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魔法少女ヒギリ×シルヴィア  作者: 鈍痛剣
Chapter3.ガラスの未来
9/13

『ガラスの未来』3

 火立山における粛清者の襲撃事件の報せは、夕食を囲む朱莉と紗雪の元にも届いていた。そしてその報せはやはり二人に少なからぬ衝撃を与えた。

「みらさんは緊急手術中、拉致された相模刑事の安否はいまだ不明とのことですわ……」

「まさか相模さんにまで危害を加えるなんて……粛清者だなんて久々に聞いたと思ってたけど、あたし達が思ってる以上に奴ら、なりふり構ってないな」

 二人で一緒に作ったカレーは既に冷めてしまっている。とても食事が喉を通るような心持ちではいられない。

 この日、紗雪と二人きりで水入らずの時間を存分に満喫したことを思い出し、朱莉の胸は暗澹とした想いで一杯になった。

 どちらにせよ朱莉にできる事は何もなかった。だが、だからと言って諦めきれるものでもない。

 そんな行き場のない憤りに苛まされる朱莉の手を、紗雪の手がそっと包み込む。二つの指輪が触れ合い、小さく音を鳴らした。

「朱莉。いかに痛ましい出来事であろうとも、過ぎたことは変えられませんわ」

「……そうだね。あたし達も気をつけなきゃ」

「わたくしが朱莉を守りますの……」



 粛清者襲撃事件の連絡を済ませ通話を切ると、辛うじて保っていた力が手から抜け落ちる。枝里の身体はひどく震えていた。

 異対部からの要請に応え、みらを向かわせる判断を下したのは枝里だった。そのとき席を外していたアナトにわざわざ意見を訊ねるわけにもいかず、独断で指示を出したのだ。

 アナトが会談出席にむけた準備に追われているため、こういった緊急時の指揮権は実質、枝里に託されていた。そして有事にあたっての対応は決して過不足ない、上出来なものだった。

 故に枝里を咎める声はどこにもない。アナトですら“仕方なかった”と労いの言葉をくれる。だが枝里にとってはむしろ、非難されないことこそが何より辛い。

 みらを傷つけたのは私だ。相模さんを捕らわれてしまったのも、私に責任の一旦がある。

 自己憐憫でも何でもなく心からそう思う。故にこそ、労いの言葉が傷口にいたく染み渡る。

 明かりは月光のみとなったオフィスの中、仕切られた小さなスペースで枝里はひとり崩れ落ちた。



 足音はおろか衣擦れや小さな息遣いさえも響き渡らせる、がらんどうの用水トンネル。クル・ヌ・ギアの本拠地であるここがイヴァナは嫌いで嫌いで仕方なかった。

 トンネルの奥から、金属がねじ切れる音にも似た悲痛な叫びが響き渡る。コリウスの悲鳴だ。

 イヴァナの知りうる限り、コリウスを使った生体実験は3日に1度の頻度で繰り返されていた。クル・ヌ・ギアの代表・エレシュキガルの弁によれば『属性を付与することで存在そのものを変質させる』だとか、『あまねく業と因果を束ね、この世のシステムを司る一部となる』だとか、小難しい理屈をこねては実験内容を誇って憚らない。

 世界を救う素晴らしき深遠なる実験なのだから、コリウスがいくら苦しもうと構わないのだという。実験の果てにコリウスの心が壊れてしまっても、それは尊いことなのだという。

 ――知ったことか。コリウスを、あのか弱く儚い少女を破壊する行為に正当性などあるはずがない。こんな惨いことを施さなければ救われない世界など、とっとと滅びてしまえ――。

 心の中でだけは好き放題に罵倒できる。だが現実では、イヴァナにそんな事を言えるほどの立場も力もない。

 出来ることといえば、コリウスの悲鳴が聞こえている間ずっと耳を塞いでいることだけである。

 途方もなく広いこのがらんどうは、コリウスの悲鳴をじっくりと何度も味わわせるようにこだます。やはり嫌いだ。

 実験が終わったら、手持ちのMADをうんと分け与えてあげよう。今月は支給量が少なかったから、ほとんどがコリウスに与える分になってしまうけど、それでも我慢しよう。たとえ禁断症状に身を焼かれても、一時でもコリウスが痛みを忘れてくれるならそれでいい――。

「イヴァナちん、泣いちゃってるのかナ~?」

「うるさい! 黙れ黙れ黙れ!!!」

「アハッ、辛そうだネ~! こんなシーンは寄りの画デ、ディゾルブを多用しながら劇的に魅せたくなるヨ!」

 どこからともなくイヴァナの背後に現れたリンドウが醜悪な嗤い声をあげる。カメラのファインダーを指を合わせて模し部屋の中を跳ね回る姿は、無邪気な幼児のようだ。

 そう、リンドウは無邪気である。常に興味の赴くまま、幼児のように周りを省みず好き放題“遊んでいる”。

 イヴァナはそんなリンドウの幼稚な性格を心から憎悪していた。否、正確には彼女のような歪みを生み出してしまうこの世の不条理を呪っていた。

 この醜い化け物も、少女を醜悪な獣に変えてしまうMADも、コリウスを破壊するエレシュキガルも、コリウスを救えない自分も、救いの手を差し伸べてくれない社会も、それらの存在を許し放っておくこの世界そのものも、何もかも。

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!! 消えろ! 五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い!!!」

「アレレ~? もしかして症状出ちゃってるカンジ? あんな人形にMADを分けてあげちゃうからサ~」

 クル・ヌ・ギアでは報酬の一部として、俗にMADと呼ばれる魔術ドラッグを支給している。MADはエレシュキガルの開発したドラッグで、クル・ヌ・ギア内だけでしか扱われない文字通り幻の品である。

 一説には幻獣すらも容易く依存症にさせてしまう魔術史上最悪級のドラッグとされ、クル・ヌ・ギアの魔法少女たちは強制的に依存体質にされてしまうためエレシュキガルに逆らえなくなる。

「ああああああああああああ!!! ィィィィイイイイャァアアァァァ!!!!」

「う~ン、ちょっと五月蝿いヨ。イヴァナちん」

 最早意味ある言葉すら発せないイヴァナの絶叫。それに絶えかねたリンドウの顔から、ふっと表情が消え失せる。

 リンドウはおもむろに手を天井にかざし、指を鳴らす。まるで予めプログラムされていたかのように勿体付けも見得もないその無感動な所作は、やがて“無感動”という概念そのものを伝染させるように、イヴァナを黙らせてしまった。

