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その仇花で撃ちぬいて  作者: 橘こっとん
第2章―その抗いをつらぬいて
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閑話百景:先任伍長と新米伍長とことのはじまり②

 ロクでもない思い出を夢に見た。


「……」


 寝起き一番のしかめ面を自覚しながら、グレーテルは最悪の気分で目を開いた。

 カーテンをすり抜けた陽射しがやや埃っぽい空気に反射し、きらきらと部屋を舞っている。見る分には綺麗と言えなくもないが、どう掃除してもこうなるのは労力の無駄を感じて辟易した。


 目をこすりこすり上段ベッドで身を起こし、ぼうっと壁時計を見やる。起床予定時間――17時までまだ数十分はあった。変な夢を見たせいか早く目覚めてしまったようだ。

 軍人は身体が資本。もう一眠りしておこうと布団をかぶりかけて、隣の上段ベッドが空っぽなことに気がつく。


「あー……もう、あの馬鹿」


 よっぽど見なかったことにして眠り直してやろうかと思ったが、ため息をつきながら梯子を降りていく。周りの分隊仲間を起こさないよう靴をつっかけ、カーテンの隙間から眼下の景色を見やる。

 傾きかけた陽を浴びる点呼広場には、汗を煌めかせながら駆ける姿があった。


「夕方から精が出るわね、不眠症? それとも睡眠は取れるときに取っておく贅沢品ってことも知らないのかしら」


 グレーテルがそう皮肉をふっかけたのは、パジャマから軍装に着替えて点呼広場に降りてきて早々だった。運動着の少女――エーリカは、荒い息で屈伸運動をして振り向きもせず応じる。


「お前も寝起きから暇なことであるな、グレーテル。ならばその贅沢とやらを味わってくればいいであろう」

「お生憎様。私はやることがあるの。大事な任務の休息中にも走り込みするお馬鹿さんへのお説教が」


 苛立ち交じりに指摘する。彼女がやってることそのものが不快なら、こちらに視線を向けないのも癇に障った。


「あんた、どういうつもり? ケストナー夫人の警備が続いてる今、大事なのは万全の態勢を整えておくことよ。自己満足で勝手なことすんじゃないわよ」


 ケストナー夫人警備はしばらく継続とする――その結論が出されたのはポモルスカ人暴動未遂から数日も経たないうちで、つまり「彼らを操った黒幕がいる」というグレーテルの上申が的を得ていた証拠だろう。


 ただでさえ危機的状況なのに加え、三日ごとに生活リズムが変わる四組三交代制は疲労が溜まりやすい。体調管理は念入りにしておく必要があった。


「だから、エーリカは万全の態勢を整えておくべくやっているのだ。口出しされる謂れはないぞ」

「ウォーミングアップはまた別途やるでしょうが。休息を必要な分取っておくのも仕事のうちよ。これで今日の警備で使い物にならなくなってみなさい、恥をかくのは誰かしらね?」


 正論を畳みかけると、アキレス腱を伸ばしていた動きがぴたりと止まる。相変わらず振り向かないが、頭が小さく俯いたのだけは分かった。


「……エーリカだって、戦力面で頭ひとつ劣っている自覚はあるのだ」

「はあ?」

「エーリカは伍長だ。大事なときに足手まといにはなりたくない。それだけである」


 それだけ言って、今度はスクワットを始めるエーリカ。背がこれ以上の議論をする気はないと語っていた。

 要するに自分の力不足を痛感したから仲間たちに追いつきたいと、まあそういうことなのだろう。夢で見たあの頃に比べるとずいぶん殊勝になったものだ。そしてその認識は紛れもない事実でもある。


 だがそんな小娘の理屈に付き合ってやる義理は、少なくともグレーテルにはなかった。


「馬鹿じゃないの? きゃんきゃん吠える以外できない能無し仔犬のくせになーに粋がってんだか。そういうとこが馬鹿だっつってんのよバーカ」

「ばっ」


 腰を落とした姿勢でスクワットをやめ、三白眼がこちらを振り向く。やっとグレーテルの方を見た。それで溜飲も多少は下がるが、場の空気は完全に喧嘩寸前のそれだった。


 エーリカが大股で歩み寄ってくる。その顔も態度も真っ赤に染まっていた。あの夢で見たものと似ていて、しかし決定的に違う怒り。グレーテルを見上げ、噛みつかんばかりに言い募る。


