四巻(五十六)
セカヴァンの戦い(三)
青年[スザレ・マウロ]派が近北州との戦いにどれだけの兵力を割けるのか。
この件に関して、初冬[一月]に近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]から照会を受けたサレは、引きこもりの公を西南州へ呼び寄せるために、最大一万五千と、甘い見通しに立った数字を先方へ伝えたことは、すでに述べたとおりである。
初秋[十月]に入ると、再度の確認の書状がウベラ[・ガスムン]より届いたので、同じ数字を書いた(※1)。その際に、サレの希望的観測して、ルンシ[・サルヴィ]率いる塩賊の活動が活発だったため、世上のうわさどおり、裏で青年派と塩賊がつながっていたとしても、みやこびとに対する外聞上、一万五千の中からある程度の数を、「塩の道」に派兵する可能性もあると追記しておいた。
このサレの報告を受けて、近北公は開戦を決意し(※2)、初秋二十一日、今の大公[スザレ・マウロ]に対して宣戦を告げた(※3)。
なお、その布告文には、実際はいくさに加わらない近西州も名を連ねていた。その目的は、青年派を牽制することにあったが、[トオドジエ・]コルネイアから書状を送られていたみやこびとからの情報により、近西州に参戦する余力がないことを青年派は把握していた。
喜んだのはバージェ候[ガーグ・オンデルサン]で、近西州の兵に備えることを理由に、大公からの援軍要請を断った。
青年派に西からの圧力をかけることはできなかったが、とりあえず、候を中立に置く名分となったのだから、まったく無駄な文言ではなかった。
近北公は、公称十万、実数三万五千の大軍を自ら率いて、西南州のセカヴァン平原を目指して州都スグレサを出立し、道中のマルトレにて糧秣の提供を受けた(※4)
近北公の目的は、大軍を上洛させることで、大公の戦意を挫き、かつ、鳥籠[宮廷]を脅すことにより、戦わずに勝利を収めることであった。
その後は、大公とモウリシア[・カスト]を都から追放し、自らにつごうのよい政治を西南州に布く計画であった。
しかし、この、拳を振り上げるだけで事をすまそうと考えた近北公のもくろみは、大公が二万数千の兵をセカヴァンにかき集めたことで(※5)、霧消した。
近北州軍と青年派の軍が、セカヴァンにていくさをはじめたのは、新暦八九七年盛秋[十一月]一日のことであった。
※1 同じ数字を書いた
コステラ=デイラの攻防戦における青年派の負傷者は、増員されていた赤衣党の兵が大半で、その赤衣党は、コステラ=ボランクの治安維持と、緑衣党への対応のため、近北州とのいくさには参戦しないと、サレは踏んでいた。この予測は正しかった。
※2 このサレの報告を受けて、近北公は開戦を決意し
いくさのあと、青年派の兵数のずれに対して、サレはハエルヌン・ブランクーレからきわめて強い叱責を受けたが、それはあまりにも見積もりの兵数と実際がちがっていたためであって、サレの出した兵数を疑わずに、開戦を決意したわけではないと考えられる(ハエルヌンは、結果はもちろんだが、過程の正しさを重視する為政者であった)。
たとえば、重臣モルシア・サネ宛ての書状にて、ハエルヌンは、サレが青年派の兵数を低く見積もっており、その目的が自分を南下させるためであることを看破していた。
※3 今の大公[スザレ・マウロ]に対して宣戦を告げた
布告には、十五条にわたり、スザレ・マウロの「悪行」が書き連ねられている。
その中で、特筆すべきは以下の五点であり、そのうち、三については、サレの意向が反映されていると思われる。
一、みだりに七州統一の野心をもち、七州を混乱に陥れていること
二、一にからみ、遠北州と同盟を結び、近北州を攻撃させ、無辜の民を傷つけたこと
三、モウリシア・カストの悪政を放置したこと
四、都に置けるスラザーラ家( およびサレ)の権益を損ねたこと
五、ハエルヌンの婚約者である、スラザーラ家当主ハランシスクに砲撃を行ったこと
なお、この八九七年のセカヴァンの戦いからはじまり、九〇三年のロスビンの戦いで終結する一連の流れは、俗に「後継者戦役」と呼ばれているが、その名づけは本回顧録に拠る。
※4 道中のマルトレにて糧秣の提供を受けた
ハエルヌン・ブランクーレは、南下に必要な糧秣について、そのほとんどをマルトレからの提供に頼った。
莫大な量の糧秣の供出を求められたマルトレ候テモ・ムイレ=レセはひどく憤ったが、ハエルヌンの兵威に屈し、要求に従った。
なお、ウベラ・ガスムンは、この処置につよく反対したが、ハエルヌンは受け入れなかった。
糧秣の代金については、支払われなかった可能性が高い。
※5 大公が二万数千の兵をセカヴァン平原にかき集めたことで
セカヴァンに到着する寸前で、待ち構える青年派の兵数の報告を受けたハエルヌン・ブランクーレは、「あの役立たずが」と、馬上から飲んでいた酒杯を叩き割ったとのこと。
サレが兵数を大きく誤った理由はふたつあった。
一つ目は、スザレ・マウロの呼びかけに応じた義勇兵の数を見誤ったこと。退役兵が多数参加しただけではなく、西南州を守るために、塩賊を抜け出して参陣する者もいた。
サレにとって痛恨だったのは、緑衣党からもスザレの軍に参加する者がいたことである。このために、サレは大いに面目をうしなった。
なお、スザレは、多数の義勇兵の参加に歓喜したが、その参陣を自分の理想に対する賛同からと勘違いした節がある。
しかし、実際は、義勇兵の多くは郷土愛からいくさに加わったのであり、それは、七州の統一、州の垣根を取り払ってよりまとまりの強い国にするという、スザレの理想を阻害する考えからの協力であった。
この点に気づけなかったのが、為政者としてのスザレの限界であった。
二つ目は、塩賊の動きにあった。
大頭目のルンシ・サルヴィは、スザレに直接的な協力を申し出ても断られることを見越して、自発的に、ウルマ=マーラの大森林に主力部隊を退かせて、スザレとハエルヌンの戦いを静観する姿勢を内外に示し、それを「森の民」を通じて宮廷に伝えた。
これを受けて、スザレは最低限の守備兵を「塩の道」に残して、残りの兵をハエルヌンにぶつける決断をした。
ルンシがこのような行動にでた動機は、彼も含めて、塩賊の多数が西南州の民であったため、「侵略者」のハエルヌンに対して、スザレを援助する必要を認めたからである。
しかしながら、近北州から塩賊に働きかけがあったかは不明だが、ハエルヌンと手を組むなり、もしくは独自に都を攻めるなりの行動をルンシが起こしていれば、塩賊の歴史は大きく変わっていただろう。
その選択をルンシがしなかった、小さくない要因は、宿敵であるサレが、ハエルヌンに与していたからであろう。
自身のせいで、塩賊がスザレに協力する姿勢を見せたとみやこびとに噂され、サレはハエルヌンに対する体面を損ない、ルンシに煮え湯を飲まされた格好となった。




