2-15伍長グレーテルの独壇場①
タマラの様子がおかしい。
グレーテルがそう確信できたのは、タマラが小さくかぶりをふりながら頭を抱え、ガチガチと歯を鳴らしてうずくまった時だった。
「ちょ、何? どうしたのよタマラ、やっぱ具合悪いんじゃない。ちゃんと言いなさいよ、無理して倒れられる方が迷惑だってのに……」
悪態は半ば自分を落ち着かせるためのものだ。通りへの集中を絶やさないようにしながら、柵を背に座りこんだタマラをのぞき込む。
ひどい顔色だ。瞳孔は見開いて身は大きく震えて息は切れ切れ、まるで真冬の湖へ落ちたかのような。明らかに尋常の事態ではない。
「ちょっと、本当にやめてよ……熱? 仕方ないわ、邸内でちょっと休ませてもらって……」
「……ます」
「へ? なに?」
そう額へ触れた矢先、ほとんど聞こえない呟きが落ちる。素で聞き返してしまったグレーテルの袖を荒く引きよせ、タマラは恐怖で染まった瞳をこちらに向けた。
「だれか、います。たくさん……き、きっと、ずっと。このちかくに、ずっと……!!」
熱に浮かされたような、異常に抑揚の激しい囁き。その言葉を理解したとたん、グレーテルはさっと血の気が引いたのを自覚した。
異変が起こったのはそのときだ。死角になった路地から多数の足音が湧き起こり、この大通りへと向かってくる。そして姿を現したのは5人、10人……いや、それではきかない数の男たちだった。
その顔を歪めるのはみな一様に憤怒の表情だ。装いはいかにも使い古しのくたびれた作業着で、あの少年とおなじく本来ここにいるはずがない人々。そして各々の手に握られているもの――工具や鉄パイプ、あるいは半ばから割れたビール瓶――を目にすれば、ただの通行人として流すわけにはいかなかった。
「ケストナーの野郎、出てこい!!」
「いつまでも俺たちが黙ってると思ったら大間違いだぞ!」
「俺たちの仲間を返せーッ!!
口々に言いながらケストナー邸へ向かってくる。どう見ても話し合いで済ませられる剣幕ではない。ちっと小さく舌を打って、グレーテルは立ち上がった。
(巡回の連中は何してたのよ……!!)
周辺の巡回警備は衛兵隊の担当だったはずだが、目が節穴としか思えない。こんな大人数、普通に考えて見逃すわけがないのに。
いや――グレーテルも人のことは言えない。タマラの異変に気づいていながら深く考えずに放置した。上官としては落第レベルだ。
他責と自責が思考をかき回し、しかしすんでのところで平静さを保つ。こちとら自尊心の高さが自慢なのだ。これくらいで心乱される自分を、グレーテル・アードラーは許さない。
「いつまでボサッとしてんの、立ちなさいタマラ!」
震えて座りこんだままの部下を叱咤する。びくりとタマラの肩が跳ね上がり、青い顔をしながらも、半ば反射のように膝を立たせていた。
「ベアテとイルムガルトに伝令。襲撃発生、ツーマンセルを崩してタマラとイルムガルトは交代。私とイルムガルトで襲撃者への対応、あんたとベアテで路地の封鎖と待機に移る。衛兵隊も応戦すると思うし人手は足りると思うけど、待機組は合図があり次第加勢に来て。
分隊長からの指示があるまでは私の指揮に従え。くれぐれもロクでもない真似はすんな。以上、返事は!」
「りょ……了解、です」
「分かったらさっさと行く!」
尻を蹴りあげかねない勢いで言うと、もたもたしていたタマラがようやく踵を返す。得体の知れない恐ろしさが視覚化されてだいぶ落ち着いたようだ。残りの二人に正しく伝令できるかは五分五分だが。
まああの連中の場合、言わなくても勝手に対応すると思うが……それでは抑えがきかないし、なによりグレーテルの上官としての面目が立たない。
「ったく、ほんっと面倒な部下どもなんだから……」
そんなことをぼやきつつ、大通りの荒んだ行進の前にひとり躍りでる。そして腰のホルスターから銃を取り出し、空に向けて引き金を引いた。
響きわたる銃声がひとつ、ふたつ、みっつ。石畳にカラコロ落ちる薬莢の音が続き、その後には重い沈黙しか残らない。ふんと鼻を鳴らし、グレーテルは無法者の群れに目をやった。
音と火。古来より、人に害なす獣を追い返すにはこのふたつだ。
「止まりなさいあんたら。悪いけどこっから先は不審者立ち入り禁止よ。通りたいなら、その愉快なパレードの道具置いてってからにしなさいな」




