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ラングルージュ

 あの時私は見つけた。小さな小さな命が燃え尽きようとするのを。


 人間の城の中へ入り込んだのはほんの気まぐれ。ここ数百年で悪魔召喚を行う人間なんていないから姿さえ隠せば誰にも気付かれない。騒がしく走り回る人間を横目に様々な場所を覗き込む。最奥部の一室で見つけたのが、彼だった。


「た……助けて……」


 豪奢ごうしゃな寝台に寝かされた少年。悪魔の瞳で見ても命の尽きる寸前だというのが分かる。周囲では何人もの人間が忙しなく出入りをしているのでそれらへ助けを求めたのだろう。私が何かをする義理も理由も無いのですぐにそこから離れようとした時、視線が重なった。


「……!」


 苦悶に歪んでいた少年の顔が一瞬ハッと驚いたものになる。死に掛けだから目に見えないものを感じる事ができているのだろう、ただの偶然だ。けれどそれだけでは終わらなかった。


「誰か……助けて……」


 視線を私に合わせたまま手を伸ばしてきたのだ、他の誰でもない私に。……確実に私の存在に気付いている。ならば私はこれ以上ここへいる訳にはいかない。正しい召喚の手順に従って呼び出されていないのに人間に見つかってしまえばこちらがはらわれてしまう。何故か後ろ髪を引かれる思いをしたのが不思議だった。


…………


「どうか、私の息子をお救い下さい!」


 私は再び人間の城にいた。今度は正しい召喚の儀式にのっとって。目の前にいる男は一国の王だという、死に瀕した息子の命を救ってほしいというありがちな願いだ。この程度の願いなら簡単に叶えることができるが、少し気になる事があってその息子とやらを見せて欲しいと告げる。男はためらいの後にそれを受け入れ私は姿を隠して男の案内に続いた。


「アルベール……もう大丈夫だ……」


 男が寝台の側に立つと熱にうなされているのか荒い呼吸が聞こえる。覗きこんでみた顔は、あの時の少年だった。


「ラングルージュ様、息子の命さえ救って頂けるのであれば代償は私の命でお支払いします。ですから何卒なにとぞ


 私がまだ救うとも言っていないのに男が勝手に代償を決めようとする。何を思い上がっているのだこの人間は。


「……そのようなものでは満足できない」


 男の顔が絶望に染まる。私は寝台に腰かけて少年の頬を指でなぞり、病を消していった。たちまち体温が正常なものへ戻り規則正しい呼吸音が聞こえてくる。命の危機は脱した、だが代償を知らされる前に願いは叶えられた……何を求められるのかと戦々恐々として男が口元を引き結んで私を見ている。

 だから私は告げた。


「私が求めるのは、この人間……アルベールの生涯だ」


…………


 悪魔との契約を交わした男はそのままではアルベールの側にいられないと私に説明をする。王族である彼は独身でいる事はできない、その為人間の振りをして婚約者という立場になって欲しいと。

 悪魔が人の世で大っぴらに過ごせる筈もないのでその説明に納得し、私はアルベールと同年代の少女の姿を取った。角も翼も尻尾も蹄も人間には存在しない為それを見えないようにするのは中々苦労した。少しでも表情を表に出せばたちまち変化が解けてしまう。

 そして一人の男に引き合わされ、その者を父として貴族の令嬢として生きる事が決まった。


「……陛下から個人的なお話と聞いて何かと思えば、まさか、このような……」

「ポーヴルテール公爵、この話は私と其方、そしてラングルージュしか知らぬ。くれぐれも間違いのないよう」

「ええ、理解しております陛下。それなりの配慮さえして頂ければ……ねぇ?」


 下品に笑うその男は私がよく知っている人間の姿だった。欲望にまみれそれを隠そうともしない。決して好感は持てないがそれなら利用する分には丁度いい。この時から私は公爵家令嬢ラングルージュとして過ごすようになった。


…………


「ラングルージュ、お前なんか大嫌いだ!」


 アルベールの婚約者として毎日彼の元へ通っていたのだが、ある日突然浴びせられた言葉に内心で驚いた。何故だ、私は彼に悪意を持って危害を加えたこともないというのに。訳が分からない。

