パトリシア・ブルックスの今世‐四
震える声で王子に尋ねる。
“何もしなくてもいいからね”
“パトリシアは、何も悪くないからね”
“ずっと笑っていておくれ”
砂糖菓子のように甘いことだけが“愛”なんだと思っていた。
だって、その“愛”しか知らない。
申し訳なさそうな顔は、裏切りの証明だと思っていた。
それが違うかもしれないなんて、夢にも思わなかった。
「もちろんさ!僕自身の話になるけれど、しょっちゅう怒られてばかりさ。
……今日だって、お母様に『令嬢の顔に傷をつけて、謝罪もできてないとは何事ですか!』って怒られてきたんだから!」
夢の中の未来でも、今までも、何でもできて、みんなにちやほやされてる王子だと思っていた。
なんなら王子は、自分よりも甘やかさていると信じて疑わなかったパトリシアは、驚きを隠せない。
「“でも……”」と王子は続ける。
「怒られるということは期待され、その期待に応えられなかったということ。だから僕はお父様やお母様、それからみんなの期待に応えたいんだ!」
「“なんて、家庭教師の受け売りだけどね!”」と付け足す。
“王族なれど、十にも満たない子供に”
昨日、自分が王子に対して思ったことを思い出す。
「(十にも満たないのに、こんなにも考えられるものなのね。私は自分が死なない未来のことしか考えられない……)」
ずっと甘やかされることだけが、愛だと信じて疑わなかった。
―――でも、王子の照れたような笑顔は、彼の言葉が嘘じゃないと物語っている。
「怒られることも愛だと受け止められる……王子は、お強いんですね。」
なんとか笑って見せようと口角を上げてみるが、自分がいま、どんな表情をしているか想像が上手くできない。
王子が目を見開き、顔を赤くして、私を見つめているんだから酷い顔はしてはないはず。
パトリシアの両手を包み、目が零れ落ちそうなほど開いていた瞼をギュッと閉じる。
「こ、公爵に渡した手紙にも書いてあったんだが、改めて僕の口から言わせてほしい。」
深く息を吸い、目を開き、真剣な眼差しでパトリシアを見つめる王子。
「僕と婚約してほしい。」
甘い氷菓子が溶けそうなほどの熱い視線。
夢の中の未来とは違うけれど、王子との縁談が持ち上がってしまった。
しかし、ここに来たるまでの過程はあまりにも違う。
もしかしたら、斬首の未来を回避できるのではないかと、パトリシアの中で希望が膨らむ。
『大丈夫かもしれない』
その希望がほころぶ花のように、胸の中で咲き乱れる。
王子の誕生日会で見せたような笑顔で、パトリシアは王子の手を握り返す。
その笑顔を見て、王子もより一層顔を赤らめる。
太陽に何時間も晒されているかのように熱く、湯気が出ているのではないかと思うほどだった。
そして、パトリシアの口が開かれる。
「謹んで―――」
―――
王子が帰ったあと、パトリシアは公務室に呼び出されていた。
「パトリシア、一体なぜ王子との縁談を断ったんだ!?」
『謹んで―――お断りします!』
パトリシアは王子との縁談を断っていた。
婚約に至る過程が違えど、もし斬首される未来の条件が『次期王妃』では首が切られることが確定してしまう。
それに夢の中の王子は『聖女』をずっと気にかけていた。
いずれ向かなくなる好意であるならば、そんなものは最初っから要らないとパトリシアは考えていた。
王子が聖女を気にしていたのは、婚約者からのイジメをどうにかフォローできないかと考えた末の行動なのだが、そんなことをパトリシアは知る由もなかった。
「私は“パトリック”です。男なので、王子とは婚約できません。その代わり、友人になりました!これからは友人として遊んだり勉強会をするつもりです!」
「王子の前で、またそんな世迷言を言ったのか!」
「世迷言ではありません、私は本気です!こちらを見てください!」
公爵の前に出したのは、王子がやってくる前に出されていた問題集。
パラパラとめくると、問題が解かれていた。
「どうやって、応用ばかりの問題を!?参考書だって……!!」
そこで公爵はハッとして口を押さえる。
「ちょうど王子も習っているとのことでしたので、教えてもらいながら解きました。
ひどいですよ、お父様。
『三ヶ月の猶予を与える』と仰ったのは、お父様ですのに……基礎すら習っていない私に応用ばかりの問題集を渡してくるなんて。
まるで『三ヶ月の猶予』さえも与えず、王子との婚約しか選択肢にない……私との約束を破るようなことをするだなんて。」
「お父様は“私のどんな願いでも叶えてくれる”って仰ってたのに。」
「“わたくしのことを裏切るんですか”」
斬首された未来が重なり、つい口から出そうになった言葉を飲み込む。
ちらりと公爵を見る。
お父様の時でも、公爵の時であっても、見たことのない取り乱しようだ。
「“違うんだ”」「“深い理由があって”」「“いや、その……あれだ”」
わたわたと身振り手振りをしながら弁明しようとしていた。
「(今まで、こんな風にお父様と話したことなんて、なかったかもしれない)」
夢の中の未来でも、今でもちゃんと自分の気持ちをぶつけたことがなかったな。
そう思うと、クスッと笑ってしまった。
気持ち的に姿勢を正す。
公爵の弁明を遮り、まっすぐ見つめる。
「改めて“パトリシア・ブルックス”最後のわがまま、どうか聞いてください。」
カーテシーではなく、腰を曲げる。
公爵は何かを言いたげに、口を開けたり閉じたりを繰り返し、諦めたかのように息を吐く。
「改めて、三ヶ月の猶予を与える。今までのように甘やかさないから、励みなさい。」
その言葉を聞いて、体勢を戻し、公爵に抱きつくパトリシア。
「――っ!ありがとう!お父様!」
いつも抱きしめてもらってたはずなのに、思いが伝わったと思うだけで、こんなにもあたたさを感じるなんて……!
斬首された未来を回避するためのスタートラインに、やっと立てたパトリシアであった。




