価値なき者
朱泉府の術師の家に生まれた者で、才を持たない者はいない。正確には、才を持たない者は、生きることを許されない。
七つの府に分けられた水葉洲と、内海を挟んで隣り合う似菜洲こと紫峡府、この二つと海峡を挟んで隣り合っている束枝洲が朱泉府である。古い歴史と大規模な霊脈の源泉を持ち、海を越えて襲来する物の怪や敵対者を迎撃してきた洲にして府であり、才などあって当然のものとされる場所だった。
兵士や術師としての道の始まりが、既に遥か高みにあることが当然の環境では、そこに生まれ付けなかった者など最初から負けている。だが、最も地獄を見るのは、勝者にも敗者にもなれない半端者だ。
勝者は歩み出せる。敗者は道を知らないままでいられる。半端者は、立ってしまった道を逸れないよう、遅れないよう、急かされながら死に物狂いで走らなければならない。
要は半端者の中でも出来が悪い部類だから、いつか道を走ることさえ許されなくなる恐怖も、背を追い立てるものに加わっていた。要の才能はかろうじて許容範囲内で、いくらでも替えが効く。走ろうが走るまいが、他からすればどうでもいいのだ。煩わしいとさえ思ってはもらえない。気まぐれに見られ、まだあったのかと確認されて、一瞬で忘れられるだけ。
その程度でしかないから、要は一人で、藍山府の山奥にまで来られたのだ。本当は誰かが追ってきてくれるのでは、監視してくれているのではないかと、不安定な期待を胸の片隅に抱えて。そうでもなければ、朱泉常守隊の装いなどしてこない。
自分の顔は頭巾で隠しているくせに、鎮西の代名詞たる朱泉常守隊の顔には泥を塗る。だが、才がかろうじてある程度の人間が勝手に脱走しただけでは、朱泉常守隊どころか生家さえ動じはしないのだ。要では、鎮西の顔に泥さえ塗れない。
要には、価値がないのだ。岩断で作られ、売られていく道具たちを羨んでしまうほどに。
価値ある品を持ったところで、自身に価値が付与されるわけではないのに、要はよく知りもしないまま刀を求めた。朱泉常守隊の存在こそ知らなくても、何らかの身分を持つ者だと誤解して話しかけてきた男に、自分の素性など知らない相手から煽てられる心地良さに酔いながら。
しかし刀は盗まれてしまい、西守隊などと通称を広め、朱泉府の名家たちを支配下に置いたと驕る色護衆に接触してしまった。要が頼れるのは色護衆の者たちしかおらず、それさえ生家は気にもしないだろう。彼らを通じて朱泉府へ帰されれば、道を走る資格を失った者として認識されるかもしれないが。
要に味方はいない。要を見つけてくれる者はいない。これまでも、これからも、ずっと。
「――要殿?」
呼ばれた名を皮切りに、喧騒が耳へ戻ってきた。坑道と偽られ、違法な売買や賭博が行われていた洞窟の中、大柄な男が要を覗き込んでいる。
「どうかしたか。何やら思い詰めた顔に見えたが」
「何もない」
切り捨てるように言えば、大柄な男こと誠吾は身を引いた。天授色ではない赤毛に緑眼、彩鱗国の人間には馴染まない骨格を持つ誠吾は、外つ国の血が入っていると一目で分かる。朱泉府は外からの脅威と戦ってきた場所だが、同時に、利益があれば受け入れてきた。必要以上に恐れなくてもいいと分かっているため、要にとってはあまり気にならない。
それよりも、今は盗まれた短刀探しだ。突然現れ高らかな宣戦布告をした孝信と、用心棒として雇われた人妖の乱闘が繰り広げられている傍ら、要たちは空っぽになった店を中心に探している。違法売買と賭博に明け暮れていた者たちの多くは、突然飛び込んできた男が始めた戦いに釘付けとなっているため、要たちが店を漁っていることなど気づきもしない。気づいた者たちも、誠吾と知俊の連携で黙する羽目になっていた。
店頭に並んでおらず、倉庫のどこかに隠されている可能性もあるが、そちらは元より潜伏していた福一たちによって探されている。要たちが探し終えた店からも、盗まれた品々は早々に運び出され、安全な場所へと避難させられていた。その中にあったらあったで、骨折り損のくたびれ儲けになるだけで、僥倖ではあるのだが。
「それにしても、びっくりするくらい誰もこっち見いひんな。あれだけ派手なモン見せられたら、そりゃあ目ぇ離せへんやろうけど」
知俊が見やった先には、人混みの向こうで跳ね躍る影が複数。松明の明かりにおどろおどろしく浮かび上がった影と姿は、人間と妖怪が混戦していることもあり、知俊が言うように目を離せなくさせる力があった。
群集のどよめきを貫いて、咆哮と笑い声が響いてくる。笑い声は戦っている者たちが零すものだが、飛び抜けてくるかのように何回も聞こえるのは孝信のものだ。
楽しそうな笑い声が聞こえてくるたび、要の背筋には悪寒が走っていた。色護衆側である四人の中では、孝信が最も不気味な男だったので。誠吾や知俊同様にこやかで親しみやすそうなのに加えて、紀定のように丁寧な振る舞いを見せるのに、中身には何が入っているのか分からない。本当の所は何を考えているのかも分からず、真面目なのかどうかも分からない。
「……気味の悪い」
呟いてしまったが、要は特に撤回しようと思わなかった。あの男を見て不気味だと思わない者などいないだろう。あの男もあの男で、自分がどう見られているかなど気にしていないように見えた。要がどう言おうが、気になど留めないはずだ。
「確かに異色な奴ではあるが、吾たちにとっては友人だ。そう邪険に扱わないでいただきたい」
