069.小国の貴族
「お父様。ただいま帰還致しました」
「よく戻った」
小国へ旅行に行って、良かったと言える点はあまり多くはないが、その中で一際目立つ利点がこの言葉だ。
城に戻ったアーシェがミリアシルに報告をすると、いつも必ず労いの言葉をかけてくれる。それだけでアーシェは疲れや悩みが吹き飛ぶし、生きていて良かったと噛みしめられる。因みに吹き飛んだ悩みはもれなく茜が回収し、アーシェに送り返してくれるので、忘れることはない。
「事の次第は先触れから聞いている」
事の始まりは一刻前。アーシェが受付嬢ダリラと世間話という名の情報集めをしていた時まで遡る。
「失礼、君がアーシェリット嬢かな?」
急に割って入った男は、アーシェが出会ってきた貴族の中で最も下品な格好をしていた。
大国の未婚貴族は男女問わず、首より下の肌を決して他人に見せない。見せて良いのは二親等以内の親族か、自身の従者、そして親族の側近のみである。
既婚者であれば、ある程度は肌を露出させても良いことになっているが、それでも他人に見せるのはせいぜい素手くらいだ。
しかし彼は少し日に焼けた胸元が露出し、当然ながら手袋もしていなければ、顔を隠してもいない。
――……なに……この……えっと、卑しい方は。
――言葉を選んでそれなのね。
「……どちら様でしょうか」
「おぉ、これはこれは、またもや失礼。僕はクリスチャン・ド・ルーディ。ペリドット王国の伯爵さ!」
絶句。まさにどう反応すれば良いのかまったく分からず、アーシェは酷く困惑していた。
会話に割り込むという行為。品性を疑わざるを得ない服装。敬語を知らないのか意図的に話さないのか分からないが、下品な言葉遣い。初対面なので格下から挨拶に来るのは良いとしても、自分が名乗る前に相手名前を言う失礼極まりない態度。護衛がいなければ、アーシェへと迫っていたであろう不遜。
何を取っても良い場所がない彼が、何故アーシェに声をかけてきたのかは定かではないが、あまりアーシェにとって良い方向には進まないと言うことだけは分かった。
しかし、護衛たちが勢い余って魔力による威圧を行わなかったことは、大分都合が良い。先日の件で、アーシェからお叱りを受けたことが響いているらしく、仮面の内側はともかく、主人の名を呼ばれても、一見なんともないように見えた。
アーシェもアーシェで、強烈な不快感を与えられてもおくびにも出さない姿は、れっきとした成長と言えよう。街に来た時は、平民から話しかけられただけで、背筋が凍るような恐ろしさを抱いていたが、今ではすっかり慣れたものだ。
「お初にお目に掛かります、ルーディ伯。わたくしのことはご存じのようですので自己紹介は割愛させて頂きますが、本日は伯自らどう言ったご用件でお声をかけて下さったのでしょうか。事前に一言頂けたのなら別荘にて持て成すご用意をしましたのに、よほどお急ぎのご用時とお見受け致します」
もちろんアーシェは、このルーディとか言う男に自身の情報が渡っているとは思っていない。それは組合に登録する際、アーシェリットとだけ記名し、家名や特技、その他備考などは書き込まなかった。故に彼、と言うよりこの場で自身の家名を言う訳にはいかないので、先手を打たせて貰ったと言うわけだ。
ついでに不快感を少しでも和らげるために、事前にアポを取るのがこちらのマナーであると遠回しに言う。
別にここは本来貴族という階級のない都市国家なのだから、どちらがどちらの儀礼に従うべきだと言う考えは、道理に合わないのであるが、この男が平民の貴族社会、もとい小国の貴族社会における一般的な姿なのだとしたら、アーシェは小国に対して多大なる下方修正を行わねばならなくなる。
加えて彼は貴族制度のないこの国で、貴族を自称している。
冒険者なのだから観光などではないようだが、自ずから都市の法を逸脱するのだ。それならば、他の貴族の尊厳にも関わるので、貴族らしい態度で振る舞ってほしいものである。
「いやなに、最近平民の間で話題になっているそうじゃないか。大国からやってきた貴族が仕様もない依頼ばかりを率先して引き受けているとね。であるならば、カスタレアの丙級冒険者であり、そして貴族でもあるこの僕が、君のために力を貸そうと思ってね」
アーシェの言い回しの一切を無視し――もしくは気付かずに――ペラペラと舌を踊らせるルーディ伯によると、どうやら彼はアーシェをとある派閥へ勧誘するために来たらしい。
その派閥名は高貴の巓。カスタレアではかなり有名な派閥で、特殊大型魔獣の討伐も複数あり、名実共に最高峰派閥の一角なのだとか。
受付嬢が否定しないところを見ると、あながち間違いではないようだが、アーシェ個人の心情としては、この男の下でなんて働きたくないし、決定権もない。断るにせよ一度持ち帰り、ミリアシルの判断を仰ぐ必要がある。
