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第二部/第二章・宇宙へのいざない(一)

(一)視察


 とあるビルの前に停車しているファントムⅥ。

 麗香が後部座席のドアを開けて、梓が降りて来る。

「このビルは賃貸ですが、全館をAFCが借り受けています。実際に入居しているのは、広告代理店とグループの機関紙『あずさ新報』などを出している新聞社です」


 ビルの中に入る梓。

 自動ドアを通り抜けて玄関内に入るが、ふと立ち止まって動かなくなる。

 鼻をひくひく動かして匂いを嗅いで、髪の毛に手をやって気にしている。

「匂いませんか?」

 麗香に確認をとる梓。

「はい。匂いますね」

 しばし立ち止まって玄関先から中の様子を伺う梓だったが、

「帰ります」

 といって、くるりと背を向けて、入ってきたドアから出ていってしまう。


 玄関前の駐車場で、ファントムⅥを磨いていた白井だったが、梓達が舞い戻ってくるのを見て不審そうに尋ねた。

「どうなさったのですか。中に入られたと思ったらすぐ出てこられるなんて」

「煙草ですよ」

 麗香が説明する。

「煙草?」

「玄関先に、煙草の匂いが漂っていました。ビルの入り口ではっきりと嗅ぎ分けられるくらいですから、奥に行けばもっとひどい状態なのは推測できます」

「そうでしたか。わかりました」

 麗香の言葉に納得して、後部座席のドアを開けて梓の乗車を促した。

「なんてこと……」

 と呟きながら乗車し、深々とシートに沈む梓。

 梓は、煙草の煙と匂いが大嫌いで、自慢の長い髪に煙草の匂いがつくのが我慢できないのだ。煙草の匂いは一度付着するとなかなか落ちないからやっかいで、煙草の煙が漂う場所には絶対に近づかない梓だった。

 そのことを充分承知している麗香と白井は、梓が帰ると言えば理由を聞くことなく黙って従うだけである。当然視察は中止、梓の隣の席に座った麗香は車載電話でビルの責任者に連絡を入れている。

「禁煙の勧告令は届いていないのですか?」

 梓が代表に就任してすぐに、全グループ企業に対して、社内禁煙の大号令を発したのだった。

「いえ。何せ新聞社ですから、一番に連絡が入っているはずです。グループ全体に知らせるため『あずさ新報』に勧告令の記事を書かせましたから」

「それで、このていたらくですか?」

「勧告令は記事にしただけで、自らは何も実行していないようです」

「部長職以上の役員を、全員懲戒戒告、五分の一の減給三ヶ月。社長は更迭します」

 毅然とした表情で、処罰を言い渡す梓。

「かしこまりました。明日査察官を派遣して処分を通達します。次期社長の人選は任せていただけますか?」

「よろしくお願いします」

 AFCないしその前身であるNFCから全額出資されて設立されたグループ企業は、その責任者に経営をすべて任される代わりに、経営実情の把握のための定期的な査察の立ち入りと、全グループ企業に発令される勧告令に従う義務がある。

 CEO(最高経営責任者)ないし社長はすべてAFCが任命するので、その処遇も代表である梓が権限を握っている。代表が発令する勧告令は絶対であり、断固とした処分は当然のことである。

「社内禁煙をグループ企業のすべてに徹底させてください。灰皿はすべて処分、喫煙室も撤去すること。これに違反するものは厳重に処罰してください。今後部長職以上は非喫煙者から選抜、現在喫煙している者は一ヶ月以内の禁煙を、それが出来ないなら更迭。喫煙者の昇進と昇給は一切なし。新規採用者は非喫煙者のみにしてください。以上の事、よろしいですか?」

「かしこまりました」

 梓が喫煙排除にこだわるのは、健康への配慮のためもあるが、一番の理由は喫煙者の息がくさくてたまらない、ということにある。ニコチン・タールの匂いもさることながら、歯磨きが不十分で歯垢がたまってたり、歯周病になっていたりして強烈な異臭がするからだ。

 喫煙者なら誰も経験するが、歯を磨こうとすると吐き気を覚えて十分に歯磨きができない。自然歯垢がたまってくさくなるということだ。

 その口臭のひどさといったら、十六歳の少女には近づきがたい状況なのだ。当の梓は、三食後及び寝起きの歯磨きはもちろんのこと、毎週定期的に歯科医院で検診を受けているし、歯磨きでは落としきれない歯垢の除去も丁寧に行っている。

 これは幼児の頃から母親の渚に指導されてきたことで、おかげで口臭は微塵もないし、虫歯一本ない健康優良児である。

「煙草なんて百害あって一利なしじゃない。気分を落ち着かせるのに効果があるというけど、要は精神力が弱いだけよ。仕事中に煙草を吸うのはもってのほか、机の上は灰で汚れるし空気も濁る。煙草を吸う人ってマナーの悪い人が多過ぎるわ。歩き煙草、吸い殻のぽい捨て、車内で吸った灰皿の中身を平気で道路にぶちまける人」

 憤慨やるかたなしといった表情の梓。喫煙者の徹底排除に精根傾ける所存のようである。総従業員数三百二十万人を擁するグループ企業の行く末は、清潔好きな梓の意向には誰も逆らえず、麗香という有能な執行代理人の実行力で、さぞかしクリーンなイメージの企業へと変身していくのだろう。

「これからどうなされますか?」

 麗香が話題を変えるように切り出した。

「そうね。このまま帰ったのでは何の為に出かけてきたかわからないわね。帰りの途中にグループ企業はありますか」

「若葉台にAFC直営の衛星事業部若葉台研究所があります」

「それにしましょう。白井さん、行き先を若葉台にしてください」

「かしこまりました、お嬢さま。若葉台研究所に向かいます」

 二人が乗り込んだのを確認して、静かにファントムⅥを発進させる白井。

「ところで、私が差し上げた携帯電話は、お持ちですよね」

「ああ、これね」

 梓は鞄から、いつも使っている携帯を取り出して見せた。

「はい、結構です」

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