 完全に静止したイヴァナの姿を見て機嫌を直したらしいリンドウは、ふたたび幼児のような屈託ない笑顔に戻ったかと思うと、躊躇いなくイヴァナの唇に口付けする。

 もう一度指を鳴らすと、こんどはイヴァナのほうからリンドウの口腔に舌を絡ませてきた。ますます上機嫌なリンドウは、派手に音を立てながらイヴァナの舌をすすり上げ、快感に身をよじる。

「はァ、ふゥ……今日であの人形の調整も終わりだってサ、良かったネ。…………でもボク……イヴァナちんの苦痛と憎悪に悶える顔をまだ見てたいヨ…………。素直なイヴァナちんも悪くないけド、やっぱりサ」

 リンドウはもう一度ニヤリと歪に嗤い、動かぬイヴァナの首筋にMADを注射する。

 悪寒に似た激烈な快感が背筋を刺し貫く。釣り上げられた魚のようにのた打つイヴァナの痩躯。

 やがて快楽と衝撃のなかで朦朧としながら意識を取り戻したイヴァナは、リンドウに舌を啄ばまれていることに気がついた。

「ぷはっ……クヒヒヒ! 動けないかナ? たった今打ったばかりだからサ……ボクの支給品だヨ? かわりにお礼を貰わないとネ!」

 幻覚症状が抜け切らず身体に力が入らないイヴァナは、混濁する視界のなかでハッキリと“リンドウに蹂躙された”という事実だけは認識した。

 今すぐにでも舌を噛み千切ってやりたい。こいつだけは絶対に殺す。

 ――はらわたの煮えくり返るような思いを終ぞ晴らせぬまま、イヴァナはその後十数分にわたってリンドウに弄ばれた。



 シルヴィアが居室に戻ると、部屋の照明は既に落とされていた。ベッドでは緋桐が不貞寝をしている。よほど機嫌を損ねてしまったのだろう。

 所在なく佇むほかに出来ることもなく、静まり返った部屋の空気ばかりがひたすら重く肺に圧し掛かる。シルヴィアには知人とケンカをした経験自体が不足しているから、仲直りの手順も無論わからない。

 思い当たることと言えば、今しがたアナトから受けた助言くらいだろうか。別れ際の言葉が気がかりでならないものの、他に打開するすべもない。

「ヒギリ。先ほどは……悪かった」

「…………」

「冷静さを欠いていたのは私だった」

 謝罪の言葉は無音の闇に虚しく飲まれていく。

 まるで空気も音も存在しない宇宙空間のようだ、とシルヴィアは思った。このまま緋桐が反応を返してくれなかったなら、きっと窒息してしまう。

 しかしそんな擬似宇宙でも、言葉は確かに伝わっていたらしい。

「…………シルヴィアちゃんは私が言ったことの何が気に入らなかったの?」

 緋桐はベッドから起き上がるでもなく、壁を見つめたままシルヴィアに背を向ける格好で返事をしてきた。

 内心ほっとしながらも、会話が続いたことにはまた別の息苦しさを感じる。

「気に入らなかったわけではない。ただ、危険な兆候があるように感じたから釘を刺しておきたかった」

「危険な兆候?」

「……ヒギリは、加藤みらを傷つけた粛清者のことを……そんなものを存在させるこの世のあり方をどうしたい?」

「許せないに決まってるよ。出来ることならこの手で打ち壊したい」

「それが危険な兆候……ヒギリは簡単に人を殺せてしまう素質を持っている。力を振るい解決することに肯定的でいると、いつか取り返しのつかないことになる」

「簡単に人を殺せてしまう素質……この前の、敵の拠点に乗り込んだときのこと?」

「そう」

「……たしかにこの前の私は、怒りに身を任せて……敵を殺そうとしたよ。でも言ったよね。私が迷ってる間に誰かが悲しむくらいなら、もう躊躇らわないって。ほかに方法もないでしょ?」

「必要に迫られている場合はそうすべきかもしれない。だが暴力を振るうことに疑問を感じなくなってしまうのはいけない。私は以前こう言った。傷つける痛みを知らなければ、痛みから身を守ることもできないと」

「シルヴィアちゃんにそんなこと言えるの? ……私覚えてるよ。病院でクル・ヌ・ギアの魔法少女が襲ってきたあの時。シルヴィアちゃんが相手をいたぶるように痛めつけていたこと」

「……確かに……私も暴力的な衝動を抑えきれなくなってしまう時がある。私もそういう種類の人間」

「だったら!」

「だからこそヒギリには私のようになって欲しくない」

「……私はそれを望んでる。私はシルヴィアちゃんのようになりたい。シルヴィアちゃんと肩を並べられる魔法少女でいたい!」

「そんなものはいらない」

「…………そう。私は足手纏いのままでいろって言いたいんだね」

「そうは言っていない」

「そうでしょ。私が戦って、悪者を倒すことで誰かを守るということを、否定してる」

「違う」

「違わない! 少なくとも私にとっては。……力を振るう事を躊躇っていれば、大切なものすら守れない。そうするしかないって思い知った。それは今の私に唯一できること。魔法少女として成すべきことじゃないかな」

「………………」

「たった一つの私に出来ること……それすら苦悩しなきゃいけないなんて残酷すぎるよ。極論、シルヴィアちゃんは私に魔法少女をやめて欲しいって思ってるんじゃない?」

「…………それは」

「私は戦いたくて仕方ない。シルヴィアちゃんが何と言おうと」

「…………」

 緋桐はようやく起き上がり、シルヴィアに視線を向ける。その目に空元気を振りまいていた午前中の明るさは一条たりともない。

 シルヴィアは鏡越しに自分を見ているような錯覚を覚えた。

 肉を喰らい血を啜る肉食獣の目。獲物を無情に狩る狩猟者の目。戦闘に際したシルヴィアの出で立ちをそれらのモチーフに比喩するならば、むべなるかな、緋桐の願望と覚悟はほぼ達成されていると言えるだろう。

 そしてその視線が敵に向けられるものだということを踏まえると、今見つめあっているシルヴィアももしかしたら敵視の対象にあるのかもしれない。

「ねぇ。シルヴィアちゃんはどうして、私が戦うことを恐れてるの?」

「…………」

「私、なんとなく気付いてるよ。シルヴィアちゃん、何か隠し事をしてるよね。それも私の過去について。

 私たちはイシュタルで出逢う以前から面識があったはず。そのことをなぜか私は覚えていなかった……これおかしいよね。もしかしてシルヴィアちゃん、何か知られたくないことがあって、私の記憶を消したんじゃないの?」

