パトリシア・ブルックスの今世
「きゃぁあっ!」
パトリシアは短い悲鳴を上げながら飛び起き、自分の首が繋がっていることを触って確かめる。
手が冷たいせいか、うなじが熱く感じる。
「(あれは、夢……?ううん、それにしても……)」
玉のような汗を拭い、荒い息をなんとか落ち着ける。
あまりにも生々しくて、現実味がありすぎる夢。
――そして、ベッドのサイドチェストから一枚の手紙を取り出す。
“アーリヤ王子、誕生日会へのご案内”
もしかしたら、夢ではなく未来に起きることなのかもしれない。
そう思うと、繋がっているはずの首がチリチリと熱を帯びるように感じる。
仮に未来だとしたら、約十年後に首を切られるなんてごめんだ。
回避する方法を、まだ少し混乱する頭で考えるパトリシア。
誕生日会に行かない?――王家直々の招待状だ。公爵家の者が断れるわけがない。
王子に近づかない?――挨拶まわりで確実に接触するだろう。
どう考えても、導き出される答えは“不可能”だけだった。
「(どうしろって言うのよっ!)」
イライラとしながら親指の爪を噛む。
その時、ドアをノックする音と共に公爵の声が聞こえる。
「私のかわいいパティ。侍女から『うなされているよう』だと知らせがあった。大丈夫かい?眠れるまで手を握ってあげようか?」
まだ少し荒い息を飲み込み、ドアを見るパトリシア。
「(……ドアの向こうのお父様の声は、わたくしを心配している。今も、仮の未来でも、それに嘘偽りはなかった、と思いたい。)」
ぼんやりと公爵の声を聞いて、仮の未来で最期に、頭に残っていた言葉を思い出す。
『今回はもみ消せない』
『国が大事にしている聖女』
『せめて、男児なら』
パトリシアの脳内が、突然弾けた。
「……そうだわ、わたくし“男児”になればいいのよ!」
ベッドから降り、ドアを開け「“お父様!”」と公爵を抱きしめるパトリシア。
「“よほど怖い夢を見たんだね”」と公爵はパトリシアの頭を撫でる。
「(わたくしに解決の手がかりを与えてくれて、ありがとうお父様。それから――)」
「お父様……わたくしが、明日どんなワガママを言っても許してくださる?」
「明日……?王子の誕生日会だね?かわいいパティの願いならなんでも聞いてあげるよ。」
“今日のパティは甘えん坊さんだね”と、公爵はまぶたに口付ける。
その言葉を聞いて、ふんわりと笑うパトリシア。
「うふふっ、ありがとうお父様……おやすみなさい!」
―――
誕生日会当日。
仮の未来の通り、王子はプレゼントで貰ったであろう短剣を腰に差していた。
「(……やはり、あの夢はこれから起こる未来の出来事だったなのね……)」
王子が色んな人々からお祝いの言葉を述べられ、一人の令嬢が「“とても素敵な剣ですわね!”」と声をかける。
それに気を良くした王子が短剣を抜き、剣舞のように動いてみせる。
これから起こることを知っている。避けてみてもいいが、避けたことで仮の未来より大怪我をするのはごめんだ。
なので、パトリシアは―――動かなかった。
「(大丈夫、痛いのは一瞬)」
頭の中で何度も繰り返し
――そして、“シュッ”と頬を掠める短剣。
「きゃっ」
来るとわかっていても、思わず声が出てしまった。
「(……少し叫んでしまったけれど、切れ味が良すぎて、あまり痛くなかったかも?)」
“あの時のわたくしは、血が出たことに驚いてしまっただけなのかしら?”
