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魔法少女ヒギリ×シルヴィア  作者: 鈍痛剣
Chapter3.ガラスの未来
7/13

『ガラスの未来』1

 翠西会・虎総院一家といえば、地域でも広く名の知れた極道の家柄だ。日々抗争に明け暮れ、血生臭さと硝煙の焦げ臭さが絶えない虎総院家の総門には、まともな市民なら誰一人として近寄ろうとしない。虎総院の門に触れる者は、それだけで怖れ忌避される対象となる。

 虎総院一家の愛娘にして齢9つになる虎総院朱莉は、そんな世の習わしを常々腑に落ちないと考えていた。無論、組の者たちがどれだけ恐ろしいことを生業としているのか、知らない彼女ではない。彼女の身を護る者たちの出で立ちが世間の他の大人たちよりも厳つく、不自然に豪奢であることも気づいていた。

 かといって皆が皆恐ろしい悪人ということはなく、むしろ朱莉の世話係をしてくれた者たちは、不器用だが根の優しい者ばかりだった。極道のしがらみから完全に開放されたとしたら、その時彼らはきっと誰よりも真人間になれる。

 いつか虎総院一家を背負って立つ時、極道の世界そのものを解体してやろう。世の不条理を背負わされた日陰者たちに、日向の世界でやり直す機会を与えて見せよう。朱莉はそう堅く決心していた。が、結果的にその日は永遠に訪れなくなってしまった。

 虎総院家の閑寂にして平凡な夜はある時、組員の悲痛な絶叫によって唐突に打ち破られた。

 かねてから冷戦状態が続いていた龍蔵一家による奇襲。それはやがて、龍蔵一家組員の摩訶不思議な能力による一方的な虐殺へと様変わりした。

 電気やら水やらと様々な“現象”が虎総院一家を襲うなか、とりわけ炎を操る術者による殺傷数は群を抜いていた。その男が放つ炎はまさしく龍のように宙を舞い、次から次へと虎総院一家の組員たちを焼却し、溶解し、歪な姿へと変貌させてしまう。

 凄惨を極める抗争の果てに、最後に残った朱莉だけは唯一殺されずに済んだ。否、殺してもらえなかった。

 くまなく赤黒い色に染め上げられてもはや巨大生物の体内のようになった屋敷にへたり込む朱莉に、炎の術者は優しく笑いかける。

「この酷い有様の中でお譲ちゃんだけが生かされた、その理由は何だと思う?」

「…………こ、子供……だ……から…………?」

「そう、子供だからな。お前にはある意味で無限の未来があるわけだ。人生まだまだ始まったばかりだし、子供のお前は生き続ける義務がある」

「………………」

 非道の輩どもと胸中で罵り、憤怒と恐怖に震えていた朱莉は、男の優しい笑顔を前にはたと思い直す。

 彼とて虎総院の組員たちと同じように、日陰者に身を落とさざるを得なかった人間なのだ。この凄惨な襲撃もあくまで組の長が差し向けたことで、彼らは自らの立場上せざるを得なかっただけではないのか?

 子供の将来を貴び、命を奪うことを良しとしない。そんな仁の心が彼にも残っているのかもしれないと、淡い希望を抱いた。

 しかし男は優しい笑顔から一転し、佞悪醜穢な性根を曝け出すように下品な笑みを浮かべる。

「そんな未来あるお前の一生涯を俺の手で汚し尽くせるってのは、今この場で殺しちまう一時の快楽を遥かに上回るよな?」

「ヒッ……」

 血肉にまみれた床へ突如として組み伏せられた朱莉は、背後に立つ男の手にする工具のような機械を目にして、これから自分が何をされるのかを悟った。極道の門に生まれた朱莉は何度か見たことのある、刺青器具だ。

 少女の柔肌をキャンバスの代わりとするが如く、針が縫い、墨が染めていく。カッターナイフで切りつけられるような痛みが背中を刻み、朱莉は苦悶の声を漏らす。そのたびに男たちは子供のようにはしゃぎ、笑っていた。