「私からは何も言えない」

「そうくると思った。…………私たち、もうダメかも」

 深く溜め息をつくと、緋桐はふたたびベッドに横になる。もはや話は通じないと断じたのだろう。

 だがシルヴィアは違った。

「……私はヒギリのことを好ましく思っている。本当は誰よりも心を許している。だからこそ道を誤ってほしくはない……だけ」

 きっとこの想いは聞き入れてもらえないだろう。いくら言葉を尽くそうとも緋桐の決心はもう覆えせない。惜しむらくはこの時まで言葉でもって上手く想いを伝えきれなかったことだ。

「加藤みらの代役として明日、アナトの警護につくことになった。しばらく会えないと……思う」

「…………」

 緋桐の返事はない。二人の間に埋まることのない溝が出来たことを言外に示す彼女の背中は、悲しいほどに変化を見せなかった。



 火立山での騒動から約半日後、人質として捕らわれた相模が目を覚ましたのは埃まみれの薄暗い洋室だった。

 夜の終わりが近いことを告げる小鳥の囀り。部屋を満たす冷気を視覚化したように、窓から差し込む光は仄かで青い。

 部屋は簡素な机と椅子のみが置かれたひどく殺風景な有様であった。見渡す限り人が住んでいるような痕跡は見て取れない。どこかの廃墟だろうか。

 壁の中央に備えられた暖炉には弱々しくもまだ火が灯っている。粛清者がまだ近くにいるのだろう。両手足に拘束具はまったく施されておらず、“逃げ出せるものなら逃げてみせろ”とでも言いたげだ。

 下手に脱走しようとするのはかえって危険である――そう相模が結論付けた直後、入口の扉が開き粛清者が姿を現した。

「……利口なようだな」

「馬鹿ではないだけさ」

「フン……安心しろ、貴様に危害を加えるつもりはない。ただ話を伺おうと思ってな」

「なんだと?」

 粛清者は懐から数個の缶詰と缶ジュースを取り出し、おもむろにテーブルに並べ始めた。何事かと戸惑う相模に向けて彼は箸を投げ渡してくる。

 どうやら朝食を共にしろと言いたいらしい。粛清者が席に着いたのを見て、相模もおそるおそる向かいの席に着いた。

「貴様の連れていた魔女を攻撃した時、貴様は我に対して激昂したな。あれは何故だ」

「当然だ! あんな子供を傷つけておいて平気でいられる理由こそ俺は理解できない」

「年端のいかぬ童を傷つけることは悪しき行いか」

「本気で言ってるのか……? 子供の未来を守るのは大人の務めだ」

「未来……あの魔女どもにその未来とやらがあると? 笑わせる」

「お前達みたいな連中が未来を奪おうとしてるんだろ」

「さて、それはどうかな」

 それまで凍りついたように無表情を堅持していた粛清者の口元がわずかに笑みを浮かべる。相模にはそれが嘲笑しているように見えた。

「何が可笑しい」

「余りに予想通りの応答をしてくれるものだからな」

「ありきたりだとでも言いたいのか」

「そうとも。ありきたりに過ぎる。幻獣どもが好みそうな模範解答だ」

「……何が言いたい」

「貴様はその小奇麗な欺瞞を疑ったことはあるか?」



 その朝、クル・ヌ・ギアの魔法少女たちはトンネルの中心部に集合させられていた。

 彼女たちがこうして一同に会する機会は非常に稀だ。クル・ヌ・ギアでは魔法少女どうしの横の繋がりがやや薄く、そもそも全体でどれだけの人数が在籍し、どのくらい増減しているかも知らされていない。

 集まった少女たちを一望してみると、総勢で200~300人程度はいる。人種はそれぞれバラバラで、アジア系を筆頭に、北欧系や中東系が比較的多く見られる。それぞれで言語も異なるため会話は少ないようだが、色めき立っていることだけは同じようだ。

 もしかしたら使用言語ごとにグループ分けがなされているのかもしれない、とイヴァナは思った。意識して見ると、確かに人種ごとで寄り集まっている。普段から任務を共にするメンバーどうしで固まっているのだろう。

 黄色人種のゾーンには、先日イヴァナたちが拉致した少女たちもちらほらと見受けられる。イヴァナが直々に抱えて連れ帰ったボブカットのあの少女――名前はたしかゆずといった――もその中にいた。彼女はなにやら他の少女にべったりと縋りついているようだが、相手の顔は人混みにまぎれてよく見えない。

 ともあれ、彼女らもこの牢獄のような環境のなかで依存できる相手を見つけられたのだ。祝ってやれるような立場ではないが、イヴァナは少しだけほっとした。

「待たせたな諸君」

 歌劇団の花形のような低く厳かな声がトンネルに響き渡り、ざわついていた少女たちを一斉に静める。エレシュキガルはいつになく上機嫌そうな面持ちで魔法少女たちの前に現れた。

「今回こうして集合してもらったのは他でもない。我が大望の成就に向けた最初の一歩がついに踏み出されるからである。

 大手魔法少女組織の代表が一同に会し、首脳会議を行うというリークが入った。これは仇敵を一掃するまたとない好機だ。

 幸いなことに、最大の切り札たるコリウスの調整もつい今しがた完了した。よってこれより、オペレーション・ドゥムジッドの本格始動を宣言する。

 この作戦が完遂するとき、王座は必ずや我らのもとに帰すことだろう!」

 エレシュキガルの高らかなる宣言。その力強い言葉に少女たちは歓声とともに一斉に沸き立つ。

 何がそんなに喜ばしいのかイヴァナにはさっぱり理解できなかったが、つい先日拉致されてきたゆずまでもが歓喜を顔に表していることだけは気がかりであった。他の魔法少女たちのことは、自分の考えというものも持たずエレシュキガルに洗脳されている馬鹿ばかりだと見下しているが、ゆずだけはあの倉庫で出会った時から何を考えているのか全く読めないでいる。自ら望んでクル・ヌ・ギアの尖兵となることを望んですらいた。

 彼女は一体何を企てているのか――――そして同時に、彼女の親友だったというイシュタルの魔法少女・ヒギリの存在にも、不安を覚えずにはいられない。



 一方、時を同じくしてイシュタルの本部においても、人数こそ比にならないものの近しい光景が見られた。

 先頭に立ち構えるアナトと、その前に整列する選抜された魔法少女たちの小隊。彼女らはそれぞれ背格好に相応の大きさのバッグを持たされ、さらに各々で装備や荷物の最終確認をしている。

