第5話:固有スキル《デコ》
最悪だ。
ウチの準備不足のせいで、誰も薬を受け取ってくれない。
タダでさえ村がピリついているんだ。仕方がないといえば、仕方がないのかもしれないけれど。
「──ウチって、何やってんだろ」
誰もいない路地で、声が空気に溶けた。
手のひらの上には、もう消費期限が残り少ない丸薬。時間が経てば崩壊する。使えなくなる。……門番が肌身離さず持っていた十字架を溶かして作ったのに。
考えろ。
頭を指先でコンコンと叩く。いつもそうすれば何か出てきたのに、今日は空っぽだ。
「メェ〜〜〜」
ヤギだ。
恐らく──というか、ほぼ確実に黒死病に感染している。村人は、知らず知らずのうちに菌を取り込んでいた。
菌はウチの薬で殺せる。それだけではなく、バレずに薬を飲ませることも可能。
騙すことになる。でも──人が死ぬよりは断然マシだ。
「よし」
微かにやる気のこもった声が、口から抜け落ちた。
やると決まれば、すぐに実行だ。
早速ウチはヤギからミルクを搾乳する。SNSで体験動画を見たことがあったが、実際にしてみると、難易度はレベチだった。
苦戦しつつも、《アイテムボックス》から出した容器の中に少しずつヤギミルクが溜まっていく。
「女神様ー!」
この声は──門番。
最高のタイミングだ。
「門番! ウチの代わりに、ミルクを集めといて!」
「承知しました。女神様の頼みとあらば、必ず期待に応えてみせます」
と、胸を張ってドヤ顔をする門番。
搾乳に、『期待に応える』なんて概念はあるのかと、突っ込みたかったが、今はそれどころではない。
ウチは強く念じて、虚空に触れた。
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DECO ver.1.0
MODE:抽出・合成・変換
COST:対象複雑度に比例
BATTERY:19%
※バッテリーが少なくなっています。省電力モードを起動しますか?
YES・NO
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カラフルな画面が目の前に現れる。
省電力モードにすることで、作業に支障が出ることを危惧し、迷わず『NO』をタップした。
初めて《デコ》を使用した時は、BATTERYは100%だったというのに、今では文字が真っ赤に染まっている。
零になったら死ぬのかな?
でも、バッテリーって書いてあるんだし、回復するよね……
悶々と考え込んでいると、手が止まっていた。
遠くから聞こえた、苦しく咳き込む音で、ウチは再び手を動かす。
「──女神様」
と、門番が呟く。
「なに?」
「ありがとうございます。本気に」
「なにが?」
「村のことも、槍のことも全部です」
「そう……どういたしまして」
感謝されるのは久しぶりだ。
ずっと引きこもっていたウチには、やけに言葉が響いた。
誇らしいが、気恥しい──でも、悪くない。
「感謝するのはまだ早いよ。宣言通り、ウチが全員を救うから、今以上の感謝の言葉を期待してるね!」
「──っ、はい!」
ウチはMODEの合成をタップすると、右手の人差し指のネイルが変わった。
『術式の装填完了。スキルの使用が可能となりました』
システム通知のようなものが現れるが、邪魔なので指をスライドさせて消した。
面倒な準備は終わった。
ウチは、門番が集めてくれたミルクに手をかざす。
──合成。
黒死病の菌は見たことがないが、《デコ》の力で薬をミルクの全体に広げるイメージを思い浮かべた。
ネイルが輝き、瞬く間に薬とミルクを光が包み込んだ。
薬の銀イオンだけを混ぜる。簡単にイメージできないことは、再現するのも一苦労だ。
理科の教師が雑談で話していた、銀イオンの抗菌作用について思い出す。
指先に、感覚を全集中させた。
……失敗したらダメ。失敗したら──
頭を金槌で殴るような痛みが襲いかかる。
「女神様、血が……」
血?
ウチはその言葉を心の中で反芻した。
え、なに、鼻血? いつから?
混乱してる場合じゃない。手を止めるわけにいかない。
「完、成……」
気が抜けて、膝から崩れ落ちそうになる。が、最後の仕事が残っていたので、ギリギリのところで耐えた。
「門番。これをみんなに飲ませてきて……嫌がるようなら、強引にでもいいから」
「女神様は……」
「ウチは、少し寝るよ」
「あなたを一人にはできません」
「ダメ」
「俺も引けません。村人全員が善人だとは限りません」
「──行ってッ! みんなを助けられないと、後で死にたくなる」
「……ッ」
門番は心優しい人だ。ウチのことを、本気で心配してくれている。
──ありがとね。心配してくれて。
──ありがとね。走ってくれて。
民家が集まる方へ走る門番の背中を見届けたところで、ウチの記憶はプツン、と途切れた。
◇
夢を見ていた。
長い長い、異世界に転移する夢だ。
スマホのアラームの音で目を覚まし、気怠さが纏わりつく体で起き上がる。
「もう朝か」
家には誰もいない。
返事があるはずもないのに、一人で呟く。
今日は夜までバイトだ。気合いを入れなきゃなのに──。
「ダメだ」
一度起こした体を、再びベッドに預けた。
ふかふかのベッド。ロルおじの部屋の、硬い布団とは段違い。
「ロルおじって……誰?」
記憶に蘇るのは、ロルおじの顔ではなく、憎い虐めっ子たちだった。
──なのに、『魔法使いのおじさん』という言葉だけが、妙にくっきりと残っていた。
彼らと関わらなければ、健全なJKとして、今でも高校生活を楽しんでいたはずだ。
可愛いコスメを買って、友達と校則を破って化粧をして、先生に叱られて、友達と見合って笑いあって──
中退を選んだのは自分のはずなのに、願望だけが絶えず溢れ出してくる。
「友達か……」
ウチとは無縁の言葉に、胸の奥が締め付けられる。
ずっと引きこもってきたウチに、友達どころか、ウチを信用してくれる人ができるはずがない。
お腹にある、煙草を押し付けられてできた火傷の痕が今さら傷んだ。
本当はヘソを出した、可愛らしい服を着て出かけたい。それと同じくらい、傷痕を見られたくない。
『ありがとうございます。本当に』
突然、若い男の声が頭の中を過ぎる。
あの感謝は今後一生忘れない気がした──夢の中でされた感謝だけど。
何故か現実味があった。
耳が覚えているという感覚に近い気がする。
こうやって考えていても、時間だけが過ぎていく。──最近、やけに時間を気にしている。
理由はわからないし、思い出せない。爪を見るまでは──。
「綺麗なネイル……」
ピンクに近い色のネイルだが、既存の言葉では表しきれない深みがあった。見ているだけで、なんでもできそうな気がしてくる。
「…………早く、助けないと」
誰を──村の人たちを。
どうやって──どうにかして。
弾けるよう記憶が戻った。夢から覚めたんじゃない。これが夢で、今から醒めるんだ。
慣れた手つきで虚空に触れた。
────────────
DECO ver.1.1
MODE:抽出・合成・変換
COST:対象複雑度に比例
BATTERY:100%
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長い夜が明ける。
ウチの居場所は、日本じゃなくて異世界だ。
ロルおじと村を発展させて、ウチの特製コスメを作る。
夢半ばで終わる気なんて──少しもない!
重たい瞼を、無理やりこじ開けた。




