083.幕間:茜式社交術
アーシェが冒険者の休業宣言をしてから早一週間。相変わらず茜は情報収集と称して組合館に入り浸っていた。
「フルクトースさん。こんにちは」
「こんにちは、セリーナさん。あら、香水変えました?」
「あ、わかります?」
「もちろん。前の甘く柔らかい雰囲気も良かったですが、今の爽やかな柑橘系もよくお似合いですよ。それにしても……本当に良い香りですね。どこで売っているのでしょう。お高くありませんでしたか?」
「ふふっ、ありがとうございます。実はこれ自作なんですよ」
以前茜は、香水を付けてきた研究室の学生に、気が散るからせめて実験日はやめるようにと苦言を呈したところ、泣かれたことがあった。どうやらその日は意中の人に思いを届けたかったらしく、告げる前に台無しにしてしまった事には、少なからず罪悪感を覚えた。
また、昔レモングラスが日本では珍しいものだった頃、この香りどうですかと尋ねられ、『3,7-ジメチル-2,6-オクタジエナール』の匂いですねと確信を持って言ったところ、罵倒を浴びせられたこともあった。
どうやら世間一般の若者は、自身が好きな食物の芳香成分を身に纏い、それを一つの自己表現としているようだ。そしてその成分は、敢えて具体的名称を用いることはせずに、その成分が芳香の主となる別の存在にて形容し、表すことに重きを置いているらしい。
茜は基本的に同じ失敗は二回も繰り返さない。
故に過去の膨大な失敗経験から言葉を選び、態度を変え、どのようにすれば相手に好印象を与えられるか試算しながら会話を進める。
因みに手作りと分かりきっていても、最初は市販の物と勘違いしているように会話をすれば、何故か印象は良くなる傾向がある。
「こんにちは。ダリラさん」
「こんにちは。フルクトースさん。うちの新人をあまり誘惑しないでくださいね」
「ははは、誘惑なんてしてませんよ」
どちらかというと言葉と雰囲気による買収である。
特に新人は、情報倫理のじの字も知らない未熟者たちだ。煽てれば煽てた分だけ口から情報が漏れ出し、どうでも良い情報一つを十等分して話すと、知りたい情報が十個も貰え、駆け引きとすら言わない詐欺紛いの行為にまんまと引っかかる。
もちろん茜は相手個人が損をするようなことはしない。結果的に組合が損をすることはあるのかも知れないが、特定の受付嬢や職員が貶められるような事にはならないように調整している。
――はずである。
そのギリギリの線を見極め、甘い言葉で機密情報を得ることを誘惑するというのであれば、確かにそうなのかも知れないが、別に職員たちに対しては何も思うところはない。
アーシェの活動が終わればそれと同時に身を引くし、好印象を与えてはいるが、それは有益だと判断しているからだ。
「あ、そうそう。ダリラさん。違っていたら申し訳ないんですが、ダリラさん肌が弱くて精油とかが付けられないんじゃないですか?」
「え、えぇ。誰から聞いたんですか?」
「直感です。受付の人って大抵何かしら香しい香水を付けているじゃないですか。でもダリラさんからは時々しか、それも薄めている物しか使っていらっしゃらなかったので」
最初は茜と同じ香水に興味を示さない人種なのかと思っていたのだが、気配消しの練習で街中を潜伏していると、閉店間際にセルヴ商会カスタレア支店の雑貨区画、香水棚でよく見かけるため、その線はないと訂正した。
では寿退社するつもりがないのかと言うと、そうでもないようだ。
冒険者組合受付嬢の数少ない利点として、高収入な冒険者に嫁ぎに行けると言うものがある。
彼等は選手生命ならぬ冒険者生命は短いものの、丙級にもなれば一生遊んで暮らせる貯蓄は十分にあり、それらは大抵元いた派閥の顧問や指導員として高額で出迎えられるため、一生かけても使い切れない収入を得ている。
受付嬢時代に担当した相手の為人を調査し、時には先輩嬢の助言を貰って狙いを定めていく。そして玉の輿に乗った暁には専属の担当となり、正式に寿退社をするか、相方が冒険者を引退するまでサポートをすることになる。
