第12話 ゲオルグの感傷
食事を終え、しばらくしてから、ゲオルグはひっそりと孤児院を出る。
扉を開けて通りに出ると、すっかり辺りは暗くなっていて、人通りも少なくなっていた。
カタリナは今日は泊まっていくようにと言ってくれたが、そこまで世話になるのも悪い気がした。
それに、正直なところを言うと少しばかり酒精が欲しかった。
孤児院は、流石に教会が運営しているものだけあって、酒類については制限されている。
ワイン一杯くらいなら出てくるだろうが、その程度で満足できるゲオルグではなかった。
酔ってもいないくせに、少し楽しい気分で大通りまで行くと人通りも増えてくる。
けれど、ゲオルグはすぐにそこを後にし、奥まった細い通りに向かって進み始めた。
大通りを歩く健全な街人は全く目を止めることのないそこは、湿気と苔が支配している小道で、健康的な気配はまるでしないが、ゲオルグにはむしろ安心を感じられるところだった。
そんな通りをどれくらい歩いただろう。
森の木々をかき分けていくと、ふっときらきらと太陽光を反射する泉が覗いたかのように、隙間から黄色い光を漏らす、こじんまりとした扉が現れた。
ゲオルグはその扉の出現に驚くことなく、いたって自然な仕草で軽く三度叩く。
二度ではなく、三度。
これが大事なのだ。
すると、がちゃり、と言う音と共に扉が開かれる。
「……邪魔するぜ」
扉を開けた、目つきの大分鋭い男にそう言って、静かに中に入るゲオルグ。
ゲオルグを中に迎えると、その扉は、がちゃん、と冷たく閉じた。
それから、ほっと人心地着いたゲオルグが内部を見渡してみると、中に見えるのは、小さなカウンターがいくつかと、数人が座れるかどうか、というテーブルが二つだけだ。
いつも通りの光景で、ゲオルグは相変わらず商売っ気のない店だとわずかに口元に笑いを浮かべる。
酒場であるのはカウンターの奥の棚に並べられているいくつもの酒瓶からして間違いないと分かるが、それにしても小規模である。
先ほど扉を開けた男も、少し変わっていた。
店主であるのは、その店の中にいる存在が客以外に彼しかいないことから明らかであるし、制服のようなきっちりとした服装をしている。
けれど、その服が、少し……いや、かなり窮屈そうなのだ。
店主が太っている、という訳ではなく、その体についた筋肉が薄手の布をはちきれんばかりに盛り上がらせているのである。
はっきり言って、とてもではないが、酒場の店主の持ちうる肉体ではない。
それどころか、ゲオルグに比肩する体型である。
「ゲオルグ。注文は?」
男は、カウンターの中に戻ると、慣れた様子ですぐにそう言ってきた。
ゲオルグは少し考え、
「強いのを頼む。つまみは適当でいいぜ」
そう言うと、店主は、
「お前にそう言われると少し困るな。自信がないぜ」
と苦笑しつつ、先に酒を注いで出す。
小さなグラスに注がれたそれは、鼻を近づけると酒精のきつさが即座に分かる代物であるが、ゲオルグは慣れたものだ。
特に物怖じすることなく、するりと飲もうとした……ところで、
コンコンコン。
と、先ほどゲオルグが叩いたのと同じテンポで店の扉が叩かれた。
本来であれば店主が開けるべき扉であるが、店主の顔を見ると、顎をしゃくってゲオルグにお前がやれ、と言っていた。
ゲオルグはため息を吐きながらも、口の注ごうとしていたグラスを置いて、扉に向かい、そして開いた。
すると、
「……お、ゲオルグ、こんなところにいたのか」
そう言ったのは、見覚えのある顔だ。
同じくらいの年のはずだが、ゲオルグとは正反対の甘いマスク。
金髪碧眼の美丈夫である、レインズ・カット。
もう二、三年で不惑になるはずなのに、二十代後半から三十代前半で十分に通る若々しさが恐ろしい。
ゲオルグと並べば冗談ではなく獣と王子のようであり、古参の冒険者仲間からはなぜ、二人の仲がいいのか不思議に思われることも少なくない。
「レインズ。お前も飲みに来たのか?」
ゲオルグがそう聞くと、レインズは、
