066.枢密院・後編
この場には護衛も秘書官もいないため、彼等は出された議題を何かしらの方法で暗記している。
ミリアシル曰く、魔力が高い者ほど、精神世界が明確になるらしい。それ故に、公族はアーシェたちのように精神空間を上手く活用する術を学院で学ぶという。
特に議長であるミリアシルの精神空間は書類だらけになっているらしく、現実の書斎以上の資料が眠っているらしい。
茜がホワイトボードに全ての案をペタペタと貼る。
やはり一番多いのが魔力の兵器運用だ。逆に予想外にも不可能だと却下されたのが農業転用だった。
一つの公爵領を丸々包むためには、約二万人の貴族が毎月ありったけの魔力を税金として納める必要がある。そしてその膨大な魔力を制御できるのは公族のみであるため、ただ魔力を集めれば良いというものでもないらしい。
たった一つの樹木を生長させるのならまだしも、大規模な農地を豊かにするなんて芸当は、平民には到底無理な話だ。
皆の考えられる案を出したところで、彼等は次の議題に移った。先の決議に関しては保留である。こればかりは枢密院で決めるわけにはいかないだろう。
「次に、内務卿代理によるカーネリアン王国の使者に関する通達事項」
ミリアシルには既に報告書として提出しているのだが、枢密院内全員と共有する必要があると二人は判断した。
一つは奴隷を利用して輸送している可能性があると言うこと。
確たる証拠はないのだが、引致した貴族を秘密裏に運び込むためには、それが一番効率の良いことだと考えられる。
犯人が貴族であれば空を飛ぶなども考えられるが、平民にそれは不可能である。
そしてもう一つ。コナーたちの報告次第では、カーネリアン王国は裏に貴族がいる前提で話を進めてくるかも知れない。
もちろんその可能性を考慮することは重要なことではあるのだが、それが外部に漏れた場合、三大国の混乱は更なるものとなるだろう。
内務省の派遣員にはミリアシルから通達がなされたが、他の御三家からも伝えた方が確実性がある。
その後も幾度となく議題を経ては審議が繰り返され、四の鐘が鳴ると共に始まった会議は七の鐘で幕を下ろした。
「クレイク郷。其は此方へ参れ」
皆が退場する中、殿上人ならぬ天上人からお声が掛かったアーシェは、一時の間呼吸を忘れる。
耳元でミリアシルに転移先で待つと言われ、意識を取り戻した彼女は恐る恐る陛下の御前で座礼をした。両手で三角を作り、そこに額を置くように深く深く頭を落とす。
この世の最敬礼は下座だ。その敬礼はアーシェが物心つかない内から仕込まれていることであり、その美しさには目を見張るものがあった。陛下の前で平伏する彼女はいつもより小さく、より儚げな雰囲気を纏っている。
いや、実際は相対的にアーシェが小さく見えるだけだ。彼女が抱擁する魔力は匿名枢密顧問官、神祇伯すらも比べものにならないほどの魔力だった。一体何十年、何百年祈り続ければここまでの魔力を得られるのか。
彼女にはあの場にいた全員を足しても届かないだろう。それこそが彼女が正当なる君主たる所以なのだ。
「アーシェリット、セルヴ」
ゆっくりと、名を味わうように、その名を口にする。少女の名を呼ぶのは彼女に応えて欲しいからではない。その響きを記憶に刻み込み、神へと送る名とするためだ。
面を高きへと宣えば、アーシェは指示に従い彼女を見上げる。
彼女の外見的年齢はエルミニクと大して変わらなかった。しかしその命が引いた歴史は四代前の賢者にまで遡ると言われている。
彼女は実年齢二十の時に子を身籠もり、実の子どもは既に他界して、現在の王族の最年少組とは二十以上の世代、離れていることになる。
彼女は自分よりも素質ある子孫を待っている。数百年、数千年掛かろうと、己が血筋から後継者を見つけるために、ただひたすらに待ち続ける。
「御許の誕生、いとうれし、ともうれし」
一瞬で部屋中の魔力が喜びに満ちあふれたものに切り替わる。秋も終わりに近付き始めた季節に、まるで冬を通り越して春が訪れたような錯覚を与えさせる。たった一つ言葉を紡いだだけでこの影響力だ。
