046.衆芳苑とはじめての友
「アーシェリット様」
大人たちの会話を、天を仰ぐような姿勢で聞いていると、後ろから鈴のような声がした。確かめるまでもなく、マルティナである。
彼女曰く、大人たちは小難しい話ばかりしているので、アーシェと共に食事をしたいとのことだった。
慣れない立食、挨拶回りの緊張、そもそも食べる時間が無かったことから、彼女は美味しそうな御馳走を前にお預けを食らい、つい先ほどようやく解放されたらしい。
その後、父であるカイから自由にして良いと言われたため、同じ境遇である――と、彼女は思い込んでいる――アーシェと共に美食巡りを開こうとして、声をかけたのだった。
「お父様」
仕方が無いので爪サイズの茜を手拭いに包み、「エナカの手拭いをお預かり下さい」と一言伝え、ミリアシルに渡した。
それを聞いた彼はすぐに事情を察し、手巾をそのまま衣嚢にしまう。字面が字面だけに何とも間抜けな光景だが、これは諜報活動でかなり有利になるのではと、彼の懐に入れられた茜は思った。
小さくなって潜入し、情報を持って帰るというのは、それを知らなければ中々発想できないことである。
茜の世界で言ったのならば、何の冗談だと一蹴されることも、魔法を用いて実現できてしまい、その恐ろしさはきっとこの世の貴族には分からないだろう。
そうしてマルティナ姫と共に持ち場を離れ、二人放浪するのが今現在。
今この会場は世界中から取り寄せた珍しい料理で溢れている。目の前の皿には東の料理が、隣の皿に目を移せば西の料理が盛られていた。
「まるでお料理の世界旅行です」
「お気に召して何よりですわ」
ふと思い立って辺りを見回すと、既に年少組の影はなく、残っている子どもはアーシェと元気が有り余るマルティナのみだった。アーシェの経験則から、彼等は立食会の序盤から中盤にかけての内に、脱落することが多いらしい。
それは体力的な面もあるのだが、会話をする前に食卓に盛られた料理が気になり、口にして、腹が膨れたら次は睡魔がやってくるなんてことがよくあるのだ。
自らの意思のみで食欲を制するほど、年頃の子どもはできておらず、五歳未満の子どもはせいぜい挨拶程度で済まされる。
「活力がおありなのですね」
アーシェに褒められたマルティナはにへらぁと口を歪ませ、隠しきれない快絶を露わにする。
どうやら彼女は会場入りする前に、父君に頼み込んで体力回復やら免疫力向上やらの魔法を、ふんだんにかけて貰ったらしい。
その結果、普段とは比較にならないほど生命力がみなぎっており、それのおかげで一刻もの間、ハイテンションでいられたのだ。
彼女はその志に対して体力が伴っていなかった。
それは偏に喘息のせいで、ろくな体力作りができなかったからである。過去に一度庭園を見に外に出たことがあるが、その時出会ったミツバチに驚いた彼女は足が竦み、追い打ちをかけるように発作も出てしまった。
それ以降は城から出る際は領主の許可が必要になり、マルティナが許可を求めでも出してくれなかったことから、一度も訪れていない。
外出が禁止され、室内は埃が溜まるからとほとんど私物はなく、件の大災厄により同年代の子どももいない。そんな空間で体力が付けられるはずもなく、彼女の活力は身体の成長に比例して退化していった。
「よろしければわたくしの苑にお供して頂けませんこと?」
「えっ」
予想だにしない提案がアーシェからされ、彼女はきょとんとした顔で固まった。セルヴィスの古城にある衆芳苑と言えば、通称内務苑と呼ばれる国内屈指の衆芳苑だ。
年に数回、その場所が会場となる茶会は乙女の憧れであり、あらゆるコネを用いて派閥内外から申し込みが殺到する。
アーシェが所有しているのはその一角、招待された者だけが入れる秘密の園だ。外向けの華やかさは一歩引けを取るが、その分調和の取れた心落ち着く雰囲気となっている。はずである。
アーシェの衆芳苑は側近三人衆が管理しているため、彼女らの忖度によって生花の配置が決まっている。言い換えれば、彼女らがアーシェをどう見ているのかが分かるというものだ。
抜き打ち授業参観をするような気分で会場を出たアーシェは、自身の従者と彼女の従者を回収し、番卒に衆芳苑に行くと伝えて外に出る。
