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終の閨秀-幼女と女傑の異世界平定物語-  作者: 高麗俊
第三章 二つの防衛戦
89/197

089.忘れることへの恐怖

昨日投稿できなかったので今日は夜にもう一度投稿する予定です

ただ、もしかしたら今日みたいに明日にずれ込む可能性もありますが何卒ご了承くださいませ

 アーシェが会場へ行ったときには、既に立食会が開かれていた。


 アーシェが今いる会場は領内大貴族と言わしめる浄階貴族の集まる立食会場だ。

 側近三人衆は、皆この二十三家の生まれであり、セリアはペールマン、メリッサはハイデンライヒ、レオノーラはアルベンティと言う殿上人の名家である。

 因みにメリッサとレオノーラは共に婿養子を取っているため、生まれからこの方姓の変更はない。


 ただし、この世界の入家は名前の変更ではなく追加という方が正しい。

 例えばアーシェがペールマン家に入籍した場合、一番高い地位での正式名称は「官位相当枢密顧問官、従二位アーシェリット・ウラリディ・エルミニク・セルヴ・ペールマン・フォン・クレイク」となるが、セルヴ家の人間としては名乗れなくなる。


 内訳としては、アーシェリットは自身の名前。

 ウラリディはアーシェの女性ご先祖様の御名前。

 エルミニクは母の御名前。

 セルヴは生まれた家名。

 ペールマンは入籍時の家名。

 フォン・何某と言うのは、何かしらの功績を挙げ、君主から官位相当の役職を与えられた場合に付く役職名。


 もちろん、アーシェは妄りに賢者であることを口外してはならないため、この名乗りをする機会は恐らく一生訪れず、現時点ではせいぜい公族としての名乗りが尤も品位の高い名乗りとなり、その場合は尼御前を助ける時に名乗った正七位下となる。

 一応ミリアシルの代行として赴く機会があるのなら、従二位として名乗ることも出来るが、少なくとも七歳になるまではないだろう。


 尤も、アーシェほどの品位の持ち主が他家の嫁に行くなんてことは、万が一にもあり得ないのだが。


「身体の調子はどうだ?」

「お父様。はい、特に気怠さなどはございません」


 アーシェよりも上位者であるミリアシルが声をかける。


 彼女は既に前回の奉納式の間に二十三家全ての家長と挨拶を交わしているので、前回ほど体力を使う必要はない。


 ――二三の家々と言っても凄い人数だね。

 ――千人は超えているみたいよ。


 この場でアーシェと言葉を交わせる貴族はそれぞれの家の家長のみと定められている。

 ただし彼等からアーシェに話しかけられる訳ではなく、上位者優先の原則に則り、アーシェが話しかけなければ会話が成立することはなく、今回の定めは貴族たちにあるのではなく概ねアーシェのための規則だった。


「貴女たちも今夜は任を離れて良いのよ」

「しかし……」

「数少ない機会なのだから、楽しんでいらっしゃい」

「……畏まりました」


 そこまで言われてはこれ以上主張するわけにはいかなくなる。


 主人に一礼して、側近たちはその場を離れていった。

 千人以上いる中から一つの迷いもなく別々の方向へと歩みを進める三人は、やはり護衛をしていた時から一族の動きを目で追っていたのだろう。

 アーシェは彼女たちを見送ると、ミリアシルと共に公族のいる場所へ合流する。


 公族の側にはそれぞれの家の家長らが控えており、食事をして他家の当主らと雑談を交わしつつも、決して公族からは目を離さない位置取りを保っていた。

 アーシェが会場入りを果たした時から既にさりげなく道が空けられており、そこに沿って父と二人で歩いて行く。


「お身体は大丈夫ですか」

「お母様。少し魔力を出し過ぎただけですので問題ありません」

「然様ですか。貴女に神祇の症状が出たと聞いて、心の臓が止まる思いでした」

「お騒がせして申し訳ございません。もうこの通り良くなりました」


 両手を上げ下げして健康なことをアピールすると、バランスを崩して後ろに倒れる。

 咄嗟にミリアシルが手を回し、尻餅をつくことは回避されたが、その姿を見た保護者たちの心境はハラハラが止められず、アーシェの思惑とは逆に、余計に心配を抱かせる結果となってしまった。


