闘うアンモニャイト
命徒たちは、確実に巨大ナメクジの体力を削っている。
クレイは剣を振るい、触手を次々と切り取る。アンモニャイトは爪と牙で、黒光る軟体を傷まみれにしていく。
創命師父娘は必死の形相で、しかし、踊るように命徒を動かし、おぞましい敵を翻弄し続けた。
のたうつ巨体、青天のもとで展開するこの世ならざる戦い。
村人も、他の生徒たちは、校舎の裏口から逃げていった。
その中にアインもいた。首から下げた革袋を握りしめ、家族の勇姿を見つめる。
その右肩にパメラ、左肩にルディが手を置いていた。
「パメラ……これも命珠だよね。僕も戦えるよね……創命、したい」
アインは戦いから目をそらさぬまま、震える声で訊ねた。
「あなたは、まだ結心力が足りないわ。命徒を扱えるだけの心の鍛錬を積まないとね」
義母は肩をつかむ手にぐっと力を入れて諭す。
「けっしんりょく?」
「ダリルに習ったでしょう? 命徒は心をつなげて戦うから、弱い心じゃ扱えない。暴走しかねないの。あなたはまだ幼い。十八歳まで勉強を続けましょう」
「十八。まだ、六年……」
消え入るような声が、焦りと失望の大きさを感じさせた。
敵の動きが緩慢になってきた。
チャンスと見たハーストは拳を掲げる、シンクロした動きでクレイは剣を天高く突き上げる。
「フラッシャー・クラッシャー!」
そんな必要はないのに、二人同時に技名を叫んだ。
クレイはアンモニャイトの背を踏み台にして宙に舞う。
剣を掲げた勇姿は、見えなくなるほどの高みまで跳び上がった。
姿が消えて、一秒後。
空に小さな点が見えた。
点は見る見る大きくなる。
剣先から真っ逆さまに落ちてくる。
ナメクジの頭部に体ごと垂直に突き刺さった。
クレイが飛びのくと、巨体は一気に膨れ上がった。
風船さながらの球体となり、破裂音を響かせる。
体は四方八方へ散り、あたりに黒い体液がぶちまかれた。
ナメクジの一部だったものは、校舎の外まで飛んで行った。
あたりに黒い蒸気と脳天に響く異臭が漂う。
やがて、異形は太陽に溶かされるように塵と化し、世界に溶けていった。
すべてが終わり、校舎から歓喜の声が上がった。
村人たちがハーストとダリルのもとへ駆けてくる。
だが、創命師二人は心身を酷使した反動で、勝利を称える人々すら目に入らない。
「おわった、おわった、おわった……」
ハーストはその場で両手両膝を地面に着いた。息は荒く、今にも倒れそう。
クレイは剣をしまい、疲労困憊の主人へ大股に近づいてきた。
「二十年ぶりにしちゃ上出来だったぜ」
「ああ……おまえもな」
「これからもやろうぜ。もう眠らせんなよ」
アンモニャイトはダリルのそばへと跳びよってきた。
激闘中の面影は最早ない。
腹を出して地面へ転がり、ごろごろにゃんにゃん言うばかりだ。
貝のために完全な仰向けとはならないが、弱点をさらして無防備この上ない。
ダリルは膝をつき、巨大三毛の腹へ顔を埋めた。首を左右にふって、もふもふ感を堪能する。
もふもふもふもふもふもふもふもふもふもふ
「そうだ!」
ふと、顔を上げた。何かに気付いたようだ。
「そうよね。名前、付けなきゃね。んーと」
ダリルは、ふかふかでもさもさな腹をなでまわしつつ、考える。
「三毛だから、ミッケルでいいか。命徒ミッケル、かっこいいじゃん」
「うにゃ!」
ミッケルは右前足を上げて歓迎の意を見せた。
「よーし、よしよし!」
ダリルはミッケルの全身をさらに強く揉み始めた。
人々は、ダリルとハーストを取り巻いて、話に華を咲かせていた。
彼らの話題は二つ。今しがたの戦いにおけるダリルたちへの讃辞、そして、正体不明のナメクジに対する恐怖だ。
ハーストは立ち上がり、深呼吸をひとつ。
人々の顔を見回す。
「もう安心だ。完全にやっつけた!」
客席から凄まじい拍手が巻き起こる。
「あれは【外理】という化け物だ。私が住み始めて二十年ちょい、その前も後もこの村に出た記録も記憶もない。だがな、奴らは一度出現すると立て続けに出ることが多い。ある日を境に頻繁な襲撃に遭い始めて、たちまち滅んだ町や村も一つや二つじゃない」
ざわついていた人々は顔を見合わせて押し黙った。
「見た目も気色悪いが性質も凶暴。剣もヤリも弓も歯が立たない。見つけたら逃げるしかない。兵士も騎士も役に立たん」
ハーストはダリルに手招きをした。
「だが、命徒の攻撃だけは通じるんだ。奴らを倒せるのは創命師と命徒だけ。何かあればここに来て知らせてくれ。ダリルとわし、命徒クレイ、そして」
