ワタルと結衣と……!
慌ただしく時間が流れ、結局お開きになってから一日が過ぎ、日は変わり七月二十八日。
ワタルは昨日の少女の事が気にかかっていた。特別な感情は特に無かったが、何故か気になっている。
「うーん……どこかで会ったと思うんだけどなぁ……」
布団の上でゴロ寝しながら、無い頭を振り絞って思い出そうとする。一番近しい感覚といえば、桐華の時のパターンに近い。そうつまりは過去に会っているような感覚である。しかし何度考えても、全く思い出せない上に、キッカケも見当たらなかった。
「えぇい、ヤメヤメ! こういう時は外でもブラつけば何か閃くだろうよ!」
布団から飛び起き、勢い良く部屋を飛び出す。そのままの勢いで外に出ると、真っ先に自宅ポストを確認する。
「ふぅむ、大会関連の連絡はまだ無いのか……この辺のズボラな所はいけないよなぁ、本当に」
ポストを確認し終わると、宛ても無く思いつくままに歩き出す。夏休みで近所の子供は市民プールか、海にでも行っているのか、思いの外、静かなものである。時間は十時半過ぎ、この時間では人の出歩きは、それ程無いものだった。ワタルの学校の生徒も、学校に用のある者は、もっと前の時間に学校に到着している。ワタルはひたすら一人で歩く。
そのまま歩き続けると、見慣れぬ制服を着た、女子高生らしきグループ、二、三人ほどが歩いていた。
「でさー、アタシらがやっちゃまずいワケじゃない、だからソイツにやらせるってわけよ」
「チョーウケる。でもさぁ、その子逃げやがったんでしょ? 今さら言う事聞くワケ?」
「バーカ。言う事聞かせるんだよ、無理矢理にでもさ。大丈夫、そこまで逆らってくるんだったら、またボコして半殺しにしちゃえば良いんだからさ!」
「アンタすっごいオニー! キャハハ!」
聞く気が無くても、聞こえてしまうぐらいの大きな声で、その女子グループはワタルの横を素通りする。
「……いまだに、あんなのがいるんだな。それにしても女らしくない下品な、っていうか危ない会話してやがんな、こんな朝のうちから半殺しなんてデカい声で言いやがって」
そうは言うものの、その女子グループとは関係無いと判断し、ワタルも気にせずに歩き始める。結局、歩き続けるといつも通りに、学校に着いてしまう。
「って、おいおい……結局は学校かよ、響ワタル。お前はいつからそんなに学校が、好きになったんだってよ!」
しかし、元より宛ての無い散歩だったので、ワタルはとりあえず校門を過ぎる。校舎内はありきたりだと判断し、せめて外を歩こうという結論に達して、校舎周りを一周しようと考える。校舎周りの花壇には、夏の時期にピッタリな印象の向日葵が咲いている。事務員のオジサンが、花壇に水をやる為に、ホースから勢い良く水を出している。その光景がなんとも清々しい。
向日葵に見とれて歩いていると、ワタルの足に何かを踏んだような感触が残る。
「ん……? 何か踏んだかな?」
足下を見ると、上手いとも下手とも言えない、絵に描いたような姿をした像がいる。
「何だコイツ?」
ワタルはその像を拾い上げる。何の抵抗もしないどころか、ワタルに好意を寄せるように懐いている。
「……あ、ぞうさん」
「ん……誰かいんのか?」
声のした方を見ると、そこには像の持ち主がいた。相変わらず物陰に隠れるように、小さくなっている。
「……あ、お前は昨日の!?」
大きな声で言うと、持ち主の少女、織部結衣はびっくりしたように、体を硬直させる。
「そんなにビビんなって。別に何にもしねぇって! 丁度良いから何か話でもしようぜ?」
立ち話もなんなので、ワタルは結衣の隣に、腰を落ちつかせる。隣に人がいるからか、それともワタルがいるからなのか、結衣はいつも以上に体を硬直させ、緊張していた。
「…………」
「…………っ」
長い沈黙だった。恐らくは五分程、何も喋らずに座っている。ワタルは空を見て、結衣はずっと地面を見ている。
「そういやさ……」
「はっ、はいっ!!」
突然のワタルの話しかけに、気が動転して声が上擦った返事をしてしまう結衣。
