第十話 衛兵隊長
早朝、布団から出たチトセは息の白さを見て身を震わせる。心配したエティが飛んできて千早の顔を覗き込んだ。
「サムイ?」
「寒いね」
答えながら、チトセはクローゼットから着替えを取り出す。
「もう半年……」
宿り木の庭に居候するようになって半年が経っていた。仕事にも慣れてきたが、まだ落ち着かない。
枕の下にあるエティが宿る短剣を振り返る。
いつまで隠しておけるのか。宿り木の庭の精霊たちはチトセの部屋に決して立ち寄らないという約束を守ってくれているが、それでも全面的な信頼はできず枕の下などに隠して絶対に人目に触れないようにしている。
「半年も厄介になると思わなかったのに」
裏町の詳しい状況は分からない。バジガンが殺されてからも半年経っているのに、いまだに犯人は捕まっていない。
ルマンもマティコ工房からの帰り道で警告して以来、姿を見せていない。無事なのかさえ分からない。
「ウラマチ、モドル?」
「……戻らないよ。家は気になるけど」
着替えを終えて自室を出る。すると、リビングの方から話し声が聞こえてきた。
一瞬足を止め、耳を澄ませて来客の声を聞く。知らない声だ。だが、敵意の類は感じない。アシエラと話しているようで、それなりに親しそうな笑い声も聞こえてくる。
チトセは自分の服を見下ろしてお客の前に出て大丈夫か確認した後、リビングに向かった。
「あ、チトセちゃん。ちょうどよかった。寝起きで申し訳ないけど、一緒に話を聞いて」
アシエラに呼ばれて、チトセはテーブルに向かう。
アシエラと話していたのは肩幅が広い中年の男性。衛兵の制服を身に纏い、胸元には所属部隊を示すワッペンがついている。ワッペンによれば、この帝都の下町を管轄している部隊の隊長格だ。
男性はチトセを見て軽く頭を下げる。貴族対応が求められる表町の衛兵とは違い、たたき上げの庶民が所属する部隊だからか、平民の子供であるチトセを下に見たりはしないようだ。
「フロークンという者だ。下町を起点に治安維持に当たる衛兵部隊の隊長を務めている」
「チトセです」
自己紹介を済ませると、フロークンはすぐに本題に移った。
「まず、アシエラさんに調査を依頼されていた裏町の情勢についてお話します」
そんなことを依頼していたのかと、チトセはアシエラを盗み見る。ウインクを返された。
「この半年の間に判明しているだけで殺人が四件。毒殺が二件に刺殺が二件。うち一件は拷問されています」
フロークンはチトセを気にしながら説明する。十歳そこらの子供に聞かせる内容ではないからだろう。
そんなフロークンの気遣いは無視して、チトセは質問する。
「バジガンというマフィアのボスに心当たりはありますか?」
「バジガンファミリーの? ……判明していませんが、動きが妙だとは思っていました。なるほど」
裏町は治安が悪い。殺しも頻発する。バジガンのように暗殺されても表に出なかったり、クスリなどが原因で死亡する場合もあるため死体が転がりやすい場所でもある。
そんな裏町の殺人事件を完全に把握するのは衛兵であっても難しい。元々が治安維持を諦められているような場所だけに、殺人が表沙汰になることの方が珍しい。
逆を言えば、表沙汰になる殺人には何らかの表沙汰になる理由がある。
フロークンが探るような目でチトセを見る。
チトセは何も話すつもりはないと示すように作り笑いで迎え撃った。その反応でチトセが裏町出身と理解したのか、フロークンは何事もなかったように話を続ける。
「アシエラさん、裏町での殺人が表沙汰になるには条件があります。被害者が裏町にとってどうでもいいと思われている場合、あるいは加害者が余所者の場合です」
前者であれば、仲間がメンツにかけて犯人を探し出すべく動き出す。バジガンのように組織の中枢にいる場合は混乱を避けるために死を隠蔽する。
後者であれば、裏町内で事件を留めておけない。犯人が帝都から逃げ出す可能性があるためだ。
フロークンのような衛兵の視点に立つと、半年で四件の殺人事件は多い方だ。
「どうにも、余所者が裏町で暴れているようです。余所者が半年も裏町で逃げ隠れするのは不可能ですから、下町の巡回を増やしています」
「殺人犯が下町にいるとフロークンたちは睨んでいるわけだね?」
アシエラの問いに、フロークンは肯定も否定もしなかった。
しかしアシエラは満足したように頷いて、フロークンをねぎらう。
「ありがとう。こちらでも気を付けておくよ」
「どういたしまして。代わりというのも情けない話なんですが、宿への注意喚起を頼みます」
「表の衛兵は腰が重いからね」
アシエラの軽口にフロークンは曖昧に笑ってごまかした。
人目を避けるように裏口から帰っていくフロークンを見送って、アシエラはため息をつく。
「半年も捕まらないからおかしいと思ったけど、犯人はお金を持ってるね」
「表の宿に泊まれるくらいのお金?」
「そういうこと。しかも、強い目的意識がないと半年も続けないと思う。ただ、組織犯罪にしては動きが小規模すぎるんだよね。個人か、せいぜい三、四人かな」
素人意見だけど、と年齢不詳エルフのアシエラは言って、テーブルに便箋を数枚用意する。フロークンに頼まれた宿への注意喚起を手紙で済ませるつもりらしい。
「私が直接行くと、宿のお客さんがドキドキするらしいんだよ」
「美人も大変だね」
「チトセちゃんもすぐに分かるよ」
「チトセ、カワイイ!」
「エティもかわいいよ」
「ワーイ!」
チトセとエティのやり取りに笑ったアシエラは手紙を書きながら話を変える。
「なにはともあれ、ちょっと帝都から距離を取ろうか」
「なに? 支店とかあるの?」
半年もこの店で居候をしているが支店があるとは聞いていない。
首を傾げるチトセにアシエラは一枚のパンフレットを見せた。
「旧サウベリア王国領で蚤の市があるんだよ。観光がてら出張店舗といこう」
五十年前にディッセラ帝国に滅ぼされた、海沿いの国サウベリア王国。
チトセはパンフレットを見て少し悩んだ。
帝都からほとんど出たことがないのだ。言葉は通じるはずだが、これほどの遠出は経験がない。
アシエラが楽しそうに笑いかける。
「観光も勉強になるんだよ」




