100.カスタレア防衛戦・特攻
先の火の玉以来、小鬼たちが魔法を使うことは無かった。
魔力が切れたのか、それとも魔力を温存しているのか。どちらにせよ平民にとっては好都合である。
「小鬼の魔力が回復するまでに魔力持ちを仕留めたい」
「我々が行こう」
対策本部の意向は概ねその方針で一致する。
そしてその役目を任せられたのはカスタレア最後の守り手、乙級冒険者班の面々だった。
班名は鉤爪。
名誉等級である甲級を除き、冒険者組合の定める中で最高峰であると保証された生きる伝説。乙級冒険者班は全世界に五つしか存在せず、その一角を成す鉤爪はその立場に相応しい実力で組合の総本山を守る絶対守護者として君臨していた。
「小鬼の目をかいくぐって大将の暗殺ったぁ面白いじゃないか」
「ま、余裕だけど。報酬次第よね」
「お前ら女組は待機だ待機」
小鬼との戦いで最も痛手となるのが、やはり女冒険者を戦地に送り込むことができないことだ。
冒険者の男女比は七対三ほどであり、一国の軍としてみれば随分と女性比率が高い傾向にある。そのため小鬼との戦闘では通常戦力の三割が後方支援へと回され、ただでさえ数の少ないこの時期に更に人数を絞る必要が出てくる。
「見縊らないでくれる? 屋内ならまだしも平原の小鬼に捕まるほどトロくないわ」
「捕まるようじゃ乙級の恥さらし。そのままヤられたって文句は言わない」
二人の決意は固かった。
鉤爪は男女比が三対二の五人編成で、内訳は男剣士、男重戦士、男弓兵、女魔術師、女候者である。重戦士は普段の装備を全て揃えると機動性と隠密生に欠けるため、今回は軽装備で潜入することになる。
幸い今日は曇天だ。月明かりは差さず、街の明かりを消せば周囲は完全に暗黒が支配する。天候は人間に味方している。ならばこの機を逃さず少数精鋭で敵主力部隊を撃破するのは必然的行動だった。
「必ず成功させるぞ!」
「人類のために!」
決行は深夜。
冒険者たちは己が最高戦力に望みを託し、反撃の機会をうかがった。
◆
小鬼は視力が弱い。
彼等が本来住まう地は洞窟や樹海の中であり、遠くを見通す必要の無い場所で世代を重ねてきたからだ。
小鬼は嗅覚が弱い。
その生息地の特性上、彼等は同族や母体の排泄物を特定の場所に集める習性がなく、常日頃から糞尿を垂らし、当然のことながら身体を清めるという行為もしていない。
小鬼は触覚が鈍い。
常に不潔を身に纏っている生物だ。ハエと共存しているとまで言われているその不潔さは、触覚が鋭ければたちまち全身に痛痒を走らせるだろう。触覚が衰えたのは自己防衛のためであり、ある意味では一種の進化なのかも知れない。
同様に小鬼は味覚も鈍い。
彼等は言葉通り何でも口にする。それは土から毛髪、果ては吐瀉物まで。咀嚼し飲み込めるまで小さくできると判断したものはとにかく食べ、それを栄養として体内で変換できるという食事界の王者である。
小鬼が動植物を求めるのは母胎のためとされており、彼女らの生命維持のために、種族の数が増えるためにしている行為なのだ。
小鬼は聴力が強い。
獲物を狩る際、小鬼が最も頼りにする感覚器官は聴力であると言われている。その卓越した聴力は洞窟内で反響する小さな物音を聞き逃さず、侵入者を待ち伏せし、背後から襲うことを可能とする。
小鬼は幻覚が鈍い。
この世界における幻覚とは幻視幻聴のことではなく、魔力を視る感覚のことである。アーシェたち貴族が個体を識別する際に魔力の有無を必要とするのはこの器官があるからだ。
そしてその器官を小鬼は育んでいなかった。その感覚は平民と同等であり、多くの小鬼は魔力持ちが故意に放出しない限り感じ取ることすらできないだろう。
しかしそんな小鬼にももちろん例外はあり、それは魔法使いの小鬼だ。
