第13話 ゲオルグの邂逅
次の日、自宅でむくりと起き上がると、ゲオルグの頭にミシミシとした鈍痛が走る。
別に、誰かに襲われて頭を叩かれたとか、眠っている間にどこかにぶつけたとか、ましてや何かの病気にかかって急にこんなことに、などということもない。
これは……。
「……二日酔い、だな」
明らかな頭痛の原因に、ゲオルグは若干、心の中で反省する。
昨日はどう考えても飲み過ぎた。
レインズと、昔話に花が咲きすぎたのだ。
はじめの内はまだ、理性があって、酒量も制限して一瓶でやめておこう、などとお互いに言い合っていた。
けれど、どんな話だったかは忘れたが、何かで少し言い争いになり、そしてその決着を飲み比べで、などという馬鹿な話になって、最終的に店にある酒を飲み尽くすのではないかという勢いで飲み始めてしまったのが間違いだった。
先に酔いつぶれたのは一体どちらだったか全く記憶にないが、しっかりと自宅のベッドで寝ていた辺り、おそらくレインズが先に潰れたはずだ。
いや、もしかしたらその逆で、レインズがわざわざここに運んでくれた可能性もあるか……。
そう思って、とりあえず、顔でも洗おうかと寝台から一歩降りると、
「ぐぇっ」
と言う蛙のような声が地面から聞こえた。
確かに、いつもなら固い床の感触が伝わってくるはずなのに、妙に柔らかい感触が足の裏に感じられた。
ゲオルグがおそるおそる下を見てみると、そこには恨めしそうな顔でゲオルグを見上げるレインズがいた。
「……そこで何してるんだ、お前」
ゲオルグがそう言えば、
「お前が先に酔いつぶれたからわざわざ運んできてやったんだろうが! というか、足さっさとどけやがれ……」
と言いながらゲオルグの足をべしべし叩く。
どうやら、先に酔いつぶれたのはレインズではなく自分の方だったらしい、と納得したゲオルグは、レインズの腹からゆっくりと足をどけた。
それから上半身を引き起こしたレインズは、
「……うぅ。頭が、いてぇ」
と呻く。
どうやらゲオルグと同様、二日酔いに苦しめられているらしい。
レインズとゲオルグの酒の強さはあまり変わらず、最初の方に呑んでいた酒の強さで勝敗が分かれたらしい。
勝負で使った酒は火を近づければランプのように燃えるような代物で、その前にゲオルグが呑んでいたのは蒸留酒、レインズはワインだった。
厳密に言えば公平な勝負ではなかったが、酒の席でそんな細かいことは誰も気にしない。
つまり、昨日の勝負はしっかりとゲオルグの負けだった。
「お互い馬鹿なことしたな……朝飯は?」
ゲオルグがそう聞くと、レインズが、
「……固形物喰ったら戻しそうだぜ……」
などと情けないことを言う。
ゲオルグはまだ普通に行動できる程度の頭痛がするくらいだが、レインズの方はかなりきつい病状であるらしかった。
自業自得であるので、全く同情の余地はないが。
ゲオルグはため息をつきつつ、言う。
「こればっかりは魔術じゃ治せねぇからな。今日は一日寝てろ。まぁ、朝飯は作ってやるから食ってけ」
これにレインズは本当にありがたそうに、
「すまねぇ、恩に着る……」
そう言って、再度床に沈んだ。
朝食が出来るまでは寝てるという意思表示だろう。
まぁ、変にうろちょろされるよりはいいか、とゲオルグは台所に向かう。
ゲオルグの家の台所は非常に充実していて、ありとあらゆる設備が最新式である。
というか、大半はゲオルグが考案し、手ずから作り出したもので、他のどんな家にもないような便利な状態になっている。
保存庫一つとっても、食物を長期間保存できるようにと低温状態になっており、ゲオルグはそこを覗いて何が作れるか考えてみた。
鶏ガラで作ったスープストックがあるのが見えたので、それに適当に野菜を投げ込んでお手軽ポトフでも作ることにする。
固形物はきついと言っていたが、それくらいなら食えることだろう。
野菜類は適度な大きさに切り、水に塩を入れて煮る。
ただそのまま煮込んでもすぐに柔らかくはならないので、ここでゲオルグが覚えているが通常の魔術師のまず使わない料理魔術の出番である。
