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終の閨秀-幼女と女傑の異世界平定物語-  作者: 高麗俊
第一章 貴公女と亡霊
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031.贈り物

 現在茜はアーシェ姫からお叱りを受けている。


 ――何故わたくしが寝ている間にお話が進んでいるの。


 どうやら彼女は一人仲間はずれにされて――彼女にとっては――楽しい話し合いをされた事がたいそう面白くなかったようで、朝起きて、昨日の報告を茜から聞いたら、途端に拗ねてしまった。


 ――ごめんなさい。次からは早めに切り上げるから。

 ――……おばか。


 茜と彼等の対話は、この領地に対して、何一つ無駄なことなど無いのだと分かっている。しかしそれでも、彼等がアーシェではなく、つい数日前にやってきた茜と仲良く話していたという事実が、彼女の嫉妬と疎外感を煽り立てていた。


 非常に拙い。


 茜はできる限り宿主であるアーシェと、良好な関係を築き上げたいと思っている。彼女だけではない。この国、世界に絶大な影響力を持つ、歩く権力ことミリアシルや、アーシェの保護者、さらに言うなれば四方八方から良い評価を受けていたい。


 別に茜は八方美人になりたいと言う訳ではないが、万が一やらかした時のために、少しでも多くの保険がほしいのだ。欲をかくのなら、安全な逃走経路もほしいと思っている。

 そんな夢も、アーシェとすら仲良くなれないのなら、夢のまま終わってしまう。ここは少しでも彼女のご機嫌を取れるよう、最善の策を講じなければならない。


 そう考えて早一刻。

 その間、湯着に着替え湯を浴び身体を清め、暖かいタオルで優しく拭き取られ、純白の部屋着に着替えて歯を磨き、朝食の時間になっても何も進展がなかった。


 ――今日も美味しいね。

 ――……そうね。


 もぐもぐと黙って食事をしていると、一足先に食べ終わったミリアシルが立ち上がり、部下を連れて食堂を出る。しかしいつもとは様子が違い、出口付近で立ち止まって去り際にアーシェに言葉を残した。


「アーシェ。今朝は食事を済ませたら部屋に戻りなさい」


 アーシェはその言葉が何を意味しているのか考えるが、思い当たる節が見当たらず、言葉通りに受け取った。


「畏まりました」


 前を見ると夫人たちが口を隠して微笑んでいる。彼は居心地の悪さを感じたのか、咳払いを一つして、気が済んだら速やかに執務室へ来なさいと、二人に伝えると、いつもの調子を取り戻して去って行った。


 二人に何があったのか遠回しに尋ねても、後で分かるとの一点張り。仕方が無いので茜に尋ねるが、彼女も彼女で何のことだか分からないと言い放つ。

 本当に知らないのか尋ねると、予想はできるけれど、私にはあまり関係ない事だし、せっかくご尊父様たちが何かをしようとしているのだから、介入するのは間違っていると言及を避けた。


 茜は嘘だけは言わない人間だ。それはここ数日で分かったことで、もしどうしても隠したいことがあるのなら、アーシェの興味を別の方向に持っていき、存在を隠蔽する。

 彼女の巧みな話術なら、子どもの興味を反らすことはもちろん、触れたくない話題を避けることも容易いだろう。


 茜が何かあると言えば何かあるのだ。

 しかし誰も教えてくれないことに、何だか胸のあたりが締め付けられ、口の中に苦みが芽生えた。

 その苦みは咀嚼を繰り返す内に強さを増し、それに伴い手の運びも悪くなる。そして終いには食欲も失せ、食器を置いて食後の祈りを捧げた。


 アーシェが食べ残すことは滅多にない。過去に一回だけ食べ残したことがあり、その翌日に彼女は微熱に襲われ、城中の空気が緊迫したことがある。その惨事を知っているセリアは、保護者たちの選択が吉と出るか凶と出るか、気が気でなかった。


「姫様、もう少しお召しになる方が……」

「料理長には滋味でしたと伝えておいて」


 逃げるように食堂を出たアーシェの足取りは重く、一歩一歩が泥濘にはまったように辛く苦しいものだった。胸の奥からじわじわと孤独が焼き付けて、その痛みに手が届かないのが実にもどかしい。


 痛い、苦しい、苦い、辛い。今日はもう何もしたくない。ダメだ、彼女と高貴になると約束をした。それは何があっても無碍にはできない。足を動かすのが億劫だ。一体どこで間違えたのだろう。何をやってしまったのだろう。


 嫌な汗が滲み出て、暑さと寒さが身体を蝕む。ぐるぐると渦巻く内なる何かが、好機とばかりにアーシェを刺激し、飲み込まんと襲いかかった。込み上げた胃酸が喉を焼き、不快感を与える。


 苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。


 部屋に着いた頃には、アーシェの気はげっそりと衰えていた。

 宿主の不健康は茜の不健康だ。普段の茜であれば、アーシェがここまで滅入っていたら、励ましの言葉を全力で与えている。この扉の先に待っているものを予測できている茜は、いっそのことアーシェを放置していようと考えた。


