いきなりなんて困ります 4
ちゅ…と、軽く唇が吸われる。
胸が激しく、どきどきしていた。
(こ、この人……ディーン……ディーンは……)
自分のことを信じてくれたのだ。
相手のほうが、ずっと年上で、男性で、偉い人のようだったのに、彼、ディーナリアスは、ジョゼフィーネを信じてくれた。
ジョゼフィーネにとって、初めてのことだ。
いつも自分より「誰か」の言葉が優先される。
それが、あたり前なのだと諦めてきた。
ジョゼフィーネの中には「正しさ」など残されていない。
正しいかどうかなんて関係ないのだと、思い知っている。
前世でも、今世でも。
(ディーンは……ほかの人とは、違う……?)
ディーナリアスの言葉が、ぼうっとなっている頭によぎった。
『俺の嫁は、そのようなことはせぬ』
ジョゼフィーネに説明を求めることもなく、彼は、そう言い切っている。
わずかな疑念もいだいていない様子だった。
そして、さっきだ。
ディーナリアスは、ジョゼフィーネの手を見つめ、まるで、彼のほうが傷ついているかのような表情を浮かべていた。
だから、謝ったのだ。
なにか悪いことをしたような気持ちになっていた。
会話の上手い者なら、もっと気の利いたことを言えたかもしれない。
もとより、あの男性をかわせたはずだ。
あんなことになったのは、自分のせいだとジョゼフィーネは思っていた。
「ジョゼ……」
ぺろ…と、舌で唇を舐められる。
心臓がさらに早鐘になり、逆に、それで思い出した。
(は、鼻……鼻を……使わないと……)
また気を失ってしまう。
息を詰めていてはいけないのだ。
思うのだが、うまくできずにいる。
なにやら頭が、ぼうっとしていた。
頬にあるディーナリアスの手が暖かいことは、わかる。
ふれている唇が熱いのも、わかる。
なのに、自分が呼吸をしているのかどうかは、わからなかった。
それでも、頭の隅っこで、嫌ではないと感じている。
キスなんて、口と口をくっつけるだけのものだと思っていた。
こんなに胸がどきどきするとは思っていなかった。
強く押しつけられる唇に、ディーナリアスの感情があふれている気がする。
ディーナリアスは、ジョゼフィーネの、ハイパーネガティブ思考をも抑えつけ、彼女を求めていると信じさせてくるのだ。
婚姻まで約束しながら、1度もジョゼフィーネを求めることのなかった、アントワーヌとは違う。
いつもは、けして無理強いしないのに、今は感情が抑えられないのか、繰り返し、唇を重ねてきた。
とはいえ、ジョゼフィーネも無理を強いられているとは感じていない。
ちょっぴり心地いいくらいだ。
息が苦しいのを除けば、だけれども。
(このままじゃ……また……倒れ……息……息しない、と……)
倒れたくない一心だったのだが、ジョゼフィーネは、あの日と同じく口を開いてしまう。
そこに、するりと、やわらかいものが入り込んできた。
さすがに2度目ともなると、彼女にも、それが「なにか」わかる。
そして「絶対に倒れる」と思った。
くるんと舌を巻きとられる感触に、鼓動が速くなり過ぎている。
耳にも、脈の音が響いていた。
大人びたキスが、どういうものか知らずにいたものの、ディーナリアスの動きは、優しいと感じる。
息が苦しいこと以外、心地良さしかない。
が、不意に、ジョゼフィーネの喉が不自然に上下した。
それが、良かったのかどうなのか。
けぽっ。
ジョゼフィーネは、小さくむせる。
瞬間、ディーナリアスが体を離した。
びっくりしたのは、ジョゼフィーネのほうだ。
どうしたのかと、目をしばたたかせる。
「ジョゼ? 大事ないか? また俺は、お前を、昏倒させるところであった」
悔いるように言うディーナリアスに、ジョゼフィーネも困ってしまう。
自分が「鼻を使う」ことができないばかりに、彼に心配をかけているのだ。
ジョゼフィーネの中で、ディーナリアスは「ディーン」になりつつあった。
彼は、ほかの人とは違い、自分を助け、心配してくれる人。
そんな意識が芽生え始めている。
だから、ディーナリアスに「心配」させていることに、困っていた。
どう誤解を正せばいいのか、わからないからだ。
「お前が慣れるまで舌は入れぬ約束をしておったというのに……」
言葉に、ジョゼフィーネは、思わず吹き出しそうになる。
それを隠すため、顔をディーナリアスの胸に押しつけた。
それでも、肩が震える。
(ま、まだ……こ、こだわってる……ま、真面目……過ぎ……)
見た目も振る舞いも王族らしく立派なのに、言うことがおかしい。
本人は、ちっとも気づいていないらしいけれど。
「な、泣いておるのか……じ、ジョゼ……? よ、嫁を泣かすなどと……」
彼女を助けに来た際の凛とした凛々しい響きはなく、あからさまに狼狽え声だ。
それが、ジョゼフィーネには、おかしくてならない。
笑ってはいけないと思いはすれど、ディーナリアスが面白過ぎる。
ジョゼフィーネは、くしゅくしゅと、彼の胸に顔を押しつけた。
この場所は、安全。
そう思えたからだ。
本当に?と自問してくるハイパーネガティブ思考を、なんとか抑え込む。
「だ、大丈夫……泣いて、ない……そ、それに……」
「ジョゼ?」
ディーナリアスの胸にしがみついたまま、少しだけ顔を上げる。
ちらっと、視線を向けてみた。
「い、嫌とか……そういうのは……なくて……あの……」
「…………」
ディーナリアスが何も言わないので、少しだけ不安になる。
自分でも、言いたいことを、うまく伝えられている気がしないからだ。
「く、くるんってするの……き、気持ち、いい、よね……?」
精一杯の努力の結晶。
前世の記憶があり、たくさんの言葉だって知っているのに、うまく使いこなせていない、と思う。
ディーナリアスに伝わらなくてもしかたないのかもしれない。
と、後ろ向きになりかけた時だ。
ぎゅぎゅぎゅう。
いきなり強く抱きしめられて、驚く。
どうしたことか、上から、ディーナリアスの呻き声が降ってきた。
「俺は、本当の本当に、どすけべではない……ないのだが……」




