052.感覚器官の違い
「姫様。こちらに」
護衛に手を引かれてアーシェはゆっくり移動する。
皆が戦々恐々しながら魔物の襲来に備えている中、年の離れた姉妹のように手を繋いで散歩をする二人の姿は、場違い感が甚だしい。
しかし、その二人も一般人には見えていない。
城から派遣された従者たちであれば、主人の魔力が出歩いていると察知できるのだろうが、平民は肉眼でしか物を見ることができないので、透明の彼女たちを認識することはできなかった。
「なに、あれ……?」
初めて平民と言う存在を見たアーシェは、その気味の悪さから言葉を漏らす。
平民が魔力を持たないことは知っている。しかし、その言葉に隠された真の意味までは読み取ることができず、ただ魔法を扱う能力が無いだけだと思っていた。
彼等は根本的に貴族とは違う。
貴族は個人を判別する際、人の顔よりも相手の魔力を視て判断する。そんな貴族からすれば、魔力を持たない平民はのっぺらぼうに等しく、気味の悪い傀儡が自我を持って蠢いているかのように感じられるのだ。
「……レオノーラ」
いきなり怖い物を目にしたアーシェは近衛の懐に密着し、絶対には慣れないという決意を持って後方に進む。レオノーラ自身も、初めて平民を視たときの感覚は今でも覚えているので、主人の恐怖は理解できる。
彼女の平民初邂逅は成人後の出来事だった。
しかし、それでも強烈な違和感や忌避感が芽生えたので、幼いアーシェは尚更酷い気持ちを覚えていることだろう。
「何があってもお守り致しますよ」
レオノーラも、このアーシェが魔法で作られた分身体であることは理解している。
明らかに本隊の方向から、分身とは比べものにならないほどの存在感が漂ってくるし、何よりこの身体は、毎日メリッサが主人のために調合している香水の香りがしない。
しかし、この庇護欲をそそられる仕草には抗うことができず、偽物と分かっていても本物のように大切に扱ってしまう。
ニヤける顔を努めて引き締め、アーシェの興味のままに案内する。飛行魔法で後方へ向かい、彼女たちが到着する頃には、平民たちは準備を整えていた。
「傭兵と冒険者の違いが分からないわね」
「多くの冒険者は最前線に送り出されているので、今ここにいるのは傭兵でしょう」
ああだこうだと議論している内に彼等に緊張が走る。どうやら防衛第一陣が敵と接敵をしたようだ。
エリザベートの指揮下に入った平民たちは、三百メートルごとに三つの防衛線を張る。できるだけ馬車に近付かせずに殲滅する作戦だが、それでは最前線に配置される者に多大な負担をかけてしまうことになる。
そこで魔物の討伐に長けている冒険者は前線に、要人警護に長けている傭兵は後方に配置することで、役割を分担したのだ。
遠くで爆発音が鳴り、激声が響く。
よく耳を澄ますと、地響きが近付いていることが分かり、アーシェの白手袋に汗が滲む。しかし茜はそんなことは何も気にしていない。確かに動物に襲われることは若干怖いところがあるが、それよりももっと気になることができたのだ。
「前線には貴族もいるのかしら?」
「いえ、平民のみと聞いております」
茜は確かに聞いた。あれは遠くであっても聞き間違えることのない爆発音だ。
そして、平民は魔法を扱うことができないため、この世界には魔法に頼らず爆発を起こせる物質が、平民にも行き渡らせることができるほど、多く生産されていると言うことだ。
賢者は蒸気機関以上の科学技術を伝えてはならない。
加えて言うなら火薬などの兵器技術関連も伝えてはならないため、賢者は凡そ十三世紀未満の科学文明を維持しなければならない決まりだった。
それは暫定名世界健全開発指針にて禁止されていることであり、もしも一つ前の賢者が伝えてしまった場合は、直ちに排除するようにと決められていた。
「あの爆発は……」
「恐らく魔術という物でしょう。極微少ですが魔力の波動を感じました」
平民は魔力を操ることはできない。しかし魔石を用いて、その中に入っている魔力にどうにかして干渉し、破壊力を生み出す仕組みらしい。
開発はセルヴ商会もやっているらしいので、後ほどエリザベートにも聞かねばならない。
