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終の閨秀-幼女と女傑の異世界平定物語-  作者: 高麗俊
第二章 冒険者組合
50/197

050.長旅・始動編

 それは決意を伯母に伝えた二週間後のこと。パール王国最南の領地を出て暫くしてからのことだった。


「えっ!?」


 素頓狂な声を出して驚いたのはアーシェリットその人。

 彼女の感情は平時において平野のような起伏しか持っていない。本気で笑ったり泣いたりする時は感情が爆発した時だけであり、大抵は大人顔負けの作り笑いか、まったく感情を出さない無表情を作っている。


 それでは彼女が奇声を上げるだけの事態が起こったのか。

 起こったのだ。


「アーシェ。今すぐお面を付けなさい」


 馬車の中では取って良いと言われていたお面も、外国では付けるように指示されている。つまりは現時点を以て、この獣車は国境を越え、外国に侵入したことになる。

 しかし今のアーシェにとっては、それはどうでも良いことだった。


「魔力が無いとは……こういうことなのですね」


 それを形容するならば、いきなり高山の山頂に連れて来られたかのような感覚だった。

 普段吸っている大気とは異なり、息を吸っても上手く取り込めない。空気が汚れているわけでもなく、熱風や寒風が喉に刺さるわけでもない。

 それなのに、息苦しさは絶えず続き、きっと王国の空気とは明らかに何かの要素が足りない。そう確信させる現状がそこにはあった。


「落ち着きましたか」

「……はい」


 アーシェは最初、この衣装は魔力を断つことによって、平民を不用意に害さなくするものだと思っていた。もちろんその目的もあるし、ミリアシルにはそう説明された。


 しかし蓋を開けてみると、この衣装は貴族の生命維持装置だ。

 魔力という空気を内に閉じ込め、外国という宇宙でも生活できるようにした、いわば酸素ボンベ、宇宙服のようなものだった。


 恐らく貴族を大気に放り出しても死にはしないだろう。しかし、苦痛とも取れる違和感は、ストレスや倦怠感となって彼等に襲いかかる。


「この現象は魔力を多く持っている者ほど強く影響が出ます。先ほどの苦痛を味わいたくないのでしたら、その仮面は取らないように」

「はい。……サエルラベスティアの気持ちが少し分かりました」


 商会の輸送本隊とは国境付近の都市で分かれているので、今はもう貿易部門の獣車しかいなくなっており、車を引いているのはアルゲントゥムルプスだ。宿に着いたときには、彼等も何だかぐったりしている様子だった。


「伯母様。この子にはお名前はないのですか?」

「雅義よ」

「え……」


 いきなりの和名に戸惑う茜。

 どうやら漢字を用いた命名はペットなんかによく使われるらしく、過去に賢者が魔獣にそう付けたことから広まったらしい。


 また、人と同じ名前を付けて、もしそれが自分よりも上位の貴族の名前だった場合、とても失礼に当たるため、その回避策としても有効だったことから和名を付けることになった。

 因みに四七賢者の姓名は禁句とされ、付けたことが発覚した場合、すぐに改名しなければならないため、茜や梅子と言う魔獣は存在しない。


 名前を呼ばれた雅義は、美しい姿勢でお座りする。

 空飛ぶ青いやつほどの大きさはないが、これでもアーシェの五倍以上の大きさがあり、もしアーシェが襲われようものなら一口で食べられてしまうだろう。


 一応接触の許可をエリザベートから頂いて、恐る恐る白銀の体毛を撫でる。そのふわふわとした感触は手袋越しにも伝わって、二人の心を大いに和ませた。


「ご苦労様、格好良くてもふもふね」


 褒められたことが伝わったのか、クゥと声を上げてアーシェの身体に顔をこすりつける。長い旅の中での癒やしは、どんなに些細なことであっても頼もしい支えとなる。

 もふもふを存分に堪能したアーシェは一言ありがとう存じますと言って伯母と共に正面玄関へと向かった。


「ここ、ですか?」

「そうよ」


 それはアーシェ目線から見たら物置も同然。

 いや、以前一度だけ見たことのある城の冷蔵庫よりも小さな小屋だ。しかし彼女が泊まると言うことは、こんな見た目であってもこの街最高の宿。パール王国との交易拠点であるこの街は、この国有数の大都市と聞いている。