と言っても、そんなに複雑なことではなく、少し圧力をかけてやるのである。
それによって通常よりも遥かに短い時間で柔らかくすることが出来る。
それをしている間に、スープストックを別の鍋に入れて温め、柔らかくなった野菜類をそこに入れて完成だ。
後は、パンもあるのだが、レインズが食べれるかどうか……。
ポトフに浸せば食べれるかもしれない。
一応、出しておくかとかごに入れて持っていく。
食卓まで器用に持っていけば、そこにはすでにレインズがついていて今か今かと朝食の到着を待っていた。
今でもまだ、頭が痛いようで普段より青い顔をしているが、先ほどよりはましになった方だろう。
そんなレインズに、ゲオルグは言う。
「……スープとパンくらいしかないが、いいか?」
これにレインズは、嬉しそうな顔をして、
「いいにきまってるじゃねぇか。自分の家にいるときはスープなんて面倒くさくてまず、作らねぇからな。適当にパンにチーズとハムを挟んで終わりだ……おぉ、湯気が。美味そうだ。匂いもいいな……パンも……これライ麦じゃなくて小麦のパンじゃねぇかよ」
と言った。
声はいつものものよりもがさついていて、本調子には程遠そうだなと思うが、語り口調が普段通りのそれに近づいてきているのでまぁ、大丈夫だろうとゲオルグも食卓に腰かける。
「俺が焼いたんだ。個人用のパン焼き窯を作れねぇかと思って作ってみたんだが、使い心地が分からないからな。まずは自分で色々試してる……それに二日酔いのお前にはライ麦パンよりもそっちの方がいいだろう?」
「……また、趣味に走ったものを作ったもんだな……お、美味いな」
ぶつぶつ言いながらも、パンとスープを交互に口に運び、満足そうな表情を浮かべるレインズ。
ゲオルグも食べてみたが、まぁまぁの出来である。
もう少し改善できるような気もするが、今日はゲオルグも二日酔いだ。
正直言って、細かく下ごしらえやら段取りやらを考えて料理を作れる気がしない。
こんなものだろう、とあきらめることにした。
今日は、依頼も受けるのは厳しそうだ。
外を見れば、もう街は動き出している。
今から冒険者組合に行っても目ぼしい依頼は取られていることだろう。
「……今日は休暇だな」
ゲオルグがそう言い、レインズもそれに頷いて、
「たまにはそんな日があってもいいだろう。俺たち、最近働き過ぎだと思うぜ?」
そう言って笑った。
◇◆◇◆◇
朝食を食べた後、レインズは一日睡眠をむさぼると言って自宅に帰っていった。
ゲオルグはと言えば、自宅で細工物を作ることに決めて、籠もっていた。
左手にはいつも通り、魔導バーナーが握られ、右手は様々な器具を持ち替えて、金属の形を操っていた。
しかし、あとは文字彫刻を入れればそろそろ完成、というところで、ペン型の魔導彫刻器具の先端から出力される魔光が突然、不安定になり、そして減衰して完全に消滅した。
「……しまった。魔石切れか」
ゲオルグが顔をしかめるも、あとの祭りである。
本来なら細かな花をデフォルメして図案化したものが彫られるはずだった小さな球体の上に、ミミズののたくった様な醜い傷が描かれてしまっている。
「こいつは、初めからやり直しだな」
金属球をくるくる回しながら、片眼鏡越しに見つめるが、どうにもならなそうで、最初から――つまりは、鋳潰すしかなさそうだった。
素材が無駄になる、ということはないが、しかしここまでかけた時間は完全に無駄になってしまった。
そのことにゲオルグはため息をつき、
「……やっぱり、今日は細かい作業はダメかもな……」
と、椅子に寄りかかって背中を伸ばす。
バキバキと体中が鳴る音がし、ゲオルグはしばし目をつぶった。
それから、ふと思い立って、立ち上がる。
出かけよう。
そう思ったのだ。
どこにかと言えば、魔導彫刻器具にセットする魔石を仕入れるためである。
魔物を倒せば魔石くらい、自分で確保できるゲオルグであるが、これに入れる魔石は極端に小さいもので、超小型の魔物からしか採れないものだ。
探せば街中でも見つかるくらいの、ひどく弱い魔物なのだが、いる場所が下水道とかそういうところであるので、正直自分で探して捕まえる気になれない。