 時刻は間もなく予定の4時。ここまで恙無く支度を済ませてきた魔法少女たちであったが、やはり誰もが緊張の色を隠しきれない。それはシルヴィアとて同じだ。

「よし、そろそろ出発しようかな。重ね重ね忠告するけど、現地に到着するまでは気を引き締めていこう。気負いすぎても駄目だけどね」

 深刻そうな言葉とは裏腹に、アナトの声音は相変わらず穏やかに諭すような響きを孕んでいる。あえていつも通りの態度を保っているのかもしれないが、シルヴィアにはむしろそれこそ不気味だ。

 昨夜のアナトの発言が脳裏に反芻される。みらの代理として選ばれたことも、シルヴィアを監視下に置かんとするためだと考えるといやに合理的だ。緋桐に手出しができないことは双方とも同じ。この遠征すら策を立てるための時間として使うつもりか。

 ひとしきり確認を終えて術式結界へと振り向くアナトの視線が一瞬、シルヴィアの視線と重なる。くりくりしたあの小動物の瞳が何を企てているのかはわからない。ただ宣戦布告の意を暗に突きつけているように思えた。

 歩き出したアナトに続いて、魔法少女たちもコスモス畑を進み始める。

 いぢどだけ寮のほうへ振り向いてみると、部屋の窓からこちらを見守る緋桐の姿があった。彼女の面持ちは暗い。不安なようにもやるせないようにも取れる眼差しが、シルヴィアの胸を締め付ける。



「貴様はこう考えたことはないか。そもそも一般社会と異能社会の乖離こそが、少女どもを不幸な境遇に叩き落している遠因であると」

 粛清者は缶コーヒーを一気に飲み干し、すかさず懐から取り出した二つ目の缶コーヒーを相模に示す。毒など入っていない、とでもアピールしたいのか。

 決して信用はしていないが、しかし粛清者の口ぶりからいって、少なくとも今この場で毒殺を図るようなことはしないだろうと相模は確信した。故に相手が用意した物を警戒する必要は特に感じない。

 気を取り直した相模は缶コーヒーの栓を開いた。

「……まぁ、同意しなくもない。だがそれは既にそこにあるものだろ。既成事実である以上、社会の一側面として受け入れて、より良くしていかなきゃいけないものだ」

「ほう。では少し質問を変えよう……その乖離を招いた者はどんな連中であると教わった?」

「……異能の特権を独占したがっていた奴ら、か」

「然り。あまねく奇跡を思うままに手繰る異能の力は紛うかたなき特権。その特権を人々に振りまき、人間社会を歪めた者たちの正体なら、貴様もよく知っているだろう」

「星の眷属――幻獣たちだと言うのか? 馬鹿言うな。異能の力は大いなる災厄を回避するための力として、幻獣を通して星が人間に授けたものだ。社会の体系がこじれたのは人間の手による副作用だろ」

「だが純正な学問として大成した魔術とは発生の端をして異なる力……無制限能力を生み出したのは、異能の力がもたらした世界の歪みだ。すなわち魔術をもたらし、星の代弁者を騙る幻獣どもに他ならぬ。星の意思がみずから己が理を歪めるとは、些か以上に不自然な話であると思わぬか?」

「それだって災厄を防ぐ手立てとして仕方のない副作用かもしれないだろう」

「ならば大いなる災厄に対して明快な策を取ることもなく、数十年もの時を魔術社会の整備に費やした事実を鑑みてみよ。奴らは未だ以って魔術社会の治安ばかりにしか興味を向けておらぬ。まるで災厄の予言が口実でしかないかのように。……連中がこの社会の有様を意図的に歪め、そして耳触りの良い建前とは裏腹に思いも寄らぬ企てを立てている……そう疑うても決しておかしくはあるまい? そも大いなる災厄とは何たるや? 人々の思い描く“災厄”と幻獣どもにとっての“災厄”は果たして等しきものか? 星の意思は、彼奴ら幻獣どもは、人の同胞であるのか?」

「………………」

 反論は出来なかった。正確には、反論する気が削がれた。

 結論から言って、粛清者の問いに確たる自信を持ってYESと答えることは不可能に近い。そもそも憶測を根拠にした疑惑を否定して見せろというのは不条理である。

 裏を返せば憶測の不確定性を突いてやることも出来るのだが、一方でその憶測を切って捨てることができない気持ちもあった。

「結局お前は、俺になにを吹き込みたいんだ? どうしてこんな問答をする?」

「……瀬川恭参。貴様の師は我の協力者だった」

「っ……なんだと!?」

 唐突な暴露を前に、頭を殴られたような衝撃が相模を襲う。

 粛清者を憎む気持ちが揺らぎ、瀬川へ抱いていた印象が音を立てて瓦解していく。くらくらとして覚束ない感覚が、頭のなかで渦巻く情報と感情の奔流をさらにかき乱す。

 相模にとって唯一信じるべきものが瀬川の存在だったというのに。

「若き日の奴は今の貴様と同様に、異能社会の不条理を受け入れんとするあまり苦悩していた。だがある時、幻獣どもの秘め事の一部を目の当たりに見た。…………知りたいか。貴様の師が知った事実、奴の理想の原初を」

「…………話せ」

「……今の貴様には明かせぬ。貴様は志、実力ともに未だ分不相応だ。これを知れば後戻りなど叶わない。幻獣どもが創り上げた社会のすべてが敵となる。あの幼き魔女どもを手に掛ける覚悟、貴様にはなかろう?」

「たとえ瀬川さんがお前の同志だったとしても…………彼女らを傷つけ、命すら奪おうとする行為に……やはり正当性があるとは思えない。本当にそこに相応の意味があるのか」

「……真相の一部は、火立山の遺跡にある。そして魔法少女どもは文字通り、彼奴らの傀儡だということ。今明かせるのはそれだけだ」

「………………」

「果たして貴様は我が同胞に値する男となるか……見物だな」

 不敵な笑みを浮かべると、粛清者は袖から包帯を引き抜いた。包帯はどこからどこまでが傷口を覆っていた部分なのかも分からないほど真っ赤に染まっている。

 会話の中ではおくびにも立てなかったが、昨日の傷は殊のほか重いらしい。しかし粛清者はあくまで痛がる素振りを見せず、平然と席を立つ。

 未だ気持ちの整理がつかない相模は、部屋を出ようとする粛清者の背中に縋るように声を搾り出した。

「お前は一体何なんだ……。なぜそこまで異能を…………この世界を疑う?」

 相模の情けない声音に、粛清者は眉をひそめて振り返る。彼の眼には、みらと対峙した時と同じ暗い焔が宿っていた。

「無制限能力には先天的に生まれ持つものと、後天的に宿るものの二つがある。先天性のものは生れ落ちた時から制御できる場合が多いが、後天的なものを制御する為には鍛錬と時が要される。それが招く惨状、想像に難しくはあるまい」