 いくら小国といえど、要人を泊まらせる宿の一つくらいはあるはずだ。


 そう思っていた時期がアーシェにもあった。


「ひっぐ……」

「お口に合わなかったのね」


 料理をするとかそう言う以前に、仮面を取った瞬間、魔力が抜けていく感触と、耐え難い異臭で食欲が失せた。

 それでも出されたものはしっかり食べると言う精神の下、異常に切りにくい肉を頑張って小さく切り、口に放り込んだが最後、あまりの不味さに噎せてしまい、その衝撃でゴキュッと言う音と共に飲み込んでしまったのだ。


 今まで子爵領、伯爵領と、色々な領地の食にありついてきたが、これではまるで平民の食事だ。

 魔力がまったく乗っていないボソボソの肉なんて、もはや土である。食材の質も悪ければ料理人の質も悪い。こんな料理が良くも出せたものだと、怒りを通り越して悲しみに苛まれる。


 大国産の農畜産物は、基本的に魔力が豊富で、どんな物でも食べられることは食べられ、平民が食べる食事も今のアーシェなら我慢できた。

 しかし、ひとたび小国に入ってしまえば、栄養も食感も魔力も低品質の素材で作ったものであり、たとえどれほど料理人の腕が高かろうと、素材が死んでいてはどうしようも出来ない状態であった。


「これをお食べなさい」


 そう言って出してきたのは城で作った恋しい料理だ。

 今までは移動中の昼食のみ食べることができ、朝食と夕食はその宿で出される物を食べなければならなかった。

 しかし小国の料理は本当に食べられたものではないため、明日からは三食城の料理を食べて良いことになる。これはアーシェにとって天からの恵み。いや、両神からの恵みだった。


「城からの食事は残りどれほどございまして?」

「六十食弱になります」


 役二十日分である。

 しかし先行隊によると、この先に地盤が緩い斜面があり、土砂崩れの可能性があるため迂回した方が良いらしい。

 迂回するとなると河川からは少し離れて山岳を迂回することとなり、最低三日は遅れてしまう。


 元々残り十泊前後で考えていたため、三日程度の遅れならば問題はない。先走りを各地に飛ばして予定の調整を行えば、経済変動も抑えられるので気にすることはないだろう。


 しかし、ただでさえ身体の弱いアーシェにこれ以上の負担をかけても大丈夫なのだろうか。

 周辺諸国の料理は口に合わないだろうと確信していたため、これから先は三食持ち込み食になる。それ故に食事の心配はいらないのだが、万が一のことを考えて最低一週間の余裕は持っておきたい。


 まだギリギリ問題ないとは言え、嫌な予感を抱いたエリザベートは、しかし目下の危険を回避しないという選択肢はなく、渋々迂回することを決定した。


 エリザベートの予感は五日後に的中することになる。


 その日、アーシェが熱を出した。

 早朝の時点では熱がなかったのだが、セリアだけは異変を感じてエリザベートに進言する。


 このままだと確実に姫が熱を出す。一日だけでも出発を遅らせて、アーシェの容態を見よう。しかしセリアの言葉は聞き届けられなかった。

 エリザベートはその進言を信じていなかったわけではない。

 しかし、宿の方に都合があり、三日後に国の要人を迎え入れるため、準備などもあり明日には出てほしいとのことだった。


 そこで彼女は次善策としてできるだけ早く次の街に着き、そこで長期間宿泊できるようなら滞在する。そこで熱が出たのなら、結界を張って安静にする。

 その選択に、セリアも納得して、今のうちにアーシェの熱に備えていた。彼女にとっては主人が体調を崩すと言うことは決定事項らしい。


 ――多分だけど、私も熱が出ると思う。

 ――わかるの?


