テイク・ユー・トゥ・ザ・ムーン/創作百合
文学フリマ東京42にて販売する月×クソデカ感情×SFオムニバス短編集「月からかえり君に会えたら」の第最終話です。
身体の弱いうららの傍にいつもいたのは恭ちゃんだった。放っておけない恭ちゃんとの思い出をうらら目線で語るお話です。
その昔、私の曾祖母はかぐや姫として地球に降り立ったらしい。
おばあちゃんやお母さんから話には聞いていたけど、私は小さかったから詳しいことは知らなかった。ただ、家に保管されていた日記があり、それを読んで曾祖母がかぐや姫として暮らした時間を知ったのだ。
私はその日記を読むのが好きだった。かぐや姫を育てたことやかぐや姫と実際に対面した時の気持ち、かぐや姫と共に地球に戻ってきての生活、そこで育まれたかぐや姫との時間。どれもドラマチックで、私がこの先に決して経験しないようなことが書かれていた。ファンタジーが好きだった私はその日記に夢中になった。
小さな私は空想家で、日記に書かれていたかぐや姫の暮らしを追体験するように、見ず知らずの月の地を飛び回ることを夢見ていた。その時、私はかぐや姫になっていて、薄くて光る羽衣を被り月で遊ぶのである。私は自由で、金色に光る月の回りをぐるりと回った。そこには一緒に恭ちゃんがいて、私たちは月の上で二人でダンスを踊る。ふわふわ浮かんで、空中遊泳をしながら恭ちゃんと手を繋いで月をのんびり周回する。車いすがなくても私は恭ちゃんとどこにでも行ける。月は私たち二人がいる場所にぴったりの場所だと思った。
だから私は月にお墓を買ったのだ。恭ちゃんを灰色の日々から連れ出すために。
***
恭ちゃんは幼稚園の時にできた私の友達だ。小学校も中学校も一緒で、高校は私が勉強を頑張って恭ちゃんと一緒の学力の高いところに行った。全然、私は登校できなかったけど。
幼稚園の時、私は身体が弱くて滅多に登園できなかったし、登園しても先生と一緒にいるばかりで友達は出来なかった。同じ組の子供たちに遠巻きにされ、私は一人で集団の隅に座っていた。
幼稚園ではおりがみを折って、友達と交換しましょうという時間があった。私の隣には恭ちゃんがいた。先生の見本を見ながら不器用に犬を折る私の隣で、恭ちゃんは器用にハートを折っていたのをいつも思い出す。他の子たちとは次元の違う真っ赤なハートを見て、私はハートを頂戴と恭ちゃんに言った。
恭ちゃんのハートは大人気だった。私以外にもいろんな子にハートを欲しがられていた恭ちゃんだけど、結局ハートは私の物になった。そのハートは今でも私の宝箱に収まっている。
その後、私は両親と事故に遭って幼稚園にも小学校の初めの方にも行けなくなってしまった。私は過保護な祖母と一緒に家の中で過ごし、小学校に行っても良いという許可を得られた時には、私は小学六年生になっていた。
恭ちゃんに再会したのは小学校の二学期の始業式のことだ。
車いすで始業式の列について行く私を気にかける人はいなかった。私は転校生のような扱いだったし、車いすに乗る私は学校の中で異質な存在だったから。私はやっぱり遠巻きに好奇の目で見られていた。人目にさらされるという初めての経験で、私の心臓はずっと早く鳴りっぱなしだった。早く家に帰りたかったのを覚えている。自分で押す重たい車いすが軽くなったのは私が俯いて車いすを動かすのを止めようかと思った時だった。
「押そうか、車いす」
私の傍には女の子が立っていた。
「うららちゃんでしょ。すぐわかったよ」
そう言われて、私のことを知っているのは恭ちゃんしかいないと思った。
「恭ちゃん?」
恭ちゃんは頷いた。それが私と恭ちゃんの再会だった。
私は学校に行ったり行かなかったりしたけれど、登校した時は恭ちゃんが必ず私と一緒に行動してくれた。クラスメイトは私のことをよくわからないままで、恭ちゃんの行動には何も反応しなかった。先生も恭ちゃんに私を任せきりで、必然的に登校すると恭ちゃんと過ごすことになった。
実際に付き合ってみたならば、恭ちゃんはまじめと言えばまじめで、堅物と言えば堅物で、無味乾燥と言えば無味乾燥な子供だという事がわかった。授業中は勉強しかしなかったし、お昼休みにはご飯しか食べなかったし、委員会では委員会の仕事しかしなかった。放課後は私を家の人に任せるとじゃあね、と言って帰った。私は初めて恭ちゃんを家に招くまで、恭ちゃんのことをただ親切なクラスメイトだという事しか知らなかったのだ。