「……お前、無制限能力者なのか」

「我が名はシリウス。我が憤懣の源は世界への疑念そのもの。…………相模直人。次に会する時、貴様が何を得、如何に変わったか……我が見極めてやろう」




 かつて中小企業の事務所やレストランを抱えていた通称項岳堂ビルと呼ばれるその建物は、羅列するテナント募集のポスターが示す通り、いまや事実上の廃ビルの様相を呈している。

 数年前まではここに足を運ぶ人々も決して多くはないが少なくもなく、それなりの存在感を持ち合せていたのだが、ある時期を境にはたと人気を失くしていった。そうなった元凶は従業者の失態でなければまして区画的風水的立地条件などでもなく、クル・ヌ・ギアの魔法少女が定期的に展開する人除けの術のためだ。

 クル・ヌ・ギアがこのビルを求めた理由はただ一つ、目標の建物へと移動するためのたんなる隠し通路。

 4階の空きオフィスの窓から隣接するビルへ渡り、その一階の裏口から更に隣接するビルの裏口へと入り、屋上からそのまた隣にあるビルへと伝い……こうして次々とビルの間を渡った先に行き着くのは、やはり小さな空きオフィスだ。そこに待ち受けるのはボロボロの床に直に設置された望遠鏡、布団、テーブル、そして無造作に打ち捨てられたゴミの山。刑事ドラマに登場する張り込み部屋の数倍は小汚いであろうここの主は、一人の冴えない少女であった。

 痛んでぼさぼさになった前髪の奥にフルリムのやぼったい眼鏡を光らせる、ことさら不気味な出で立ち。荒れてかさかさになった唇、血色の悪い肌に赤らんだ鼻が目立つ、見たところ14、5ほどの小柄な少女。クル・ヌ・ギアにおいて諜報の任の担う彼女は名をリーナといった。

 十余名の仲間を引き連れ先述のルートからオフィスを訪れたリンドウは、リーナの顔を認めるなりニヤリと笑ってみせる。リーナのほうもぎこちなく笑い返し、首から下げていた双眼鏡を差し出した。

「リーナ! ひさしぶりだネ~! 首尾はどうかナ?」

「せ、先方に……気付かれる、素振り……フヒッ……全く、ナシ……ただ……そ、想定外……が、一つ」

 受け取った双眼鏡を覗き見ると、観察地点に明らかなる不審者が一人佇んでいた。漆黒の法衣に身を包んだ長身の男性、粛清者シリウスだ。彼はなにやらプラスチックのカードを手にし、周囲をきょろきょろと見回している。何かを探しているらしい。

「粛清者……これはラッキーかアンラッキーなのカ、たしかに判断に困るネ」

「あまリ……長くみ、見ない……ほうが、いい…………結構す、するどい……から」

 リーナの冗長な忠告から間もなくしてシリウスの眼がこちら側へ向く。あわてて双眼鏡を下ろした為に視線が交わることこそ無かったが、向こうは視線を向けられていることに薄々感付きかけていた。これ以上の観察は危険かもしれない。

 わずか数秒の出来事であったが、相手の並々ならぬ能力の一端を知るには充分だった。だが同時にその利用価値も大いに認められる。危険な賭けではあるが、リンドウはこれを“ラッキー”であると断じた。

「アレに露払いを任せてみよっかナ~……それで燻り出されたムシケラをボクらが一網打尽。準備が整い次第突入しテ、疲弊したアレごとまるごと殲滅……ってとこが妥当カナ?」

「フフヒッ…………さ、さすがリンドウ、ちゃん……ちょ、超……クレバー……!」

「ケイパームービーみたいな展開になってきたネ! ポイントは落ち度を見せないコト。ちょっとでも落ち度があると小物に見えて、計画失敗の前振りになっちゃうのがセオリーだからネ」

「クッ……フヒヒヒッ……」

 リーナにはリンドウが何を言っているのかさっぱり分からなかったが、とかく愉快なジョークを言っているのであろう事だけはなんとなく伝わる。そんなフィーリングを共有していると遠足を前にした子供のように心が浮き立ってきて、笑いを噛み殺すのが大変だ。

 二人の耳障りで気味の悪いひそひそ笑いは共鳴して更なる不協和音へと変わっていく。その様子を黙したまま見守る十余名の魔法少女たちのなかには、コリウスの姿もあった。



「あぁ、この子はねェ……今も行方不明なんでしょう? ご両親も亡くなったみたいだし、ぞっとするわねぇ。なにか危ないことにでも関わってたんじゃないの?」

 案の定とも言うべき聞き飽きた回答。和田町で聞き込みを開始した朱莉を待ち受けていたのは、概ねその程度の情報のみだった。無論、進捗がなかったわけではない。

 枝里が手渡した写真に映っていた三人は夏目という姓の一家。名前はそれぞれ、亭主の伸一郎、その妻の真美、長女の綾。彼女らはここ和田町の隣町、琴江町に住んでいたらしい。そして先述の通り伸一郎と正美は死亡し、綾は行方不明のままだという。

 ここまでの情報は別段、特筆に値することもない。おおかた、両親殺害のうえクル・ヌ・ギアに拉致されたものだろうと予想がつく。おそらく緋桐も同様の手段を取られようとしていた。

 ただ一つ奇妙な事として、伸一郎と真美の死去がつい最近だったという点において情報提供者の意見は一致しているのに、綾が失踪した時期についてだけは、今年の初めごろと梅雨ごろの二つにはっきりと分かれてしまっているのだ。情報提供者のうち何人かは、年の初めごろと梅雨ごろの二度失踪騒ぎになったとも言っている。

 仮に二度失踪したという情報を事実として、拉致される以前にも失踪騒ぎがあったというのは気がかりな情報である。たんなる家出だったかもしれないと片付けることは容易だが、朱莉の嗅覚はどうにもこの疑問を看過することができない。

 聞き込みを一旦止めた朱莉は、合流した紗雪にこの旨を話した。

「夏目綾は二度失踪していた、というわけですのね……。それを踏まえると、わたくしの得た情報もますます謎めいてきましたわ」

「謎?」

「えぇ。聞くところによると緋桐もその夏目綾と同様、二度の失踪騒ぎがあったらしいですの」

「緋桐も……?」

 イシュタルに匿われ、魔法少女として裏社会で生きることとなった緋桐は、地元・和田町では事実上の消息を絶ったことにされている。これが二つの失踪騒ぎのうち一つに当たる。

