第44話
溶けてしまったアイスを買い直してから宿に戻ると、煌々と灯っていたはずの玄関の明かりは消され、賑やかだった建物内もやけに静まり返っていた。
「ここって、消灯時間とかあるの?」
「さあな…?」
音を立てないようにそっと階段を上がり、足音を忍ばせて廊下を歩き、辿り着いた部屋の扉を開けようとすると、すっと伸びてきた朝見の手にそれを制された。
「皐月、ちょっと待て」
「何?」
「いきなり開けたらビックリするだろ?」
「あ、そうか…」
その言葉に納得しながら手を引くと、すかさず朝見がドアをノックした。
「涼太、空けるぞ?」
「うわ、ちょ…待てッ」
朝見が声を掛けると、慌てる涼太の声と共に、ドタバタと動き回る音が部屋の中から聞こえた。
「ったく、あいつら…」
朝見は小さく舌打ちをすると、ドアノブに手を掛けた…。
「おそーいッ」
朝見の後に続いて部屋に入ると、ご機嫌斜めなレナちゃんの声に出迎えられた。
「遅くなっちゃってゴメンね。はいこれ、溶けないうちに食べて」
締め切った部屋の中はエアコンが効き過ぎていて、気温の高かった屋外との温度差に身体がぶるりと震えた。
「エアコン効いてるけど…そんなに暑いの?」
「ま、まあね…」
差し出したアイスを受け取るレナちゃんの額には薄っすらと汗が浮かんでいて、それを不思議に思ってじっと顔を覗き込んだら、バツの悪そうな笑みを返された。
「そう…なんだ…」
「うん…」
「皐月、俺の分は?つーか、おまえら、こんな時間まで何やってたんだ?いい加減待ちくたびれたぞ」
弾まない会話から生まれる気まずい雰囲気に言葉を濁していると、僕達の間に涼太が割って入ってきた。
「ごめん…、涼太の分はこれ」
気まずい雰囲気を打ち破ってくれた涼太の登場にほっとしながら振り向くと、何故か涼太の顔や身体にも汗が浮かんでいた。
「何やってたかって?聞きたいのはこっちだけどな…」
コンビニ袋の中身を机の上に広げる朝見の声は少し不機嫌で、そんな朝見の言葉に涼太は焦ったような表情を浮かべた。
「ま、まあ…色々暇つぶしを…」
「ふーん、暇つぶし…ね」
「おまえらがあんまり遅いから…さ」
言い訳しようと焦る涼太の顔は紅潮し、噴出した汗が額から流れ落ちた。
「始めてたって…トコか?」
「ま、まあ…そんなカンジかな…」
…『そんなカンジ』って、どんなカンジだよ。
人前でも平気でいちゃつく二人の事だから、僕達が居なくなれば自然とその行為もエスカレートしていくとは思っていたけれど、まさかこの部屋で≪いちゃつく≫以上の行為に至ろうとしていたなんて…ありえない。
だけど、二人は恋人同士なんだから、そんなコトしててもおかしくない…。
なんて、頭の中では理解しようとしてみるけど、効きすぎたエアコンや、部屋にこもった空気、火照った肌に滲む汗が、二人の艶かしい姿を連想させて、僕を落ち着かない気持ちにさせる。
「サイアク…」
二人がしようとしていた事に気が付いた途端、身体中の血が一瞬にして巡り、全身がかっと熱くなった。
「ばか、ばか、ばかッ。朝見が『いちゃつき禁止』って言ったよね?『ヤルな』って釘を刺されたんでしょ?なのに、何で約束守れないんだよッ」
羞恥心の無い二人と、そんな二人の行為に触発されてしまう自分の身体に対し、わけもなく怒りが込み上げてきた。
「もういい、先に寝るッ」
そんな気持ちを悟られたくなくて、僕は一足先に布団へ潜り込んだ…。
昨夜の事を謝るべきか、それとも自然に振舞うべきか…悩んでるうちに朝御飯が終わり、気まずい雰囲気のまま皆で海へ向かった。
「皐月ちゃーん、まだ怒ってるの?」
ちりちりと照り付ける太陽に負けないように、一人黙々と日焼け止めを塗っていたら、いつの間にか隣にレナちゃんが座っていた。
「べつに…怒ってるわけじゃないよ。ちょっと…気まずいだけ」
「だよねー。正直、わたしだって気まずいもん。『ヤベッ、見つかった…』って、焦ったしー」
「僕も焦ったよ…」
こうやって冗談めかして笑うけど、きっと昨夜のような場面では、女の子であるレナちゃんの方が気まずかっただろうし、恥ずかしかったかもしれない。
それなのに僕はそんな事など考えず、一人勝手に腹を立て、不貞寝するような真似までしてしまった…。
「なんかゴメンね、気を遣わせちゃって…」
「あはは、何謝ってんの?気なんて全然遣ってないし」
「でも…あの…」
