19. 付き合うための条件
いつ戻ってくるのだろうか。逸る気持ちで三沖を見つめる。彼はとっくに階段を降りたのに、何故かその場から動こうとしない。ついにはスマホを触り始めてしまった。
「なんだよ」
トランシーバーで呼ぶのも煩わしく思えて、俺はフロントから飛び出した。廊下の先だ。大した距離ではない。
「三沖」
「あ、田中さんは?」
「さっき帰った。なんで」
「いや……アプローチされてんのかなと思って。飛間のこと狙ってただろ」
「は? いや、むしろ田中さんが気になってたのは三沖のほうだけど」
「え……?」
まったく予想外だったとでも言うように、口をぽかんと開けた三沖に腹が立ってくる。男女関係なくモテまくるのにその自覚がないなんて、人たらしにもほどがある。
三沖の手首を掴んでフロントに戻った。監視カメラから逃れるために。
「……俺が三沖のこと好きって知ってるのに、なんで田中さんのこと受け入れると思ったの」
返事はなかった。振り返ると、三沖は何かを考えるように目を伏せていた。握っていた手を柔らかくほどかれる。それだけで突き放された気分になった。
「わかんないだろ。告白とかされたら揺れるかもしんないし」
「揺れないよ。揺れるわけない。ブロックまでしたのに」
「そう、だけど……」
彼は上唇をそっと噛んで椅子に座った。目を合わせてもらえないのがこんなにもどかしいだなんて、今まで経験したことがあっただろうか?
「頼むから教えて。なんで諦めたって言ってたの。俺とは付き合えない?」
嫌いだと言われたなら諦めがつくが、同じ気持ちだと言われてしまったらその先のことを考えたくなる。就活も就職も、俺たちが恋愛できない理由にはならないはずだ。
「三沖」
「……俺さ。この前ここに来た元カレと、その前に付き合った男、どっちも浮気が原因で別れたんだ」
なんとなく、そんな気がしていた。浮気に対してやけに達観していたから。
俺は浮気なんてしない。そう言おうと口を開いたら、パッと三沖が顔を上げた。
「飛間はたぶん浮気しないだろうなって思う。でも……これから就職して、いろんな人と出会いがあるじゃん。そのたびにさっきみたいに嫉妬すんの、しんどい。なかなか会えなかったらどうせ自然消滅するし」
それに絶対に浮気しないとも限らないだろ。と、三沖は続けた。
付き合った人に連続で裏切られて人間不信になっているのかもしれない。そんな相手に、就職しても異性と話さないとかちゃんと会いに行くとか、不確実なことを口だけで言って安心させようとするのは間違っている。
──じゃあ俺はどうすればいい?
就職までに信頼を得ることができれば、付き合える可能性もあるだろうか。そう聞く勇気はなかった。一粒の希望くらい残しておきたい。
「がっかりしたくないんだよ。数年後に思い出したとき、飛間はイイ奴だったなって思いたい」
「そんな、俺と疎遠になる前提?」
「もう諦めたって言ったじゃん」
「俺は諦められてない」
聞き分けの悪い子どもみたいだと思った。ダメだと言われても駄々をこねれば買い与えてもらえると思い込んでいる、幼い子ども。教育理念や金銭面など大人の都合でダメだと言う相手を、言葉で説得するのは当然のことながら難しい。
どうしたらいいんだろうと考えながら俺は空いている椅子に腰を下ろす。
ふと、講義で教授が教えてくれた“ドア・イン・ザ・フェイス”が頭に思い浮かんだ。最初に相手にわざと大きな要求をし、断られた後に本命の要求をすれば承諾が得やすくなるという心理学に基づいたテクニック。少し状況は異なるが、やってみる価値はある。
「三沖。もう一回言うけど、付き合ってほしい」
彼の黒目が面白いほど大きく揺れた。
──俺のことが好きっていうの、本当だったんだ。
じわじわと頬が、全身が熱くなっていく。こいつを手に入れたい。今この瞬間を逃したくない。こんな強烈な熱が、単なる子どものわがままな欲と同じであるはずないだろう。
「……いや、でも……」
三沖は緩く首を振った。
行き場の失った熱を握り締め、伏せられた彼の視界に入るために頭を屈めて覗き込む。
「じゃあ、ここを辞めるまで俺が……、俺とお前がお互いのこと好きだったら、付き合うっていうのは?」
「え?」
「もし三沖が他の人を好きになったりしたら諦める」
「……それでいいのか? 飛間は」
「ああ」
それはこっちの台詞だと思いつつ頷く。俺は諦めるつもりがないし、就職するまで三沖にアプローチを続けて飽きられないようにする。勝率は俺のほうが圧倒的に高い。
「わかった、じゃあ……そうしよう」
「あ、あと。性欲解消の相手は俺だけにしてほしいんだけど」
「は!?」
「三沖が他の人とそういうことすんの、めちゃくちゃ嫌だ。またここに連れて来られたりしたら発狂する」
「発狂って、キャラじゃないだろ……」
この前だって吐きそうになってホテルから飛び出したのだ。行為を体験して知った今、想像するだけで胃がムカムカしてくる。
「頼む」
「わ、わかった」
「よしっ」
思わずガッツポーズをした。俺は『おねだりに弱い』と言われたが、こいつも大概だと思う。
「ふはっ、飛間ってそんな喜び方もすんだ……はは」
三沖が噴き出して笑った。久しぶりに見ることができた笑顔はやっぱりかわいい。
そういえば、今日見たあの写真の中でも笑っていた。隣にいた男の顔が今でも頭にチラつく。
「……ちょっと三沖に聞きたいことあるんだけど」
「なに?」
「ストーリーに載せてたやつ、あれって誕生日祝いだよな」
「あ~そうそう。サークルで仲良いんだあいつ」
──俺も仲良いのに、いつも誕プレを渡されるだけ。お祝いパーティーなんかしてもらったことがない。
文句を言うつもりはなかったが、唇を尖らせた瞬間に三沖と目が合ってしまった。
「……もしかして妬いてる?」
「そりゃあ」
俺にもやってほしい。と素直になれればいいが、誕生日を自分から祝ってほしいと言うにはなかなか勇気がいる。
「なら飛間の誕生日もやろうよ」
「いいの?」
「当たり前じゃん。お前はそういうの興味ないのかと思ってた」
「……俺の家で?」
思わず聞き返すと、きょとんとした顔で頷かれた。一人暮らしなんだから行ってもいいだろ、と付け加えられる。
「いや……まあ」
「なに。都合悪い感じ?」
「そうじゃなくて、その、俺の家ってことは、セックスしてもいいってこと?」
──しまった。こういうのは普通、流れに任せるものなのかもしれない。わざわざ口に出して事前に了承を得るだなんて、また童貞っぽいと笑われるだろうか。
不安を他所に、三沖は頬をさっと赤く染めて俯いた。
「あ、うん。わざわざ言うな……」
「ごめん」
「いつにする? 来週の二日間はインターン入ってるから──」
誕生日まであと一週間あまり。インターンや説明会、それからESの準備で忙しいことを考えると、バイト以外で予定が合う日は少ない。
「当日は」
「なにも予定ないけど」
「まじ? じゃその日で」
「でも、誕生日に会うのが俺でいいの」
「はあ……? 好きな人に会えたら嬉しいに決まってるだろ」
やっぱり、俺がどれほど好きなのか自覚してないようだ。もっと頑張って信用してもらえるようにならないと。
「あ、そう……なんだ」
三沖は首に手を当てながら、ぎこちなく頷いた。
次話からは三沖視点になる予定です