 刺青を彫り終えても男たちの“遊戯”は終わらなかった。弱冠9歳の少女には想像すらつかないような、ありとあらゆる恥辱を受けた。それから朱莉が開放されたのは、丸一日と半が過ぎた頃。

 無間地獄にも等しい辱めを受け続けた後、朱莉は遊び飽きた人形のように適当な路地裏に捨てられた。

 苦痛の余り、もはや五感の全てに痛覚だけしか感じられない。無慈悲に降り続ける雨だけが痛みを和らげてくれるような気がして、捨てられたままの姿でずっと雨風に打たれ続けていた。

 するとしばらして水溜りに背中の刺青が映りこんでいることに気がついた。

 背中に描かれた龍が、その凶悪な眼差しで朱莉を睨み付ける。龍の瞳の奥に恥辱と苦悶の数十時間が見えるようで、いてもたってもいられず朱莉は走り出した。

 あらん限りの力で走り続け、振り向いてはまた何処かしらに映り込む背中の龍からまた逃げる。

 どこまで逃げ続けても龍は背中に付いてきた。



 紫陽花畑の向こうに立ち込める雨雲は、この場と世界とを隔てる巨大な壁なのだろうか。

 オフィス棟の窓際に身を預け窓の外を眺める上福元紗雪の心は、深海の暗闇にも似た虚無感に塗りつぶされていた。縋るべき両親を亡くしたばかりの今の紗雪には、もはや明日どころか数秒前の過去すら考えていられない。

 背広を着たイタチに長々と講釈を受けた挙句、契約書にサインをしたところまでは覚えている。その後しばらく意識が途切れ、気がつけばこんなふうに壁にもたれかかるようにして寝かされていた。

 なにやら魔法少女になっただとか、仕事をこなして貰うかわりに生活は保障するだとか、そういった説明も受けたが全て耳を素通りしていったから、いまいち状況を呑み込めていないし興味もない。とどのつまり、紗雪は何も考えていなかった。

 晴れた空を眺めているうちはまだ、両親と頻繁に世界中を旅していた頃を思い出して気が楽だった。が、そんな空が雨雲に覆い隠されてしまったあたりから、思い出に浸ることも出来なくなり、次第に思考を放棄するようになっていた。

 何度か名前を呼ばれたような気もしたが、応じるのも億劫なので無視した。しばらくして、より大きな声がふたたび紗雪の名を呼びかける。

「上福元紗雪。あんたが、あたしのパートナーなんだって?」

「…………貴女は?」

「朱莉。苗字は訳あって口外できない」

「……何の用ですの?」

「寮の案内と明日からの仕事の説明をする。ついて来な」

 朱莉と名乗る少女はやたら無愛想だった。

 セミロングの髪の下に小麦色の肌が覗き、服装もTシャツにホットパンツというラフな出で立ちであることがから、普段は活発的な性格なのだろうと窺える。だからこそ殊更に愛想の無さが鼻につく。

 ここで働く少女たちは皆、紗雪と同じような境遇の者ばかりだという。きっと両親の死をいつまでも嘆いている紗雪の姿が、朱莉にはよほど苛立たいのだろう。

 嫌な女――――それが朱莉と出会った紗雪の最初に抱いた印象だった。



 ドレス姿の麗人を抱えた朱莉が、弾丸のごとく空を切って駆け抜ける。

 魔法によって不可視の壁を作り出し、それを足場にして身体の回転等を絡めた、効率的な超加速の実現。のちの朱莉流マジカルマーシャルアーツの原型とも言える移動法だ。

 彼女は街外れの森林を逃走している。後方から追い縋るテロ組織の追手たちは、運転手と銃撃手で2人乗りのオートバイが7組、計14人。起伏に富んだ地形のため、運転手・銃撃手ともに四苦八苦している。

 とは言え、魔法少女の超常的な身体能力を加味しても、やはり生身でオートバイを振り切るのは難しい。

 ――発端は数日前、裏社会の権威が集まるパーティへの襲撃を予告する組織が現れたことだった。

 重鎮たちが一同に会し密かな交流を計る場ともなれば、それを良く思わぬ手合いも少なからず出てくる。何処から情報が漏れたのかはまた別の問題としても、パーティの予定が知れてしまえばテロの餌食となるのは自明の理だ。しかし業の深い重鎮達とて、そう容易く立ち止まるわけにはいかない。