 立食会は良いから休んでいらっしゃいとエリザベートに言われ、渋々その場を離れる。


「ルーラシオ。姫をお送りしなさい」

「御心のままに」


 ルーラシオに連れられ、アーシェは退室をする。

 去り際に、一人の男子がこちらを見ていたことに、アーシェが気付くことはなかった。




 今のルーラシオは暗部の茶鶫としてではなく、浄階貴族――ダウス家の一人として参加しているため、その身は白装束に包まれており、仮面も当然付けていない。


 彼女が黒装束を纏っていると知っているのはダウス家とセルヴ家の中枢の者のみである。

 ダウス家は暗部を排出している名家と知られてはいるが、その暗部に誰が付いているのかは知られておらず、加えて全員が暗部とは別に本職を持っているため、一族を挙げて偽装工作を行っているに等しい。


 ルーラシオが乳母として一時期アーシェの側にいたのもそれが理由だ。

 乳母の任を解かれたとしても、彼女がアーシェの側にいても何も不自然なことはない。加えて最近は人形により、違う場所に同時に存在すると言う高等な芸を覚えたので、偽装工作の質は以前より遙かに向上していた。


 部屋に付いたアーシェはベッドに座り、隣をポンポンと叩く。

 それはまだルーラシオがアーシェの乳母だった頃、隣に座って欲しいという合図だった。


 それを見た彼女はつい口元が綻び、今日だけですよと呟いて、その場に腰を下ろす。


「大きくなりましたね。姫様」

「わたくし、ちゃんと成長しているかしら?」

「えぇ。お身体は……まあ、魔力持つ者の定めとして仕方がありませんが、お心はしかと成長しておりますよ」


 ルーラシオはセリアと時を同じくしてアーシェの側に仕えていた最古の従者である。

 とある理由でメリッサとレオノーラと入れ替わるように、乳母としての務めから離れてからは、ただただ彼女を陰から見守り続けてきたのだ。


 最初は常に行動を共にしていた乳母を失い、夜な夜な枕を濡らしていたアーシェだったが、セリアの懸命な介抱と、新たに従者となった二人の姿を見て、次第に元気を取り戻していく姿に、成長を喜ぶ自分と哀愁を覚える自分が鬩ぎ合った。


 しかし、何時の夜か、アーシェが寝言で彼女の名前を呟いた時、忘れられていないという現実が、大いに抃悦の感情を引き立てる。

 アーシェが寝言を放つことは、それ以前もそれ以降も一言すらなかった。

 その一度きりの言葉に、自身の名前が綴られていた事実だけで、ルーラシオは満足だった。


 それだけで、報われた気持ちになる。

 主人の魅力は魔力だけではない。確信を持ってそう思える日常は、たとえ彼女に触れることが出来ずとも、彼女と言葉を交わす日が二度と訪れなくとも、彼女を見守り続けると誓えるにたり得る日々だった。


「ルーラに会ったらお話ししたいことがたくさんあったのよ」

「お聞きしましょう」


 アーシェはこれまでのことを全て話す。

 まずはメリッサとレオノーラというとても有能な従者が入ったこと。

 アーシェはルーラシオが身を隠し、常に側に控えていたことを知らない。それ故にアーシェの中では四歳になる前しか彼女といた記憶はなく、その記憶ですら、今では朧気になりつつあった。


 毎日神に祈りを捧げていたら、いつの間にかとても魔力の量が多くなっていたこと。

 いつ頃かはもう忘れてしまったが、毎朝神に祈りを捧げる方法を教えて貰った相手は彼女だ。癒神と言う神を教えて貰い、その神に祈れば大切な人が元気になる、と言った様なものだった気がする。


 お茶の注ぎ方が上手いと誰かに褒められ、毎日煎れていたら、いつしかセリアに及ぶほどの腕になった。

 誰に褒められたのか、誰のために煎れていたのか、もう覚えてはいないが、今では自分で煎れて自分で飲んでを繰り返している。


 作法の練習も、今はもう毎日イメージトレーニングをするだけで良いと、作法の先生から言われ、体格的にこれ以上できることはないので、その日まで基本を忘れないようにと言われていた。