「吠えるばかりではいられないからやっているのだ、皆に追いつこうとすることの何が悪い!」

「悪くはないけど見てられないわね。だいたいあんたみたいなひよっこが今どれだけ頑張ったところで結果はたかが知れてるのよ。寝てる方がマシだわ」

「おまえにそこまで断じられる筋合いはない! エーリカは、エーリカなりに考えて……!」

「だーかーら、足りない頭で考えられても迷惑だっつってんの!」


 エーリカにつられて大声が出る。相変わらず物分かりが悪い女だ。どれだけ噛み砕いてやれば理解できるのだろう。


「いい!? あんたが足手まといなのはこっちだって分かってるのよ、その上で色々考えてんの! そんな当たり前なことに焦り散らかしてどうなるってのよ!」


 エーリカが気圧されたように口を噤む。その隙にまた畳みかけようとした言葉は、背後からの鶴の一声によって消えた。


「そうだな。いささか言い方は悪いが、私もグレーテルと同意見だ」


 エーリカと同時に同じ方に目を向ける。宿舎の入り口からはヴィルヘルミナが軍装を整え、ゆっくりと歩んでくるところだった。二人して慌てて敬礼する。


「お、おはようございます、ねーさま!」

「分隊長、おはようございます! さすが分隊長ですね、早く起きて見回りとは。私も見習わなくては」

「なんとなく目が覚めてしまっただけだ。エーリカと同じだよ、今の状況で褒められたものではない」


 小さく手を振る仕草をするヴィルヘルミナ。二人が礼を解くと、ヴィルヘルミナは穏やかな顔でエーリカに向き直った。


「それでエーリカ。今も言ったが、私はグレーテルに賛成する。お前はまだ若いし経緯も特殊だ。意気込みは買うが変に焦る必要はないし、お前が成長できるように指導するのは私のような上官の仕事だよ」

「ねーさま……」


 先までの威勢は何処へやら、エーリカは敬愛する上官に心を奪われていた。ぽんと優しく肩を叩かれ、その目はみるみるうちに得心に染まっていく。力強い首肯が最後の一押しだった。


「だから、英気は養える時に養っておけ。それはお前の成長を後押ししてくれる。そして努力すべき時に努力するといい」

「は、はい! ありがとうございますねーさま!」


 素直に頷き、エーリカは満面の笑みで敬礼する。尻尾を振りかねない勢いだ。あまりにもあっさりとした心変わりで、グレーテルにとってみれば馬鹿らしいし呆れるばかりだし、それに加えて。


「……」


 なんだか、面白くない。


「それから、グレーテル」

「は、はいッ!」


 そうヴィルヘルミナがこちらを向いて、グレーテルは慌てて表情に敬意を宿す。こういう時こそ株を上げるチャンスだ。あそこで上官を見上げるだけの間抜け面小娘とは違う。彼女の身分など借りなくても、グレーテルは上へのし上がってみせる。


「分隊長、今のお話、とても感銘を受けました。やはり分隊長のお人柄は上に立つ者の鑑ですね、私も分隊長のように……」

「ありがとう。だが、お前も少し諭し方を考えるといい。せっかくエーリカのためになることを言っていたんだ。心配するのは分かるが、ほどほどにな」

「へっ?」


 思わず素の声が出た。

 心配。誰が、誰を? 一瞬思考が停止し、解凍された時には遅かった。宿舎へ向かうヴィルヘルミナの背に手を伸ばすことしかできない。


「え、あ、いえ分隊長、私は別にそういうのでは……」

「さて、そろそろ皆起きてくる時間だ。今のうちにわだかまりは解いておけ」

「いやだから話を、分隊長ー!!」


 ヴィルヘルミナの姿は宿舎の入り口へ消えていく。無力にも届かなかった手を下ろした直後、横合いからエーリカが覗きこんできた。


「まさかとは思うが、おまえ、今のあれは勇気づけているつもりであったのか?」

「っはあ? 違うわよ調子乗るんじゃないわよ馬鹿じゃないの?」


 的外れすぎて声が若干裏返った。エーリカはあっさり納得を返し、うんうんと頷く。


「そうであるな。エールを送るのにあれはさすがに言い回しが不自由すぎるし……なによりおまえがエーリカを気にかけるなど少々気色が悪い」

「あ"?」

「だが、エーリカが見落としていたものに気づかせてくれた。だからエーリカは勝手に感謝させてもらうぞ」


 言って、エーリカは宿舎の方に歩きはじめる。追おうか追うまいか迷っている間に彼女はこちらを振り向き、その輪郭が落ちかけた夕日に滲んだ。


「礼を言う、グレーテル。エーリカはこれからも頑張るぞ、おまえに負けない程度にはな」


 陰のなか、にっと見せた白い歯が映える。三白眼には相変わらず可愛げのひとつもなく、髪は一年半経ってもやはり嫌味なほど滑らかだ。


 しかしその笑みも、その一人称も、そして「グレーテル」と呼ぶ声も、すべて夢に見た記憶にはなかったものだ。


 この感慨が何なのか、今のグレーテルは胸がざわつく以外分からない。それがいやに気に食わず、皮肉でもいくつか言ってやろうかと思う。なのに語彙が宙を彷徨って、その間にエーリカは入り口へと駆けていった。


「あっ、ちょ――」


 言いたいことだけ言ってこっちの返事は一向に聞かない。こういうところも未熟だというのに。

 だが出会った日の諍いよりはまだ腹が立たないと、そう何度となく夢の思い出と比べている自分に気づき――グレーテルは長い長いため息を漏らした。


「……ほんっと、可愛くない女」


 この気持ちだけはきっと、あの日の自分と同じだろう。

 そう自分に言い聞かせ、第四副分隊長グレーテルは、仲間が目覚めはじめる宿舎へと戻っていった。


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