パトリシア・ブルックスの今世‐三
王子の応対をすべく、パトリシアを部屋に置いて先に部屋に到着する公爵。
“ふぅ”一息つき、扉をノックし「“失礼します”」と中に入る。
「ご機嫌麗しゅう、王子。今日はどういったご要件でしたかな?」
汗を拭く動作をしながら、対面の一人席に腰掛ける公爵。
「事前の連絡もなしに申し訳ない、ブルックス公爵。先日の誕生日会での件で……」
「急用とは言え、祝いの席を中座してしまい、大変申し訳ございませんでした。」
『誕生日会の件』と聞き、慌てて立ち上がり深々の頭を下げる。
「頭を上げてくれ、公爵。そのことを責め立てるつもりはないんだ!……それに謝らなければならないのは僕の方だ。公爵の一人娘に傷をつけてしまった。」
しゅんと下を向いていた王子が、意を決したように顔を上げる。
「母上……王妃に報告したら『一国の王になる者ならば、責任を取りなさい』とおっしゃり、これを……」
王子は封のされた手紙を、机に置く。
「……拝見いたします。」
置かれた手紙へと手を伸ばそうとした。
「――失礼します。」
少しざわついている扉の外、ノックと共に扉が開かれた。
公爵も王子も、声の方へと振り向き、ギョッと目を見開き固まってしまった。
パトリシアは、先程よりちゃんとした“男児服”で現れたからだ。
「パトリシア!“ちゃんとした服装に着替えて来なさい”と言ったはずだ!」
「だから、王子の前に出ても恥ずかしくないような“正装”をしてるではありませんか、お父様。」
開き直るパトリシアに、公爵は『前は“多少”わがままでも、ちゃんと言うことは聞いてくれたのに……』と頭を押さえる。
……公爵だけが“多少”と思ってた。
父の前でだけ言うことを聞く素振りをし、時には花瓶を割った犯人を新人のメイドのせいにしてクビにしたり、靴の中に画鋲を仕込んで、気に入らない従者を辞めさせたりと、陰で悪名を轟かせていた。
「パトリシア嬢……その姿は……?」
三日も経っていないのに、風貌があまりにも変わりすぎているパトリシアを見て、呆然とするしかない王子。
「ごきげんよう、アーリヤ王子。この格好ですか?私は男児として“生まれ変わった”のです!ですので、男児の格好をするのは当然でしょう。アーリヤ王子も是非、私のことを“パトリック”とお呼びください!」
扉の前で、得意げな顔を披露するパトリシア。
ぽかんと呆けている王子。
それからプルプルと震える公爵。
ダンッと机を叩き、再度椅子から立ち上がる。
「ふざけるのもいい加減にしなさい、パトリシア!身内の前だけならいいが、王子の御前だ!場を弁えなさい!」
普段では考えられないような形相と大声でパトリシアを叱りつける公爵。
荒くなった息を整えながら、王子に「“お見苦しい姿をお見せしました、大変申し訳ございません”」と謝罪する。
パトリシアは、生まれて初めて公爵に怒られた。
言葉の通り、一度もなかった。
公爵の重要書類に落書きをしても、公爵が大切にしていた時計を間違って壊しても、怒られたことはなかった。
次第に視界がぼやけていき、目のふちに溜まるものが涙と気付くのに少しの時間を要した。
「……ッ!」
扉を開け、走り去るパトリシア。
本人の中では「“失礼します”」と言えたつもりだったが、実際に出たのは口の中の空気だけだった。
「パトリシア嬢……!」
王子が慌ててパトリシアのあとを追いかける。
部屋に一人残された公爵は、俯きながら顔の前で手を組み、少し長く息を吐いた。
おろおろとする従者たちは、パトリシアが走り去った方向と、今にも自責で死んでしまいそうな公爵の顔を往復して見ることしかできなかった。
―――
自室で泣き声を必死にこらえるパトリシア。
怒られた!
なんで怒るの!?
わたくしは、生きたいように生きたいだけなのに!
どうして認めてくださらないの!?
私がまた首を切られてもいいって言うのっ!?
鬱々と考えていた時、扉がノックされた。
「僕だ、アーリヤだ。パトリシア嬢が心配で……あっ!パトリックと呼んだ方がいいのかな?」
ビクッと肩を跳ねさせ、扉を見るパトリシア。
ボロボロと零れ落ちる涙を、両手の手の平で三回ほど拭う。
王子の真剣な呟きに、思わずフッと笑ってしまうと、“二人で話そう”と提案される。
王子を立たせたままのもマズイと思い、扉を開け「“どうぞ、お入りください”」と促す。
「寝台に座るだなんて、お行儀が悪いって怒られないかな?」
顔を赤らめながらベッドに腰掛ける王子。
「“誰も入らないで”って言いつけたので、大丈夫ですよ。」
部屋に別の椅子を運ぶのが面倒くさくなったので、自分は普段使っている椅子に座り、『座り心地がいい方が良いだろう』と王子をベッドに座らせるパトリシア。
もじもじしている王子にお茶を手渡し、『毒が入ってない』という意味を込めて先に飲む。
一息ついたあと、王子が口を開く。
「誕生日会の時も言っていたけれど、どうして男になろうと思ったんだい?」
「……お父様の差し金ですか。」
王子に「“男になった理由を聞き出してくれ”」なんて不敬なことは頼まないと思うが、念のため警戒をする。
しかし王子は首を横に振る。
「違うよ、個人的な疑問さ。」
「……どうしても迎えたくない未来があるんです。」
「迎えたくない?未来がどうなるかなんて、わからないのに?」
王子は首を傾げる。
「私は一つだけ、未来を知っています。」
「一つだけ、知ってる?」
『あなたに殺される未来』
そっと首の後ろに手をやる。
傷もなく、ちゃんと繋がっている首。
実際にわたくしを殺したのは処刑人だけれど、間接的に王子に殺されたと言っても過言ではないと思う。
なんて言葉を、口の中で転がす。
少しの無言のあと
「訪れる未来が良くなかったら、変えたくなるよね!」
にこっとパトリシアに笑いかける王子。
さらりと髪が風に靡き、陽だまりのような笑顔だった。
「(……いつも困ったような顔の王子しか見た事がなかったけれど、この人ってこんな顔だったのね)」
まじまじとパトリシアに見つめられている王子は、次第に顔が赤くなり、忙しなく視線を動かす。
少し開けていた窓から風が入り、机の上の紙がバラバラと音を立てる。
「勉強をしていたのかい?」
ベッドから立ち上がり、机の紙を手に取る王子。
一歩出遅れ、パトリシアも紙に手を伸ばす。
「この問題……応用問題ばかりだね。もうこんなところまで勉強が進んでいるだなんて、すごいなパトリックは!」
「応用問題……?王子は、この問題が解けるんですか?」
「ああ、僕も最近、この範囲を教えてもらい始めだから時間をかければどうにかってところかな?……あれ、パトリック?」
パトリシアの顔がみるみる沈んでいく。
……応用問題?
初めて習う私に、応用問題を解かせようとしてたの?
私が本気だって、お父様は信じてなかったのね。
“また”嘘をつかれ……
「公爵は本当に、君をかわいがっているんだな。」
「……え?」
パトリシアはぴくりと頭をあげる。
「だって、僕らの歳で、ここまで授業を進める必要はきっとないだろうし、さっきの公爵だって君に恥をかかせたくないから、君のために怒ったんだろう?とても期待され、愛されているってことさ!」
期待されている。
自分では思いもよらない考えだなと、思わず王子の顔を見つめる。
「怒られる、ということは、愛されているということになるんでしょうか?」