 開催を強行する彼らの依頼によって、魔法少女派遣の業界はささやかながら特需を受けた。業界の古参にして大手たるイシュタルも例に漏れず、所属する魔法少女が総出で警護の仕事に駆り出される異例の事態となった。

 朱莉と紗雪のコンビが任された要人は、とある資産家の養女。いわゆる傀儡だとかお飾りと呼ばれる立場の彼女の警護は優先度が比較的低く、新人魔法少女の二人にはある意味で適任といえた。

「い、いつまで逃げ続けるつもりですの!?」

「仕方ないっしょ! 14対1じゃ、いくら魔法少女でも勝てる見込みは薄いんだよ!」

「まー! わたくしは頭数に入れていなくて!?」

「あったりまえでしょ!! アンタはつい最近入ったばっかのド素人! 足手纏いなの!」

「貴女こそ先月入ったばかりの新米と聞き及んでおりますわ!」

「あたしは多少なりとも戦闘や魔術の心得があるし!! っつーか、どっちにしろ新米2人に14人は無理!!」

 突如として麗人が、自身にかかった魔術を一時的に解いて朱莉に文句を垂れはじめる。朱莉に抱えられている麗人の正体は、変身魔術によって姿を変えた紗雪だった。

 麗人は襲撃直後に転移術符を押し付けて避難させてある。身代わりを抱えての逃走は戦力の分散が目的だった。

 しかし身代わり以外に何も任されないもどかしさ、埒の明かない現状に、紗雪はいよいよ業を煮やす。耐えかねた末に意見しただけあって、ずいぶんと攻撃的な口ぶりだ。

「弱気が過ぎませんこと!? 貴女ほど戦闘に向いた能力を持っているなら、やりようによっては!!」

「……怖いんだ」

「は?」

「もし負けたら……どうなると思う? 何をされると思う?」

「…………」

「あたしは知ってる……あんなの、もう二度と耐え切れない。あたしは逃げ続ける……いつか振り切れるまで、死ぬまでずっと逃げ続ける……」

「……貴女の過去に何があったかは後々お聞かせ願うとしまして……死ぬが死ぬまで逃げ続ける人生で、貴女は満足ですの?」

「嫌に決まってるじゃん! でも酷い事されるよりはずっとマシだし……」

「ならわたくしを信用なさい!!」

「は!?」

「貴女の背中はわたくしが守りますの。貴女の背中に迫る憂いはすべて、わたくしが掃いますの。だから貴女もわたくしを守る。それなら問題ありませんわね!?」

「そんな簡単に……」

「可能ですわ。よく考えてもみてください。新米二人なんて危険な試みを犯してまで、わたくしと貴女が組んだ理由を。互いの持つ力を!」

「……まぁ、相性はいいよ。確かに」

「もっと自信を持って頂かなければ困りますわ!」

 身の程も知らず豪語する紗雪の瞳にはただ一人、弱気な顔の朱莉だけが映っていた。

 自分はこんなにしょぼくれた顔をしていただろうか。こんなにも酷く怯え、情けない顔をしていただろうか。やくざ者たちを手懐けていた娘には到底見えない。

 眼前の紗雪の顔はああも強気で、尊大だというのに。そう思うと、不思議な悔しさと勇気が湧いてきた。これが世に言う蛮勇とやらなのだろうか。

 それも良かろう。もとは極道の家の者なのだ、蛮勇を抱かずして何を誇る。

「…………ふっ」

 震える唇をなんとか曲げ、少々歪ながらも笑みを浮かべてみせる。それを是認と取った紗雪は、ほどなくマジカライズステッキをライフルの姿に変身させた。

「お父様と行った旅先で、実銃の試射を嗜んだ覚えもありましてよ」

「上等じゃん。あたしも銃なら実家で何度も触ったよ!」



 紗雪と朱莉が組んだ初めての戦闘は、7倍もの数の不利を覆して勝利に終わった。要した時間はわずか1分。それもさしたる苦もなく成し遂げてしまったのだから、爽快という他に言葉がない。

