと言える日を、心待ちにしておるよ」
「はい。私も神様のこと、応援しています」
それから、人間としての思いやりの心だった。
別れの瞬間は、季節の変わり目の突風みたいに過ぎ去ってしまう。
だから凛は、落ち着いて言葉を交わせる今のうちに、贈る言葉を口にしたんだ。
俺が、雨模様に届けたい気持ちはなんだろう。真剣に考えるほど、思いは散らかってゆく。
「さて。行くかのう」
凛の声で現実は進む。志乃さんの家の呼び鈴が押される。
十数秒後、インターホンから志乃さんの声が聞こえた。みんなで事前に相談していた通り、俺が応対する。
こんにちは。未雨さんのお見舞いに来ました。お時間は大丈夫ですか。
ありふれた日常会話を装って、志乃さんを玄関先まで誘導した。
そこからは鮮やかだった。門を開けた状態で不思議がる志乃さんを、凛が能力を使って優しく眠らせたのだから。
(すみません。少しだけ)
砂利の地面で眠る志乃さんに向かって、声に出さずに謝る。
この強引な行為には、二つの理由があった。一つは、志乃さんの体力を奪いたくないから。
わざわざ全てを律儀に説明していたら、お互いに疲れてしまう。迷惑は最小限にとどめたかった。
もう一つは、これが当たり前の選択だから。
志乃さんは、俺たちの行動を知らなくていい。俺たちは感謝されたいわけでも、親切にしたいわけでもない。
ただ、あるべき状態に現実を戻すだけ。未雨が目を覚ます。志乃さんが迎える。それが本来の姿だ。
(俺たちのわがまま、許してください)
全員で格子門を通過した後、閉めて鍵をかける。
いくら街外れとはいえ、眠る志乃さんを通行人に発見されたら、多少は騒ぎになるかもしれない。
だけど、きっと、すぐ終わる。ためらいは捨てたから。雨模様の旅路を、心から応援しているから。
それでもやっぱり、ちょっとだけ別れは淋しいものだった。
凛の能力で瞬間移動も出来たのに、誰もなにも言い出さなかったのは、きっと。
―――――
俺が先頭となって、未雨が眠る部屋への扉を静かに開ける。
うららかで、まぶしいほどの太陽の光に室内は満たされていた。
時が止まっているみたいだった。日光を身にまとうように、未雨は眠り続けている。すこやかな表情を見せたまま。
「きれい……だね。雨模様ちゃんに、似てるよ」
未雨の隣にしゃがんだ舞は、微笑ましそうにつぶやいた。
こうして改めて見比べると、雨模様と未雨は本当に雰囲気が似ている。
志乃さんは、雨模様が誰なのか、気付いてたのかもしれないな。
少し不思議だった志乃さんの言動も、よく考えてみると、つじつまが合っていた。
「やっと会えたね」
優しい笑顔を届けながら、雨模様は、未雨の枕元にひざを付く。
「もうすぐだよ。お母さんが、待ってるから」
未雨のひたいを静かになでる雨模様。そのおだやかな姿を見て分かった。
「孝哉と、舞さんと、神様。遅くなってもいいから、みんなのこと、思い出してね」
もう、雨模様は一人を恐れていないんだ。
自分を想ってくれる人がいる。そのとうとさに気付いたから、雨模様は笑顔でいられるんだ。
それを悟った瞬間、俺の心からも、ふわっと喪失感が消え去った。
雨模様を応援しよう。軽く背中を押して、また会おうぜって言おう。なるべく元気な感じで。
「雨模様氏」
神妙な面持ちの凛が、口を開いた。
「みんなも。この四人での日々は、これが最後じゃ。命を救いたい。そんな我のわがままに付き合ってくれて……ありがとう」
思い出をかみしめるように、言葉が紡がれる。
「でも、安心してほしい。我が必ず、みんなを再び引き会わせる。もしかすると、記憶の断片くらいは残るかもしれぬ」
自信のともなった声が、俺たちに届けられる。
「ふふ。我のわがままは、まだ終わらぬよ。これからも、みんな一緒じゃ」