「ははは、ちょっと落ち着けよ。んでさ、何で昨日は屋上にいたんだ?」
ワタルにとっては何気ない、結衣にとっては、確信をつかれたも同然な質問である。
「……本当にごめんなさい」
「いや、本当に怒ってないんだって、別に来たかったら来れば良いさ」
「……はい。…………ごめんなさい。それは、言えない、です……」
「ふぅん。まぁ、良いよ、言いたくないんだったら、無理には聞かねぇさ」
話はそこで止まる。変わらずにワタルは空を、結衣は地面を見続けている。二人の間に再び沈黙が訪れる。今度は長く、十分間はお互いに何も喋らない。
「そういやさ、お前の持ってるそのゾウって何だ?」
「えっ、あっ、見えるんですか……?」
「いや、見えるから聞いてるんだけどさ」
「そ、そうですよね、ごめんなさい……これ、私の描いた絵なんです」
結衣は白い紙に、像を描いてワタルの前で具現化してみせた。
「へぇ、凄いな、まるで魔法みたいだな!」
「え、魔法……?」
「あぁ、魔法。だって絵を描いたらそれが実体化するなんて魔法じゃねぇか? オレサマの仲間にも魔法使う奴がいるけど、これもこれで凄ぇな!」
「あ、はい……ありがとうございます」
結衣はワタルの言葉が、心の底から嬉しかった。顔も少し紅潮しているのが、自分でもわかり、何よりもしばらく出てこなかった笑みが、自然と外へと出ていた。
「なんだ、お前笑うと可愛いじゃん!」
「えっ……!?」
「なんか会う度……って言ってもそんなに会ってないけど、いつも暗い顔してるからさ。ひょっとしたら笑わないのかも、とか思ってたけど……笑えよ、お前。笑ってる方がめっちゃ可愛いぜ?」
「え……え……あのっ」
結衣はこれ以上無いぐらいに、体が小刻みに震え、顔が燃えるような熱さを感じていた。体の中から、外に向かって、何かが爆発しそうな感覚が結衣の体を支配している。
「それに何でお前、いつも一人なんだ? 教室に友達ぐらいいるだろ?」
結衣の表情は一瞬で暗くなってしまう。
「友達は、いません。私……人見知りだから、友達できないんです。それに……それに、中学の頃に虐められて、人と付き合う事が怖くて……」
「……オレサマが言えた口ではないのかもしれねぇけどさ」
「……はい?」
「お前、戦ったのか? 人見知りだと、虐められたと言ってるけど、お前は戦ったのか?」
「……あの、その……」
「ただ待つだけじゃ、ただ逃げるだけじゃ、道は開けない。辛いかもしれないけど、戦って、戦い抜いて、勝たないと、道は開けねぇぞ」
「…………!」
うつむいてしまっている結衣の表情は、ワタルからは一切見えない。
「……オレサマ達は定期的、でもないけど、基本的に屋上でダベってる。仲間も他に三人いるけど、みんな心の底から良い奴だと言えるぐらいに良い奴だ。オレサマはお前にも来てほしい」
「えっ……?」
「だって、お前の可愛い笑顔ってずっと見ててぇもんな!」
無邪気な笑顔を浮かべながら言う。そして勢い良く立ち上がる。
「悪ぃな、辛いのはお前なのに、何か説教みたくなっちゃって」
「あ、いえ……」
「オレサマは響ワタル。今年のリトルウォーズで優勝する男だ!」
「私は……織部結衣です」
「そうか、じゃあオレサマはそろそろ行くわ。じゃあな、織部!」
ワタルは颯爽と走り去っていく。結衣にとっては、約二ヶ月前の光景だった。そしてワタルに誉められた事と、名前を覚えてもらった事で、結衣の心は満たされている。
――ワタルの通った後を、なぞるように結衣も校門の方へと歩く。そして校門を過ぎた所で、結衣を呼び止める声がする。
「やっと見つけたよ、織部。久しぶりじゃなーい?」
「え、この子が探してた子なの? キャハハ、ウケル!」
「……あ……ぁ……!」
そこにはかつて、結衣に暴力を振るった虐めグループのリーダー格の女がいた。
「ちょっち顔かして、ってかアタシの言う事聞けるよね? 中学の時にアタシ自らがボコしてあげたんだから、さぁ?」
偶然なのか、必然なのか、この出来事を見てる人間は、一人もいなかった。