浄階貴族を母体とした小鬼は固体によっては直階貴族に匹敵することもある。それは幻覚に対しても同じことが言え、冒険者の中では強力な小鬼は貴族を相手取ることに等しいと言われていた。
よって総評は魔力持ちさえ片付ければ取るに足らない魔物であった。
選ばれし冒険者が都市壁から長縄を垂らし脱出する。
その姿は普段の服装とは異なり、真白の布を雪解け水に浸した姿だった。
彼等は冒険者たちの最高峰と言うこともあり、普段は平民とは思えないような贅沢な暮らしをしている。それはもちろん実力と人格をもとにした当然の権利なのだが、今回の場合はそれが足を引っ張ることになる。
それは匂いだ。
普段から高級な石鹸を使っていることもあり、その身体には香しい香が染みついていた。さすがにそれではいくら嗅覚が衰えている小鬼であってもすぐに見つかってしまう。
そのため彼等は潜入を必ず成功させるために井戸水で全身を洗い流し、廃屋の汚い布でこしらえた即席の衣服を身に纏い、泥に汚れた雪解け水を混ぜてその中に飛び込んだ。
自分の命と仲間の命を守るためなら一時の汚れも気にしない。彼等はそのような崇高な思想を持っているからこそ乙級冒険者に選ばれたのだ。
「くっさ……こんなことなら立候補するんじゃなかった……」
「これ数日は臭い落ちないんじゃ……」
嘘だ。
女性陣だけでなく、男性陣までもが気が滅入るほどの嫌悪感を抱いていた。しかしそれでも途中で投げ出さなかったのは乙級試験の際に身を挺して組合のために働くと言ってしまったからだ。
ここで断っては契約不履行となり降格されかねない。加えて一度受けた依頼を投げ捨てるなど乙級としての矜持が許さなかった。
「ここから先は小鬼の領域だ。手信号で行くぞ」
――了解。
魔術師組合で購入した夜目が利く魔術薬を瞼に塗り、声を発さず意思疎通を図る。
数匹の警邏が徘徊しているものの所詮は畜生、せっかく本陣に灯火があると言うのにその周囲には見張りを立てていない。
そしてその警邏も大したやる気はなく、ばらけずに集団で歩いているためもはや見張りにすらなっていない。
――敵。意識無し。
近くにいた小鬼の両手両足を拘束し、首を絞めて窒息させる。
途中で意識が戻った小鬼もいきなりの状態で為す術がなく、数十秒で口元から泡を吹き、命を落とした。
――全員。意識無し。疑問。
――不明。作戦続行。
見渡す限りぐっすりと寝ている小鬼たちに疑問を抱きつつも組合のために奥地へと向かっていく。
本陣についた彼等はその光景に息を呑んだ。
そこに居たのは大鬼と呼ばれる小鬼の上位種だった。
鬼とはある特徴を持った生物の総称であるが、その中から希に共通して変異種が生まれることがある。それが魔力持ちや巨体なのだが、大鬼はそんな鬼の中でも最高峰の力を持った種族のことである。
魔力と巨体を両方兼ね揃え、その知能は人間のそれに匹敵する。
もはやそれは獣とは言えないほど賢く、文献によると小鬼の大群を引き連れて数多の国を滅ぼしたとされていた。
そんな伝説として残るような大魔獣がこの軍を率いているとなると、それはもう平民の手には負えなくなる。それこそ頭を下げてでも大国の軍隊に出動して貰うほかにない。
――発見。大きい。足下。
――了解。特攻。命。覚悟。
捨て身の特攻。
ここで魔力持ちの小鬼を仕留められなければ大国が動く前に街が崩壊してしまう。大鬼一匹ならまだ城壁は耐えられる。しかし魔力持ちがいる限り都市壁は意味をなさず、対処をしなければこのまま小鬼の大群を迎え入れることになる。
それだけは絶対に避けなければならない。
「ム……臭ウナ……人間ノ臭イダ」
大鬼に気付かれた。
「突撃だ!」
目標に気付かれたのなら潜伏している意味はない。