姿を隠してダリラを丸一日観察していると、彼女も冒険者を見定めるような素振りをしては溜め息をつき、何やら思い詰めたように仕事をしていた。
――いや、ストーカー行為ではない。日頃お世話になっているあーちゃんの担当さんを労う下調べをしていただけだ。
誰に言い訳をしているのだと自身でツッコミを入れ、小物入れに手を突っ込んで、小さな木箱をダリラに渡した。
「日頃お嬢様がお世話になっているお礼です。本国の本店では既に商品化されているらしいのですが、こちらでは販売する予定がないと言うことで取り寄せました」
「……開けても?」
「どうぞ、どうぞ」
箱の中には少し大きめの首飾りがあった。
それはいわゆるアロマペンダントだ。まさかこの世界でお目にかかるとは思っていなかったが、一つ一つが職人の手作りで値段が馬鹿高い代わりに、意匠を見ればその値段にも納得するものがある。
垂下の先には中が空洞になっている球体が一つ。
豪華絢爛なれども下品にならず、そしてあくまで身につける人物を主体に据え、目移りのきっかけとして機能した後、そこから細鎖を伝って首元、そして顔へ意識が向くように設計された技術と学問の結晶体。
この首飾りはセルヴ商会お抱えの一級魔工技師が製作した超が付くほどの一級品――の失敗作である。
装飾の隙間には平民でも扱えるような、非常に薄く弱い魔法障壁が張れるようになっており、使用者の体から自動的に、平民ですら気付かないほど僅かな魔力を吸い上げて、常時発動している。
その障壁は液体だけを一方向に通すと言った特殊な障壁で、このペンダントの場合は、内側へ芳香油を注入し、気体か固体にならなければ外側には出られないと言った便利機能が付いていた。
では何故これが失敗作なのか。
それは使用者の意図にかかわらず、常に障壁が出続けているため、雨やその他液体が入り込んだとしても、気体か固体になるまで出てこられないと言う欠陥があった。
もちろん固体になってしまったら大きさ的に出られるものではないので、必然的に気体になるのを待つしかないのだが、一級職人たちはそこに納得がいかなかったらしい。
耐熱性もかなりあるらしいので、熱するか、弱い障壁なのだから、スポイトかストローのような物を用いて、吸い取れば良いのではと茜は考えたのだが、その一手間を客に与えるようでは一級魔工技師として失格なのだとか。
中々自分に厳しい思想の持ち主たちだ。
しかしそんな拘りのおかげもあって、茜はこの芳香飾りを一アルテで譲って貰うことになった。
普通なら五から八アルテはする超高級品らしいので、いつかお礼もかねてもう一度行かねばならない。
その時はアーシェも連れて行ってやろうか。子どもに職人の職場見学をさせることは、後の教養にも繋がるはずだ。
因みに魔工技師も魔力を扱う以上立派な貴族である。加えて常に魔力を出し続けながら、集中して作業をしたりする一級魔工技師の多くは浄階貴族であり、平民の職人は知らないが、少なくとも貴族社会においては職人の地位が低いと言うことはあり得ない。
「……こんな高価そうな物、頂いてよろしいのですか?」
「えぇ。セルヴ商会の職人さんと会う機会がございまして、そこでその首飾りを見つけてダリラさんに似合うと思って。どうぞ受け取ってください」
凡そ本当のことだ。とある理由でセルヴ商会セルヴィス本店へエリザベートと訪れていたところ、ちょうどその職人に出くわし、彼が失敗作だと言って持ってきた物を買い取ることとなった。
そしてペンダントの解説を聞いているときに、ダリラへの贈り物として最適なのではと考えたこともまた事実だ。
正確にはダリラの買収に近付けないかと考えていたのだが、物は言い様である。
「本当に、これ、お財布のひも大丈夫なんですか?」
「ははは、実は私、お嬢様のお屋敷で暮らしているので、生活費がまったくと言って良いほどかからないのですよ。それこそ溜め込んだ依頼の報酬を初めて使ったくらいで。ですので、大丈夫ですよ」
「そ、そうですか。……ありがとうございます」
何はともあれ目的の一つは達成できた。
茜は満足げに頷くと、ダリラに一つの依頼書を提示した。