「あぁ……数日ぶりにアインズニールに帰って来たんだ。今日は静かに飲もうと思ってな。っていうか、お前ん家にも行ったんだが、留守だったから仕方なくここに来たんだからな?」
と恨みがましい表情で言う。
ゲオルグに酒の肴を作らせる気満々だった、ということだろう。
ゲオルグの家には、ゲオルグ自身の酒の他に、レインズが集めている世界各地のワインが並べられている。
ゲオルグはどちらかと言えば蒸留酒が好みであるので、こちらには手を付けないが、わざわざ高価な材料がいくつも必要な冷却魔道具までゲオルグに造らせて飲み頃を管理するほどである。
酒好き、というのは同じところに集うものなのかもしれなかった。
「……お前ら、俺の料理じゃ肴にゃならねぇとでも言いてぇのか?」
二人の会話を聞いていたらしい店主が、少し険しい声でそう言った。
確かに、レインズの言い分だと、そういう風にとってもおかしくはない。
しかし、レインズは慌てて、
「いや! そんなわけないだろう! ニックの親仁! 俺はただ……こいつの料理が好きなだけだ。金のない時からずっと、こいつの料理はいい肴だったからな」
フォローにも聞こえるし、事実でもあるその言い分に、酒場の店主ニックは苦笑して、
「気を遣うんじゃねぇよ。俺だって、俺の料理よりゲオルグのが美味いと思うしな……この店のメニューだって、今じゃ半分はゲオルグに助言してもらったレシピだ」
それは事実だった。
ゲオルグはこの店に来るたび、新作の味見をニックに頼まれてしていた。
その際に、何か改善点があれば助言してもきていた。
別に無理に取り入れる必要のない、客の気まぐれのような発言のつもりだったゲオルグだったが、ニックはゲオルグの助言通りに作ればことごとく二段は味が上がることにいつしか気づいたのだ。
それ以来、ゲオルグはこの店の料理顧問のような扱いである。別に、給料が出るわけでもなんでもないが。
これは、レインズにとって初耳だったらしく、
「……どうりで俺好みの味をしているわけだ。教えてくれてもよかっただろう、ゲオルグ」
そう言って、ゲオルグのグラスが置いてあるカウンター席の隣に座った。
ゲオルグも自分の席に腰かける。
それと同時に、レインズの席に彼の好きな銘柄のワインがグラスに注がれて出てきた。
店主ニックの気遣いが分かる一幕である。
それはともかく、レインズの台詞にゲオルグは、
「……別にわざわざ言うほどのことじゃねぇだろ」
「お前は意外とそうやって秘密主義なところがあるよなぁ……。まぁ、それはいい。それよりも、だ」
しみじみそう言ったあと、レインズはずいっ、とゲオルグと顔の距離を縮めて、
「お前、勝手に俺と一緒に依頼を受けるって決めやがっただろ!? 冒険者組合の職員から聞いたぜ? 鬼人の掃討だぁ!? 俺の予定はどうなるんだよっ、こら」
と怒っているように見えて、長い付き合いのゲオルグからすればフリだな、と分かるような言い方をするレインズ。
ゲオルグは笑って、
「お前の予定なんてあってないようなもんだろ」
「お、おいっ。俺はこれでもB級なんだぜ!? そこそこ忙しい……」
「これから一週間、アーズ渓谷の小屋に行く気だっただろう? お前。ネタは上がってるんだぜ」
そうゲオルグが言うと、レインズは、うっ、という顔をして引いた。
アーズ渓谷、というのはアインズニールから北の方にある渓谷であり、活火山が近くにある山間にあるためか、少し掘れば温泉の湧く景勝地である。
それなりに金をためた奴は、町人、商人、冒険者を問わず、ちょっとした家を購入して別荘にし、そこまで温泉を引いてバカンスに使うのが、アインズニール流である。
レインズは、今回依頼を受ける前に、護衛依頼のためにするには少し奇妙な身支度をしていた、とゲオルグは情報を仕入れていて、これは……と思っていたのだった。
依頼を受けて、それなりに金が貯まるのを見越して、別荘にバカンスに行く。
さぞや楽しいことだろう。