 元より悪魔が人間に好かれる事は無いのだけれど面と向かって嫌いという人間なんて初めてで何と答えたらいいのか分からなかった。


「それでも私はあなたと一緒にいるわ」


 契約だから私が側を離れる事はない。彼がどう思おうとも私は彼の生涯を見守っていかなくてはいけないのだから。


…………


 アルベールの成長に合わせて私も年相応の少女の姿へと変化を変えていく。少年から青年へ移り変わる頃には彼と共に過ごす時間は極端に減ってしまった。人間の少年少女が集まるという学院では彼以外の人間が多く、偽りの姿で迂闊うかつに接触するのは危険だ。

 なのにアルベールの側にはいつも誰かがいて私が近付けず遠くから見守るしか出来なかった。けれどそれも学院を卒業するまでだ、卒業さえしてしまえば妻の立場で他の人間に邪魔される事なく共に過ごせるようになる。早く卒業してしまいたい。


…………


「……本当に、私から離れると?」


 卒業の日突然告げられた婚約破棄。アルベールは何を言っているのだろう、私との婚約は悪魔の契約。簡単に破棄されていいものではない。


「ああ、君を婚約者とする事はできない」


 なのに彼は迷いなく私に告げる。彼に嫌われているのは知っていた、それでも契約がある以上側にいる事ができると思っていたのに……当事者である彼が破棄を望むのなら、もう。


「……そう」


 男がアルベールへ怒鳴りたてたけどアルベール自身が望まないのなら私は押し付けたくない。懇願されたって無駄だ。


「アルベール、私はあなたの一生を守るつもりでいた。だけどそれをあなたが望まないのなら仕方がないわ」


 ……自分自身で口にすると思った以上に苦しくて、取り繕った表情が僅かに崩れた時私は自分の失敗を悟った。

 人間が恐れる醜い悪魔の姿を彼に晒したくは無かった。案の定彼は驚きのまま固まりじっと私を見ている。彼が何かを言おうとしたけどこれ以上彼の口から私を拒絶する言葉を聞きたくない。変化が解けたせいでもう取り繕えないのだから。


「……さよなら」


 それだけを告げるのが精一杯だった。


…………


 あれから彼はどうなったのだろう。病を消した為病弱ではあるものの人間として一般的な寿命を得た彼は私から離れても生きていけるはずだ。嫌っている私が消えて喜んでいるだろうか……そういえば私は彼が喜び笑っている顔を見た事が無かった。顔を強張らせて緊張した顔、怒った顔、悔しそうな顔、私といる時はいつもそんな顔だった。


「……一度だけなら」


 ほんの少し様子を見るだけ、その程度なら許される。私は姿を隠したまま懐かしいあの城へと潜り込んだ。

 いつも尋ねていた最奥の一室、いつも通りの豪華な部屋なのにそこに目当ての人物がいない。部屋を移ったのだろうかと城の隅から隅まで探っていき残すところは城の敷地の外れにある古びた塔、そこだけになった。まさかこんなところに閉じ込められているなんて、その予想が外れている事を祈ろうとして悪魔が何に祈るのかと自分で馬鹿な事を考えてしまった。


「アルベール……」


 粗末な部屋に眠る彼を見つけた時、思わず名前を呼んでしまった。姿を隠している今声なんて届く訳がないのに、なのにそれに反応するように彼の瞳がゆっくりと開かれ私は急いで距離を取った。……見つかる筈がないのに何を警戒しているんだろう。


