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終の閨秀-幼女と女傑の異世界平定物語-  作者: 高麗俊
第一章 貴公女と亡霊
25/197

025.準備期間

 アーシェたちが食堂へ着いた頃には、既に両親は席に着いていた。

 ミリアシルが二人の入室に気付き目を向けると、仲睦まじく手を握っている妻と娘の姿が入り込み、思わず己が眼を疑う。


 貴族社会において第二、第三の夫人を娶ることは珍しいことではない。

 特に多くの子が必要とされる子爵家以下の領地では、第三夫人に加え、側室なんてものもざらである。しかし大抵の場合、夫人同士の仲は無干渉か険悪であることが多い。


 王侯貴族が正妻を取れるのは三人までだ。それ以降は側室とされ、三人の正室とは別に、離宮で暮らすことになる。

 彼女らには多くの権限が与えられず、ただ世継ぎを産むだけの存在として祀られ、酷いところでは、半ば軟禁状態で外界とは隔離される。


 尤も、全ての領地がそのような扱いをしているのではなく、殆どの領地は側室にも三官の仕事を与え、城に従事させることでれっきとした対価を支払うところも多い。

 側室から得た子どもも、余程難があるわけではない限りは、正妻の子女と同じ扱いを受ける。側室は他人でも、その子どもは立派な世継ぎ候補であるからだ。


 使える貴族は子どもだろうと、側室だろうと分け隔てなく使う。それがパール王国の経営方針だった。


 しかし、そのことと配偶者たちの仲が良いことは、別の話である。

 貴族の結婚は非常に淡泊だ。家同士が相手を決め、家長同伴の元見合いをし、当人がどうであろうと、家長が妥当だと判断したのなら、結婚は成立する。

 それが当たり前であるし、家のため、領地のため、国のためとなれば、従うのは当然のことだった。


 そんな中、エルミニクとロベルティーネは、互いの境遇が似通っていることもあり、珍しいほどに良好な関係であると言える。それを通して、アーシェも義母と上手く付き合っているようで、ミリアシルは危険を冒して彼女を娘の教育係に任命したことを、自ら嘉賞していた。


 しかしここ数日、二人の距離は異常なまでに発展している。はっきり言って実母であるエルミニクより親しくなっているのではないだろうか。


 彼女には夫の護衛という最優先の仕事があり、反してロベルティーネには融通の利く事務仕事を任しているため、自由時間が多く取れるロベルティーネの方が、アーシェと共にいやすいことは仕方がないことである。

 教育係としては都合の良いことなのであろうが、夫人同士の関係を鑑みると、あまり良いとはいえないだろう。


 ただし、今ここで義母義娘の関係を引き裂くことは好ましくない。二人の仲を保ちつつも、実母の立場も考える配置を考案しなければ、公室の間に亀裂が入ることとなり、それは継承問題からしても、領主であるミリアシルの望むところではなかった。


 後日休暇を取らせようか。そんなことを考えながらミリアシルは食前の祈りを捧げて家族とともに食事にありついた。


 ――トマトを食べたと思ったらお肉の味がした……。

 ――そのような珍妙な名前ではないわよ。これはパピュームよ。


 パピュームとはどうやら空を浮遊する魔物らしい。滑空でもなく飛行でもなく、浮遊らしい。

 魔物は茜の世界における生物に近い意味を持つ。その中でも動物と植物を指すことが多く、広義では魔力を持った生き物の総称である。この世界に魔力を持たない生き物は現状発見されていないため、事実上魔物が生物と同等の意味を持っているのだ。


 人間や、その他知性ある生き物も、魔物の一種族に属するのだが、狭義においては区別される。それ故に平民の中には完全に魔物の定義を誤認している者もいた。


 恐らく、生物と同じ意味を持ってしまったのは、過去に賢者と呼ばれる者たちの中でも、分類学を研究している者が、魔力を持つ生物と持たない生物を区別しようとして付け、後に確認できる全ての生き物が魔物であったと分かったのだろう。

 学問の中では頻繁にあることなので、茜はそんな予想を立てていた。


 尤も「暴漢に襲われている」をわざわざ「魔物に襲われている」と言う人間はいないだろう。俗世の言葉などそんなものであり、そちらの方が好ましいのだ。


 ――神様に祈れないのに魔法は使えるんだね。

 ――様々な説があるようだけれど、使えることは事実だそうよ。


 アーシェの頭の中では忙しなく議論が続けられているが、現実の食堂は食器がこすれる音が響くのみだった。端から見れば、今のアーシェは食事に集中する子どもなのだが、アーシェの内なる者を知っている保護者たちは、彼女の瞳の奥に光り輝く好奇心が潜んでいることに気付いている。


 普段は自分の食事が終わると、すぐさま退席するミリアシルが、今日は酒も飲まずに何かを待っていた。何かを察した側近たちは、新しいカップに胃を整える効能のある薬茶を煎れて前に出す。


 保護者全員が一服を終えたところで、ようやくアーシェも食べ終わった。そして全員同時に席を立ち、従者を引き連れミリアシルの書斎へと足を運ぶ。側近に簡易的な茶会の用意をさせた後、すぐに彼等を退室させて、その場は再び公室のみの空間となった。


 三人の保護者が手分けをして、いくつもの魔法を部屋にかける。その徹底した処置により部屋と外界は見事に隔たれ、音や光はもちろんのこと、魔力や気配も遮断される特殊な空間へ変わっていった。


