鹿騎士は酔いしれる
「…ふぅ、ごめんなさいアリー。みっともないとこ見せちゃったわね」
落ち着きを取り戻したアハルティカがそう言って、自身の額に指先を添える。アリアナは繰り返した。
「『みっとない』?」
「ええ。言っとくけど私、誰彼構わず噛みついてる訳じゃないわよ??」
「…まあ、たまにはするけど」などとアハルティカが首を傾けながら言うので、アリアナはくすくすと笑う。
「マヤとだって……最初は仲良くなろうとしたの。ホントよ?彼女、仕事の出来は最高だったし…取り組む姿勢にだって、目を見張るものがあったわ」
「そう」
「…けど、彼女は馴れ合いを望んではなかった。マヤの闘争心がそうさせたのね」
アハルティカはマヤが去った方向を、何とはなしに眺めた。
「彼女は縛られてる。──そして、自由になるための方法を間違えた」
「………」
アリアナは黙り込む。……それは先ほど言っていた──「売名行為のためにヴォルフを利用しようとした」件のことだろうか??
「私、『自由』が好きよ。いつでも『そうありたい』と思ってるわ。
けど、私の『自由』は、他の大勢から祝福されるものじゃないとイヤ。『嬉しくない』って感じるの」
アリアナが見つめるアハルティカの横顔は、古の名画家が持てる力全てを使って表現した、女神の肖像のように素晴らしい。
あどけない子供のようにも見えたし、総てを知る何か超常的な存在にも見えた。
「あの子はそうじゃない。だから、噛みついてやったの」
「……そうか」
アリアナは考える。
もし、事件を起こすより前に、誰かがマヤの焦燥感に寄り添って「バカなことはよしなさい!」と言えていたなら。
(…………ハルも後悔せずに済んだろうな)
「このことを冷酷だなんて思わないでね。アリー」
「思わないさ」
「じゃあ何考えてたの?」
「…君のことを、少し」
「…ふふっ。………あなたってお人好しよ」
「君だって」
くすくす笑うアハルティカから、一旦哀愁が消えたことを確認し、アリアナはホッとする。
アハルティカは笑った表情のまま、声を潜めながら言った。
「マヤがこのタイミングで来たのは、偶然じゃないわ」
「!」
「あの子はプライドにかけて、意味のないことはしない。…けど、手口は随分軽はずみだったでしょ?」
そう言ったアハルティカが、いつの間にやらシャンパンを手にしている。グラスをゆらゆら揺らした後、危なげもなく一息に中身を呷った。
「きっとこの会場で、誰かと取引したんだわ。それも、ついさっきよ」
「…じゃあその『誰か』は、ハルに因縁のある彼女をぶつけて──君と私を切り離そうとした?」
「上手く行かなかったけどね??」
アハルティカは身体を捻り、ドレスの裾をふわりとたなびかせて見せた。派手に濡らされることもなく、深い紅を保ったままの見事なドレスである。
…なるほど。どうやらヴォルフと2手に分かれる案は正解だったらしい。確実に、何者かの手が伸びてきている。後は、その正体を明らかにするだけだ。
「今日は、あなたのボディーガードをするつもりでいたんだけど……そっちは私の出る幕じゃなかったみたい?」
「うーん…すごく心強いけど…。そうだね、今日のところは私が代わろう」
そう言って、アリアナは笑った。
「────アリアナ様」
「「!」」
声を掛けられて、アリアナとアハルティカは顔を上げる。反逆者たちが、早速次の手を打ってきたのかと思ったのだ。……しかし、それは違った。
細い体躯に、苦労を重ねたのであろう皺が顔に刻まれた男性───彼は。
「スティーブン・グリンカムです──先の件ではお世話になりました…」
「こちらこそ…!ご挨拶をありがとう、スティーブさん」
スティーブンはアリアナの声掛けに控えめな笑顔を浮かべた。柔らかそうな茶髪に、べっこうの丸眼鏡が知的な印象だ。