「誰かいるのか……」


 身体を起こした彼がゆっくりと部屋を見回す。狭い部屋なので人間が隠れられるような場所などない、気のせいで終わるようなところだ。だが彼は思わぬ言葉を口にする。


「まさか、ラングルージュか……?」


 名を呼ばれてしまえば誤魔化す事はできない。すぐに人間の姿へ変化し彼の前に立った。


「どうして私がいると?」

「鍵も鉄格子もある部屋に侵入できるなんて人間じゃ不可能じゃないか」


 それは確かにその通りかもしれない。気づかれない内に彼の様子を見るだけのつもりだったのにこうして相対するとどう対応していいのか分からない。


「ラングルージュ、今まで君が私を守っていてくれた事に気付かなくて済まない」


 すると彼がその場で頭を下げた。悪魔として生きた長い時間の中で人間から謝罪など生まれて初めての経験だ。何と答えたらいいのだろうと張り付いた表情の下で必死に考えた。


「あなたの命を救うと決めたのはあなたの父、あなたの一生を望んだのは私。あなたの意思が介在しない内に決まったことだもの……謝られても困るわ」

「君は私がどんな態度を取っても見捨てないでいてくれたのに、私が望んだ事を受け入れてくれた……せめてこれまでの事くらい謝らせてほしいんだ」


 彼がどのような態度を取っても悪魔だから慣れている。むしろ責め立ててくるのではと覚悟していたのに拍子抜けである。こうなると私がその謝罪を受け入れるまで彼は顔を上げそうにないので仕方がない。


「……分かったわ」

「ありがとう」


 彼がほっとしたように笑った。初めて見せてくれる表情だ。


「ラングルージュ、一つ聞いていいかい?」

「何?」

「どうして人間の姿のままなんだ?」


 随分と彼はおかしなことを言う。異形の姿をした悪魔など見たいものではないだろうに。無駄に驚かせたくないという私の事をまるで考えていない。


「あんな恐ろしい姿を見たいと言うの?」

「それが君の本来の姿なら」


 ……いっそ化け物と罵られてしまえば未練も無くなるだろう。無言で頷いて変化を解くと彼の視線を一身に集めているのを感じた。


「綺麗だ」


 身構えていた私に向けられたその言葉に驚き、目が見開かれた。そして彼と視線が合って、彼は嬉しそうに笑うではないか。


「……そんな顔、初めて見たよ」

「人間の姿を取っている時は表情を変えられないのよ。少しでも変われば変化が解けてしまうから」


 私が答えると合点がいったように頷き、私の腕に手を伸ばしてきた。醜い鱗に覆われた腕に。


「ずっと、君の笑顔が見たかった」

「な、にを」

「婚約者として初めて会った時、どこかで会ったような気がした。その時から君に惹かれて、けど冷たい表情のままの君に笑って欲しくて、それが叶わないならせめて泣き顔や怒った顔が見たかった」


 そしてそれすらも見せてくれないなら側にいるのが辛かったと、彼は内心を告げた。


「私は、こんな姿をあなたに見せたくなかった」

「でもとても綺麗だ」


 角や翼へ遠慮なしに手を伸ばしてくるけどそれを止める気にならなかった。彼が撫でる手付きに身を任せて目を閉じる。どれくらいの間そうしていたのか、やがて彼が私から離れて寝台に寝そべり出した。


「悪魔との契約は召喚してからじゃないと無理なのかな」

「あれは目に見えない悪魔を見えるようにする為のものだから、直接対話さえできれば」

「そうか、なら丁度いい」


 横目で私を見ながら一人で何かに納得したように頷いている。


「私を殺して欲しい。代償は……私の身体と魂だ」


 彼の言葉があまりにも予想外ですぐには反応できなかった。意味を理解しようとしても何故その考えに至るのかが不思議で仕方ない。これは私が悪魔だからだろうか。


「元々八年前に死んでいた身である事だし、私が生きていては国に悪い影響を与えかねない。それならせめて君の手で死にたいんだ」

「どうして」

「それに私が死ねば君が父と交わした契約、『私の一生』も果たされるんじゃないか?」


 それはその通りだった。アルベールの望みを受け入れた形ではあるが、契約を交わしたのは彼の父で私の方から契約を破った形になる。悪魔との契約を破ってしまえば災いに見舞われるがそれは悪魔であっても同じ事。他の悪魔に狙われていてもおかしくない身だ。


「本当に、私が終わらせていいの?」

「ああ……」


 胸の前で手を組んだ彼が静かに待つ。私は彼の首筋へ手を伸ばした。



 翌日、使用人がいつものように食事を届けた部屋の中には彼の姿は無かった。寝台には赤黒い色が広がっていて報告を聞いた城の上層部はこれを悪魔の災いとし、戒厳令かいげんれいいた。