だが、誠吾と知俊の気には障ったらしい。和やかな空気を保ちつつも、刺すような視線を向けられて、要は唇を引き結んだ。
あんなに不気味で化け物じみた男さえ、蔑ろな扱いをされたら、窘めてくれる者がいる。そうしてもらえるだけの力を有しているからだろう。自分の存在が有益でなければ、そうやって庇ってはもらえない。
先ほどからずっと、自分と違う物事ばかりが目について、注意散漫になっている。いくら出来損ないとはいえ、朱泉府の術師の家に生まれたのに、敵地で余計なことを考えるなんて。加えて、それを指摘されるなんて。強烈な恥とまではいかないが、鬱屈とした重なりが、要から身軽さを奪っていく。
「けどまあ、強すぎる奴を前にしたら、近寄りがたいっちゅう気持ちも分かるけどな。誠吾も、初めて会った時はこの図体やから、気さくに話しかけられても困るねやけどて思っとったわ」
「そういえばそうだったなぁ。吾の姿を見て戸惑わない奴は少ないから、慣れていることではあるが」
「そないなこと言うて。自分、そもそもあんまり気にせぇへんやん、そういうの」
「生まれた時からこうというものを気にしてどうする。変えられないものに拘るより、自分の変化に合わせて変わるものを気にするべきだろう。そうすれば、変わらないものにも意味が増えるかもしれん」
知俊が変えた空気に合わせ、堂々と前向きなことを語る誠吾は、相当な自信に満ちている。けれど、自信と言っても力強く漲るものではなく、静かに滲み出るようなものだった。誠吾にとっては鼓舞するための自信ではなく、ただそこに立つだけの理由でしかないのだ。
「まあ、そういう考え方には手前も同感やけど……ってそないなこと話とる場合やなかったわ。次の場所探しに行こ」
要が得られない心境を持つ誠吾も、気遣ってくれた知俊も、それらに揺れる惰弱な自分も。取り巻くものどころか、自分自身さえ不愉快だ。どうして思う通りにできないのだろう。思う通りにならないのだろう。幾度となく考えて、けれどとうに結論が出た思考に蓋をして、要は誠吾と知俊に続く。
要には、全てを黙らせられるだけの力がない。得ることも叶わない。誰かの後をついて行くことしか、できない。
ぴたりと閉じた唇を噛んで、要は頭を振るった。劣等感やら何やらで心を掻き乱されている暇などない。要がやるべきことは、盗まれた物を取り返すこと。ここから無事に脱出することだ。その後、行く当てがどこにもないとしても。もしかしたら、消されるかもしれなくても。
再び、孝信の笑い声が響き渡る。それが嘲笑めいて聞こえてくるのも嫌で、要は無理やり前を向いた。
違法な売買をしている者たちの店は、舞台へ渦を巻くように続く道、舞台から外へ真っすぐ伸びる道に沿っていくつも開かれている。盗品だけでなく、自家製の怪しい品も売っていたようだ。その道に精通している者が見れば、すぐに偽物と分かるような品ばかり並べている店もある。そういう店に短刀はないと見て飛ばしてはいるが、精査の手が入れば、多くがガラクタとして処分されるだろう。
どうしてそんなもので金儲けをするのか。そんなものを用いてどうしようというのか。要には想像もつかないが、今もこれからも関係ないことだ。刀で騙されても、術にまつわる道具で騙されることはない。
「お、ここはありそうや。探してみよ」
同じく騙されないだろう知俊の呼びかけで、次の探し場所が決まった。岩の窪みに隠れるようにして、品々を蓄えた店だ。刀を収めてあるのだろう長い箱もあれば、茶道具などを収めているのだろう箱、それ以上に大きな箱もある。これまでに探してきた店の中でも、最も品数が多そうだ。希望が持てる。
窪みは狭いため、誠吾には見張りを頼み、知俊と要が捜索に入った。誠吾の大きさでは目立つ上、怪しまれてもおかしくないのだが、案外隠れるのが上手いので見つからない。仮に見つかっても、誠吾の方にばかり目が行って、知俊と要は見逃されやすくなるという寸法だ。
異変があればすぐに誠吾が知らせてくれるため、要たちは短刀探しに没頭できる。舞台での乱闘に湧く喧騒も遠ざかり、ただ箱を動かす音が響く中。
「……あった」
ようやく、その時は訪れた。
「あった、あったぞ。これだ」
要が、手にした箱を知俊に見せる。蓋を開けたそこには、確かに要が購入した短刀が収まっていた。一旦箱を置き、刀を鞘から出して見ても、刀身が確認できる。
「よっしゃ、任務完了やな。もうそれ懐に仕舞っとき、自分のやろ?」
「あ、ああ」
言われるがまま、要は懐へ短刀を仕舞い込む。空になった箱には蓋を嵌め直したが、ここへ置いては行かない。
「ほな切り替えて、手前らも小糸さんたちに協力するで。誠吾、誠吾聞きぃ、任務達成や」
「おお、見つかったか、良かった! では他の物も運び出そう」
「おう、そっち渡すさかい、しっかり受け取りぃ」
渡すと言った時点でもう、知俊は箱を差し出していたが、誠吾は難なく受け取って運び出していた。知俊も両脇に箱を抱えて運び出している。要も、空になった箱と一緒に、持てるだけの箱を持って動き出した。騒ぎにならないうちに、盗まれた品々を回収しきらないとならない。
聞こえなくなっていた喧騒が、再び遠くから響いてくる。今度は、要に任務を完遂できるかどうか問うているように聞こえた。盗まれるほど価値ある道具にさえ劣り、羨む要に、何が成し遂げられるのかと。