夢の中で斬首されたおかげで、大抵のことに物怖じしなくなったのを、パトリシアも周りもまだ気付いてはいなかった。
頬を伝う血をすくい、目線を上げる。
青い顔をした、王子と人々がおろおろしながら、こちらを見ている。
「“まずい、ブルックス家のご令嬢だぞ”」「“今回はどんな文句を言い始めるんだ”」「“やはり、王子との婚約か……?”」
様々な声が飛び交うのを、ぼんやりと聞いていた。
「(……今までのわたくしなら、こんなことが起きたらすぐに泣いていたから、言われてトーゼンよね)」
真っ青を通り越して、土色になりそうな顔で王子がパトリシアに向き直る。
「す、すまない……パトリシア嬢……どう詫びたらいいか……」
「“お詫び、ですか”」と少し考えるフリをしてから口を開く。
「……顔に傷がついてしまいました。周囲から“女は顔が命”と、わたくし言われてきましたの……顔に傷がついたということは、女のわたくしは死んでしまったも同然。なので、これからは男児として生くことを、王子が承認してくださいませ!」
いつもの人を見下したような笑みではなく、つぼみの花が満開になるような笑顔を浮かべるパトリシア。
言葉と状況が飲み込めないらしく、王子も周りもぽかんと口を開ける。
知らせを聞いた公爵が駆けつける。
「私のかわいいパティ……泣い……てはないね、えらい子だ。ああ、陶器のように白い肌に、不釣合いな傷が……王子!どう責任を取るおつもりかっ!」
「あぅ……それは……」
「お父様、王子は八歳になったばかりですのよ?そんなに怒られては、怖がってしまいますわ……」
いつもなら、わんわんと泣き声をあげる我が子が、泣きもせず、それどころか他の子を心配する様子を見て、公爵は思わずパトリシアを凝視してしまう。
「パトリシア、どうしたんだい?もしや、あまりのショックで涙も出てこないのかい?……本当に怖い思いをしたんだね。」
抱きしめて、頭を優しく撫でる公爵から少しだけそっと離れる。
「お父様、昨日わたくしがお話したことを覚えてる?」
「もちろんだとも、どんなお願いも聞いてあげようね、王子との婚約がいいかい?」
公爵の言葉を聞き、「“やっぱり……”」と周りの空気が重くなる。
しかし、パトリシアは首を横に振る。
「わたくし……いえ、私をこれから、男児として生きることをお許しください!」
「……は?」
目を見開き、口を開ける公爵。
下を俯き、顔が伺えない王子。
それと「“やっぱり男になるって言ったよな?”」「“聞き間違いじゃなかった?”」とざわめく人々を目の当たりにして、パトリシアはなんだか面白くなってしまった。
こほんと咳払いをひとつして、王子と目を合わせるパトリシア。
「王子、そして皆様。お騒がせして大変申し訳ございません。最後までお祝いができないのが大変心苦しいのですが、至急の用事ができたので、これにて失礼いたします。」
カーテシーではなく、男性のように頭を下げ、混乱している公爵と共に家へ戻る。
「“なんと無礼な!”」「“他の王家の方々に報告を”」と人々の言葉が飛び交う中
……王子の顔がじわじわと赤みを帯びていたことを知るものは、誰もいなかった。
―――
「……一体どういうつもりだい?パトリシア。王子に責任を取らせないなんて……“上の者が下の者へ粗相をした時に、言い逃れをする姿”を見せるなんて、下の者たちに示しがつかないじゃないか。」
公務室の椅子に座り、人差し指でトントンと机を叩く。
今の公爵は、“パトリシアのお父様”ではなく“ブルックス公爵”その人だった。
パトリシアは簡単に顔の傷を手当し、公爵を見据える。
「勝手なことをして、申し訳ございません。しかし、王族なれど十にも満たない子供に“責任を取れ”と詰め寄るのは横暴……それこそ、“下の者に示しがつかない”ことではありませんか?」
頭を下げ謝りながらも、はっきりと自分の考えを言葉にしたパトリシアを見て、今までの話し方も、雰囲気も、何もかも違うことに、公爵は本気で混乱する。
「(こんなに聡明な子だっただろうか?)」「(心の病院へ行くべきか)」「(大事な娘を病ませてしまって、亡き妻に顔向けができない)」
公爵が思考の海を泳いでいると、「“お父様”」と声をかけられる。
「お父様、どうかわたくしを……いえ、私を男児と認めてくださいませ。」
真っ直ぐに公爵を見つめるパトリシアの目は本気そのものだった。
しかし“自分を男として認めろ”なんて馬鹿げたことを言い出すなんて、やはり私の育て方が間違えてきたのだろうかと悩み出す公爵。
とりあえず、パトリシアには現実を見せなければならない。
「パトリシア。簡単に“男児として認めろ”と言うけれどね、パトリシアが考えているよりもっとずっと大変なことなんだよ?」
「百も承知です!」
迷いなく答えるが、公爵は首を横に振る。
「いや、わかっていない。男になったら、私の跡を継がなければならない。他の子よりも、うんとお勉強をしなくてはならないし、お友達と遊べる時間もなくなる。そんなことは嫌だろう?」
確かに、仮の未来だと、王妃教育も、学園のお勉強からも逃げ回ってきた。
だが、仮の未来を知ってしまったパトリシアは違った。
「(……たかが、気に入らないメイドを適当な理由で解雇したり、ありもしない噂を広めて教師を辞職に追い込んだり、聖女の顔を溶かしたぐらいで、首を切られるぐらいなら、嫌な勉強だってしてみせるわ)」
パトリシアが回避したいのは“斬首された未来”であって、自分のしでかしたことを悔い改めることではなかった。
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