「願ってもいないことではあるのですが、わたくしにはその決定権が御座いません。貴族というのであれば、お分かり頂けると存じ上げております」
「あぁもちろんだとも。ゆっくり考えたまえよ」
意図する内容が伝わったのかどうか分からないが、一先ず今すぐに決めろと言われなかったのは幸いである。彼が立ち去り、その場に残されたアーシェはすぐさまミリアシルに使いを出し、本人はダリラに情報開示の申請をした。
そして今、アーシェは彼等の情報を持ち帰って、ミリアシルに報告しているところだった。
分かったことは、彼は確かにあの時伯爵と名乗ったが、ルーディ伯の家督を継いでいる訳ではないらしい。であれば彼は正確には伯爵ではないのだが、たとえ間違いだろうと、貴族であるアーシェの部下に身分を詐称したと言うことは、それ相応の覚悟と事情があってのことだろう。
ただ、彼の母国であるペリドット王国は、爵位を持つ家長の周りにいる人間は、家長が許したときに限り、その爵位相当の待遇を受けることができる制度がある。全権大使の領地版だ。
しかし、それは自分の目の届かない範囲で、自分の口を使って離されるに等しい。よほど重要な会議か緊急事態でもなければ認められないと聞いているが、彼はそれほどまでに重要な人物なのだろうか。
もっと言うなればあくまで待遇が受けられるだけで、身分上は爵位持ちではない。どちらにせよ身分詐称であり、大罪なのだが、彼はそれを気付いているのだろうか。
因みにアーシェは一度も自分のことを貴族だとは言ったことがない。
冒険者組合が勝手にそう判断しているだけで、アーシェが言ったのは、周囲の部下が、貴族だと言っただけである。
「判断材料が欠けているな。ルーディ伯と言う名も聞き覚えがない故に真偽も分からん」
現在外務省の内部部局である紋章局に問い合わせているところだ。
彼等紋章局は、パール王国が国家として認めている全ての国の貴族文化を記録している。その中には国によって異なる儀礼や、王侯貴族の家名、紋章、家の歴史、過去の実績に至るまで、貴族に関わることならどんなに些細なことでも書物に記す役割がある。
誤った情報であれ、何故誤った情報が流れる始末となったのかを追及し、そこから更に多くの情報を集める、貴族研究所とも言える場所だ。
大国同士のやりとりであれば、わざわざ紋章局は使われない。三国の貴族であれば大抵の文化が同じ物であるし、紋章局に依頼をせずとも、外務省の指定国家局へ資料申請をすれば手に入れられる。ウィンストン伯爵領についてはまさに後者だ。
しかし小国の一貴族の情報というのは中々掴めるものではなく、そう言う局所的なものに関する情報は取り扱っていない。
一応国際情報に関する外局は存在するのだが、そちらは国際犯罪などの情報を扱っているため、文化や歴史の問い合わせについては、紋章局に問い合わせた方が確実なのだ。
紋章局はその特性上、知らず知らずのうちに機密情報を有していた、なんて言うことも多々ある。そのため局員が集めた情報は、ある程度整理されたら封印し、閲覧するか、再編纂するときのみ、重い蓋が開けられる。
外部に資料を持ち出すときは必ず原本は持ち出されず、複製され、相手の閲覧権限によって検閲が施されるため、時と場合によっては申請してから資料が届くのに何ヶ月もかかる場合がある。
因みに、一般的に官位が低ければ低いほど時間が掛かると言われている。
これは別に嫌がらせなどではなく、単純に閲覧資料に制限がかかるため、検閲に莫大な時間を費やし、二重確認などもやり、外務郷に報告なども行うせいである。
「五日を目処にもう一度来て欲しいとのことだ」
意外と時間が掛かると思われがちだが、ミリアシルが申請したのは過去ルーディ伯に関わった貴族、そして当家自身に関するあらゆる資料である。少しでも繋がりを持った貴族がいるのなら、二度手間を省かせるために、少なくとも当主から三代ほど遡って、関わりのあった貴族の情報も写す必要がある。
そうなると、よほど新興の貴族でもない限り、歴史的に関わった貴族は自ずと莫大な量になっていくのだ。
それをたったの五日で済ますというのは驚異的な速度と言わざるを得ないだろう。彼等にも他の職務はあるだろうにと、茜は阿鼻叫喚としている局舎を想像しながら同情の念を抱いた。
「調査が終わるまで件の男との接触を禁ずる」
「拝命致しました」
本音を言えば、たとえ調査が終わろうとも、アーシェの視界にそんな男は入れたくなかった。男と言うだけでも我慢がならないのに、田舎貴族の家督も継げないような男に、万が一にでもアーシェが妙なことを吹き込まれでもしたらと考えると、今すぐに娘の前から駆除したくなる衝動が湧き出てくる。
ミリアシルは殺意にも似た嫌悪感を顔すら知らぬ相手に抱き、それを巧妙に隠しながら、アーシェと共に食堂へ向かった。




