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きみは無慈悲な夜の女王 ~リュシオル・ファナーリは間違える~  作者: 中村朱里


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35/35

35.私を死なせて

身体の一番深いところからせぐりあげてくる衝動が何なのか理解できなくて、したくもなくて、あちこちまだまだ痛む身体なんてもうどうでもよくなって、再び横になることもできずに、ただ、ただ、そのままぼんやりとしていることしかできなくて。


それから、どれほどの時間が経ったか。

ベルが何度も顔を覗きに来てくれたけれど、一人になりたいという欲求には抗えずに無理矢理「呼ぶまで来るな」と厳命して、ベッドの上に座り込み続けていた、そのとき。


扉がノックもなしに勝手に開かれ、のろのろとそちらを見遣った私は、思い切り顔をしかめる羽目になった。


「…………ほう? 思っていたよりも元気そうだな」

「父上、様」

「ああ。災難だったな」


心にもない台詞をいけしゃあしゃあとのたまってくださった我らが父上様、もといグラナート・ファナーリ様は、そうしてカツカツと足音も高らかに私が座り込んでいるベッドの近くまで歩み寄る。


なぜだかその優美な姿を、随分と久々に見た気がした。

相変わらず無駄に派手な御仁だ。

そのくせ決して華美ではなく、上品なお姿、ははは、お見事ですね、なんて思うのは、ただの現実逃避でしかない。


いつものように礼を執ることもせずにただ見上げるばかりの私を見下ろす父上様は、妙に上機嫌のようだった。

どうして、と、私が思う間もなく、父上様の手が伸びて、いつものようにぐきりと私のあごを掴んで、無理矢理視線を合わせられる。

自分はしゃがむこともせずに私に無理な体勢を強いる根性、これこそがグラナート・ファナーリさまさまである、なんて思うのもやっぱり現実逃避だ。


ぼんやりとその無駄にお綺麗なツラを見つめ上げれば、その唇がにぃと弧を描く。


「光栄に思え。このグラナート・ファナーリから、貴様に、礼を言ってやろう」

「れ、い?」

「ああ」


意味が理解できずにそのまま台詞を反すうする私を見下ろす父上様は、とても愉しそうだ。

別に何一つ私はこのひとにお礼を言ってもらうべきことはしていない。

ああ、でも。


「カルルを、一応、守ったことについてですか?」


本当は結局何一つ守れなかったけれど。

結果として、最悪の事態を招いてしまったけれど。

それでも、なお、私はとりあえずは、カルルに怪我だけは負わせなかった。


その件に対するお礼ならば、このクソ親父から受け取るのも、まあまあ本当にギリギリのところでやぶさかではない。

ははははは、今の私にとって、そんなお礼は、これ以上ないほどの嫌味なのだから。

さすがクソ親父、よく解っていらっしゃる……と皮肉げに笑おうとして、失敗した。父上様が瞳をすがめ、「まさか」と鼻を鳴らしたからだ。


「あれで守ったつもりでいるならば、とんだ驕りもいいところだ。貴様が目覚めない間のアレがどれだけ荒れたことか。ファナーリの総資産の何割かを割く羽目になったぞ」

「は…………?」

「まあいい。それは気にするな。済んだ話だ」

「はあ……」


こちらに理解も納得させる気もお持ちでないらしい父上様は、あっさりと話を打ち切って、「そうではなく」と前置いた。そして、深まる笑み。


――あ、これはだめだ。


ぞっとした。

全身の毛が逆立って、肌が粟立つ。

嫌な予感がした。

聞いてはいけないと思った。

これから紡がれるであろう言葉の続きを聞いてしまったら、私はもう今の私のままでいられなくなる、そんな確信めいた予感があった。


それなのに、あごは固定されたままで、視線を逸らすこともできず、身体は動かなくて、耳をふさぐこともできやしない。


ああ、ほら、だめ、やめて、やめ…………。


「貴様のおかげで、アレ……カルブンクスルが、我がファナーリを継ぐ決意を固めた。今まで誰にもなしえなかったことを、貴様はその身をもって成し遂げたのだ。さあ、誇れ。光栄に思うがいい」