彼は、ヴォルフとアリアナが結婚した日、その二次会に顔を出してくれていた1人である。先の件とは、そこで起きた襲撃事件と、その首謀者であったファーバー氏にまつわる平民達への悲惨な余罪について、騎士団が介入したことを指しているのだろう。
『被害者への聴取』という形でスティーブンと関わっていた当初、彼はアリアナに対してひどく恐縮した態度を取っていた。びくびくと怯えた様子で痩身を更に細めるように肩を縮める様は、見ていて本当に痛々しかったものだ……。
悲しいけれど、被害にあっていた彼からすれば、アリアナは『権力』というナイフを隠し持った、極悪人なのである。
「いつ斬りつけられるかわからない」という緊張状態を見せていた時からは、幾分か緩和したスティーブンの様子を見て、アリアナは微笑む。
彼の状態を見て、なるべく聴取は平民出身の騎士に任せていた。それでもスティーブンは事件の解決後、アリアナが大いに精を出したことを分かってくれていたようで、ヴォルフづてに「ありがとうございました」と感謝を伝えてくれていたのだ。
そして今、こうして直接なんでもない会話を出来ることが、アリアナにはとても喜ばしいことに思えた。
「あら、スティーブ!最近は研究室に籠りきりって聞いてたけど。会えて嬉しいわ、調子はどう??」
「ああ、アハルティカさん。ようやくぼちぼちと言ったところです」
その会話を聞き、アリアナは首を傾げる。
「…『研究室』?」
「ええ……アリアナ様とヴォルフさんのおかげで、生活にも余裕が持てるようになりまして…。新しいプロジェクト開発にも資金を回せるようになったんです。趣味の機械いじりが高じてですが…」
「へえ…!」
「やだ、謙遜しちゃって!知ってるわよ、お義父さんの商会を継ぐまでは、工学の第一人者に弟子入りしてたんでしょ?」
「いや…はは、まあ…」
と、ほんの少し、スティーブンの顔に朱が差す。きっと、好きなことをやれている今が幸せなのだろう。楽しそうな彼に、アリアナは心底嬉しくなって笑った。
「じゃあ、忙しいところをわざわざ来てくれたんですね…。ありがとう、スティーブさん」
「いえ、そんな…!お礼の意味も込めて、直接渡したい物があったので…」
言いつつスティーブンが取り出したのは、年代物のワインだった。…彼の住む土地で醸造される、とても有名な銘柄の。
一瞬、アリアナの目線が泳ぐ。
それに、スティーブンがいち早く気付いた。
「────す、すみませんッッ!!!!」
「…えっ?」
驚いたアリアナは声を上げる。スティーブンの声がとても大きかったのと、彼の顔色が青を通り越して真っ白になっていたからだった。
「こ、こっ、このような物を!!!貴族の御方にお渡しするなんて、どうかしておりましたっ…!!」
スティーブンが目をぎゅっぱ、ぎゅっぱと強く瞬かせる。口許が強張って、声が裏返っていた。
「下民からの贈り物など…!!貴女方が口にされるはずもないのに……!!!」
「どうかお許しをッ……」と、スティーブンが頭を下げた。こちらが止めなければ、膝を付いてひれ伏す勢いである。
彼が貴族にされた忌々しい過去の出来事が、瞬時にその頭を埋め尽くしてしまったのは、火を見るより明らかだった。
「ちょ、ちょっとスティーブ…!!??」
「ど、どうか……!お願いです、妻と娘にだけは……!私はどうなっても構いませんから……!!!」
「やめてスティーブッ!アリーはあなたたちにヒドイことなんてしないわ!!」
アハルティカがなんとかスティーブンを落ち着かせようと試みるが、逆に衆目を集めるだけになってしまっている。───アリアナはぽん、とスティーブンの肩を叩いた。
「勘違いしないでください、スティーブさん」