魔力を使っているなら、恐らく歴代賢者も科学技術とは判断していないのだろうが、いや、茜たち理工学者が言った言葉は、そういう意味ではない。
科学系賢者が言いたいことは、科学魔法関係なく技術発展の抑制だ。あの時は、まさか魔法という物が存在するとは予想だにもせず、指針には規定しなかった。しかしそのくらいの柔軟な対応はして欲しかったものだ。
蒸気機関や火薬の製造は、現代科学の根幹を成す電気を生み出せる技術だ。原子力発電所ですら、熱を生み出す機関こそ原子力だが、結局は蒸気を発生させタービンを回す、蒸気機関の応用である。
魔力を電気に変換するのは簡単だ。しかし、そんなことをすれば貴族が道具として扱われかねない。道具ならまだ良いが、人間燃料として扱われるなんてお断りである。
――やはり封建社会を崩すわけにはいかないか。
――いきなり何よ。
このまま魔術の研究開発が捗れば、いつかは平民の反乱が起きる。
もちろん魔力の扱いでは到底平民が貴族に勝てるはずもなく、今のところ魔術も危険視されていない。しかし不意を突けば貴族を害することもできるわけで、アーシェの護衛が多いのもそれに由来する。
「あ、抜けられていますね……」
四方八方森に囲まれた中で、レオノーラはぽつりと呟く。
しかしアーシェが視ても、そこには名も知らぬ樹木しかなく、魔物の姿なんてどこにもなかった。
どうやらレオノーラは普段使用している感覚以外に、魔力の動きを重点的に捉え、遮蔽物越しでも物が見えているらしい。
どうやるのと聞くと、学院で習いますが、カスタレアに着いたらお教え致しますねと返事をされる。
レオノーラは育つ弟子には何でも教える性格である。出発以来熱の日以外毎日続いている絵画の練習も、その影響がよく出ており、アーシェが挫けない限りとことん素描の練習に付き合う。
彼女が反応してから数分が経つと、第三防衛戦線が騒がしくなる。
どうやら本当に抜けてきた魔物がいたらしく、馬車に待機している傭兵たちが武器を抜き始めた。
長さに多少の差はあるものの、殆どの傭兵は剣を持っており、一部槍だったり斧だったりを持っている者もいる。
そんな中、一際目立つ、と言うか奇妙な人物がおり、その傭兵は提灯のようなものをぶら下げて、馬車の前で佇んでいた。
その付近にエリザベートの護衛もいることから、彼はきっとセルヴ商会傘下の商人が雇った護衛なのだろう。ローブを深くまで被り、陰鬱な雰囲気を醸し出している姿は、白装束の仮面集団の次くらいに怪しかった。
ついに第三防衛戦線も抜ける魔物がちらほら現れたので、アーシェは安全確保のため、飛行魔法で空に飛ぼうとする。しかしそれはレオノーラに阻止されて、抱えられた状態で奥に引っ込められた。
彼女曰く、安全確保ができていない状態で空に逃げると、どこからか狙撃される可能性があるため、やってはいけないことなのだそうだ。この身体は魔力で出来ている紛い物なのだから、そんなに警戒しないでも良いと言った。
「たとえ紛い物であろうと、姫様が貫かれる姿など見たくございません」
アーシェの前では喜怒哀楽の怒が焦になったような彼女が、初めて主人に本気で怒った気がした。
主人の剣であり、盾である近衛の使命を全うする彼女は、主人を諫めるための言葉を捨てた。それは道具には必要ないものだからだ。その信念を曲げるほど、今の彼女は心の底からアーシェの身を案じている。
レオノーラは分身を作る魔法の詳細を知らない。
恐らく害されようとも、元の肉体に影響は出ないと言う言葉は本当なのだろう。しかし、貫かれたという記憶は本体の方にも共有され、アーシェはそれを敢えて言わなかったのだと考えていた。
実際その予想は的中しており、レオノーラはそんな体験をさせるくらいなら、今ここで命を張ることを覚悟していた。
気迫ある彼女の諫言を素直に受け入れ、アーシェは謝罪する。分かってくれて嬉しい、そして怒鳴ってしまい申し訳ないと、レオノーラからも謝罪をした。
「■■■――!」
「レオノーラ!」
片膝をつき、アーシェと会話をしていた所に、魔物が乱入する。
