一章『邂逅』
それは、ある日の朝のことだった。
しがない会社員をしている私。
いつもより早く目が覚めてしまい、やることもなかった私は、そのまま出勤することにした。
車の鍵を手に玄関の扉を開けた瞬間、
異様な雰囲気に包まれる。
外は――異様なほど静かだった。
毎朝聞こえるはずの鳥の囀りも、いつも聞こえる遠くの車の排気音もない。
世界から音が消えたような静寂の中、
自分の心臓の鼓動だけが、耳の奥でやけに大きく鳴り響いていた。
そのとき、
“湿った空気” が肌にまとわりついた。
ハッとして周囲を見渡すと、
外の世界は今までで見たこともないほどの濃霧に覆われていた。
10メートル先すら白く霞んで、何も見えない。
胸の奥がざわついた私は、急いで車に乗り込み、エンジンをかけた。
前がほとんど見えないため、ハイビームにして慎重に走り出す。
早く職場に着きたい――その焦りから、
いつも通る大通りではなく、田んぼ沿いの細い畦道を近道として選んでしまった。
その瞬間、
胸の奥で、かすかな“不吉さ”が膨らむ。
左折して畦道に入ろうとした時だった。
霧の奥から、
“異臭” が流れてきた。
カビとも、ドブとも、腐った水ともつかない、
湿気の塊のような、鼻の奥にまとわりついて刺してくるような臭い。
そして――
霧の向こうに “何か” が立っていた。
それは、遠目にも分かるほど大きかった。
おそらく、2.5メートル程はある。
だが、異様に細長く、影だけで人間ではないと分かった。
呆然と見つめていると、
その“何か”が、ギョロリとこちらを振り向いた。
青白い――という表現すら生ぬるいほど、血の気のない肌。
くり抜かれたように底が全く見えないほど黒く巨大な目。
そして、耳まで裂けた口が、
にっこりと、笑っていた。
「うわあああああ!」
私は叫び声を上げ、慌ててバックし、車を反転させた。
アクセルを踏み込み、必死に逃げる。
ミラーを確認しても、
“それ” が追ってくる気配はなかった。
気づけば職場に着いていて、
外の霧はいつの間にか消えていた。