 だが過去にも一度失踪したことがあるという話は、緋桐自身は無論、アナトや枝里からすらも聞いたことがない。意図的に伏せている事なのかどうかは別としても、何かしら重要な鍵に密接しているであろうことは疑う余地もないだろう。

「両親を殺害されただけではなく、過去に失踪した事があるところまで夏目綾と共通していますのね」

「緋桐と夏目綾が同じような運命を辿っているんならさ、逆に夏目綾もどっかの魔法少女組織に入ったって可能性もあるかな? クル・ヌ・ギアとか……」

「可能性は大きいですわね。ただそう考えた場合、過去の失踪もクル・ヌ・ギアが噛んでいたという線が濃くなりますの。おそらく、両親の死にも……」

「ってなると、緋桐だけ無事で済んだことがちょっと怪しいよなぁ。あたしは別に緋桐を疑ってるわけじゃないけどさ」

「わたくしもあの子がスパイだなんて事は、まずあり得ないと信じてますの。でも何かしらの秘密があることは間違いありませんわね」

「そこを突き詰めれば、クル・ヌ・ギアの企みがわかるかもしれない、か」

 持ち合った情報はひとしきり整理した。できることなら引き続き次の捜査方針について語り合いたいところであったが、この数分の間に早急に片付けなければならない問題が新たに一つ発生していたらしい。

 朱莉は背後にある塀の影に振り向き、あきれ声で悪態をついた。

「ところで……そこにいる奴さ。どこから送られてきたかは知らんけど、尾行はちょっと向いてないみたいだよ」

「あら朱莉、気付いていましたの?」

「紗雪の魔法がなくてもあの程度は……なぁ」

「くそっ……」

 物陰に隠れていた黒服の男が走り出す。出で立ちを見るに、件の誘拐事件を実行していた組織の一味のようだ。

 クル・ヌ・ギアの動向について話し合っていたところで彼らが尻尾を見せるとは、まさに渡りに船である。

 逃げ去る男を目で追いながら、朱莉は軽いストレッチをして余裕を示す。その傍らで紗雪もどこか期待している様子だ。

「久々の追跡戦ってわけだねぇ。紗雪、一応さっき話し合ったことも込みで枝里さんに連絡しといて」

「了解ですわ」

 すでに男の姿は百メートル近く遠ざかっている。だがそんなことでは焦りすら見せず、満を持して朱莉は走り出した。



 イシュタル本部への転移結界は専用のパスを持つ者のみに門を開く。その通行履歴はオフィスにあるディスプレイで確認できるようになっていた。

 午前11時34分。新たにディスプレイの情報が更新され、たった今結界を通った者の名が表示される。表示された名前は相模直人。拉致され安否不明となっていたはずの刑事の名だ。

 すでに昨日の事件が知れ渡っているオフィスでは、居合わせた魔法少女や事務員たちが騒然とした。一同は生還した相模を迎えようと窓際に集まる。

 だがコスモス畑を抜けて姿を現したのは、黒衣を纏った長身の男、粛清者シリウスであった。

 期待を裏切る最悪の来訪者。想定外の襲撃に、少女たちは口々になぜだと戸惑う。

 粛清者は相模の持つパスを利用したのだろう。問題はなぜ彼が転移結界の座標を知っているのかという点にある。いくらパスがあろうとも入口の座標を知らなければ意味がない、そう高を括っていたイシュタル関係者たちの見通しは完全に裏目に出た。少なくともこんな短期間のうちに襲撃を受けるとは誰も予想し得ない。

 緊急連絡を受けて駆けつけた枝里がすかさず魔法少女たちに指示を出す。

「警報鳴らして! オフィスにいる子はみんなマジカライズライフルを武装、散開しつつ迎撃! 寮にいる子たちも事態を把握し次第、迎撃に加わるのよ!」

「非戦闘員はどうします!?」

「アナトに連絡したあと、会長を連れてひとまずオフィス棟最上階に退避! 迎撃にあたる子たちは非戦闘員の退避を確認後、敵を寮棟に誘い込んで!」

 枝里の指示は手際よく鮮やかなものだ。非常事態にあたって取り乱すことのない彼女の姿勢に後押しされ、居合わせた少女たちは早鐘を打つ胸を抑えながらそれぞれの持ち場へと走る。だが内心、最も焦りを感じているのは他ならぬ枝里だった。

 アナトが留守にしているこのタイミングでの襲撃。本部に残った全員の命を預かっている身として、これ以上に恐ろしいことはない。戦闘開始を告げる銃声が、心臓に殴られたような衝撃を走らせる。

 イシュタル創設以来、最悪の一日が幕を開けようとしていた。



 黒服の男を追って朱莉が辿りついた場所は、先日の町外れとは真反対の埠頭だった。だがやはりここでも彼らの潜伏場所は倉庫の中にあるらしい。

 男はよほど格の低い素人だったらしく、こちらがひとたび姿を隠してみるとすっかり警戒を解いてしまったので、朱莉としては少々物足りないほどに容易い追尾であった。

 倉庫に入っていく男の背中を見送ったあと、朱莉はひとまず近くのコンテナの陰に隠れ、紗雪と連絡を取ることにした。

「潜伏場所についたよ紗雪。埠頭の北側、四二番倉庫だ」

『了解。今から向かいますわ』

「ところで枝里さんからは何て?」

『それが……連絡が取れないのです。いくらやり直しても全く駄目ですわ』

「うぅん……応答があるまで待つっていうのも難しいなぁ。その間に警備を強化されちゃ溜まったもんじゃないしさ。いっそあたしらだけで制圧してみない?」

 携帯のスピーカーを一旦離し倉庫のほうへ耳を傾けてみると、なにやら怒声が飛んでいるようだった。すぐそばとはいえ、倉庫とコンテナの壁を挟んでいる現状では彼らの会話の仔細までは聴き取れない。加えて、本来なら術者の発する音のみを断つ遮音結界も、結界魔術を不得手とする朱莉の場合では外界からの音まで減じてしまう。

 だが想像するだけなら難しくはない。おおかた、尾行に失敗したことを叱責されているあたりだろう。

『いくらなんでもそれは危険ではなくて? ここは一旦退きましょう』

 警備を強化する兆しがまだない今なら、潜入して構成員を一人ずつ仕留めていくことも出来なくはない。しかし万一の事態を考えると、枝里との連絡が途絶されているうえ、紗雪との合流にも多少の時を要するこの状況は後々に不都合だ。