ちょうどレオノーラの真後ろから飛び出してきた魔物を目視したアーシェは、咄嗟に彼女の名前を叫んだ。
魔物は凄まじい咆哮を放ちながら彼女目掛けて牙を剥き、今まさに襲いかからんとする。
しかしレオノーラは後ろを振り向くことなく、異嚢から取り出した扇子を一振り横に滑らすと、後ろの魔物は糸が切れたようにパタリと倒れる。
その後彼女は何もなかったかのように立ち上がり、ここは危険ですのでもう戻りましょうと、アーシェに声をかけた。
ある程度の情報を集められたアーシェと茜は、これ以上はここでなくても良いと判断し、彼女の誘いに乗る。
帰り道は、今度は手を繋いで帰るのではなく、横抱きで持って行かれた。
道中、レオノーラ曰く、魔物は自分ではなくアーシェを狙ってきたのだという。恐らくアーシェの甘い魔力が不可視魔法の効力を上回っており、鋭い感覚を持つ魔物には感じ取れてしまうのではないか、とのことだった。
不可視の魔法は光だけでなく魔力にも影響を与えるため、普通の魔力の持ち主であれば問題ないのだが、彼女の場合は甘い魔力的にも、そもそもの保有魔力的にも普通ではない。
不可視の魔法に頼ることが多くなるようならば、これからの予定について考え直さねばならないと、二人で話し合っている内に、彼女たちはエリザベートが待つ獣車へと到着した。
「お帰りなさい。レオノーラ」
「ただいま帰還致しました」
抱えていたアーシェは獣車の中に入ると共に消失し、光の粒子となって元の身体に戻っていった。
因みにアーシェ本体の方は、傘下の人が持っていた提灯についての解説を請うていたところであり、続報もなかったことから随分とほんわかした雰囲気だった。
「伯母様。お外に提灯のような魔具を持った方がいらしたのですが」
「あぁ、それは着火炉ね」
着火炉は彼女の商会が売り出している魔具の一つで、炉に屑魔石や粉砕済みの魔石を入れて、ボタンを押すことで火を付ける道具らしい。
火力は魔石に内蔵された魔力の量と質に比例しており、安全装置の一切を外しているので、少ない魔力でもそこそこの威力を出せるらしい。
因みに貴族が直接魔力を込めた場合、十中八九暴発するらしい。
理由は簡単。魔力の質が良すぎるからである。もし平民が一アルテ分の魔石を持っているのなら、最高火力で百発は撃つことができるとか。
「危険ではないのですか?」
もしその魔具が量産化され、平民に幅広く行き渡ったのなら、それが革命に繋がらないだろうか。
封建社会の崩壊は大砲の登場からである。多少なりとも自衛の手段は必要だろうが、過剰な戦力を一般市民に持たせるべきではないと茜は考えた。
それは後に解体され、分析され、仕組みが発見される。時間がかかるにせよ、どの世界にも研究者という者はいるもので、必ずどこかで効率化される。
「ふふっ、あのような玩具では貴族には傷一つ付けられませんよ」
茜の心配とは裏腹に、エリザベートはアレを玩具だと言い切った。
その理由を聞くと、貴族は無意識下の自衛本能により、常に自分の魔力と周囲の魔力を用いた防護結界を張っているらしい。
その結界を突破するには、それ以上の魔力を持って攻めなければならない。
魔力が籠もっていなければ相応の力を持って攻撃をしなければならず、少なくとも、慣性を用いて強打されるようなものでもない限り、いくら通常兵器で攻撃されようと、大抵の成人貴族は無傷らしい。
数十メートルから落下視した貴族は、肉体は無事でも内臓が潰れて息絶えることがあるらしい。それは高速で移動したものが、一瞬で停止した事による撃力が働いた結果なのだとか。
それはそれで嫌であるが、鉄砲で撃たれようが、刀で切られようが、動じない貴族は、果たして人間なのだろうか。
まあ、恐らく茜の世界の人間と、この世界の人間は、起源からして違うので、同じとは言えないだろう。
その証拠にこの世界の人間には茜にない臓器が備わっている。
二人の話し合いが終わる頃には、周囲の魔物の掃討も終わっていた。
死者こそいないものの、負傷者は二八名。貴族や傘下の商会には特に影響が出なかったため、指揮下に入った平民に十モネだけ渡して、輸送隊は進行を再開した。