「そういえばさ、涼太に聞いたんだけど…皐月ちゃんて、付き合った事無いんでしょ?」
「うん、まあ…」
「それじゃ、経験ナシでしょ?っていうか、無さそう…」
「そうだけど…なんか酷い言われ様じゃない?」
ポンポン飛び出すレナちゃんの質問に、僕は冷や汗をかきながら、口の軽い涼太の事を恨んだ。
「うちらの事『いちゃついてる』って思ってるみたいだけどさ、好きな人が側にいたら、自然と身体がくっついちゃうんだよね…不思議な事に。皐月ちゃんだって、付き合ったらいちゃつきたくなると思うなあ…。っていうか、絶対甘えちゃうタイプ?だよね…」
「そ、そんな事ないよ…」
いちゃつくかどうかは別にして、『甘えちゃうタイプ』と言い当てられ、思わずどきりとしてしまった。
「好きな人が出来たら、キスだけじゃなくて、色々したくなっちゃうでしょ?」
「えーと…」
「付き合った相手には、そんな風に思って欲しいの…わたしは。だってさ、何もしてくれないと、わたしに何の魅力も無いみたいでイヤじゃない?」
「そういうものなの?」
「そうだよ。わたしだってそんな風に思ってるし…」
…だからしたくなるんだよ。
そんな大胆な言葉を明るい笑顔と共に残し、レナちゃんは涼太の元へ駈けて行った。
「そうなんだ…」
レナちゃんの言葉に、もやもやしていた胸の痞えがストンと取れた様な気がした…。
ピーチボールを追い掛けたり、沖に浮かぶブイに向かって競争したり、浮き輪につかまりながら波間をぷかぷか漂ってみたり…。
気まずい雰囲気のまま浜辺へ繰り出してしまったけれど、誘われるまま一緒に遊び出せば、そんな空気はあっという間に消え去り、いつも通りの関係に戻れた。
「もう一回競争ッ」
「えー、また?」
「今度はジュース賭けてやろうぜ」
昨日と同じ事を繰り返してるだけだというのに、少しも飽きが来ないのは、海という場所のせいなのか、それともここに揃ったメンバーのせいなのか…理由なんて分からないけれど、すること全てが楽しくて仕方がなかった。
「おっし、ぜってー負けねえ」
「レナの分まで頑張って」
「もう泳げないよ…」
好き勝手な事を口にしながらも、スタートの合図がかかれば、少し笑いながら、だけど真剣に沖へ向かって泳ぎだした。
ゆとり教育の影響?
それとも単に面倒臭いだけ?
普段の僕達はおよそ、≪真剣≫や≪真面目≫といった言葉からは縁遠い生活を送っていたけれど、今この瞬間、どんなに下らない事でも真剣に取り組んでしまう自分達の姿が、おかしいけれど楽しくて、過ぎて行く時間も忘れひたすら遊びに興じていた。
そしてふとした瞬間、こんな楽しい時間は二度と味わえないかもしれないという寂しさが胸を突き上げると、一つ一つの出来事を胸にしっかり刻みつけておきたい衝動に駆られた。
楽しい時ほど過ぎる時間は速く、閉場を知らせるアナウンスが流れた時には、全員の口から惜しむ声と共に溜息が漏れた。
「ええ?もうそんな時間」
「もう少し居ようぜ」
レジャーシートを畳む僕達の側で、涼太とレナちゃんが駄々を捏ね始めた。
「ったく、仕方ないヤツらだな」
「底なしの体力だね…」
宿でしっかり朝御飯を食べた後は、昼になるまでひたすら遊び続け、昼御飯は、海の家で販売されている一杯1,000円もするようなラーメンには目もくれず、国道沿いのコンビニでカップラーメンやお弁当を買って食べた。
短い食休みをとると、すぐまた身体を動かし続けていたから、今日一日の運動量は半端ないと思う…。
「あんまりはしゃぐと、熱出すぞ」
「あ、子供の頃ってそうだったよね」
「熱出すって…子ども扱いすんなよ」
「でっかい子供が二人…いや、三人か…」
後片付けに手間取っている僕、駄々をこねる涼太とレナちゃん…ぐるり、僕達の顔を見回し苦笑すると、朝見は手際よく荷物をまとめていった。
「うわ、上がった」
「キレイ…」
導火線に火を灯すと、シュン、頼りない発破音と共に夜空へ打ちあがり、ぱっと小さな光の花を咲かせる。
「まあ、ちゃんと火が着いたじゃない」
「はい、全然湿気ってなかったみたいです」
夕食を食べながら、『今夜は花火でもして遊ぼうか』と相談していると、宿屋の女将さんに『前のお客さんが置いていったものがある』と言われた。
ただしそれは、花火をしてる最中雨に降られて止めたものだから、数も半端で湿気っているかもしれないとの事だった。