 リスクとリターンの比はぎりぎりまで天秤を揺らしたが、やはり僅差で前者が勝利する。ここは退くのが賢い選択だろう。

「それもそう、か……仕方ない。ま、撤退する前にちょっとでも盗み聞きしておくとするよ」

 朱莉は通話を切ると、改めて倉庫内の声に傾注する。同時に遮音結界を解いたため、先ほどよりは幾らか会話が聞き取りやすい。

 そうして最初に耳に入ってきた言葉は、思いがけず朱莉を凍りつかせた。

「言うても魔法少女に跡つけられてるかもしれませんぜ? どうしますか龍蔵さん」

 “龍蔵”。

 虎総院家を滅ぼし、朱莉に一生のトラウマを植えつけた者どもの姓。最も忌々しく酸鼻な死を想起させるワード。

 その二文字を聴くことはもう無いだろうと信じて疑いなどしていなかった朱莉は、不意のあまり崩れ落ちる。それによって発してしまう音などに思慮は及ばない。心の中は恐怖の念のみに支配されていた。

 倉庫内の男達がそれに気付いたことなどは言うに及ばない。徐々に足音が数を増して朱莉のもとへ集まりはじめる。

 逃げ出したくとも足がすくんで立ち上がれない。朱莉は無情に迫る絶望の時を、ただ成す術もなく待っているしか出来なかった。



 術式陣を通って未知数の距離を瞬く間に転移し、辿り着いた地点から次の転移陣を目指し十数キロの道のりを歩む。そんな行程を四回ほど繰り返した頃にもなると、もはや自分がどこの国に立っているのかすらもわからなくなる。標高にして二千メートルは優に超えるであろう山中の岩場が現在、アナトら会談組の休憩地点であった。

 予定されていた道程の半分を昼前までに消化できたのは嬉しい誤算だが、山に入ってから進行速度が落ちているところを見ると、結果的に到着時刻は当初の予定と変わらなくなりそうだ。いかに魔法少女と言えど、転移によって急激に高度が変わることの弊害は少なからずあろう。常人の数倍の能力を持つ彼女らだが、高地への完全順応には少なく見積もって三、四時間はかかる。加えて、数年前から非常用のルートとして確保していたここには、簡易な術式不干渉結界《アンチマジカルフィールド》が張り巡らされていて、魔法少女の能力自体を少なからず低下させている。ここは少々の負担を度外視してでも早いうちにクリアするしかあるまい。

 休憩時間を与えられた少女たちの多くは岩場にへたり込み、水分を補給するなり雑談するなりでそれぞれ英気を養っている。いっぽう動物の長の一人たるアナトには大した疲労もなく、少し離れた場所からいたって平然な様子で魔法少女たちの様子を見守っていた。

 リスクを増やしてでももっと時間に余裕を持ったスケジュールにするべきだったかな、とアナトは一人考える。あるいはこの高地を経路に選んだ判断が賢明でなかったかもしれない。こうも体力を消耗した状態では、襲撃を受けた場合にむしろ危険だ。いまのところ敵勢力の気配はどこにも感じられないのが唯一の幸いか。

 ふと、組んだ腕の間から微かな電子音が鳴っていることに気がつく。イシュタル本部との連絡用として携行していた通信機だ。

『こ……しゅ…………げ…………ゃ……る…………を…………う……と…………し』

 スピーカーから発される音声は小さく、ひどく途切れ途切れだ。この通信機には魔術による機能補正を施しているものの、他の魔術による妨害には決して強くない。おそらく術不干渉結界《アンチマジカルフィールド》の影響を受けているのだろう。

 連絡の内容が判断できない限り引き返すということもできない。アナトはひとまずこの山脈を抜けてから通信しなおすことにした。どのみち定期連絡はするつもりでいる。

 一瞬、もし本部を緊急事態が襲っていたら、とも考えたが、その可能性はあえて無視した。懐に通信機を収め、魔法少女たちのもとへ歩み寄ろうとするアナトを、シルヴィアの視線が貫く。一部始終を見ていた彼女は何を問うでもなく、ただただ威嚇的な眼差しを注いでいた。



 通話を終えてから一時間半。先ほどの住宅地で待機し続けていた紗雪の前に、未だもって朱莉は戻ってこない。追尾を開始してから連絡を寄越すまでのタイムが三〇分弱だったことを鑑みれば、異常事態であることは明白だ。埠頭へ急行する現在も朱莉に通話が繋がらない事が、それを嫌というほど裏付けている。

 脳裏に無数の悪夢がよぎる。あの朱莉が下手を打って敵に捕縛されたとでもいうのか。まさかそんな事はあり得ない。万に一つもあり得るわけがない。

 冷や汗に背筋を濡らしながら、考えたくも無い妄想を掻き切るようにして跳ぶ。全力で走り続ければ大した距離でもないはずなのに、埠頭に続く道のりがやけに長ったらしく思えた。

 無駄に入り組んだ工業地帯を直線に抜けると、ようやく埠頭が見えてくる。ここまでの所要時間は十五分。常人が車を乗り回して辿り着く時間を半分以下まで切っているが、それでも紗雪にとっては絶望的なまでに遅すぎる。

 連絡にあった北側の倉庫群。数え切れないほど立ち並ぶ倉庫の間を走り抜けるうりにちらと見えた四二番の壁を、紗雪は迷わず貫く。

 木材、金具、コンクリート、鉄板……諸々の建築資材が同時に炸裂させる悲鳴は、爆発音のように轟き反響した。広がる土埃を一閃のもとに振り払い、屋内の全貌を視認する。

 ――――倉庫内にはまったく人気がない。

 直前まで数十人ほどが滞在していた形跡は残るものの、とっくにもぬけの殻と化していたようだ。

 唯一残されているのは“人だった残骸”が一つ。

 ズタズタに裂かれた衣服を下敷きにした残骸。細長い腕を複雑に屈曲させている残骸。青い痣とピンクの傷を無数にたたえる残骸。小麦色の肌を血と男の体液でくまなく汚された残骸。胴から赤く細長い管状のものを落とす残骸。整った鼻梁をへし折られ、そのうえに白い球形のものを垂らしている残骸。残骸。残骸。残骸。

 紗雪にはそれが何なのかまったく理解できない。面影など何もまるで見て取れないというのに、どこか既視感を刺激する、この不思議な残骸を紗雪は知らない。

 条件反射的にすぐさま治癒魔術を行使する。紗雪の手がかざれた場所からみるみるうちに修復され、残骸はあっという間に元あるべき姿へと巻き戻っていく。だがそれだけだ。ひとの形を取り戻しても尚、それが動き出すことはない。よくできた人形だがそこに意識はない。たんなる血と肉で構成される人型の物体でしかない。