学校では友達を家に招くという遊びが流行っていて、私はどうしてもその遊びをしたいと思っていた。でも、私は恭ちゃんしか友達がおらず、恭ちゃんも私の家に来たいかどうかもよくわからなかった。それでも、恭ちゃんを家に招いたのは、日頃から感情を露わにしない恭ちゃんのことをもう少し知りたかったからだ。
恭ちゃんは戸惑いながら私の家に来た。玄関をあがると恭ちゃんは余計に口数が少なくなった。宿題があったから二人で宿題をすることに決めた。私は恭ちゃんの私生活を暴く絶好の機会だと思い、恭ちゃんの算数のドリルを邪魔して、家に帰ったらどんなテレビを見るのかとか、夕飯は何だとかを尋ね、自分が見ている面白い番組や漫画の知識などを披露した。
しばらく会話をした後、恭ちゃんは私が娯楽だと思っていたテレビ番組や甘いおやつなどを全く知らないことがわかった。
恭ちゃんは学校から家に帰るとご飯を炊いて、洗濯物をして、明日の学校の準備をして、電気代がもったいないから外が暗くなったらすぐに眠るのだという。おやつの時間はない。
私は驚いてしまって、慌てて冷蔵庫にあったケーキを持って恭ちゃんの元に戻った。これは美味しいケーキだから食べた方が良いよ! と押し付ける。恭ちゃんは驚いていたけれど、私はごり押しして恭ちゃんの口にケーキを運んだ。最初は遠慮していた恭ちゃんも、観念したのか彼女はケーキを食べた。そして、美味しいと言ってぎこちなく笑った。思えば、恭ちゃんが目を細めて笑ったのは初めてだった。
「ケーキを食べたのは二回目。うちではケーキは食べられないから」
私は恭ちゃんの言葉の意味が分からなかったが、恭ちゃんが笑顔を見せたことは嬉しかった。誰にも感情を露わにしない恭ちゃんが私に心を開いてくれた。その事実は私にとって一種のパラダイムシフトだったのだ。
それから、私は恭ちゃんが家に来れる時はいつも家に呼んだし、その時には必ず恭ちゃんに甘いものを食べさせてあげた。恭ちゃんはどれを口にしたときも美味しいと言って気に入ってくれた。私は調子に乗って、おやつだけじゃなくて漫画を一緒に読んだり、新しいラメペンで絵を描いたり、テレビゲームで着せ替えをしたりして彼女と遊んだ。
恭ちゃんが私と一緒にいる時には大抵、恭ちゃんにとっては未知のものとのめぐり合わせの瞬間になっていて、私はその反応を新鮮に、そして好ましく思った。喜ぶ恭ちゃんが素直に感嘆する様子を見て、私は曾祖母の話が書かれたかぐや姫の日記を思い出していた。
家の中ではおばあちゃんが恭ちゃんのことをとやかく言ってたけれど無視した。私のお小遣いが恭ちゃんとの遊びに使われないよう減額されて、私はおばあちゃんのことをババアとも言った。恭ちゃんはそんなことを言うもんじゃないと慌てて、別にお金のために一緒にいるわけじゃないからと、私のすることを何でも固辞するようになった。
このおばあちゃんも私が高校進学前に死んでしまって、本格的に私は一人になった。傍には恭ちゃんしかいなかった。お葬式でババアなんて言っちゃったと号泣した私を恭ちゃんは慰めてくれた。
高校生になると恭ちゃんはバイトを始めて、一緒に遊ぶ機会は少なくなったけれど、恭ちゃんが自分で使えるお金ができたから二人でちょっとした遊びに行けるようになった。
この頃になると、私は恭ちゃんの家の事情が分かってきた。
彼女の家は私の家と比べると貧乏で、恭ちゃんは奨学金を貰って勉学に励み、バイトを掛け持ちして家計を支えて暮らしていたのだ。私の家は大きくはなかったけれど、恭ちゃんの家庭と比べるとはるかにお金持ちだった。
恭ちゃんは中学校の時から滅多に遊びに出歩かなかった。というよりは、彼女は遊びをわかっていないみたいだった。恭ちゃんが質素でおとなしかったのは彼女の気質のせいだけではなかったと思う。遊ぶ余裕のない恭ちゃんの生活に、私は一人打ちのめされていた。
仕方がないから、私は恭ちゃんをピックアップしていろんなところに二人で行くことに決めた。私がわがままを言えば恭ちゃんは必ず一緒に出てくれる。そうでもしないと恭ちゃんは学校と家を往復して奨学金のために勉強し、バイトに行っては家にお金を入れるという生活の繰り返しになってしまう。
あそこに行きたいんだよねと言うと、恭ちゃんはいつも一緒について来てくれた。ここに行ってみたいと零すと絶対それを現実のものにしてくれた。私は車いすに乗っていたからバリアフリーの場所を探すのに苦労したと思うけど、恭ちゃんは文句も言わなかった。