「あ、あら……?」

「姫様?」


 楽しげに話していたはずなのに、次第にほろほろとして、アーシェの瞳から涙が流れ落ちる。


「おかしいわね。もっと、もっとあったのよ? たくさんお話ししたいことがあったのに、確かにあったのに、思い出せないわ」


 思い出そうとすれば、その記憶は霞み、具体的な描写は何も無く、ただ漠然とした感情だけがモヤモヤと頭の中を漂ってしまう。


 アーシェはこの時、初めて記憶がなくなる恐怖を体験した。

 幼い頃の記憶はとても脆い。今の記憶もすぐさま次の感情に飲み込まれ、それが去ったら綺麗に洗い流される。


 それが普通であり、正常なことである。

 しかし、アーシェは早熟すぎた。思い出がなくなるという体験を認識できてしまい、それが彼女の特に大切なものだと自覚できてしまい、それが何よりも恐ろしかった。

 確かにそこにあったのに、大切な人のために大事に取っておいたのに、いざ蓋を開けてみると、その記憶は虫食いだらけ。


 ルーラシオと出会えた喜び、自身への失望、未来への恐怖、そして憂愁がこみ上げ、それらが涙を引き起こし、アーシェの表情が瞬く間に歪んでいく。


「わ、わたくしは……忘れたくはありません」

「アーシェ。アーシェリット。それは誰しもがそうなるのです。それが成長なのです」


 乳母にのみ与えられた特権。それは兄弟姉妹よりも、両親よりも、時には配偶者よりも、主人と親密になれる権利である。


 権力者の卵は内外に多くの敵を抱えている。

 仲間ですら、その腹には一物抱えている者も多く、母親ですら、時には政敵になりかねない。

 そんなとき、頼りになるのが乳母という存在である。一般的に長いときには入学まで、早くて五歳の奉納式を終えるまで、大人になってからも、相談役や心の支えになって、主君を守り続ける忠臣たち。


 乳母になるのは簡単なことではない。

 教育係に勝るとも劣らない教養。母乳が出る健康的な身体。主人の身体に合った魔力。そして何より、時には権力に刃向かうことも辞さない忠誠心。

 それらに完璧に応えられる存在こそが、主君の基盤を整える存在たり得るのだ。


 だからこそ、彼女らは親族よりも高い特権を授かり、身も心も主人へ尽くす。


「わたくしは嬉しいのです。アーシェが成長し、新しいことを覚え、神に選ばれ、更なる高みへ昇る。どうかその姿を、わたくしめに見せて下さいませ。気高き心を、見せて下さいませ」

「しかし、わたくしは――」


 不意にルーラシオが、俯くアーシェを抱え込んだ。

 懐かしい彼女の香りがアーシェを包み、それすらも忘れていたことを、否応なしに突き付けられる。

 しかし、その香りは不安だけを伝える訳ではなく、彼女の体温と共に、アーシェに懐かしい安らぎを与える清香だ。


 アーシェが初めて良い匂いと感じ、ルーラシオに告げたあの香り。


「成長の代償が忘却というのなら――」

「その先は、言ってはならぬ言葉です」


 ルーラシオの抱きしめが強くなり、アーシェの言葉が遮られる。

 トントンと背中を軽く叩き、アーシェを宥めながらも頭の上から語りかけた。


「わたくしは、アーシェのことを良く覚えています。貴女がどのように成長し、何を学び、成してきたかを鮮明に覚えております」


 ですからどうか、貴女が思い出を失ったときには、わたくしに会いに来て下さいませ。

 その時わたくしは、嬉々として貴女の昔話を喋りましょう。


 そう話す彼女の声もまた、震えていた。



ようやく三ママが揃いました

存在の母エルミニク(実母)

教育の母ロベルティーネ(義母)

育ての母ルーラシオ(乳母)


ママーズは彼女で最後です

ところで第一夫人の娘の視点で第二夫人のことをなんて言うんですかね

母の妹と言えなくもないので叔母でしょうか

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