 それは決して彼女をいじめたいからではなく、後に控えているであろうモノを心の底から楽しんで貰おうと思ってのことだった。

 ただ、さすがに吐きそうになるまでストレスが増幅するとは茜も予期せぬ事態だったが。


「……あら?」


 アーシェが部屋に入ると、出て行くときにはなかった荷物が届いていた。それはアーシェよりもずっと大きく、まるで最初からこの部屋の主だったかのように、堂々たる佇まいで部屋の真ん中に置かれている。


 その物体には純白の大布が被せられており、埃や汚れも一切ないことから、完全な新品であることが伺えた。布の下から見え隠れするのは榛摺色(はりすりいろ)の三本の棒。上部には四角い膨らみがあり、茜はそれを見てそれが何かを察することができた。


 メリッサが前に出て大きな布を取り払う。そこから姿を現したのは見事な三脚画架だった。

 使われている材木の色には深みがあり、無駄に装飾された者とは違い、機能美にあふれたデザインは、一周回って隠しきれていない高級感を漂わせている。


 アーシェの成長に合わせて三脚の高さを調整できる仕組みは、彼がアーシェのことをよく考えている証しであり、少なくとも並の力では一晩で用意できる代物ではなかった。


「まあ」

「おめでとう存じます。姫様」


 側近たちが次々に祝辞を述べる。アーシェはそれを聞いてようやく父からの贈り物だと気づき、画架の前へと近付いて割れ物を触るように優しくそれを撫でた。そのうち脳が現実に追いつき、本当に彼からの贈り物だと実感できたとき、アーシェの頬に一筋の雫が通る。


 それを嚆矢に、アーシェの涙が止めどなくあふれ出だした。


「……セリア」

「御前に」


 彼女以外には顔は見られまいと二人との間にセリアを立たせる。そしてアーシェはセリアの下腹部に抱きつき、全身全力で力を込めた。


「う゛ー」


 アーシェの弱さは、彼女が胎児の時から仕えている扈従である、セリアが一番良く知っている。そのせいか、アーシェは自分の弱みをセリア以外に見せない。

 それは、比較的新しい側近であるメリッサとレオノーラでも同じことで、どうしても見せなければいけない場合は、せめてもの抵抗なのか、こうしてセリアを盾にすることで顔を隠している。


 涙で汚れる衣服も、セリアにとっては名誉の証しだ。力一杯抱きついて、従者の身体を使い必死に声を抑える主人の背中を、セリアは慈愛の意を以て丁寧に摩る。


「姫様。閣下はいつも姫様のことをお考えですよ」


 ですので安心して下さい。姫様はきちんと愛されておりますよ。セリアはアーシェにのみ聞こえる声量でそう呟くと、アーシェを強く抱きしめた。


 アーシェが弱みを見せた時間はそう長くはなかった。アーシェの立ち直りが早かったこともあるが、それよりもずっと腕に力を入れている体力がなかったのだ。力が弱まったことを期に、セリアは衣嚢から手巾を取り出して、アーシェの涙を拭き取った。

 甚三紅(じんざもみ)の頬に手を置いて、ほぐすように指を使わす。


「これではしばらくお外に出られませんね」


 こんな姿を城勤めの者たちに見せようものなら、あっという間に噂が広がり、尾ひれをつけられミリアシルの元へと報告される。そうでなくても、頬と鼻頭が赤くなった今の顔は、側近以外の誰にも見られたくない。


「……良し!」


 ぴしゃりと両頬を叩き、気合いを入れて気分を切り替える。いつもの主人に戻った姿を見た従者たちは、安堵の息を漏らして次のアーシェの指示に対応できるよう、今一度姿勢を正す。


「貴女たちの中で絵画を嗜む方はいらして?」

「少しなら」


 前に出たのはレオノーラだった。学院で美術を学んでいたのは彼女だけであり、他二人は音楽の教室に進んだらしい。

 メリッサ曰く、レオノーラは音楽科目の中では有名な人間だったらしく、普段の頑固なまでの生真面目な性格からは想像が付かないほど、繊細な筆遣いをして巧みに仕上げると浮沙汰がたっていたとのことだ。

 しかし、彼女は気恥ずかしそうに苦笑してアーシェの評価を訂正する。


「もう一年以上筆を執っていませんので」


 過度な期待はしないで下さい。そう言いつつ、アーシェを椅子に座らせる。部屋の守りは私たちが代わりますと二人が言うと、感謝の意を伝えてアーシェの方へ向き直る。その表情は少しばかり嬉しそうで、美術を心から愛していたことを暗に示していた。


 彼女は実に職務に忠実な人間だった。加えて公室に対する忠誠心も高く、能力面、教養面でも申し分ないため、アーシェの側近に推薦された。

 そしていざアーシェの護衛に付いたとき、彼女は日常的に領主一族の護衛をする過酷さを知り、自己と忠誠を天秤にかけた結果、自己の一部を切り捨てることにした。それが絵画だ。


 そんな彼女にとって、主人の教育のために、もう一度筆を滑らすことを許されると言うのは、まさに天から降る奇跡だった。



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