「…ぇっ……?」
「私はただ『この極上のワインにはどんなおつまみが合うだろう』って、考え事をしていただけだよ」
「ぁ…え?」
「さあ、一緒に乾杯しよう。──グラスを!」
アリアナがそう声をかけると、すぐに用意を整えた給仕人がやって来て、ワインの栓を開けてくれる。トポトポととろみのあるような音を立てて注がれたそれは、照明の光を浴びて煌めいていた。
アリアナは普段から飲酒はしていない。だから、アルコールへの耐性は強くない、…と思う。
本当はスティーブンに手渡された瞬間、「実は今日はかくかくしかじかで……気を抜けないので一緒には飲めないけれど、ありがたく頂くよ!」と─あるいは単純に「お酒が得意ではないんだ」と─、言えていたら1番良かったのだけど、彼のこれまでの経緯を知っている身からすれば、そうすることは躊躇われたのである。
結果、スティーブンにあらぬ誤解をさせてしまったことを、アリアナは悔やんだ。
「ほら、グラスを持って!」
「あ、は……はいっ」
慌てた様子でグラスを持つスティーブンに、アリアナは柔らかく微笑む。
「マーナガラム商会とグリンカム商会の、より良い今後の関係に───乾杯!」
「…か、かんぱい……」
チン、と鳴らしたグラスを、アリアナとスティーブンがそれぞれ一緒に呷る。その瞬間だった。
「アリアナ様はいける口ですかな?ぜひ私も御相伴させて頂きたいのですが」
「はじめまして、アリアナ様。お酒をお持ちいたしましたわ。お注ぎしても?」
「こちらのお酒は女性にも人気のお味で───」
ふぅ、ふぅ…と息をつき、冷静になったスティーブンが、一挙に押し寄せた人々を見て、事態を察する。
「…す、すみません、アリアナ様…。私が取り乱したせいで……」
「いいや。あなたのせいじゃない」
今が好機とやって来た人々は、どこか雰囲気がヴォルフに似ていた。他人をグッ!と引き寄せるような魅力があって、野心的な瞳と自信家な性格を思わせる振る舞いが、危険な香りを漂わせている。
アリアナはスティーブンに向かって、軽く片目を瞑った。
あえて攻め手の受け口を作るのも、多分必要なことだったのだ。
「…この失態のお返しは、私の命に代えても必ず致します。…アリアナ様」
そう言ったスティーブンが、まだいくらも残ったワインの瓶を取り、スッと席を外す。アリアナはアハルティカと目を合わせ、お互いに頷くと言った。
「───さあ、まだまだ集会は始まったばかりだよ。皆で楽しもう!」
◇
───……「酒を入れれば、失言を誘うことが出来るだろう」───。
そう考えた人々には申し訳ないが、アリアナには裏がない。だからいくら待っても、悪い貴族にありがちな横暴さや、ヴォルフに対しての不平不満、マーナガラム商会の進退を握ろうとする動きなどは、引き出せるはずもなかった。
……となると、問題が1つ。
(な、何杯飲めば良いんだ………)
次から次へと運ばれてくるお酒を、アハルティカと手分けしながら飲む。しかし、遠慮なく高い度数のものばかり手渡されるので、その連携も限界に達しようとしていた。
顔どころか後頭部にまで熱が回り、思考がぼやぼやする。アハルティカがバッチリ仕込んでくれたお化粧のおかげで、傍目には赤ら顔がバレていないようだった。
既に、人々から語り掛けられる言葉のいくつかが聞き取れなくなっている…。どこの誰がどう怪しいのかはもはや判別不可能だったが、そこはアハルティカが精査してくれているだろう……。
そう信じて、アリアナはグラスに口を付ける。
今自分に出来ることは、「下民からの酒は受け付けない高慢ちき」だと思われないよう───否、そうしたデマを流す余地を与えないよう、振る舞うことだけだ。
