傲慢であること自体が正しいんだと
そうして観音と向き合っていると、彼女は、シッターさんの前では割りと<いい子>でいようとしているんだけど、私の前では、だらしない部分も見せてくれてた気がする。
彼女は本質的に<いい子>なんだよ。
だけどやっぱり人間って、常にいい子ではいられない。それにこの場合の<いい子>って、結局、
『大人にとって都合のいい子』
ていうことだからね。
そうだ、<いい子>とか<いい人>とか、要するに、<自分にとって都合のいい存在>って意味だもんね。
それってものすごく傲慢な考え方だと思う。
だってそうでしょ? 自分は常に誰かにとって都合がいい存在で居続けることはできないのに、自分以外の誰かには、自分にとって都合のいい存在でいてほしいなんて、それが傲慢じゃなかったら何だって言うんだろう。
そう考えたらさ、他人に対して傲慢であることを続けようっていう気には、私にはなれないんだ。
自分は他人にとって都合よくいられないけど他人は自分にとって都合よくいてくれるのが当たり前だと、それこそが正しい在り方だと思ってる人も世の中には少なくない気がする。
傲慢であること自体が正しいんだと、それこそが自分が幸せになる道だと信じて疑わない人もいるんだと思う。
だけど私にはそれはまったく納得できないんだよね。ピンとこないんだ。自分の傲慢さを他人に押し付けてそれで平気でいられる感性を、私を持つことができない。
自身の傲慢さを貫くことで他人と衝突した時に、常に勝ち続ける、自分の傲慢さだけを押し通せるビジョンがまったく見えないんだ。
他人を押し退けて叩き潰して踏みにじって、それで自分だけが幸せになろうなんていう自分でいたいとは思えないんだよ。
そんな自分が理想の自分だとは、自分のあるべき姿だとは、私には思えないんだ。
だったら、たった一人や二人とだけ幸せを作り上げることができるちっぽけな存在でかまわない。
それを、『向上心がない』とか『弱肉強食のこの世を生き抜く力がない』とか言う人もいるかもしれないけど、そういう人が幸せそうに見えないんだから、憧れとか目標にもならないんだよ。私にとっては。
いっつも誰かと争ってる、誰かといがみ合ってる、誰かと揉め事を起こしてる、誰かに対して怒ってる、誰かを口汚く罵ってる。そんな姿のどこが幸せなのか、私にはまったく理解できない。
私の考え方こそが理解できないと言われるかもしれないけど、私も、傲慢を貫こう押し通そうとする人の考え方が理解できないんだから、理解してもらおうとも思わない。理解してもらう必要も感じない。
私は私だ 。それだけなんだよ。




