表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
64/81

鹿騎士と狼商人の告白

9月中には次話を更新予定です!

 サクサク……とヴォルフとアリアナは芝生の上を歩く。

 青々としているはずの芝は、日も暮れた今だと会場から漏れ出る光をただ白く反射するだけだった。…2つ分重なった影が、その上をゆっくり渡っていく。

 この貸し会場は、庭でもパーティーを開けるのが売りだ。そのため、大きく開けた庭にはほぼ木がない。彩りの代わりに、真っ白い円形の東屋があって、周りを囲むように池と噴水が設置されていた。


 ヴォルフは庭を見回す。

 使用用途が限られているので仕方ないが…ここはパーティー用に椅子などを搬入するのが前提の設計になっているのだろう。今は座ってゆっくりと休めそうなところが、ひとつもない…。


「!……」


 …いや。よく見ると、東屋にポツンと白いベンチが設置されている。

 ヴォルフは一瞬、そこに腰掛けるかどうか迷った。

 それもそのはず。ご自慢の庭が見通し抜群なせいで、屋内からもこちらの様子が丸見えなのである。


 現に、背後のパーティー会場からいくつもの視線を感じた………アリアナを気兼ねなく休ませたいのに、これでは………。

 しかし、反逆者らと痛み分けする形で控え室に直行するのも、如何なものか…とヴォルフが考えていた時、アリアナが口を開いた。


「んん……。…ル、ゥ…?」

「!待てリア……もう少しだからな」


 限界を迎えそうなアリアナにそう声を掛けつつ、ヴォルフは彼女を支えながらひとまずベンチへと歩を進めたのだった。




「……リア、さぁここだ……大丈夫か?」


 ヴォルフは心配そうに問いかける。ほとんどこちらへ凭れるようにして歩いていたアリアナは、「うぅん……」と小さく呻き声を響かせた。

 せめて、盗み見している参加者たちの視線が気にならないようにしたい…。ヴォルフは池側の方に向けて、アリアナをゆっくりとベンチに座らせた。


「おいおい……『うぅん』てどっちだ?吐きたいときは頷いて」

「…………」


 言うと、アリアナがふるふると首を横に動かす。


「そうか…。水は??」

「………んん」

「飲むんだな?自分で飲めるか?」


 「…それとも、俺が飲ませる?」と、ヴォルフは軽口を叩いて見せた。手にしていた瓶を、自分の口許へ傾ける振りをする。アリアナはそれを見てクスクスと笑った。…どうやら吐き気もなく、視界も聴力も良好なようだ……と、ヴォルフはホッと息をつく。


「ぃやだよ………むずかしいもん」


 そう言って、アリアナがふにゃふにゃと笑った。


「それに温くなる…」

「……」


(…『キスが嫌』なワケじゃないのか…)


 と、ヴォルフは心の中で呟いた。そうして無言のまま、自分の顎を擦る。


 その間に、こちらへ手を伸ばしていたアリアナ。

 ボトルのショルダーを掴み、もう片方の手で蓋を開けようとしている…が、力が入らないらしく苦戦中だ。


「???………おかしいな………いつもならすぐ……」


 と首を傾げて言うアリアナに、ヴォルフは苦笑する。熱くなった彼女の手を上から掴んで一旦退かせると、パキッと音を立てて蓋を回した。


「お前、酔ってるんだよ」

「!…そうか…。…そう、だね。酔ってる」


 指摘されて、ようやく納得したように頷くアリアナ。

 ヴォルフはボトルを彼女に手渡した。

 それに口をつけ、こく、こく……とアリアナが喉を鳴らす。ボトルの傾きを元に戻してから、ふぅ…と熱い息を吐き出した。


「駆け付けるのが遅くなって、悪かったな…。

スティーブンがすぐに知らせてくれたんだが、俺のところにも保守派が来てて……捌くのに少し手間取った。ごめん」


 蓋を緩めに閉めてやりながらそう謝る。すると、アリアナがこちらの袖口を引っ張った。……隣に座って欲しいらしい。

 ヴォルフはボトルをアリアナの右手側に置くと、彼女に導かれるまま、その反対側に腰掛けた。


「レイバンが緘口令を敷いて、お前の出席をギリギリまで秘匿してただろ…?……それで奴ら、今日は相当焦ってたらしい。

だからってまさか、粋がる学生しかやんないような手口でお前を沈めようとするなんて、な」


 「逆に想定外だった。ごめんな」とヴォルフがもう一度謝る。

 アリアナはそれに答える余力がないのか、こてんとこちらの肩へ頭を凭れさせた。ふるり、と彼女の体が震える。

 ……身体が熱すぎて、外気が冷たく感じているのかもしれない。


(そりゃそうか)


 と、ヴォルフは改めてアリアナを見た。スーツを着込んだ上、毛皮のコートさえ羽織っている自分とは違い、彼女は薄手のドレスしか身に付けていないのだ。酔い冷ましのためとはいえ、このまま風邪を引いたりしては事である。