「アーシェ、加藤。其方ら別々にこの液体に少量の魔力を込めなさい」

「畏まりました」


 言われた通りに二人で微量の魔力を送る。それを確認するとミリアシルは撹拌棒でまんべんなく小瓶をかき混ぜ、数分間休まずかき回し続けるとその液体に粘性が生まれた。


「目を閉じなさい」


 言われた通り目を瞑ると、瞼に綿紗のような生地の何かが当てられる感触があった。次に顔の非常に近くからエルミニクを呼ぶ声がして、横髪があげられる感覚が伝わり、耳裏にも瞼と同じように何かを当てられた。


「もう開けて良い」


 目を開けると文字通り目の前に父の顔があった。アーシェにとって、ミリアシルは天上のお方である。その父が膝をつき、アーシェの顔を触っていることを想像したら、彼女の心臓はどくんと跳ね上がり、鼓動が激しくなった。


「次は其方らだ」

「小瓶を貸して下さいませ」


 液体を受け取ると布を湿らせ、二人とも自分の瞼と耳裏に塗布して小瓶を返した。最後にミリアシルが付け終わると、小声で祝詞を唱えて一つの魔法を発動した。


「《意志伝達/思いを伝えよ》」


 すると徐々にアーシェ、正確には茜の精神に対して変化が現れる。精神世界に水銀のような物体が現れ、茜の前で鏡を作った。それに写った彼女の身体がひとりでに動いたと思った直後、水銀共々、精神世界から跡形もなく消え去っていた。


 何事かと意識を外界へ向けて部屋を見渡すと、至って素晴らしいお父様の書斎のままだった。しかし先ほどまでとは人数が違う。

 保護者三人の他に見知らぬ、いや見知った女性が一人、書斎の中に佇んでいた。言うまでもなくアーシェの心の同居人、茜である。


 ――えっ。

 ――何故貴女が驚いているのよ。


 この現象に一番驚いているのは茜本人だった。茜の精神は今までと何ら変わらずアーシェの心に寄生している。つまりあの陽炎の如く揺らめく茜は、彼女本人ではなく別の存在であると言うことだ。

 ただし、精神世界で着ていた白装束まで完璧に再現されているあたり、精神世界の茜をある程度模したことは確かだろう。二人は何故茜の写しを用意したのか、ミリアシルに疑問の視線を送った。


「加藤よ。魔力をその幻影がある場所へ送り込み、人の形を取らせなさい」


 ――スパルタ教育。

 ――お父様がやれと仰せならできるのよ。


 ミリアシルの命令と言うより、半分はアーシェの命令で茜は頑張る。理論としては、今まで放出するか流し込むかして終わりだったものを、今回はその先の待機、または貯蓄に似たことをするのだろう。

 難しいのはそれを手順で習得するのではなく、感覚的に一発合格しなければならないことだ。


 ――扇と身体、借りるね。


 自分の所有物が何一つないのが辛いところだ。行動一つ取るにしても隣人に許可を求めねばならない。それ自体は苦ではないのだが、それに慣れることによって緊急時の対応に遅れが生じてしまう可能性がある。


 扇子で幻影を指し、もう片方の腕も用いて魔力の制御を感覚的に行う。右手に持つ扇子は出力と方向、魔力の座標を制御し、左手は放った魔力の固定化と造形を担当する。


 額にしわを作り、むむむと唸りながらも手は休めない。

 魔力は流動的な性質を持っている。それはどちらかというと、気相よりかは液相寄りの性質であり、表面張力のように人やモノに纏わり付いては、人の意思に反応して飛散することもある。

 意思が作用している間の魔力は、慣れればある程度自在に操ることができ、意思の届かない距離を離れると、エントロピーが増大し霧散してしまう。


 もし魔力の持つエントロピーが、生物の近くに行くほど減少し、遠くに行くほど増大するのであれば、精神空間が魔力的には最も高次元な場所なのだろうか。それでは精神世界でできたことが外世界ではできない可能性がある。そこらへんは要検証だ。


「ふむ……」


 あまりにも集中しすぎると、唐突に、全く関係のないアイディアが浮かび上がってくる時があるが、今がまさにその時だった。こういう場合は、大抵作業をやりきった後には頭の中から抜けているので、アーシェに備忘録を付けてもらう。


 ――猪口才な。魔法で何とかならないかな。

 ――そんな限定的な神様はいらっしゃらないし、一体どの神様にお祈りする気よ。

 ――ええい、八百万の神々よ!


 八百万の神は万物に在る神である。

 つまりは他宗教も内包しているのではないか、というとんでもない屁理屈に従って、茜は文字通りあらゆる神に祈りを捧げた。

 尤も、この世界の神も八百万と言われているので、もしかしたら同じ系統の者なのかも知れないが。


 たった一柱に捧げる魔力でさえも少なくない量が持って行かれるのに、それを無差別に通じた神々に捧げるなど正気の沙汰とは思えない。


 一瞬で自身の魔力がごっそり減るのを体験した茜は、それでも吸われ続ける事に抗えもせず、ただひたすら、精神世界で合掌をしながら耐えていた。


 そしてそれは瞬く暇もなく終わりを告げ、突如茜の精神がまばゆい光を放った瞬間、精神世界の茜が忽然と姿を消した。



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