気が付けば、俺の心の中では、確かな安心感が呼吸を始めていた。凛が言うなら大丈夫だ。
いろいろあったな。一ヶ月くらいの日々だったけど、たくさんの思い出と出会えた。
楽しい、みちくさだった。人生の本筋には無関係だとしても、充実した毎日だった。
「よし。じゃあさ」
ふと、面白そうな案をひらめいたので口にする。
「競争しないか? 凛が俺たちを引き合わせるのが先か、俺たちが思い出すのが先かでさ」
勝つ自信があった。三対一の勝負だ。これは凛の初敗北が来るな。
「それ楽しそう! ようし、神様に勝てるように頑張ろうねっ」
「うん。なんとなく、負けない気がする」
「ぬうう、勝負とあらば、全力を出さぬわけにはいかぬね」
対決の火種は、早くもチリチリと燃え始めていた。みんな頼もしい。
これで終わりじゃないんだ。明日からも、いつもみたいに時間は流れていく。
生きることは続く。あまり代わり映えのない毎日だとしても、俺は自分の人生が好きだ。
しばしの別れの瞬間は、間近まで近付いていた。
「元気でね、雨模様ちゃん。お別れは、言わないでおくよっ」
「うん。今度は、未雨の姿で会いに来るね」
舞は、記憶に刻むように雨模様を抱きしめる。
腕の中で微笑む雨模様。そんな二人の姿は、最後まで、仲のいい姉妹みたいだった。
「孝哉」
舞から離れた雨模様は、優しい笑顔を花開かせたまま、俺の方を向く。
「また会おうね」
「ああ」
交わされた挨拶は短かったけど、雨模様の考えていることは分かった。
続いていくんだ。それぞれの道は。永遠の別れと決めつけるには、人生はあまりにも長いから。
「いろいろ、お世話になりました。私が未雨に戻れるのは、みんなのおかげです」
遠いと考えていた雨模様との別れが、俺たちの肩を順番に叩いていく。
「ありがとうございました。行ってきます」
それは例えるなら、朝の見送りをしてくれる家族に向けた挨拶に似ていた。
いつになるかは分からない。でも、きっと大丈夫。必ず会える。
安心して送り出そう。雨模様が――いや、未雨が帰って来たら、積もる思い出を語り合おう。
その時、俺たちが見上げる空模様は、どんな季節に彩られてるかな。
ひざを付いた凛は、眠る未雨の心臓部分に、布団の上から手を当てた。
生まれたのは、きらきらと輝く白い光。未雨の体から雨模様に向かって、天の川のように伸びる。
光の粒子が雨模様を包み込んでいく。寂しいはずなのに、おだやかな気持ちになれる光景だった。
「雨模様」
もうすぐ使う機会のなくなる、俺にとっての大切な名前を呼ぶ。
莉子からたくされた、花模様のあしらわれた、淡い水色のヘアピン。
自宅から持参しておいたそれを、そっと、雨模様の柔らかな髪に差してあげた。
「待ってるからな」
届けそこねていた再会の約束も、ようやく伝えられた。
雨模様は、優しく笑ってくれていた。俺は、泣いていたのだろう。かすかに視界がにじんでいたから。
もしかしたら、舞と凛も、同じ景色を見ているのかもしれなかった。
どんどん視界がぼやけていく中、霧が晴れるように消えていく雨模様の姿を、俺たちは最期まで見届けていた。
―――――
起きてみたら自宅だった。いつからか隣で寝ていた舞も、俺と同時に目を覚ましたらしい。
側には凛が立っていた。おはようと挨拶された。寂しげな表情を浮かべていたのが不思議だった。
俺は、なぜ眠っていたのだろう。舞や凛は、どうして俺の部屋にいるのだろう。
思い出せなかった。舞も分からないらしかった。凛に尋ねてみても、答えをはぐらかされた。
まあ、いいか。
明日からも、俺たち三人は一緒にいられるんだ。きっと、そのうち答えは見付かるだろう。
この世界で生き続けてさえいれば、きっと。