一斉に草むらから飛び出し魔力持ちへ目掛けて全力で駆ける。
止まったら命はない。
走り、駆け抜け、一秒でも早く標的の懐に入る。
「魔力のを殺ったら予定通りに! 他はまともに相手をするな!」
「うおぉぉぉおおおおお!!!」
前衛組が突進し、周囲に煙幕を張り巡らせて大鬼の目を殺す。
「死に曝せ!」
魔術師と重戦士が大鬼の気を引こうと逆方向へと回っている内に弓兵が弓を射る。
放たれた矢は魔力持ちの額に吸い込まれ、煙幕が蔓延する前に一匹仕留めることに成功する。
「もう一匹……!」
煙が視界を遮る寸前まで捕えていた敵の動きから偏差射撃で心臓を狙う。そして新たな敵の断末魔を聞き届けると弓兵は短剣を持って魔術師のサポートへ回った。
「シッ!」
一瞬で間合いを詰めた剣士が短剣を喉元に突きつける。
そして一閃。目にも留まらぬ早業で横へ払うと小鬼の喉からは湧き水のように鮮血が溢れ出した。
立て続けに二匹目、三匹目の命を刈り取ったところでゾワリと心臓を握られるような殺気を感じ取る。
一瞬にしてその場を飛び去りバックステップを踏んで後方へと避難する。すると先ほどまでいた場所に火の玉が出現し、そのまま地面に落下しあたりに飛び散って大炎上した。
あと少し動作が遅れていたら火の壁に曝されるところだった。
冷汗三斗の思いで殺した敵ごとの見込みながらじわじわと広がる火の川を眺め、これ以上は進めないと転身する。
炎の壁の向こうには先回りしていた候者が潜んでいる。
そして期待通りに、炎の奥からは断末魔が響いてきた。
数は三つ。報告通り、合計八匹の魔力持ちを殲滅できたところで任務は達成だ。これ以上戦う理由は無くなったため、すぐに戦線を離脱しようと大声を上げて帰還命令を出し、リーダーの剣士はあたりの様子を確認した。
「小蠅ガ。煩ワシイ……」
「逃げろ!」
「えっ……?」
突如煙幕の中から巨腕が現れ、その鉄拳が魔術師の肩をかする。
しかしその重量と速さはさながら丸太トラップ以上の力を持っており、少しかすめただけの魔術師の身体を地面へと打ち付けた。
「がっ、があぁぁァァアアア!!」
関節が砕け、脱臼と骨折をしながら地面をはねるように転がっていく。
受け身も取らずにゴロゴロと転がっていく魔術師は既に気を失っており、転がる彼女を受け止めた重戦士がその凄惨さに思わず目をそらした。
彼女の肩はもう死んでいる。
こんなところで冒険者としての生命線を断ち切られることになるとは誰もが思っていなかったことだ。当然そんな覚悟もなく、敵は小鬼だと侮りその奥に潜むモノに気付かないでいたのだ。
「グアァァァアアアア!!」
突然炎の向こうから仲間の叫び声が聞こえてくる。
そしてすぐさま炎の奥に巨体の陰が見え、それは今この場にいる大鬼の体格と酷似していた。
そう。大鬼はもう一匹いたのだ。
炎の川を何の抵抗もなく渡りきった大鬼の手には候者が握られていた。指の間から足と腕がはみ出しており、それはどう考えても関節の場所で曲がっているとは思えなかった。
「兄者。頑丈ナ孕ミ袋見ツケタ。コレ使エ」
「妹ヨ。コッチモ良キ孕ミ袋、見ツケタゾ」
「ヤナ! カテーナ!」
「畜生が!」
剣士が候者の握られている巨腕を切りつけるが、感情にまかせた雑な踏み込みでは大鬼の肌には切り傷一つ付かなかった。
「排泄シカ能ノナイオスハイラン。トットト消エロ」
裏拳が剣士の剣を弾き、剣身を折る。
その衝撃を直に受けた剣士はたちまち後方へと吹き飛ばされ、骨折こそしなかったもののあまりの威力に握力が限界を迎えた。
「クソッ! クソがあああ!!」
重戦士が魔術師を抱えて逃げようとするが、彼の上に巨大な陰が迫る。
大鬼が母体を抱えて逃亡を図る矮小な存在を捕え、ゆっくりと高く上げた足を彼の頭へと下ろしていった。