 十数年後に元第一王子アルベールは牢内で孤独死した、と歴史に記される事となった。



…………


「ここまででいいわ」


 私は今も人間の姿を取って人の世にいる。あの城を離れてから通りがかった農夫の引く馬車に乗せてもらい適当なところで降ろしてもらう。


「まだ町は遠いけどいいのかい? 結構歩くぞ」

「構わないわ」


 礼として金貨を持たせるとそれ以上何も言わなかった。農夫は私の姿を観察するように見ると納得がいったように喋り出した。


「ああ、お姉ちゃんも赤髪か。隣の国は赤い髪の女は悪魔かもれしないだとか言い出して赤髪狩りなんてことやってるらしいから国から逃げ出す女が多いってなぁ。悪魔なんている筈ないのに難儀なもんだ」

「……」

「ああ、悪い悪い。あんたが悪魔だって言ったんじゃないんだ。それにこんな美人なら悪魔でもいいっていう男は多いんじゃないか」


 そして農夫は私から少し視線を外す。


「旦那もそう思うだろう?」

「そうだな、私はルージュが悪魔でも構わないよ」

「はっはっは、嫁さんにベタ惚れだな」


 農夫と笑い合う彼を、無表情のまま眺める。

 あの日、私は彼を殺さなかった。


…………


「……どうした? 何故殺してくれないんだ」


 彼の首に手を触れたまま、動きの無い私に彼がしびれを切らして起き上がった。


「……契約を遂行する方法はこれだけじゃないわ」


 彼の隣に私も腰かけて、そこから彼の頬を両手で挟み無理矢理こちらへ顔を向けさせる。ここまで顔を突き合わせたのもこれが初めてだ。


「な、ち、近い!」

「もしもあなたが私を受けて入れくれるなら……ここではないどこかへ行けばいい」


 そしてそこで一生を過ごせば契約は無事果たされる。何の問題も無い。


「それにあなたは私へ契約を持ちかけた。身体と魂を代償に……つまり私に殺してほしいのならまずはあなたを頂戴?」

「ラングルージュ……」

「……どうする?」


 視線から逃れるように彼は固く目をつぶる。


「どうして君はそこまで……」

「あの日、私に手を伸ばしたから」


 私に救いを求めて縋る手が、目が、忘れられなくて彼の側にいる事を選んだ。その目をもう一度向けてほしかった。だから人間の振りをしてまで過ごしていたのだ。


「この感情が何かは分からない、でもあなたの側にいたいというのは偽りの無い気持ち」


 だから私を受け入れて欲しい。

 私の言葉を聞いていた彼の目が再び開かれた。そして私の頬へ手が伸びる。


「私はもう王子でも何でもないし、君の為に何もできない」

「そんなもの最初からどうでもいいわ」

「身体も丈夫でないし、君の足手まといになる」

「知ってる」


 彼が言い訳を口にするけどそれは何一つ障害にすらならない。じれったくてぐっと力を込めて彼の肩を押すと勢いのままに寝台の上に沈んだ。


「あなたの気持ちを聞かせて」

「私は……」


…………


 遠ざかる農夫を見送ると彼が手を伸ばしてきたのでその手を取り並んで歩き出す。どことなく彼の表情が不満気に見えた。


「どうしたの? アル」

「……君の表情が変えられなくてよかったかもしれないと、少し複雑な気分になっただけだ」


 言っている意味がよく分からないのは私が悪魔のせいだからだろうか。後で詳しく聞いてみたい。繋いだ手に力を込めると同じだけ返されてくることに嬉しさを感じてつい顔が崩れそうになる。


「ルージュ、大丈夫かい?」

「ええ、何とか」


 それを察して彼が周囲に人間がいないか警戒を始める。幸い私も変化が解ける事はなく何の問題も無かった。最近はちょっとした事で表情が漏れそうで油断しているかもしれない。


「君の笑顔を見るのは私だけでいいからな」

「見せられない、の間違いでなくて?」

「両方だよ」


 彼が私を、私だけを求めてくれる。それだけで目に見えない何かが満たされる気がした。

 これからも私は彼の側にいる、彼の前で笑う為に。彼の一生を私のものにする為に。

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