 紗雪の胸に、途方もない失望感が沸いてくる。どういうわけか、哀しみはなかった。優しく笑いかけたあの顔も、紗雪を抱きとめたあの腕も胸も。朱莉という存在は所詮、血と肉の塊でしかなかったのだと、たった今知ったから。

 きっと最期は想像を絶するような苦痛と絶望の闇のなかで、救いの手を待ち焦がれながら壊れていったのだろう。希望も自尊心も幸福な思い出も、じりじりと蝕まれ、されるがままにその命を磨り減らしていったのだろう。そこまで想像したところで、紗雪は即座に考え至る。もし二人が愛し合っていなかったのなら、恐怖心の命ずるままに逃げおおせたのではないか、と。愛を知ってしまったから、紗雪が護ってくれると信じてしまったから、恐怖心が退化してしまったのではないか。孤独で弱いままの粟ヶ窪朱莉でい続けたなら、こんな下らない場所で無意味な死を遂げることはなかったのではないか。

 背中を見守り続けているつもりで、彼女の退路を断ってしまっていたのは、他ならぬ上福元紗雪ではないのか、と。



 廃屋を後にした相模は鬱蒼たる草木を分け、広大な森林を黙々と進んでいた。地面に残るシリウスの足跡を辿るうちに景観にどことなく既視感を覚えるようになり、昨日の発掘現場からそう遠い場所でないという事だけはわかったものの、しかし未だもって正確な現在地は不明のままである。

 手持ちの荷物で現状、使えそうなものはほぼ無い。携帯電話は無論のこと圏外だし、GPSや転移陣などの道具・その他連絡手段はすべて車に置いたまま。頼れるのはシリウスの足跡だけだ。おそらくこれも相模を誘導するためにわざと残したものなのだろう。先刻の問答と同様、掌の上で踊らされているようで少々不愉快ではあるが、おとなしくその道しるべに従うほかあるまい。

 ほどなくして開けた場所に出ると、それまで木々に隠れていた見覚えあるテントが露となる。昨日の発掘現場だ。ここはどうやら火立山のまさに山中だったらしい。

 急いでテントのほうへ駆け寄ってみるが、周囲に人の気配はない。調査隊か、それでもなくとも事後処理班くらいは居ないと不自然だと思ったが、その違和感に対する解答は案外近くに転がっていた。遺体となってテントの中に隠されている美津島グループの研究員ならびに武装隊員たち。それらはシリウスが殺害したと考えてまず間違いないだろうが、しかしそうなるとますます不可解だ。後戻りは叶わない、異能社会のすべてが敵となる――彼の言葉が脳裏によぎる。まさか目の前にある惨状を招いた理由に、それが符合するというのだろうか。

 洞窟の入り口はみらが破壊した為に崩落した岩石で塞がれているものの、シリウスが脱出する際に穿った穴はまだ健在だ。

 ――さてどうする。このまま真相に至るべきか、それとも見ぬふりをして逃げ帰るべきか。異能社会の狗であり続けるか、逆に狗どもから追われる身となるか――。

 シリウスの幻影が挑発するように囁く。ここまでお膳立てしておきながら、なおも彼は選択の余地を与えているのだ。だがそんなものはもとより無いに等しい。瀬川の死を忘れ去ってしまわぬ限り、ここで見ぬふりをする事などできるわけがない。

 意を決した相模は洞窟の入口へと足を向ける。



 殺意を込めて放たれた無数の魔弾を、粛清者はこともなげにかわす。けれども彼の構えは一貫して乱れぬまま。まるで瞬間ごとの安全圏を常に転移し続けているかのように、右へ左へ、目にも止まらぬ速度で避けている。そのうえでゆっくりと確実に魔法少女たちとの間の距離を詰めてくるのだ。

 痺れを切らした一人の魔法少女が、近接武器に持ち替えて斬り込んでいく。だがそれすらほんの半歩で回避してみせた粛清者は、すかさず反撃の掌底を少女の腹に突き入れ、あっという間に倒してしまった。

 あまりにも格が違いすぎる。

 少なくともいまイシュタルに残されている魔法少女の中で、彼に勝ちうる者など一人とていない。敵を寮棟におびき寄せてからは狭い廊下を駆使して多少は善戦しているものの、相変わらず被害は増える一方だ。

 今は寮棟の最上階にまで侵攻を許してしまっている。一方で、オフィス棟に集められていた非戦闘員はようやく避難を始められたようだ。外に倒れている少女たちを拾いながら、非戦闘員の雪崩が転移結界の出口へと進んでいく。彼女らが退避を済ませれば戦闘中の魔法少女たちも続いて逃れることができるが、その場合、どうにかして粛清者を足止めする必要がある。枝里からの命令を待つにも猶予は少ないだろう。大怪我を負っているはずだというのに、粛清者の猛攻は衰えることを知らない。

 後方支援を務める緋桐のもとにも徐々に粛清者が迫ってきている。もう残っている魔法少女たちも少ない。

 かといって誰かに殿の役目を押し付けるくらいなら、いっそ。

 覚悟を決めた緋桐はいやに落ち着き払った声で告げる。

「みんな先に逃げてください。もうこれ以上は無理がある。私が食い止めます」

「なっ……本気なの!?」

 突然の宣言に周囲の魔法少女たちは揃って狼狽える。当然、みな同じことを考えてはいたが、進んで名乗り出る勇気までは誰も見せられなかった。既に倒れた魔法少女たちのように生死不明で済むわけがない――間違いなく死ぬ、ということを弁えているからだ。しかしこのまま全滅してしまっては元も子もない。緋桐とて止めてもらうことなど望んでいない。彼女の意思は凛と澄んだ視線からも十分に伝わっていたようで、少女たちは早々に説得を諦めた。

「ごめんなさい……任せたわ」

 一人がそう言ったのをきっかけに、魔法少女たちは一斉に寮棟の窓から飛び出した。

 迷っている間に誰かが悲しむのなら、そうさせる者と戦わなければならない。その信条に従うだけ。なにも悔いることはない。

 緋桐はただ湧き上がる殺意に身を任せ、粛清者めがけて走り出した。昨夜のシルヴィアの言葉をほんの一瞬思い出しかけたが、すぐに意識の外に放り出す。この場にいたなら、きっとシルヴィアもそうするから――。




魔法少女ヒギリ×シルヴィア『ガラスの未来』 終

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