 体調の僅かな変化は、永い時を生きている者なら誰しもが分かるようになる。さすがに他人の体調を見て取れるわけではないが、アーシェの身体は茜の肉体でもあり、何となく普段とは違うなという感覚はあった。


 そして翌日、セリアの言った通り、アーシェは体調を崩す。

 魔力が無い世界で全身防護服に長時間身を包み、普段とは違った規則で生活をする。それはアーシェの自覚がないままに、彼女の身体に負担をかけていた。


 幸いにも次の街では最大一週間ほど泊まることができ、エリザベートはその宿を一週間貸し切った。

 急な宿泊予定に最初は館長も苦言を呈されたが、前払いで全部屋一週間分の費用を払い、それよりも早く退館するとしても、返金は要求しないと言う破格の条件で受け入れてくれたのだ。


「これより結界を発動します」

「許可します」


 貴族が体調を崩して良くなる一番の方法は、薬を与えて魔力の濃い場所で安静にすることだ。

 大地と旅館の外壁ぴったりに結界を貼り付け、魔力の通りを遮断して、貴族たちが一気に魔力を放出する。そうすることで放たれた魔力が自己増殖を始め、一時的に大国と同じような空間が作られるのだ。


 この空間では、アーシェも外装を脱ぎ捨てることができる。

 仮面を外し、白装束を脱ぐと、普段は汗水垂らさないアーシェが、その日はびっしりと滲み出ていた。


「姫様。本日の湯浴みは控えてくださいませ」

「ん……」


 ぼうっとした頭でセリアの話を聞く。

 半分くらい聞いていなかったが、どうやら今日はお風呂には入れないらしい。思考力の低下した今の状態では、まともに口を動かすこともできず、側近たちの言葉に従うしかない。


 アーシェが体調を崩したら、当然茜の体調も悪くなる。

 未熟なアーシェよりもその影響は幾許かマシとは言え、彼女の身体を考慮しても、ここで出張るべきではないと考え、それ以来は精神世界からも忽然と姿を消した。


 ――茜、茜、いないの?


 いつもなら作業中であってもすぐに返事が来るものだが、その時だけは音沙汰がない。

 茜が拡張した精神空間は、一人でいるには広すぎる。寂しさを紛らわすために、彼女はセリアの名前を呼び続けた。


「せりあ」

「ここに」


 温めた手拭いで身体を拭いていると、珍しくアーシェがセリアに甘えてきた。

 アーシェは体調を崩すと退行する。毅然とした塗装が崩れ落ちて、内なる本当の彼女が出てくるのだ。それは取り繕う余裕がなく、精神世界のアーシェが直に出てくるようなものだった。


 一度仮面が剥がれたら、もう感情を抑えられない。甘えたがりの部分が顔を出し、恥も外聞も無く周囲に本性をさらけ出した。


「だっこ……」


 アーシェの要望通りに動くセリアは、綺麗になった主人を、昔を懐かしむ思いと共に抱きかかえる。


 昔はよくこうして蹌踉けたアーシェを抱きかかえたものだ。三歳のある日から、彼女は己を殺したくましく育つようになったが、それまでは何かにつけて抱っこをせがんできた。


 彼女の抱っこは持ち上げて、と言う意味ではなく、優しく包んで、と言う意味だ。ベッドに下ろして手を離すと、彼女の方からセリアに抱きつく。

 主人の体調も考えて、このまま寝てしまうのが一番良いだろう。そう考えて、セリアは身体を倒して寝転んだ。


「このままお休みくださいませ」

「ん……」


 横に倒れてから数分が経つと、アーシェは寝息を立てて夢の世界に旅立つ。

 普段からこのくらい可愛げがあれば、城の従者からも愛されるだろうにと、セリアは内心苦笑する。


 しかし、それは決して言ってはいけないことだ。

 扈従の本懐は完全なる主人の造畢(ぞうひつ)。アーシェが自ら完璧に近付くというのなら、それを妨げることはあってはならない。


 眠っている隙にアーシェの包囲から脱出し、掛衾を正しい位置に戻す。彼女も寝ている間は苦しくないようで、すやすやと寝ている姿はさながら天使の如く姿だった。


「癒神の祝福があらんことを」


 主人の回復を心から祈り、従者は静かに退室した。



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