コンビニで見た花火セットは、手持ちのしょぼい花火ですら1,000円、打ち上げ花火もセットになってくると最低3,000円もしたから、財布の中身が寂しい僕達にとって、女将さんの言葉は天の助けのように聞こえた。
「次これ~」
「はいはい」
空に打ちあがるもの、噴水のように筒から火花を吹き上げるもの…次々に色を変えながら、夏の夜空に消えていく花火の後には、雲海のように広がる白い煙と、火薬の臭いが漂っていた。
「シメはやっぱ…コレだろ?」
ス スキの穂のように長い火花を噴出すもの、燃えている途中で火花の色が変わるもの、パチパチと爆ぜる音と共に雪の結晶の様な火花を飛ばすもの…打ち上げ花火 に見惚れ、手持ち花火で興奮し、あっという間に全ての花火を使い切ると、≪とっておき≫とでもいうように線香花火を差し出された。
「うわ、それがあったか」
「誰が一番長持ちするか競争しよう」
「一番最初に落ちた人が…」
「買出しッ!」
『せーの』でろうそくの火に線香花火をかざすと、パチパチ、小さな火花が飛び散り始める。
「火の玉を落とさないで、最後まで我慢出来たら、願い事が叶うんだって…」
小さな火の玉を揺らさないように、レナちゃんが小声でそっと呟いた。
「そんな話聞いた事ない」
「えー、レナの行ってた小学校で流行ってたもん」
「それってローカルルールだろ?」
「そんな事ない。だってレナ、願い事したらちゃんと叶ったもん…」
「へえ、そうなんだ。じゃあさ、ホントに叶うか試してみようぜ」
むうとむくれてしまったレナちゃんの機嫌を取るように、涼太がそんな提案をしてきた。
和紙で出来たこよりの先で繊細な火花を散らす線香花火は、雑に扱えばあっという間に終わってしまうけれど、静かな気持ちでゆっくり眺めていたら、最後の最後にとてもキレイな火花を見せてくれる。
…ホントに、叶うかも。
「いいね、やってみようか…」
そっと呟くと、みんな静かに頷いてくれた…。
「うわ、落ちたッ」
「いやん、涼太のせいでレナのも落ちた」
「わ、揺らさないで。僕のまで落ちるッ」
立て続けに二人の火の玉が落ちると、変な緊張感が生まれ、花火を持つ手が震えた。
…あと少し。
最後の火花を散らし始めた花火を見詰め、そっと願い事を唱えようとしたら、耐え切れなくなった火の玉が、ぽたり、地面に落ちて黒い焼け跡を作った。
「後は、朝見だけだな」
みんなが見守る中、朝見の持つ花火の先では、溶岩の様に渦を巻いていたオレンジ色の火の玉が、徐々に光を失い、黒い塊となった…。
「うわ、成功だッ」
「願い事した?」
「さあな…」
誉めそやす仲間達の声に、朝見が小さく笑った…。
昼間はしゃぎ過ぎたせいか、それとも強い太陽光線にあたり過ぎたせいか…花火を終えて部屋に戻ると、さっきまで元気だったはずの涼太が、『寒気がする』と言って横になってしまった。
おでこに手をあてれば確かに熱っぽく、ぐったりとしてるから、念のため宿の人に相談したら、『日焼けから来るものかもしれない』と言われた。
「やっぱ熱出したな」
「俺って子供並み?」
「いや、子供以下…」
「うわ、ヒド…」
朝見の言葉に苦笑する涼太の顔や背中には、火照った肌を冷やす為、濡れタオルが置かれていた。
「お子ちゃまはもう、寝る時間だな」
「こんな時間から、寝れるか?」
「つべこべ言わずに寝ちまいな」
「くそ…」
不服そうな顔をしながらも、昼間の疲れが出たのか、その後すぐに涼太は寝息を立て始め、涼太の手当てをしていたレナちゃんも、いつの間にか横になって眠っていた。
「寝ちゃったね…」
「昼寝もしないで、あれだけはしゃいだんだ…無理もないだろ」
二人の寝息が響く部屋の明かりを少し落とすと、会話を交わす声も自然と小さくなる。
「皐月は…大丈夫なのか?」
「僕?ちょっと疲れてるけど、日焼けの方は全然平気。朝見はどう?」
「肩がちょっと火照ったカンジだけど、気になるほどじゃない。だるさも、寝れば治る程度だな…」
声をひそめて交わす会話は、不思議と秘密めいて、心臓がどきどきしてしまう。
「少し早いけど、俺達も寝るか?」
「うん…」
眠る二人の寝息に誘われ大きな欠伸をしながら部屋の電気を消し、糊の効いた布団に潜り込むと、熱を帯びた朝見の腕が伸びてきた。
「わッ…なに?」
「しッ、声デカイ」
騒ぐ口元を塞ぐように抱き込まれると、僕の心臓が激しく騒ぎ出した…。