 不可視の壁を盾にして朱莉が敵陣を突貫し、混乱した運転手たちを後方から紗雪が狙撃。撃ちもらした数人と銃撃手を戻ってきた朱莉が一掃する。このシンプルな作戦が斯くも理想的な形で成功した要因は、紗雪の精神に安心感が充足していた為であるかもしれない。

 突貫した朱莉の背を追う敵は紗雪が撃ち落とし、紗雪の狙撃に気づいた敵はいち早く朱莉が打ちのめす。たったそれだけの連携が、紗雪の心の欠けた部分を満たして余りあるほどの安らぎをもたらした。

 前へ前へと進み続ける人がいる。どんより曇った視界のなかで、その背中がどれほど頼もしかったことか。

 二人の力で潜り抜けたこの戦いに、かたや朱莉はなにを思っただろう。イシュタル本部の寮に帰り着いた紗雪は、ふとそんな事を考えていた。

「気持ち良いまでの勝利、でしたわ。……貴女はどう感じました?」

「正直、超良かった。あんなに背中を気にせずに走れたの……久しぶりだったから」

「わたくしも……まぁ、なんと言いますか……貴女が前を行ってくれて頼もしかったです……わ」

「そっか」

「えぇ」

 妙な照れくささから会話が途切れ、ぎこちない間が開く。

 戦闘中のよくも悪くも昂揚した態度とは打って変わり、朱莉の口調は最初に会ったときのように堅くぶっきらぼうなものに戻っている。ただし、最初に会った時よりもわずかに表情が緩やかで、頬がどことなく紅潮して見えるところは違った。

 紗雪は知っている。戦いのなかで垣間見た朱莉の笑顔――――きっとあれこそが彼女の本当の姿なのだ。

 今は戦っている間だけしか笑ってくれないかもしれない。ぎこちない表情でしか笑えないかもしれない。

 ならば、いつか彼女が満面の笑みを浮かべられるようにしてやる。初めて会った日に見たあの“嫌な女”を、笑顔によって消し去ってくれる。

 密かに決心する紗雪の視界には、世界を隔てるようなあの雨雲はない。



 ――緋桐とシルヴィアが出会った日より3年前のことであった。



 ◆◇◆◇



 現在



 聴いているあいだは永遠に続くのではないかと思うような読経も、終わってしまえば物恋しくなる。別れの時が近づいていることを少なからず実感してしまうからだ。

 棺桶に色取り取りの花を手向ける遺族と数人の刑事たち。そのなかに相模の姿はあった。

 瀬川刑事の葬儀は、遺族と親密な間柄の人間のみでしめやかに執り行われた。

 よく家飲みに誘われて上がった居間も、今は鯨幕に覆われて牢獄のように見える。犯人をこの手で捕まえることも叶わず、あげく行き着いた先が牢獄とは酷い皮肉だ。

 笑えもしない考えを拭い去るように前を向きなおすと、棺桶の中で眠る瀬川の姿が不意に目に映って、相模はまた悲愴に暮れる。

 眠る瀬川の顔は仄かに青白く、ぴくりとも動かない。生命活動を終えた人の顔というものは、良く出来たフィギュアのようだ。

 誰よりも恭敬していたあの人が、自分のせいで造形物へと変わってしまった。

 いくら悔やもうと時が巻戻ることはない。それでも相模は、後悔と自責を止めることが出来なかった。

 やがて餞が終わると、いよいよ棺桶が運び出されていく。

 そのさまを少女――瀬川の娘――は泣き崩れるでもなく、ただ立ち尽くしたままに見送っている。隣に立つ母親が肩を抱いて支えると、張り詰めていた何かが緩みゆくようにじわり、と涙を目に滲ませた。