ダリルは巨大猫の頭をなでながら答える
「命徒ミッケル」
「わしらが、退治してやる」
群衆から拍手が贈られる。
ハーストがなんとか群衆に不安を和らげようと語り終えたところに、【外理】に破壊された校門から入ってくる男がいた。
白いローブをまとったスキンヘッドの男性だ。身長は高く、桁外れに太っている。
背後には黄金色のドレスをまとった、背中に巨大な羽のある女性を従えている。
男を見た人々は口々につぶやいている。「司祭様」「マット司祭様」と。
聖職者らしい落ち着いた瞳の紳士は、ハースト校長の前で立ち止まった。
まわりの人々に訊かれないよう、身を屈め、そっと話しかける。
「もう、終わったのか」
ハーストは司祭を見上げて、声を荒げる。
「遅いんだよ!」
内緒話をする気はないようだ。
「ホーリーも元気そうだ」
羽のある女性はおごそかに頷いた。
人々は驚きと好奇心丸出しで見つめる。
司祭は法都から任命された権力者であり、村では村長以上の格を誇る存在だ。神聖不可侵にして、権力の中枢とつながる者、それを怒鳴りつけるとか。この校長、何者って感じだ。
「呼び捨てにするなよ。せめて、司祭様とかマット様と呼ばんか」
「敬称をつけてほしけりゃ、ふさわしい働きをしろ。なあ、クレイ、そう思うだろ」
「おひさ。マット。あんた司祭になってたのか。でもさ、お二人の仲は命撃隊の頃と変わらないね」
「クレイか。ひさしぶりじゃな。命撃隊か。なつかしい……」
「マット、こっち向け。なつかしがってる場合か。さっさと助けを呼べよ。権力はこういう時に使わなきゃ」
「言われんでもやる気じゃ。それより、呼び捨てにするなって。立場ってもんが」
「じゃあ、司祭サマ! 村の皆さんを安心させてくれ。今回は私らで、いや、私と娘だけで、司祭サマの助けはゼロで化物を退治したが、次からはきっと違うんだろ?」
「その口調、敬称のサマはバカにしとるな。まあ、語るけども。そのために来たんじゃから」
「とっとと説教でも演説でもぶってくれ。今は尊いお言葉が必要だ。聖職者なら誰でもいい」
「なんか、トゲがあるな。まあいいわい」
マット司祭は、愚痴るような口調をやめて、やさしげなトーンと語り口で話し始めた。
「さて、みんな、もそっと近くへ寄ってな。う、ううん、けほっ」
咳払いをひとつ、人々の視線が集まったのを確かめて、一際、声を張り上げる。
「ご存知のとおり、カベリ村は三気三脈に優れた地じゃ。三気とは鉱物の晶気、空気の大気、水の泉気、そして、三脈とは地脈、風脈、雷脈。この世を形作る基本みたいなものじゃ。【外理】が現れた以上、三気三脈に歪みが生じたとしか思えん。そもそも、外理という言葉は、うん?」
気持ちよく話しているところへ、ハーストが肩をとんとん。
「ちょっと」と声をかけて、ごそごそと耳元に口を寄せる。
「観光ガイドかよ。そんな話はどうでもいいの。援軍を呼ぶとか、退治する方法とか、さくっと安心できる話をしろよ。司祭サマー!」
「わかったわい」
マットは不安げな村人へ向けて、笑顔を作り直して、振り向いた。
「ちょうど明日、テガミビトが村へ降り立つ予定じゃ。主教へ援軍をお願いしよう」
テガミビトとは、空を飛ぶ命徒に乗り、都と街や村の間で手紙の配達を行う創命師だ。主教直属のお役目である。
「また、この後すぐにでも、伝書デクで近隣の村に便りを送る。手の空いた創命師がいればカベリ村に至急来てもらうように」
ハーストが声をかけてきた。両手を交差させて話を制す。
「司祭サマ、その程度でいいや。後はこっちで話すわ」
「リスペクトの欠片もないんじゃな」
「そうだよ。出会ってウン十年、やっと気づいたか」
ハーストはマットにわざとらしい作り笑いをしてから、村人に向き直る。
「援軍が来るまで、しばらくかかるかもしれん。それまではわしらと司祭サマ、命徒クレイ、ミッケル、そしてホーリーで皆さんを守る」
彼らのやりとりを静観していたパメラが、司祭の腕をつかんだ。
「ここはハーストにまかせていいわ。色々と話したいの。いいかしら」
「ああ、では、教会へ」
「いえ、もっといいとこへ行きましょう」
パメラは意味深に微笑んでから、ハーストに声をかけた。
「ちょっと、これ借りてくよ」
「こっ、これ? モノ扱いかよ」
この夫婦にかかると権威の欠片もない。マットは巨体を揺らせて情けなさそうに舌打ちした。