84.この国の王にふさわしい
*
さて、あとはこの場所をどうするか、だが。
(原作だと、……)
研究所にある巨大な空音が、次々と生成される人工魔術の力に耐えきれなくなり、暴走。地震を引き起こしたり、地上に異形の魔物を生み出したり。その後、研究所は大爆発という悲惨な結末を迎えたのだ。
今の外の状況は「暴走」段階に近いかもしれない。爆発も時間の問題か。
「……とりあえず退散かな」
ダンにしたのと同じ簡単な説明をして、ヤッカスたちにもこの研究所から出てもらう。あとは国王に任せる。これがいいだろう。いつ爆発するともわからないのだし。
だけど、…。
「……ねえ、ヤッカス、この研究所にある空音を見たいんだけど」
ポカンと口を開けて固まるヤッカスを置いて、わたしは記憶を頼りに奥へと進む。念のために見ておこう。原作ではあっという間に爆発し、この世から消えてしまった空音を。見たからと言ってわたしにはどうすることもできないけれど、……
(できない……)
そう、なにもできない。なにも。……わかってるのに、どうしてわたしは前に進むんだろう。
(……そうよ、原作と同じ道を辿っているのなら、未来をかえる手がかりになるかもしれないから)
むりやり自分を納得させると、ますます足取りは軽くなった。まるで何かに呼ばれているかのように、わたしは迷いなく前へ進む。
やがて一番奥の部屋にたどり着き、本棚に手を掛ける。ぐっと向こう側へ押し込んだ。ゆっくり、隠し扉のように回転するその奥へ、さらに奥へと進んで――。
「これが………」
「あのねお嬢、この部屋は国家最高機密でね、部外者を勝手に立ち入らせたなんてバレたら俺らの首がトぶっていうか、もうリアルにスパって飛ぶっていうか、だからこのことはくれぐれも内密に――」
ヤッカスの話はきっと聞こえていた。聞こえていたのに、知らず知らずのうちに手を伸ばしてしまった。まるで指先が吸い寄せられるように。あるべき場所へもどるように。それに触れた、次の瞬間。
指先に鋭い痛みが走った。ひどく熱いのか、ひどく冷たいのか、それすらもわからないまま、指先から電流のようにながれたそれは体中を駆け巡る。反射的に手を引っ込めるが、わたしは直感で理解した。
手遅れだ。
――オズバン魔術研究所は瞬く間に熱風と煙に飲み込まれていった。
***
「エリサが持っているのは"魔力"ではない。もっと特別な力だ」
重々しく口を開いた陛下に、わざとらしく驚いた顔を見せた。
「"無効化"ってそんなに珍しいんですか?」
「属性魔術の効果をある程度軽減する光の魔術はある。しかし、魔術のみならず人為的空間術まで……あらゆる術の無効化など聞いたことがない。人智を越えている」
愛する娘に向かって言うにはいささか強い言葉だ。そんなボクの視線が伝わったのか、陛下は肩を落として息をはいた。
「人の父である前に一国の王として、国と民を守らねばならん」
断言する言葉には、しかし迷いや戸惑いも感じられた。昔からどうしようもない女好きだったと聞くが、我が子に向ける愛情も本物だったのだろう。
「……ま、人為的空間術の研究もここまでですね」
「ああ。魔物討伐が終わればすぐオズバン研究所へ人をやろう」
「その必要はないんじゃないですか。もうすぐ爆発すると思いますし、あそこ」
「爆発?」
コクリと頷いた、その直後。足元が揺れる。立っていられるほどの小さな揺れだ。
「……おまじないが役に立ったかな」
ぽつりと口にするボクには構わず、陛下は驚いて窓辺へ向かった。さすがにここからオズバン湖、ましてやオズバン研究所は見えないと思う。何より窓に近づくなんて、襲撃を受けたらとうするんだろう。相変わらず無用心な人だ。
「まさか、エリサが……!?」
「さあ、どうでしょう」
とぼけつつ、違うと確信している。お姫さまがいれば逆に何も起こらなかったのではないか。無効化の力がそんなに強大なら。
「……そうか」
「後悔してるんですか?」
「いや……。ディーノに王位を譲ると決めたときに覚悟したことだ。ただ……これほどまでに、呆気ないとはな」
フー、と長い息を吐く。言葉以上に落胆が見てとれる。まあ、無理もないか。この人が空間震音装置の開発や人為的空間術の普及に力を入れたのは、よき王として国民からの信頼を得るためだった。
(だから失敗したんだよ)
薄い蜂蜜色の髪を耳にかけ、彼に背を向けた。ただ、よき王であればよかった。そうであれば国民からの信頼など後からいくらでもついてくるのだから。
結果を急ぎすぎた。もしくは手段と目的をすり替えてしまった。それがあなたの敗因。
(けどディーノさまを次の王に決めたのは意外だったな)
おかげで予定が少しだけ前倒しになった。まあ、早まる分には問題ないか。
「これで邪魔者を遠慮なく排除できるよね」
「邪魔者とは」
「決まってるじゃないか。エリサ・ウィル・ローレンシアのこと――」
城の外に向かっていると、背中に声がかかる。感じる。少しでも動けば、触れた先から凍りつきそうな冷気を。
「ヴィオレット」
「お早いお帰りですね、主様」
「うん、意外にあっさり片付いたし」
「………」
彼女が沈黙するなんてと珍しく、目だけで振り返った。続けざまに、思いもがけない言葉が耳に届く。
「……なぜ、エリサ様を目の敵になさるのですか」
戸惑い。そして、非難の色。
「あの方は、主様がおっしゃっているような王族ではない、と思います」
思わず目を瞬いた。驚いた。まさかこの子が、意見のようなものを口にするなんて。
「……どうしてそう思ったのかな」
「確かに、後先や周囲への影響を考えない、未成熟な部分はあります。しかし彼女は、それを反省し、改めようとしている。なにより、国民のことを想い、大切にしようとする素直な心。これは彼女の才能―――いえ、天性の素質です。危うい行動はこの先いくらでも改善できましょうが、王族としての資質は、何より得難い宝ではないでしょうか」
一言一句、噛み締めるようにそう言ったヴィオレットは、もうボクの知る殺人人形ではない。迷いのない強い瞳。自ら思考し、判断し、発する言葉。
彼女は変わった。
「エリサ様こそ、この国の王にふさわしい」
変えたのは―――。
自ずと口端があがった。おまじないなんてしなくでもよかったかもしれない。
ああ、報告したいな、フラン・ハドマン。キミの近くに、とっても面白くて、かわいいオモチャがいる。
「……ヴィオレット」
口元だけで笑んだ少年に、ヴィオレットの背中を冷たい汗が伝う。反射的に乾いた唾を飲んだ。美しい少女かと見紛うほどに端正な顔立ちと、平坦で温度の感じられない声音。冷たい目をした、この少年を、
「ボクは今、とっても気分がいいよ。……しばらくは退屈しなくてすみそうだ」
恐ろしい、と感じながら。