アハルティカがウェイトレスを1人呼び止め、小さな声で会話をしている。「厨房にお酒の供給を止めるよう伝えてくれ」と、指示しているのだ。
まだパーティーでお酒の在庫が切れるような時間帯にまでは達していない思うが、それでも打ち止めするのには許容範囲だとアハルティカが判断したのだろう。
これで、スティーブンのように持ち込みでなければもう、お酒を飲む必要はない────。
(あっ…)
そう安心した瞬間、膝から力が抜けた。
(このままじゃ、お酒が零れる───いや、グラスが割れる。…ああ、ちがう。そうじゃなくて……)
頭が取り留めもないことばかり考えて、肝心の足に力が入らない。
立たなくては。ヴォルフの妻として、ままならない姿を今この人たちに見せる訳には行かない。だから───、
「リア」
後ろから腰に回った腕が、くん、と簡単に身体を支えてくる。美しい指先が、こちらのグラスをすんなりつまみ上げた。
不思議なコロンの匂いがして、優しくて深くてどこか色っぽい声が、1人にだけしか呼ばれていない名前を囁く。
(ああ、君というやつは────)
アリアナはその人を目で確かめることもなく、胸に飛び込んだ。
◇◇◇
「るぅ…!」
「!…」
「「「?!?!?!」」」
ヴォルフは少し驚いて、腕の中のアリアナを見る。彼女に人前でそう呼ばれたのは、初めてだったから。それ以上に周りは、驚いた顔を引っ提げていた。
触れた部分からカッカと燃えるような熱さを感じさせるアリアナは、周囲の反応に気付いてもいないようである。
小さく「やっぱり来てくれた……いつも君は、ぜったいに来てくれるんだ…」と彼女が呟く。
常よりも数段覇気のない声に、ヴォルフは思わずくすくすと笑った。アリアナが、まるで自分をスーパーヒーローか何かみたいに語ったのが、可笑しかったのだ。困っている人を分け隔てなく助けてしまうのは彼女の方で、自分は別にそうじゃない。アリアナ限定だ。
珍しく力ない恋人を、ヴォルフは再度しっかり抱え直した。抱きついて来てくれたのじゃなく、足がもつれた───あるいは、力が入らないのかもしれない、と思ったからだ。
「──随分と楽しくやってたみたいだな?レックス」
「あ、あの……商会長……、」
「それにセリーヌ、ベン、メリンダ、トニー…」
「ヴォ、ヴォルフさん…」
「アンソニー、ヴィヴィアン、マーカスにエドワード」
「「「………………」」」
あげつらった名前は支社も部署も別々の社員達だった。でも、ヴォルフにとってそれらを述べることは難しいことではない………集会前から傍迷惑な計画の発起人として、容疑者リストに上がっていた人物名だったからだ。そして今、それが確定に変わった。
黙りこくる社員たちにヴォルフは微笑む。
「お前達のおかげで、妻も相当楽しめたみたいだ……」
「「「……」」」
ヴォルフはアリアナの手から取り上げた酒を、ゆっくり回す。………中身の液体からは、いくつもの酒の匂いがした。
それをぐびりと一息に飲み干すと、ヴォルフは上唇を捲り、尖った歯を覗かせる。
「後日たっぷり礼をしてやる。覚えておけ」
それだけ告げると、ヴォルフはアリアナの髪にキスを落とし、「リア、俺とも飲もう」と言って庭へ続く扉へと歩みを進めた。
途中、アハルティカから手渡された瓶をしっかりと受け取る。中身はもちろん水である。
ヴォルフとアリアナはそうして、しばし会場を離れたのだった。
ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます!
「ルゥ」という呼び名についてですが、仮に現代日本で例えますと「たくや」という人が「タク」ではなく「たぁくん♡」呼びしてもらっているぐらいのノリで書いています。「あ、裏でらぶらぶなんやろなぁ」って周りが察するレベルです。