しかし、その野望はゲオルグが打ち砕くのだ。
かつて同じことをされた復讐、というわけではないのはもちろんである。
ゲオルグもまた、アーズ渓谷に別荘を持っているのは、全然関係ない話なのだ。
「おい、おい……ゲオルグ、ゲオルグよぉ! 頼むぜ! 今回はどうしてもアーズに行きたいんだ……勘弁してくれって!」
そう言ったレインズだが、ゲオルグは意に介さずに、
「かつてそう言った俺に、お前はなんて言ったんだっけな? 『温泉なんていつでも行けるだろう』『俺たちの友情ってのはそんなに薄いもんだったのか!? ここで俺たちの付き合いが試されるんじゃねぇのか!?』……だったか」
根に持つ性格、という訳ではないが、一度会ったことはかなり詳細に記憶しているゲオルグである。
ゲオルグの言葉に、レインズもしっかり覚えがあるらしく、けれどアーズ渓谷への想いは断ち切り難いようだ。
「……でもよぅ、今回は、今回はさぁ……」
とうじうじ言っている。
その様子はとてもではないが、アインズニールにおいてもっとも美しい美剣士として知られるB級冒険者には見えない。
ただ、情けない優男である。
しかし、ここまで渋るのにはそれなりにわけがありそうだ、と察せないゲオルグではなかった。
「お前、何かあるのか? ただのバカンスじゃなくて」
そう尋ねると、レインズは、
「……いやぁ、まぁ、そうなんだよな……だけど、うーん……そうだな。それなら……」
腕を組みながらしばらく唸っていたが、ふっと何かを思いついたかのような顔をして、ゲオルグを見た。
その表情は先ほどまでの苦悩に満ちたそれとは違って、清々しく、まさに美剣士ここにあり、という感じで、ゲオルグは酷く嫌な予感がした。
こういうときのレインズは、今までの経験に照らして、碌なことを言わないのである。
前にこういうことがあったときは、確か三つ首飛竜を倒そうぜ、とか言い始めたのだったような……。
そして案の定、レインズは、
「ゲオルグ。お前の話、乗ってやってもいいぜ? だが、それはそのあと、俺の頼みを聞いてくれるなら、の話だ」
と交換条件を出してきた。
本来なら、ゲオルグの方がレインズの頼みをいくつも聞いているので、公平ではないのだが、ゲオルグはこういうところ、甘い。
そしてそのことを、レインズも長い付き合いで深く知り尽くしていた。
ゲオルグは呆れた顔をしながらも、
「……言ってみろよ。聞いてやるから」
と内容も聞かない内から同意してしまう。
レインズはその台詞に少し笑い、
「お前、どんな頼みかまだ分かってねぇのに、安請け合いすんなよ。危ないぜ?」
と自分が提案したくせに忠告してきたので、ゲオルグも笑ってしまった。
「一番危ない奴が言う台詞じゃねぇよ」
そう言うと、
「違えねぇな」
と言う。
いつもの、昔なじみ同士のくだらないやり取りだ。
示し合わせてもいないに、ふっと無言になり、そこに店主ニックの作った肴が運ばれてきた。
根菜を揚げて、熱い餡をかけたものであり、ここに初めて来たときに食べた記憶のあるものだ。
それを口に運ぶと、今まで会ってきた者たちの顔が頭の中に次々と思い浮かぶ。
しかし、そのうちの何人が今でも実際に会えるのかは、数えたくはなかった。
ひどくくだらないやり取り。
そういうことを気負いなく出来る相手も、徐々に減って来たゲオルグとレインズである。
未だにお互いがこうして生きていることを、無言のうちに感謝し、どちらともなくグラスを掲げて何かに祈った。
「……まだまだ生きていようぜ、ゲオルグ。誰のためにとは、言わねぇけどよ」
レインズがそう言い、
「あぁ。いつか、俺たちがどれだけ美味い酒をたらふく飲んだか、自慢しないとならねぇからな。世界中の酒を飲み尽くすまでは死ねねぇよ」
ゲオルグがそう応じた。
店主ニックそんな二人に、
「サービスだ」
そう言って、頼んでいない料理を一品置き、ついでに昔、金のないころ、今ここにいない冒険者仲間と飲んだ安い酒を一瓶置いたのだった。