二人はこの時、初めて陛下の前で発言をしたときの周囲の反応を理解した。万が一彼女に殺気を纏わせたとき、それはきっとただの気配では済まなくなるだろう。
幸いなことに、彼女は本心からアーシェと茜の誕生を祝っている。その衷心は今までに恨みを抱いたことがなく、憂いはすれども、一度たりとも憎みは生み出さなかった。
しかし彼女にも未だ人の心は残っている。いつか彼女の胸次が決壊してしまわぬように、彼女の前ではいつも以上に言葉を選ばねばならないだろう。
「加藤茜。前の意見、あはれなりき」
「ありがたき幸せにございます」
彼女からの褒め言葉を恭しく受け取り、丁寧に、長い時間をかけて頭を下げ、たっぷりと感謝の念を送ると再び元の位置へと頭を上げる。
その一瞬、茜の魔力に陰りが生じたことを、陛下は見逃さなかった。下賎な欲望であれば粗末なこととして見逃しただろうが、彼女の魔力には困惑と迷いが微かながらに含まれていた。
中々味わえない魔力だ。上座に御座す現人神はそう思った。人は許容量を超えた物事を与えられたとき、必ずと言って良いほどの確率で全肯定か、全否定かに二極化する。彼女は人の身でありながら人ならざる魔力を持ったせいで、常に誰かを支配し続けてきた。
それは賢者ですら同じことだった。彼女が出会った賢者は過去に二人。そのどちらもが、彼女の意思には逆らわず、ただ黙って成り行きを見ているだけだったのだ。
もちろん彼女が有能であり、賢者の補佐を必要としなかったところも大きい。しかし賢者の器が、女王たる彼女の魔力に耐えられず、彼等とは一度会ったきり別々の場所で仕事をしている。
彼等が職務放棄をしていると言うことはなく、枢密院には毎回参加していたと聞くし、その場で意見を求められたときも、その分野に関しては素晴らしい成果を発揮してくれた。
しかし彼女はそれでもどこか寂しかったのだ。
自ら下手を打つような真似は決してしないが、少しくらいはお小言の一つでも言われてみたかった。
周りの貴族は、領主たちですら絶対の忠誠を誓わざるを得ない圧倒的な魔力差で、平伏する者たちばかり。
そんな中、まるで誘われているかのように見え隠れする不協和魔力に、彼女は年甲斐もなく釣られてしまった。
「皆真実を申し上げて、陛下が御乱心なさることを心から心配しておられるのです」
「あな、然様の聞こえもありけり」
意外だった。彼等は魔力を畏れているのではなく、魔力が乱れ、人を傷付ける事を恐れているのだと言う。しかしいくら自分が規格外の魔力の持ち主だからと言っても、言葉一つで取り乱すなどと思われては心外である。
以前小国の一組織から奇怪な文書が送られてきたときには、若干の憤りは感じたものの、魔力も表情も至って冷静なまま、内務卿の提案通りの制裁を採った。
彼の商会には随分苦労をかけたが、外務卿率いるロスラー商会の貿易業を禁止するよりかは、幾許かの温情があるという根拠に基づいての措置だ。
枢密顧問官に怖がられるような態度は取っていないはずだと首をかしげ、不満をぽつりと呟いた。
「あな憂、私意の戒めこそ、枢密院の本懐たるものを」
扇子で口元を押さえ、今更ながらに枢密院の役目の内、半分が機能していないことに気付いた彼女はどうしたものかと謀を巡らす。そして目の前の少女を見て、その内に秘めし賢人が、機能不全を見過ごすはずがないと考えた。
「戯れに。茜、アーシェリット。其ともに一つ、言い使う」
健全なる国の運営のために、彼女が二人に課した密命は、枢密院の機能改善だった。条件は内務卿とその側近たちには相談して良いが、それ以外には不可ということだ。
それはアーシェが枢密顧問官であることを知らない人間もいるので、至極まっとうな条件だった。
ミリアシルに相談できるのであれば、然したる難所は無い。もしも二人が突拍子もない案を出したところで、彼が防波堤になってくれるのなら取り敢えず言ってみると言う、無鉄砲なやり方でも問題は発生しないだろう。
何故か一言話すごとに気分が良くなっていく君主を前に、全身全霊を以て話を聞き、その後解放されるまで、二人は尊きお方の憂い言に付き合った。