「私のこと、どう思ってたんだろうね……お父さん」

「愛してたに決まってるでしょう」

「こんなことになるなら、もっと仲良くしてれば良かった……」

「気持ちは充分伝わってるわ。貴女が立派に育って、きっとお父さんも幸せだったはずよ」

「そんなんじゃ足りないよ……」

 少女は今年で14になるという。近頃は反発しあうことが多くなってきたと、生前の瀬川がよく語っていた。

 緋桐や紗雪も同じくらいの年頃だろうか。彼女らも親を亡くした時はあんな風に泣いたのだろうか。そう思うと胸に鈍く重いものが刺さるようで、ひどく息苦しかった。



 アナトの会談への出席を明日に控えたイシュタル本部は、ひどく慌しい空気に包まれていた。会談が行われる数日間にかけて、イシュタル本部の人員は半減する。その前に仕事に一段落をつけようと皆奔走してるのだ。

 オフィス中どこに目を向けても、必ず視界の隅では誰かが駆け回っている。嵐の渦中にあるような騒々しさを肌に感じつつ、これといってすべきこともない緋桐はただぼうっと応接ソファに腰掛けオフィスを眺めていた。

 会長とアナトに呼び出されたシルヴィアが戻ってくるのを待って、そろそろ10分が経とうとしている。

 組織で最も偉い二人に呼び出されるなんて、どれだけ重大な用事なのだろう。

 そもそもイシュタルの会長を一度たりと目にしたことがない緋桐は、そんな未知の人物が腰を上げるほどの事態に戦々恐々としていた。とはいえ待っている間じゅうずっとビクビクしているわけにもいかない。

 暇を持て余し周りを見回すと、入口付近のベンチに緋桐同様に手持ち無沙汰そうな少女の姿がある。せかせかと行きつ戻りつする周囲と対照的に、彼女の居る場所だけは台風の目のように穏やかそのものだ。

 思えばイシュタルに所属して一月経つというのに、未だにシルヴィア、朱莉、紗雪以外の魔法少女とまともな親交がない。ここで一つ交友関係を広げる良い機会かもしれないと考えた緋桐は、意を決して少女に話しかけた。

「……」

「あー……」

 近づいてみると、少女は想像を絶するまでに退屈そうな顔をしていた。毒キノコを食べて失神した顔、とでも形容できるか。

 艶のある長髪を両耳の真上で結んだツインテール。ぱっつんの前髪に隠れた眉は少し太く、目鼻立ちは決して悪くないが特別ハッキリしているわけでもない。5人組アイドルの一番地味なポジションにいそうな顔だ。

 その地味なポジションのアイドルが心底退屈そうな顔でくたばる様には、13、14くらいと思われる年齢と反して不思議な貫禄が滲む。

「えーと、こんにちは……?」

「うー………………えっ、みら?」

「みら?」

「ごめんごめん。今どくから」

「あっ、そうじゃなくて!」

 少女はすこし身構えた様子で緋桐の声に応えた。どうやら作業か何かの邪魔になっていたのかと慌てているらしい。

「私も暇だったから……貴女もだよね? ちょっと話でもしようかなって」

「あぁ、なるほどね……こっちは加藤みら。そっちは?」

「救仁郷緋桐、最近入った新人です。よろしくね」

「へー、新入りさんだ。みらのこと知ってる?」

「? たぶん、初めましてだと……」

「はいはい、ちょっと待ってね……これ見たら多分すぐ思い出すから」

 そう言うなり、みらは突如として顔を隠すように俯いて大きな深呼吸を始める。ほどなくして再起動がかかったロボットのようにゆっくりと顔を上げると、そこには先ほどまでの生気の尽き果てた面持ちとは真逆の、底抜けに明るい笑みが貼り付いていた。

