093.甘魔香
ごめんなさい。今回はとっても短いです。
人類の領域最南端。
その国は壁に沿うようにして築かれ、三大国が協力し、人為的に生み出された国だった。
名をローズクォーツ連合国。
防衛都市と呼ばれる幾つもの巨大都市からなるその国は大国の援助もあり、千年以上も魔物の脅威から人類を守り続けてきた。
防衛都市は一五〇〇キロにも及ぶ防壁に点在しており、各都市が周囲の壁の保守、修繕、そして増えた魔物の間引きをすることで魔物のスタンピードを未然に防いでいる。
ローズクォーツの中には大防壁を御壁と称して神格化する宗教も存在し、常に魔物の脅威と隣り合わせの国民にとっては心のよりどころにもなっていた。
そんな壁の麓に何人もの集団が集まっている。
「閣下。魔法具の設置、完了しました」
日の入りが早くなり、多くの国では既に夜明けに霜ができるまで寒くなり、北の国では溜め池が凍るところも見られている。
そんな季節に、それも空も緋色が闇に浸食されたような時間帯に、街の外を歩いている人間はそう多くない。
特にそれが集団で、しかも全員がローブを深く纏った姿となれば怪しいことこの上なかった。
「起動準備に入れ」
「はっ!」
閣下と呼ばれた男が部下たちへ命令をする。
その連携の良さは、一日二日でどうにかなるものではなく、彼等がどれだけ訓練を重ねてきたのかが伺えた。
「三〇〇年。ようやくだ……ようやく、一族の悲願が……」
男は己の拳を強く握る。
数世代に亘る一族の暗躍。
自分らを上位者だと思い込んでいる人外共を、高みであぐらを掻いている愚者共を、地べたに引きずり下ろして今度こそ人の時代を取り戻す崇高な計画。
それが今、最初のカードを切ろうとしていた。
「準備完了。いつでも起動できます」
「……そうか」
「……お任せください」
男の部下は、覚悟が付いた声色で話す。
その部下はこの作戦で出る予定の、唯一の犠牲者だった。
魔力という人の理から外れた力を持つ人外共は、不遜にも神の力を用いて男たちを追跡する。
ほんの少しでも手がかりを残してしまうと、奴らは草の根を分けて捜し出す。
その追っ手を掻い潜るためには、一人の犠牲により他の全員が助かる手法を採るしか無かった。
その犠牲に立候補したのは、代々男の一族を支えてきた一族の末裔。
男の右腕とも言える人物であり、その者には家族も、息子もいた。
「閣下。彼奴は優秀でございます。必ずや、一族の良き忠臣となることでしょう」
「……すまぬ」
男が謝罪をする。
計画に巻き込んでしまったこと。命を捨てさせることになってしまったこと。今までの忠義の報いが、こんな形となってしまったこと。
全てが情けなく、自分自身が許せない。そんな感情を、男の部下は好意的に受け取った。
「ならば全てを終わらせましょう。人外が支配するこの世界を、人の世界へと取り戻しましょう」
「……必ず、必ず遂げてみせる」
男は沈黙し、場に静寂が漂う。
この場にはもう二人しかいない。他の部下らは既に作戦区域を離れ、それぞれ違う方向へと向かって後日落ち合う予定である。
今まで一度たりとも足取りを掴まれたことはない。
しかし次の作戦でそれが無いとは限らない。十分に警戒してもなお、奴ら人外の生き物は予想を超えた手法で探し当てるだろう。
その時のための対処は既に計画済みであるが、警戒しすぎと言うことは無い。
「閣下。それでは」
「其方の忠義、誠に大儀であった」
「はっ!」
どの国にも無い敬礼をし、部下は闇へと消えていった。
男はそれを見届けると周囲の痕跡を消す作業に入る。
背負っていた背嚢から壺を取り出し、封を開けて野営場所へと散布する。
その壺の中身は甘魔香と呼ばれる魔物を引き寄せる薬だ。
大国では甘い魔力と呼ばれている存在は、実のところ小国にも存在する。
しかし大国のように崇められ、魔力量の少なさから魔法を扱えるわけでも無く、ただただ周囲の魔物をおびき寄せる忌人として扱われる。
そんな忌人を文字通り粉々にし、粉末状にしたのが甘魔香だ。
魔物を引きつけるその薬は、人道的観点からも大国では禁薬として定められており、製造はもちろん販売から購入、使用、所持に至るまで全てが極刑。
弁明の余地はなく、その存在を知っていて秘匿していた者、その家族までもが処分の対象となることもある。
しかし小国では一部地域で限定的にその使用が認められている。
それは魔物の殲滅作戦に使われる場合だ。
小国が南の大防壁の掃討作戦を行う際、組合連合管理の下、甘魔香を用いて魔物をおびき寄せて壁の上から一斉射撃を行う。
魔法という攻撃手段を持たない平民が知恵を絞った結果と言うことで大国貴族も黙認しているが、それでも気分が良いものではない。
況してや、このような得体の知れない組織が持ち歩いて良いような代物では無く、大国貴族だけで無く、全世界の役人に見つかれば即刻通報を受ける代物だ。
甘魔香は魔物全てを引きつける。
それにはもちろん普段は無害な家畜化された魔物や、濃度によっては人間までもが対象となることもある。
それ故に、人間に対して洗脳紛いのこともできてしまうため、全ての国が少なくない規制を定めているのだ。
「惨めだな」
死してなお使い続けられる魔力持ちに、唾を吐きかける男は蔑む眼で甘魔香を見ていた。
男は背嚢へと壺をしまい、その場を離れる。
そうしなければ香りに酔った魔物が何も考えずに襲ってくるからだ。
同族すらも食らわせる強烈な狂気にあてられた魔物の相手は非常に厄介である。
男は壁の方へと振り向くと、それを最後に闇の中へと溶けていった。




