恋愛事情 2
この国に来てから、ひと月ほど経つ。
短い間に、ずいぶん生活は変わった。
嫌味を言われながらの食事ではなくなったし、1人でいることも少ない。
たいていは、ディーナリアスが傍にいる。
(今日は公務……?)
どうしてもと言われることが、時々はあった。
そんな時、彼は、とても渋々といった様子で、公務に出かける。
もとより、あまり公務には熱心ではないらしい。
そして、離れる際には、必ずジョゼフィーネの唇にキスを落としていった。
「リロイ」
パッと、リロイが姿を現す。
ディーナリアスが、名前を呼ぶので、最近では、驚かなくなっていた。
なにしろ、食事やお茶なども、リロイが出してくれるのだ。
実際に、お茶をカップにそそいでくれたりするのはサビナだけれども。
「俺に、謁見とは、どういうことか?」
ジョゼフィーネは、いつものように、ディーナリアスの膝の上。
彼は、カウチに腰かけている。
その前に、リロイは跪いていた。
顔を上げて、軽くジョゼフィーネに会釈をしてくる。
ここでは、無視されるということがない。
最初は「監視」かと思ったが、サビナは、ディーナリアスとは関係なさそうに、ジョゼフィーネを気遣ってくれる。
もちろん、自分が正妃となる身だから、というのは、わかっているつもりだ。
それでも「差別」されないことに、安心感はいだける。
が、リロイの言葉に、ジョゼフィーネは、全身を凍り付かせた。
「アントワーヌ・シャロテールという者が、妃殿下のことで、我が君に謁見をと、申しているそうにございます」
アントワーヌが、ここに来ている。
それを知って、ジョゼフィーネは、激しく動揺した。
鼓動が速まり、眩暈がする。
息も苦しくて、ディーナリアスの胸のあたりを掴んだ。
「知り合いなのであろう?」
なぜか、どきりとする。
ディーナリアスの口調に、責める響きはない。
なのに、ジョゼフィーネ自身が、どこか後ろめたさを感じていた。
アントワーヌとは、すでに「終わっている」というのに。
「お前の知り合いとなれば、無碍にもできぬ」
ディーナリアスが、頭を撫でてくれる。
そのせいで、よけいに、いたたまれない気分になった。
正直に言うべきか、迷う。
もう関係のない人だと言えば、そうなのだが、懇意にしていた相手だと、告げるのが、怖かった。
(つきあってたって言ったら……ディーン、どう思うか……わかんない……)
アントワーヌとは、なにもない。
口づけひとつ交わしてはいないのだ。
今では、恋人だったのかも、わからないくらいになっている。
恋人同士の親密さというものを、ジョゼフィーネが知ったからだ。
まだジョゼフィーネのハイパーネガティブ思考は治ってはいない。
ディーナリアスが、自分の何を気に入っているのか、わからないままだった。
さりとて、彼に「求められている」ことは、わかる。
彼は、たいてい軽いキスしかしないが、それは、気を遣っているに過ぎない。
なにやら我慢している様子なのが、ジョゼフィーネにも伝わってくるのだ。
それでも、時々は我慢しきれずにいるらしかった。
いつも「また約束を破ってしまった」などと、つぶやいているので。
誰からも必要とされていない、できそこないの嫌われ者。
ずっと、そんなふうに思ってきたが、ディーナリアスにとってだけは違うのではないか、と思える。
でなければ、あんなふうにキスしたりはしてこないはずだ。
たぶん。
(……言っとかないと……でも、言って、がっかりされたら……)
ディーナリアスの腕の中は、とても安全。
安心するし、ここにいていいのだとも感じられる。
それを、失うのが怖かった。
ディーナリアスには、背を向けられたくない。
アントワーヌの時のように。
ジョゼフィーネは、アントワーヌの本心を「知っている」のだ。
アントワーヌは、婚姻しようと言ってくれた。
けれど、本当には、彼女を正妃として迎え入れる気はなかった。
愛妾にしようと考えていたことを、知っている。
アントワーヌの立場を考えれば、それで満足すべきだったのだろう。
愛妾としてでもかかえてくれようとしてくれたことに感謝こそすれ、裏切られたなどと思うのはおこがましい。
リフルワンスの王太子と愛妾の子とでは、身分が違い過ぎる。
周囲から反対されるのだって当然だ。
そういう境遇なのだから、しかたがない。
アントワーヌは、できる範囲内で、努力しようとしてくれた。
わかっていても、ジョゼフィーネは、ひどく傷ついたのだ。
どうしようもなく悲しかった。
ジョゼフィーネ自身、愛妾の子として差別を受けている。
その上、自分までもが愛妾となるなんて、受け入れ難かったのだ。
理屈ではない。
だから、心に鍵をかけた。
もう2度と開くまいと、心の中にある部屋の隅に逃げ込んだ。
アントワーヌに別れを告げてから。
そのアントワーヌが、この国に来ている。
いったい、どんな話があるというのか。
自分のことで、と、さっきリロイは言った。
が、なにを話す気なのかは、わからずにいる。
「ジョゼ?」
思わず、ディーナリアスに抱きつきたくなった。
自分は、ここにいたいのだ、と強く感じる。
差別されない、ということ以上に、この国にはディーナリアスがいるからだ。
彼は、自分を「選んで」くれた。
(か、帰れなんて……言わない、よね……?)
不安に押し潰されそうになる。
アントワーヌだって優しかったし、あの瞬間までは、ジョゼフィーネを傷つけるようなことはなかった。
なのに、11年も一緒にいたアントワーヌより、知り合って、たった1ヶ月の、ディーナリアスの心のほうが気になった。
ディーナリアスとアントワーヌとでは、優しさの「種類」が違う気がする。
うまく言葉にはできないけれども。
「謁見に応じる。リスも呼んでおけ」
「かしこまりました、我が君」
ジョゼフィーネが迷っている間にも、謁見が決まってしまう。
怖くて、体をこわばらせているジョゼフィーネを抱えたまま、ディーナリアスが立ち上がった。




