終話 めでたしめでたしは先へと続く
まっすぐに伸びている道を、一台の小型の馬車がゆっくりと走る。
今の領主になってから、真っ先に手をつけられたという街道は、その先から延びた側道で、とある森へと繋がっている。
馬車はその森の前で止まると、御者がゆっくりとその扉を開けた。
御者が手を添えながら、まずは小さな黒髪の少女が降ろされた。その次に、抱き上げられながら、先ほどの少女より幼い薄茶色の髪の少年が降ろされる。
その後、さらに手を添えられながら姿を見せたのは、先ほどの少年とよく似た髪色の女性だった。
「ありがとう」
もうひとり、御者席にいた侍女が、すぐさまその女性に駆け寄り、その手にしていた荷物を受け取った。
「お運びいたしますね」
「ああ、頼む」
奥様と呼ばれた女性は、そのまま、子供達の手をとり、森に歩み寄った。
そして、すぅと息を吸うと、大きな声でその森に声をかけはじめた。
「魔女殿~! おられるか、魔女殿~!」
その声に続き、子供達も騒ぎ立てはじめる。
「ばぁば~!」
「ばぁば」
「うるさいよ! あんた達!」
呼びはじめてそれほどもたたない間に、そこに音もなく姿を現した老女を見て、侍女と御者はすぐさま跪いた。
「魔女殿、今日もお元気そうで何より!」
「あんたもね、もう三人の母親になるんだから、もう少し落ち着いたらどうだい」
名もなき偉大なる魔女に、かつてこのようなことを言われた女は、おそらく彼女くらいのものだろう。
第三子を宿し、産み月間近のアガタは、平然とその魔女に微笑んだ。
「もうこれは一生治らないと夫からも言われているから、魔女殿も諦めていただけたらありがたいのですが」
「はいはいはい! まったく。で、子供達までつれてなんの用だい。うるさく森の外で騒いで」
「まだ、魔女殿の家に子供達は早いと先日叱られたと夫から聞き及んだので、森の外からお呼びすることにしただけです。何でしたら、外に呼び鈴でもつけていただければもっと静かにお呼びできるかも知れませんが」
「何言ってんだい。呼び鈴をつけたら、あんたらのことだからじゃんじゃか鳴らすんだろ。で、用件は?」
「今年は、葡萄の出来がよかったので、魔女殿にも今年仕込んだ酒のおすそわけです」
それを聞いた瞬間、魔女の機嫌はすぐさま戻った。
もとより、魔女とは気まぐれで、山の天気よりもあっけなく、ころころとその機嫌は変わる。付きあう方はたいへんではあるが、アガタはこの魔女との付きあいはそれほど苦ではなかった。
「飲めるのは来年だそうですから、今から飲めるものも、瓶に用意しました」
「おや、気がきくね!」
籠を受け取り大喜びの魔女の前で、子供達もきゃっきゃっと笑っていた。
「おいしーおいしーよ」
「おや、おちび。あんたはまだ飲めりゃしないだろ」
小さな男の子の声に、魔女が目を眇めながらしっかりと叱りつける。
「最近、この子は大人の言葉をまねるのが楽しいらしい。きっと、醸造所での言葉を聞いていたんだな」
「まったく。母親のあんたも、そろそろ娘らしい言葉遣いをしないと、子供のためにならないんじゃないのかい」
それに答えたのは、その娘本人だった。
「だいじょうぶ、ばぁば! 父さまのまねをすればいいって、母さまが言ってる!」
「そういう割りには、母親に似てるよあんた」
元気のいいところなど、母親そっくりである。呆れたように魔女は呟き、用はすんだろうとしっしとその場から一家を追い払った。
「ああ……あんたの腹の子、男だね」
帰り際、背後から聞こえた魔女の声に、アガタは振り返った。
「酒の礼だよ。茶は、今のあんただと、飲んだ途端に子供が飛び出してきかねないからね!」
魔女がにやりと笑って消えるのを見ながら、アガタは森の奥まで聞こえそうな声で、礼を告げた。
「さあ、ばぁばにも会えたし、屋敷へ帰ろうか」
「はぁい!」
小さな二人と、それぞれ右と左で手を繋ぎながら、馬車に向かって歩み寄る。
「……あ!」
その途中で、娘が突然大きな声を上げて、茂みへと駆け寄った。
「リディア?」
「母さま、猫がいる!」
娘のリディアが、その小さな手を伸ばして抱き上げたのは、どこかで見たようなぶちの子猫だった。その猫を見て、アガタは目を見開いた。
「ぶち猫……これはまた、驚くほどイーヴォに似てるな」
「父さま? 父さまは猫じゃないよ?」
頭にあるぶちの加減も、尻尾の先っぽだけ黒いところも、かつてのイーヴォの懐かしい姿を思わせる。その時代は、さすがにアガタも服の下までは見たことがないので、他の部分はわからないが、これは是非に夫と、家族同然の使用人達にも見せてやらねばと思った。
アガタは、きょろきょろと周囲を見渡した挙げ句に、ふたたび森の中に向かって問いかけた。
「あ~……すまない魔女殿! こちらのぶち猫は、魔女殿のお知りあいかな?」
娘の手の中で、その声を聞いたまだ小さな子猫は、暴れることなく大きな目を見開いて硬直した。
そして、アガタの問いかけのあとを追いかけるように、近くにいた小鳥から、魔女の声が聞こえてきた。
「知らないよ!」
「つれて帰っても、大丈夫か?」
「好きにしな!」
それを聞いて、アガタはふたたび、子供達に向き直った。
「よし、魔女殿のお許しももらったし、その子はつれて帰ろうか」
「いいの!?」
娘のリディアは、頬を赤く染めて喜び、侍女から渡された布で、優しく子猫を包み込んだ。
「昔から、ぶちの猫は、母様にとって、幸運の使者なんだ。黒白ぶちの猫は、いつもいつも、いいことを運んできてくれるんだよ」
「そうなの?」
「ああ、そうさ」
幼い頃、ひとりで森に入り、迷子になった時は、親友のぶち猫が心配そうに迎えに来てくれた。
その思い出の親友は、大切な夫であるイーヴォとの出会いのきっかけとなった。そしてその親友と同じ模様を持っていたイーヴォは、共に幸せを求める夫婦となり、かわいい子供達を与えてくれた。
「この子もきっと、幸せを運んでくれるよ。だから、大切にしような」
「うん!」
「そういう時は、ハイだ」
「あい」
姉の代わりにか、息子のリベリオが、元気よく手を上げ返事をした。
笑い合う親子のいる道の向こうに、騎影が見えた。
それが、夫イーヴォが今朝がた乗っていった馬だと気がついたアガタは、大きく手を振る。
どうやら、自分達を追いかけてきたらしいと気がついたアガタは、夫の到着までしばらくこの場に留まりながら、子供達が楽しそうに猫を構う姿を見守っていた。
「ねえ母さま。父さま、今日もお話を聞かせてくれるかな」
「お父様は、リディアにお願いされたら、何でも聞いてくれるだろう? どんなお話が聞きたいんだ?」
「あのね、あのね……いつも父さまがお話してくれる、王子様を、お姫様が助けるやつがいい」
無邪気な娘のお願いを、夫はいつもの穏やかな笑顔で叶えるだろう。
物語は、いつもめでたしめでたしで終わる。
しかしアガタにとっては、めでたしめでたしのあとも、幸せな物語は長く、長く続いていくのである。
了