7 言の葉渡し-1
でかい神社の境内にある中庭の中心付近に、俺と舞は立っていた。
ここは舞の実家だ。今から二人でゴミ拾いをする。無給で、しかも自発的に手伝いに来た俺って立派だよね。
「じゃあ始めよっか。頑張って綺麗にして、たくさん汗かいて、そしたらご褒美もあるからねっ」
「おお。なんだ?」
「あつあつのおしるこ」
「いらねえよ!? 汗に汗追加しちゃだめだよ!?」
想像するだけで甘ったるいわ。けど汗をかく健康法には賛成したい。今回来たのもそれが理由だし。
「私の後に続けー!」
「へーい」
作戦指示が飛ばされる。やる気出してるな。目の前の仕事に全力出せる人ってすごい。
早速作業が始まった。すぐに飽きることを危険視していたのだけど、いざ始めてみたら、
(やべ、楽しいかも)
意外とはまりそうだった。印象だけで決めつけるのは良くないんだな。やって初めて分かる事実もあるらしい。
俺の小発見の最中、舞の尻ポケットから何かが落下した。からんからんと、小さな音を立てて砂利の地面に転がる。
(ん? これって)
舞は気付いてない。猫背になって確認してみる。
それは、いつぞやに雨模様の過去を見るための礎となった家宝、面影石だった。
色は透明のまま。相変わらず神々しさのかけらもない。泥棒ですら盗まなそうな存在感だ。
「舞。けつポケットから落とし物だぞ」
面影石を拾って姿勢を戻す。そんな、当たり前の動作を終えただけなのに。
面影石は、鮮やかな深赤色に変化していた。地平線に溶けていく太陽を思わせる、刹那的な紅蓮色。
(な……いつの間に)
ほんの数秒での変貌。せっかちすぎだ。今度も、誰かの過去を見る運びになるのか。
「舞、早く見てくれ。いきなり色が変わっ――」
言葉が、引っ込んだ。
気が付けば俺だけが白い光の中にいたから。
神社の景色も、風の音も、ひんやりした空気も、一切が消えてしまった。
前回とは勝手が違う。優しい光のトンネルを通り抜けて、どこかに移動しているような感覚だった。
やがて、白は晴れてきた。また幻かな。せめて人と会話できたら楽しいんだけどな。
この時は、そんな願望が実際に叶うだなんて、和紙一枚の厚さほども考えていなかった。
―――――
広い庭。花壇。等間隔で並ぶ木々。枯れ落ちた焦茶色の落ち葉たちが、緑の芝生の上で眠っている。
光が晴れて鮮明になったのは秋の情景。景色のそこかしこに、不思議な懐かしさが宿っていた。
(……まさか。ここは)
記憶が耳元でささやく。振り返ると、そこには大きな公立病院が建っていた。
思い出した。俺がいるのは、莉子と初めて出会った病院の庭だ。
色々なことを忘れながら生きてきたのに、この風景は、記憶に描かれたまま色あせていなかった。
でも、面影石が見せてくれるのは思い出。あくまで幻。現在を変えられるわけじゃない。
それを分かっていながら――俺は走り出していた。
何度も何度も、また会いたいと願った人が、俺の視界の中心に存在していたから。
「――莉子」
大きな木。友を失い淋しくなった枝たちの下。
幹に寄りかかって立つ女の子の名前が、ぽつりと口からこぼれ落ちた。
莉子。あの頃のままの。きゃしゃな体つき。薄いピンク色のパジャマ姿。長い黒髪には、いつも少し寝ぐせが付いてたっけ。
莉子が付き添いなしに、一人で立っている。信じられなかった。元気になっていたんだろうか。それともこれは、俺を慰めるための幻想なのか。
「……莉子」
足を止めた。莉子の瞳は閉じられている。莉子との身長差が、住む世界の違いを感じさせた。
あとは声をかけるだけで全てが分かる。
でも、緊張のせいか、のどの奥で言葉がつかえた。期待と不安が意思を揺らがせた。
また俺は逃げるのか?
同じあやまちを二度も繰り返すつもりか?
莉子の気持ちを本気で考えているなら、この場で選ぶべき行動は。
自問自答は終わりを迎えた。側に歩み寄る。耳ざわりなほど心臓の鼓動が大きかった。
ふっと、莉子はまぶたを開けた。至近距離に立つ俺に、おのずと視線が向く。
びっくりしたような表情を浮かべている莉子。勘違いじゃない。確かに目線が合っている。
「……莉子、だよな」
「……え」
「会いたかった」
莉子は俺が孝哉だとは知らない。理解しているはずが、いつの間にか本音がもれていた。
「あの、わたし、お兄さんのこと、忘れちゃったみたいです。せっかく挨拶してくれたのに……ごめんなさい」
そしてそれは、いたずらに莉子を戸惑わせただけだった。
なにやってんだ俺は。莉子に頭を下げさせてどうする。一旦落ち着こう。
「……悪い。説明が足りなかったよな。俺、小田桐孝哉の友達なんだ。孝哉に頼まれて、お見舞いに来たんだよ」
「なあんだ。そうだったんですね。会いに来てくれて、ありがとうございます」
再び頭を下げる莉子。ようやく莉子のほほえむ顔を見ることが叶った。
本当に、懐かしい。日だまりのように心があたたかくなる。
今すぐ俺が孝哉だと打ち明けたい。謝りたい。でも先走れば、また莉子を混乱させてしまうだけだ。
「びっくりさせてごめんな。元気そうでよかったよ。最近、孝哉とは会えてるか?」
だから、今だけは事実を伏せよう。なるべく負担にならない形で、莉子に真実を伝えるために。
「孝哉は、もう一ヶ月くらい来てないんです。わたしのことが……嫌いになったのかもしれません」
「……そっ、か」
「孝哉に、会いたいです。嫌われてるとしても、わたしは、孝哉のこと……」
莉子の表情が暗く染まる。梅雨を運ぶ雲の灰色を連想させた。
ぐっと拳を握る。爪が手のひらに食い込んで、鋭利な痛みを感じた。
(……俺の、せいで)
自責の念が渦を巻く。
孝哉なんかに会えなくても大丈夫です。
そんなふうに言い切ってくれる期待を、心のどこかで抱いてた。
なにげない俺の行動は、予想よりも、はるかに莉子を苦しめていた。
俺が、莉子との思い出を心のすみに追いやっていた間も、莉子は一人で悩み続けてたんだ。
「……孝哉から、伝えてくれって言われたことがあるんだ」
「……え?」
顔を上げる莉子。黒い瞳にたたえられた光は、小さな希望を探していた。
昔の俺なら確実に目をそらしたはずの、川を旅するかえでのように無邪気な表情。
「聞いてくれるか?」
「はい。お願いします」
莉子の顔を正面から見る。もう、逃げたい気持ちは生まれなかった。
莉子が優しかったから。見た目も心も、昔の莉子のままだったから。
話そう。全てを。莉子もそれを望んでいる。
これまで見たことのない、莉子の真剣な眼差しが、言葉よりもはっきりと意思を証明していた。