「みらくるみららる~ん! ブーケトス王国からやって来た、オリオンスター・レモネード・ミラージュ姫。13歳だよよ~! みら姫って呼んでねっ☆」

「………………」

 刹那の逡巡ののち、一拍遅れて冷や汗が吹き出す。みらの奇行はあまりに唐突で、恐怖や困惑などの感情よりも先に寒気を緋桐に感じさせた。

 可憐な決めポーズのまましばらく静止していたみらは、緋桐の無情な反応になにを思ったのか、また素の表情に戻る。

 みらの思いも寄らぬ奇行に面食らって混乱する緋桐に、これ以上何をどう反応しろと言うのか。

「コレ見たことない?」

「ないです」

「マジ? みら、これでも裏社会では名の通ってるアイドルなんだけど」

「裏社会にもアイドルってあるんだ……」

「みらが一人で勝手にやってるだけ……。裏社会に放り込まれる前はアイドルやってたから……未練があったっちゅーか、何というか……あー……やってらんね……」

「は、はぁ……」

 いつの間にかみらの体勢は最初と同じ、毒キノコを食べて失神したような有様に戻っていた。

「えーっと、お互いどう呼んだらいいかな……?」

「そっち何歳?」

「14……だけど」

「みらは13。けどみらのほうが先輩だから、ここは互いにさん付けが無難じゃね?」

「あ、はい……」

「緋桐さんは護衛役?」

「私は本部に残る側です」

「そっか。まぁ退屈に思えるかもしれないけど、本部守るのもそれはそれで大事だから。頼むよ」

「は……はい…………」

 ベンチにへたり込む13歳の少女の姿が、数多の修羅場をくぐり抜けた老練な大女優のように見えてくる。煙草を咥えていたら完璧だっただろうな、と緋桐は思った。

 彼女にだけは敵わない、と思わせる不思議な気迫。これがアイドルの業というものなのだろうか。



 和田町に残り捜査を続行するよう指示を受けはしたものの、一度事件から手を引いた犯罪組織がそう簡単に尻尾を見せるわけもなく、朱莉と紗雪は捜査に行き詰まりを感じはじめていた。

 誘拐事件から二週間ほど経ったこの日、二人は成果報告のついでに、会談が開かれる翌日以降の予定を枝里と確認するためにイシュタルへと戻った。

 すでに和田町のマンションでの生活に慣れつつある朱莉には、イシュタルの食堂の風景が少しばかり懐かしい。以前から外部に滞在することは多かったので、むしろこれでこそ仕事をしている実感がもてる。

 食堂の中で枝里が指定してきた席は、いつも集まる席よりもずっと後方に位置する隅の席だった。

「会談が開かれてる期間中、いざ組織を発見したとしても、どのみち戦力をあてづらいのよね。というわけで下請組織についての捜査は一時休止。しばらくは気軽に構えててもらって結構よ」

 枝里は席につくなり開口一番、気の抜けるような報告をしてくる。

 成果がないことを多少なりとも咎められるだろうと構えていた二人は、拍子抜けな言葉を前にほっと胸を撫で下ろした。

「じゃあ、あたしらは実質お休みってこと?」

「残念ながら、ぐうたらしてろっていう訳にもいかないのよね。ちょっと個人的に進めている捜査の手伝いをして貰いたいの……もちろん、今回の事件とも関係しているかもしれない事として」

 そう言って枝里が胸ポケットから取り出したのは、見ず知らずの親子の写真。父母と娘一人、どこにでもいそうな構成の家族である。

 写真を差し出す枝里は、妙に周囲の目を気にしている様子だ。

「この写真……どなたですの?」

「誰なのか、それを調べてほしいのよ。申し訳ないけど、情報がまったく無くてね……」

「どうしてまた、そんなものを調べてるのさ?」

「緋桐ちゃんの両親殺害になんらかの形で関係がある、と考えてるからよ。ひとまず言えるのはそれだけ。…………この件はなるべく緋桐ちゃんには秘密でお願いしたいわ」

「へぇ……。ま、おなじ和田町で起きたことだからね。緋桐の件と誘拐事件の間に何かあるかも……とは、あたしも薄々思ってたけどさ」

「手がかりは現状まったくない、と考えて良いですわね?」

「えぇ、ごめんなさい」

 申し訳なさそうに頼み込む枝里の瞳に、熱い炎が灯ったように見える。少なくとも無駄働きに終わることは無いはずだと思わせてくれる、確信に燃える炎だ。

 理不尽なまでの捜査条件だというのに、朱莉は不思議と断る気になれない。もう3年以上になる付き合いのなかで、枝里のことは誰よりも信頼できると知っていた。無論、紗雪への信頼を別格とした場合にだが。