それに、主にそれを捕まえて生計を立てているのは、貧民街の住人、それも子供であることが少なくなく、その儲けをわざわざ節約してゼロにするのも気が進まなかった。
だからゲオルグはこれを購入しに、街中にある魔道具屋へと足を向ける。
その店は、大通りでも比較的目立つ位置にあった。
外観も洗練されていて、魔道具屋というよりは洒落た雑貨屋、という雰囲気すらするくらいである。
けれど、不思議なことに大通りを歩く多くの人々は、その店に全く目を留めない。
若い女性なら、ちらりと見るくらいしてもいい、というような外観なのにも関わらずである。
これはきわめて奇妙なことであるのだが、ゲオルグはそのことに全く頓着せずに、まっすぐに店の入り口に向かい、無造作に開いた。
ちりん、と高音の鈴の音が店内に響くが、誰かがゲオルグにいらっしゃい、という様子は全くない。
しかしそれは別にこの店の店員に愛想がないというわけではない。
少し奥に進むと、カウンターに座る店員の姿が見えた。
そして、その店員は、今、カウンターの前に立つ客と話していた。
だからこそ、ゲオルグに対して応対できなかったのだ。
この店の店員は一人しかいない。
前の店主であるイマーゴからこの店を継いだ、退屈そうな貌をした青年ハリファしか。
「ですから……この店でなら直すことが出来ると耳にしたのです。どうにかなりませんでしょうか?」
ハリファと話しているのは、若い女性だった。
水色の長い髪を片方に纏めて前に流しているその女性は、カウンターに何か品物を置いて、それを示しながら話している。
ハリファは、その女性に、
「いやぁ……僕にはどうにもできないんですよねぇ。というか、パッと見で分かりますよ。これ、直せる職人なんてまず、いませんよ? どうしてもっていうなら、クレアードに行って白金貨を三百枚ほど積めばいいんじゃないですかね」
かなりふざけた口調で馬鹿なことを言っているハリファ。
白金貨三百枚積んだらそれこそ軍艦が買える。
何かは分からないがよほど高価な素材を必要としない限り、修理程度にそんな価格付けはいくらクレアードの悪名高い商人でもやらないだろう。
けれど、微妙に世間知らずなのか女性は真面目にその言葉に頷き、
「……それが出来れば迷わずにそうするところなのですが……私の全財産を積みあげても、白金貨五枚ほどしか……」
「そりゃ、寂しい懐具合で。でも庶民からしてみればそれで二十年は食べていけますしねぇ……」
必死な様子の女性に対して、ハリファの方はのらりくらりと適当な様子だ。
祖母にあたる前店主イマーゴの嫌な部分を思い切り継いでいることがよくわかるその対応に、ゲオルグはつい、
「……くくっ」
と噴出した。
それに、ハリファも女性も気づいたようで、ゲオルグの方に振り向く。
「……何が、おかしいのでしょうか?」
「ゲオルグ、笑ったらだめだよ。この人、必死なんだからさぁ」
ハリファの方はともかく、女性の方は少しばかり気が立っているようで、ゲオルグに険のある視線を向ける。
どんな事情かはわからないが、女性の方にはどうしても何かを直さなければならない理由があるようだ。
ゲオルグは客観的に見れば、そんな女性の努力を笑ったように見えてしまったのであり、あまりいい視線で見られないのは当然である。
これは誤解を解かなければと、ゲオルグは口を開く。
「笑ったのはその人じゃなくて、お前のことだ、ハリファ。もっとまじめに話を聞いてやれよ」
そう言った時点で、女性は、あぁ、なるほど、という顔をして、ゲオルグに会釈するように頭を下げた。
どうやら、誤解は解けたらしい。
それに、ゲオルグの言葉が女性に加勢するようなものだったからか、その視線はむしろ好意的なものに変わった。
ハリファは、
「いやいや、真面目に聞いてるよぉ。ただ、僕にはどうにもできないってだけで……出来る人に、心当たりはあるんだけど」
と言って、ゲオルグに視線を向けた。
そこでゲオルグは気づく。
これは、藪蛇だったかもしれない、と。