恭ちゃんは相変わらず遊ぶときに戸惑った顔をしていたけれど、私は恭ちゃんを退屈な日常から連れ出せただけで満足だった。
「恭ちゃん、楽しい?」
「うららがいるから楽しいよ」
一度だけ、恭ちゃんに聞いたことがある。私は恭ちゃんの即答が私の行動への答えだと思っていた。
高校も半ばになって私の具合は一気に悪くなった。もともとの病気もあるし、幼稚園の時の事故の後遺症もあった。私はどこにも行けずに家に留まる生活が続いた。
夜景を見たいと言ったのはその時期だ。このままだと私はいずれどこにも行けなくなる。そう思って、最後かもしれないと恭ちゃんにわがままを言った。
恭ちゃんは私を連れて大桟橋の夜景を見に行ってくれた。海の向こう側で観覧車とビルの明かりがキラキラと光っているのを見て、私は恭ちゃんにぐるりと周ってと強請った。木の板の上をゆっくりと散歩しながら、私たちは少し涼しく優しい海風に包まれる。
そこで私は恭子ちゃんからまん丸のお月様のようなペンダントをプレゼントされた。
巷ではプレートタイプのアクセサリーを恋人同士で渡すのが流行っていた。ずっと一緒だという誓いのペンダントである。
恭ちゃんは私の酸素チューブを器用に避けながら私にペンダントを付けてくれた。似合ってるよ、と笑顔になった恭ちゃんに私は言った。
「酸素も付いてるのに? ストーマも二つあるよ? 私でいいの?」
「いいよ。だって、うららだもん」
バイト代を貯めて買ったのだと恭ちゃんは言った。ペンダントならおばあちゃんの物やお母さんの物が家にいっぱいある。でも恭ちゃんが買ってくれたそれは唯一無二の私の物だった。
私は恭ちゃんにペアペンダントにしたい、と言った。私はその時、一緒に買いに行きたいという意味で言ったのだけど、二か月後くらいに、やっぱり恭ちゃんはバイトで自分のぶんを買っていた。私はやってしまったと思いつつ、恭ちゃんと一緒のペンダントを嬉しく思った。
似合うよ、と私が言うと恭ちゃんはそうかな? と照れて笑った。まん丸のプレートのネックレスは恭ちゃんにもよく似合っていた。
その後、いよいよ私は寝たきりになった。恭ちゃんは時々家に来てくれて励ましてくれるものの、私は自分の死期が近いことを感じていた。熱は下がらず、日に日に呼吸が苦しくなる。
恭ちゃんは今度は学校と家とバイトと私の家を行ったり来たりする生活になった。甲斐甲斐しく私の世話をする恭ちゃんの姿を見ながら、私は恭ちゃんが病室に縛り付けられていると感じていた。病気の匂いがする暗い部屋にいる恭ちゃんを見て、私は居た堪れない気持ちになる。
私は、私が死んだあとに恭ちゃんが再び家と学校を往復する生活に戻るんじゃないかという事を恐れていた。恭ちゃんの笑顔を見るために、私はせっかく彼女を外に連れ出したというのに、元の木阿弥になってしまうのが怖かった。恭ちゃんには笑顔でいて欲しい。恭ちゃんを外に連れ出せるのは私だけで、私だけがそれを知っているのだ。
遺産でも残したら恭ちゃんは遊びに出かけられるだろうか。だめだ馬鹿ばかしい。恭ちゃんはそんなものに価値を持っていない。
夜ごと苦しくなる呼吸にうんうんとうなされながら思い出すのは恭ちゃんと曾祖母のことが書かれたかぐや姫のお話だ。二つの話題は私の気持ちをそこそこ穏やかなものにしてくれた。私は一人空想の中で、恭ちゃんと月で過ごすことを夢に見ていた。
月の墓地の話を聞いたのは、自分のお葬式の打ち合わせをしている時のことだ。葬儀会社はただの一人も家族がいない私に樹木葬や海への散骨の話をしてくれて、その中で私は月に墓地があることを知ったのだった。月の一角に私が眠る。それは恭ちゃんを連れ出す絶好の口実になると思った。
だって、私が月に行くと言ったら、恭ちゃんはきっと私のところに来てくれるに違いないから。
それは恭ちゃんを独占して、恭ちゃんの人生を私だけのものにしてしまうことだという気もしている。恭ちゃんを連れ出したいというのは私のエゴだ。でも、私が連れ出さなくちゃ、恭ちゃんはいつまでも家とどこかを往復して暮らすだけの日々を送るに決まっている。嬉しいも楽しいも実感がないまま、恭ちゃんは笑顔を見せずに過ごすことになってしまう。
ねえ、月に行こう、恭ちゃん。
これは私からの恭ちゃんへの最後のプレゼント。
お読みいただきありがとうございました!
いつも閲覧、評価ありがとうございます!
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