「わかった。とりあえず聞き込みなり何なりやってみるさ。紗雪はどう?」

「えぇ。わたくしも異存はありせんわ」

「ありがとう……頼んだわ」

 言い終わった直後、枝里の腕時計がアラーム音を鳴らしはじめる。どうやら次の予定が詰まっているらしい彼女は、別れを告げるとオフィス棟のほうへと駆け足で去っていった。

「今日の午後から聞き込みでも始めよっか」

「ですわね。……あぁ、出来れば先に戻っていて頂けますか」

「ん、何かあるのかい?」

「えぇ……いわゆるサプライズの用意ですわ」

「ほほーう。それは期待していい?」

「期待以上のものになると自負していますわ」

「そっか! じゃあ楽しみに待っておくよ」

「……ふふ」

 一足先に出口へ向けて歩き出した朱莉を、紗雪が紅潮した微笑みで見送る。

 サプライズという言葉を受けて、そういえば誕生日が近いな、と朱莉は思い出した。おそらく誕生日プレゼントの準備をしてくれているのだろう。

 何をしてくれるのかという期待よりも、自分ですら忘れていた誕生日を、紗雪が一番に意識してくれていたことが無性に嬉しい。それだけで少なくとも今日一日は幸せに過ごせそうだ。

 食堂を出る直前に朱莉が振り返ると、紗雪は購買の前でこちらに手を振って応えてくれた。



「エーデルワイスを知ってるかね?」

 イシュタルのオフィス棟二階へ足を踏み入れたシルヴィアに、部屋の主がかけた第一声は唐突な質問であった。

 気品ある薄い顔立ち、腰まで伸ばした黒髪。ベッドの上から妖しい笑みを向けてくるその美少女こそ、魔法少女派遣イシュタルの会長・衣南菜摘いなんなつみである。

「……知らない」

「まったく、愛想が足りないねぇ」

 ベッド脇の柵に捕まりつつ起き上がった衣南は、疲労とも呆れともつかない溜息を漏らす。

 彼女の言動には常になにか含みがあるように見えて、まるで真意が読めない。シルヴィアは衣南が苦手だった。

「アナトは……?」

「いない。だってアナトの名前でも使わなきゃあなた、私のところまで来ないでしょう?」

「…………」

「アナトが不在の間、あなたには私の看護をしてもらうわ」

「なぜ私が」

「そんなに嫌かしら? 残念ねぇ」

 衣南は本題をはぐらかすように、わざとらしく落胆した面持ちでそっぽを向く。

 シルヴィアが彼女を苦手とする理由の項目に、無駄に勿体ぶる態度が新たに加わった瞬間であった。

「ま、そんなのは明日から別の子に変えてあげるから安心なさい。実を言うと、本当はあなたに話しておきたいことがあるからなの。フフ……」

「…………」

「どう? 気になるかね?」

「…………」

「気になるでしょう?」

「…………はぁ」

 こちらの思っていることを知ってか知らずか、衣南はなおも嫌味なまでに勿体ぶった口調で続ける。これにばかりはさしものシルヴィアも嘆息を禁じえない。

 だがシルヴィアがため息を吐いたのを見るなり、突如として衣南は表情を崩し、満足げにニヤリと笑う。

 どうやらシルヴィアから何かしらの感情表現を引き出そうとするゲームのつもりだったようだ。そうとわかるとひどく苛立たしく思えたが、本題が始まるとあれば今更部屋を出るわけにもいかない。

「本題は最初に戻るけども、エーデルワイスのことよ」

「…………」

「かつて星の眷属たちが大いなる災厄を予言したことは、知ってるでしょう? その災厄を運ぶ者がエーデルワイス。いわゆる破滅の使者という奴ね」

「…………それを何故、私に」

「やぁねぇ……私が死んだら次にイシュタルの会長を任されるのはシルヴィア、あなたよ? そしてその時はそう先の話じゃない。知っておかなきゃいけないことなんて山ほどあるのさ」