「――――――――――ッ!!」


言いやがった。言いやがったこのクソ親父。


私が今、一番聞きたくなかったその事実を、この男は、情けも容赦も遠慮もなく、私に逃げることすら許さず、私に突き付けたのだ。

ぶわりと全身が膨れ上がるような衝動に突き動かされ、額の石が熱くなり、一気に体温が上昇するのを感じる。

それでもなおクソ親父は私のあごを放さない。

がちりと固定して、愉しそうに、嬉しそうに、当代の真夜中の王は嗤う。


「そもそもだ。貴様は、アレを、何だと思っている?」

「……は?」

「幼い子供? 唯一無二のダイヤモンドのカーバンクル? 貴様の言葉で言うならば、かわいい弟というやつか」


何を、言い出したのか。何が、言いたいのか。

意味が解らなくて、一周回って毒気が抜ける。


ぽかんとする私を見下ろす金の瞳に宿るのは、ああ、そうだ、あれだ。“憐憫”という、クソったれた巨大なお世話だ。

それでも父上様の言葉の続きが気になって、ひとまず大人しくしていると、「それでいい」と頷いた父上様は謡うように続ける。


「さて、問題だ。アレは何歳だと思う?」

「……私の、四歳下なので、十一歳でしょう」

「はは、不正解だ」

「え?」


嘲るように笑う父上様の言葉の意味に理解が追いつかない。

だって私がカルルの年齢を間違えるはずがない。

本人の申告で、出会ったころは六歳だったし、それから五年が経過したのだから、間違いなく十一歳のはずだ。


それなのに。



「記録上は、六百三十八」

「…………………………は?」



なにを、と。

固まる私を見下ろして、父上様は肩を竦めた。


「記録に残っている限りの話だから、実際はもっと上だろう。もしかしたら千の齢すら、アレは重ねているかもしれん。少なくとも、ファナーリ家が存在する以前から、アレの存在は観測されている。まあ機密事項ではあるがな」

「な……」


言葉、が。

出て、こない。


何を言っているのだろう。

どういうことなのだろう。


カルルが。私のかわいい弟が。


え、あ、なに?

ろっぴゃく、さんじゅう、はち?

せん、を、超える?


「アレはずっと、六歳の肉体のまま、ファナーリで管理されていた。完成したカーバンクルが肉体の成長を止めるとは知っての通りだが、アレは未完成のまま、六歳の姿で長きを生きてきた。そう、至高のダイヤモンドが、未熟な子供の肉体のままで完成するものか。」


父上様の言葉の意味が、半分も理解できない。

そんな私に気付いていないはずがないのに、それでもなお父上様は構わずに続ける。


「ファナーリ家当主は代々、アレの監視と管理を担い、いつかアレが成長を始める日を待ち続けていた。至高のダイヤモンドのカーバンクルが、いずれファナーリを背負って立つ日こそ、我がファナーリ家の最高の栄華の時代が始まると信じてな」


解らない。何を言われているのか。解らない。

いいや、違う。私は、解りたくないのだ。

だって解ってしまったら私は。


わたし、が。


「どうせ私の代でもアレは変わらぬままだとタカを括っていたのだがなぁ。そこに貴様だ、リュシオル。貴様と出会ったことをきっかけに、アレの成長は始まり、今回をきっかけに、アレはファナーリを継ぐ決意まで固めてみせた!」


だから、と父上様は続けて、吐息すら触れ合う距離まで顔を私に寄せて、そして。


「感謝するぞ、リュシオル・ファナーリ。貴様こそが、きっかけだ。貴様がカルブンクスルの成長の導線を描き、やがて至高のカーバンクルが完成する。よくやってくれた、何度でも礼を言おう!」


朗々と言い放たれた台詞が、降り積もって、そして、やっと、理解できて、そう、理解できて、しまって、私、わたし、わた、し、は。



「っあ、あああああああああああああああああああっ!!」



炎が、生まれる。炎が、燃え盛る。


何もかもを燃え尽くす炎が、私自身すらも焼き焦がす。

目がつぶれそうな熱気の中ですら、目の前の男は涼しい顏で私の前に立ち、私のあごを固定したまま。


そして、そのまま、吐息すら触れ合う距離が、ゼロになる。

生臭い血の味が口の中に広がって、炎が燃えて、そして、それから。


「かわいいかわいい、私だけの地獄の道連れよ。貴様に、心からの敬意と、愛を込めて」


男の額の石が輝いて、青く輝く氷の雨が私の赤い炎をすべて飲み込んでいく。

圧倒的な氷術が、私の炎術をかき消していく。


同時におぼろになりゆく意識の中で、私は、やっと気付いた。

私は、最初から、もう、ずっと、間違えていたのだということに。



――ごめんね、カルル。



謝っても謝り切れない間違いを、誰でもいいから正してほしいと、願うことすらもう今更過ぎた。


それからのことは、何一つ、覚えてはいない。

ただ私はまた間違えてしまったのだという事実だけが確かだった。

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