しかし屋外に出たものの、アーシェは衆芳苑の場所を知らないので、メリッサには露払いを、セリアには先触れを務めて貰った。
「まあ……なんて素晴らしい瓊花たちなのでしょう!」
秘密の園に着いたマルティナの第一声は賞賛の言葉だった。
それについてはアーシェも完全に同意しており、話に聞いていたものよりずっと素晴らしいものだった。彼女たちが目指した理想の園、それはアーシェに心ゆくまで読書に集中して貰えるような空間だ。
本来、衆芳苑とは名前の通り花が主役であり、生花を愛でることを目的に創られた造園である。
その常識を覆し、あくまで花は飾りで、そこを利用する人物こそが主役であるという発想は、常日頃から主人を第一に想っていなければ決して考えつかなかったものだろう。
ある意味では、この衆芳苑は完成しておらず、この調和が取れた空間は、アーシェが訪れて初めて一つの作品へと昇華されるのだ。
赤色のような刺激の強い原色は避け、どうしても必要な場合は薄紫や、本当に強調したい部分のみに用いる。
しかし代替と言えど、そこには気品があふれ、一切の卑しさが感じられない。華やかさよりも儚さを前面に出し、一つの季節を思いやる趣向を凝らしていた。
中央に置いてあるC型のベンチの上には、美しい彫刻が施された丸屋根が、その付近には日陰を作るパーゴラや、バードバスが置かれていた。
今は備え付けの魔具によって光源を作り出しているが、これが日中であればきっと素晴らしい見た目になっていただろう。
これほどまでに勉学に集中できる場所があることを知らなかったのは、彼女にとって深い痛手だった。
これならば寝食も忘れて読書ができそうだ。
「とっても落ち着いていて、何刻でも過ごせそうですね」
どうやらマルティナも同じように考えていたらしく、キラキラした瞳で庭園を遍く眺めていた。
実はこの庭園には、景観を損ねないよう巧妙に隠されているが、いたるところに薬草や鎮静効果のある香りを出す花が設置されている。
衆芳苑は外界で主が気を許す場所の筆頭候補である。つまりは一二を争うほど危険にさらされる可能性が高い場所であり、何があっても対応できるようにと計らう造になっている事が多い。
危険とは人為的なものだけではなく、例えば害虫や草木による切り傷も含まれる。城内故従者ですら気を抜いてしまうこともあるため、応急処置は園内で完結できるようになっている。
加えて予算的にも思想的にも普通ではないこの衆芳苑は、芳香療法的役割も期待されており、結果的に二人の体調にも効果を発揮していた。
さすがは魔力が豊富な場所で育った魔法の薬草。加工せずとも、接触させずとも、その力は絶大だった。
「予算が余ったので可能な限り身体に良い薬草を集めてみたのです」
こっそりメリッサに耳打ちされ、アーシェと茜は察する。
現代では確実に麻薬指定されるような薬草も、この世界においては領主の許可がある分には問題ない。
平民に葉っぱ一枚食べれば致死量と言った超強力な薬草は、魔力抵抗が強い貴族が煎じて飲むと万能薬になることだってある。
基本的に貴族と平民では扱う薬剤が違うため、この癒やしの園が平民にとっては麻薬栽培所に見えるかも知れないが、ここに平民が入る時はこの領が滅ぶ時である。
それから半刻ほど、保護者たちのお迎えが来るまで、アーシェとマルティナは衆芳苑での会話を楽しんだ。そして別れ際に、二人は友人の契りを交わす。
「あの、アーシェリット様。次合う時は、わたくしのことをティナと呼んで頂けないでしょうか」
一世一代の告白であるかのように、耳を真っ赤に染め上げて、マルティナは俯きながらアーシェに言った。
実際彼女にとって友達宣言は初めてのことであって、これから機会があるとも思えない。
それにアーシェという人物以上に、自分と深く関わる者がいるのなら、それはきっと夫婦となる人物だ。
「でしたら、わたくしのこともアーシェとお呼び下さいませ」
「……! はい、アーシェ様」
「では、ごきげんよう。ティナ様」
この誓いは、後に、永遠にも近い間、貴族たちの間で語り継がれることになるのだが、そんなことは今の二人は想像もしていなかった。
マルティナの愛称ティアかティナで悩んだんですが
母音子音分かれていないこの世界の言語(日本語)で
マルティナがティアになる説明が付かなかったので消去法でティナになりました。