 あくまで表情を変えることなく、飄々と言い放つ衣南。

 己の死期を仄めかす言葉すら、なんの躊躇いもなく言ってのける。そのさまは単に自身の命を軽視しているだけのようで、殊更にシルヴィアの神経を逆撫でる。

「私は貴女の子であることを認めていない」

「認めようが認めまいが、立場は変えようがないさ。そしてそれはエーデルワイスも一緒」

「……何が言いたい」

「エーデルワイスは他者の姿や記憶をそっくりそのまま模倣し、擬態することで人間社会に溶け込んでいる。下手をすれば本人の自覚すらも無しに」

「………………」

「大いなる災厄を防ぐために地球から遣わされた存在が星の眷属たち。そして眷属から力を与えられ、遣わされる者が魔法少女。……あなたたちはエーデルワイスを狩るための戦力でしかないってことを、常に忘れちゃいけないからねぇ」

「……わかっている」

「なら、いいがね」

 半笑いを貼り付けた衣南の口角が、よりいっそうの歪みを見せる。

 終始意味ありげに振舞ってばかりでもはや信憑性がない衣南の笑みだが、この時ばかりは無視できない妙な雰囲気を帯びていた。



 ほぼ全ての参列者たちが去った瀬川宅を、葬儀が開かれていた時とはまた違う静寂が支配する。

 唯一残った参列者の相模は、見せたいものがあると言って席を立った遺族――瀬川の妻と娘をリビングで待っていた。

 数分後、2人は封書を手に戻ってきた。

 封筒は宛名に“相模へ”と記されているのみで、切手や郵便番号などほかの記載がまったく無い。果たして遺書のつもりで書かれたものなのか、それとも送ることなく放置されてしまっただけの手紙なのか。封筒の上からだけでは判別しかねる。

「奥さん、これは……?」

「旦那の書斎を整理していたら出てきたものです。あの人が入院する一週間前に書斎へ入った時には無かったので、新しいものだとは思うんですが……」

「そうでしたか……わざわざありがとうございます。しかし、入院直前に書かれたものとなると、それではまるで……」

「えぇ、死ぬことをわかっていたみたいなんです」

「…………」

 夫人は心底腑に落ちない、と言いたげに険しい視線を向けてくる。無論、相模とて気持ちは同じだ。だが亭主の仕事や死因すら知らされていない2人が懐いている憤りの熱量は、瀬川のそれとはきっと比にならないだろう。

 瀬川は自らの死を予期していた。それも病によるものではなく、明確なる他殺。そんな死を回避できなかったのだから、どう繕おうとも気持ちに収まりがつくわけもない。

「お父さんは自分が死ぬって、知ってたのに……同僚のあなたたちは何をしてたの……?」

「…………すまない」

「警察って……何なの……!」

「やめなさい、有栖」

 有栖――何度か瀬川に催促されて名乗ってくれたな、と相模は回顧した。

 あの時の彼女は面映げに笑いかけてくれていたが、今は違う。剥き出しの敵意を眼に宿らせこちらを睨みつける様は、まるで別人のようだ。彼女が本当に相模の知る瀬川有栖なのか、少し不安にすらなる。己の不甲斐なさを恥じるあまり、2人と目を合わせられずにいる相模には、どのみち確かめられるはずもないが。

「犯人は既に逮捕できたのですが……その、心身状態に問題があるらしく。監視しつつ留置しているというのが現状です」

「それ以外のことは秘匿、ですね」

「……申し訳ありません……」

「…………!」

 憮然として席を立った有栖は、言葉もなくどこかへと歩み去っていってしまう。

 異能犯罪対策部は独立したひとつの警視庁内部組織ではあるが、存在そのものを秘匿せねばならない性質上、表向きには公安部の一部署とされている。仕事内容の多くは家族にすら明かされることがなく、瀬川の死も遺族には大幅に遅れて知らされた。

 親族の死を最も遠い場所で知らされるというのも、彼女らからすればひどく歯痒い想いであろう。なまじ親交があるだけに、余計に胸が痛い。


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