 そう思い立ち、ヴォルフは一旦アリアナと身体を離して、そっと上着を脱いだ。そして、優しく彼女をくるむようにして被せる。


「……ふふふ。うわあ、やっぱりふかふかだね?」


 「ありがとう」と言って、アリアナがコートのフロントを持ち、胸のところでぎゅっと抱き合わせる。

 水を飲んで少し気分が良くなったのか、彼女は小さく微笑んだ後、うつらうつらと船を漕ぎ始めた。


「…………」

「…………」

「………なあ、リア?あのさ…」

「………ん…?」

「…ちょっと前に、マヤと話してたろ?ほら、お前が上手いこと追い払ってた……」

「ああ…うぅ~ん…?そう、かな?」

「そう。それで…あの後、レイバンの下についてる社員がすぐ聞き取りをしに行ったんだ。

で、気付いてると思うけど、彼女がお前に突っかかったのは、レックスに頼まれたからなんだと。──ああ、レックスってのは、1年くらい前に買収した会社の社長なんだけど──そいつに『協力してくれたら、来期はうちの会社で契約してやる』って言われたらしくて、それで」

「ふうん………」

「…つまり、彼女がお前にどんなこと言ったかは知らないけど、それは全て出任せで───って、おい。聞いてる?リア」

「………聞ぃてるよ……」


 目を瞑ったままのか細いお返事に、ヴォルフはため息をついた。出来るだけ早く弁明して、誤解のないようにしたいと考えていたのだけど、タイミングが悪かったか。………いや。そもそもアリアナに対してそんな風に気を回すこと自体が、杞憂だったのかもしれない。


「……………。」


「………るぅ?」


 突然黙り込んだ自分に、アリアナは不信感を覚えたようだ。目蓋が持ち上がり、緑色の瞳がこちらを見る。それが、いつもよりうるうると艶を帯びていた。…………彼女は酔っている。…そう、酔っているのだ。


「……リア」

「???」


 ヴォルフはこの機に、思い切ってアリアナをけしかけた。


「なあ……()()よ、俺をもっと」


「………???」


 「また、何を言っているんだ?君は」という視線が、胸に刺さる。

 それでも、ヴォルフはめげずに言葉を続けた。


「冗談で言ってるんじゃない───本当に、そうされたいんだ」

「!………」


 言うと、アリアナが目を真ん丸くさせる。ぱちぱちとさせて、いかにも不思議そうだ。

 ヴォルフはなおも言い募った。



「俺を、リアにもっと縛り付けてくれよ。


『お前のことだけ考えちゃう男』に、俺をもっとしたがって」



 これが、ヤバイくらいに情けない申し出であることは自覚している。けど、言わずにはいられなかった。

 別に、アリアナの気持ちを疑っているわけじゃない………彼女から特別に思われている自信もある。だが、彼女の示してくれる行動が、未だ『隣人愛』の延長線上から然程ずれていないのは事実だった。

 そこに何か変化を起こせるなら、それに越したことはない……と、ヴォルフは考える。

 自分ばかりが死ぬほどアリアナを欲しがり、周囲に対して神経質になるのは、ある意味不公平だと思えた。かといって、彼女みたいな愛情表現を真似てみたところで、自分が満足できる訳がないのだから、そちらに堕ちてきてもらわねば。


 …だなんて、あんまりにもなこちらの都合には気付かず、アリアナはくすくすと笑った。


「………そんな風に言う子は、もうなってるだろう?」


「…………………………………………………………………………………。」


 ヴォルフは、苦虫を噛み潰したような顔をする。


「………。…その通りだが」


 言うと、アリアナはふわふわと笑った。



「『妬かれないことが不満』だなんて、おかしな悩みだ」



(…ああ、知ってるさ)


 と、ヴォルフは内心でアリアナに言い返す。

 彼女に『嫉妬心』だなんてものが端から存在していないのは、理解していた。

 だけど、酔っている今なら「分かった」と答えてもらえると思ったのに。


 あてが外れて、ヴォルフは分かりやすく拗ねてしまう。………が、アリアナは外れたあてから、更に外れた。


「…ねえ。…ルゥは、王宮での夜会を覚えている??」

「ん?ああ、それはもちろん」

「…………あの時……私がした、『お願い事』のことも?」


 問われて、ヴォルフは首を傾げる。確か………アリアナは「私を見ていて」と。そう言った。

 あの夜、彼女は予定にすらない契約破棄に怯え、なんとかそれを考え直させようと奮闘していたのだ。



「あれね?ほんとは…………」


「うん」


「本当は………───『行かないで!』って、言っちゃいたかったんだ!」


「!!!!」



 その言葉に、ヴォルフは目を見開いた。

 アリアナが吹っ切れたような笑顔で、告白を続ける。


「『ずっと一緒にいて!』って。『私を選んで!』って」


「…………………」


「でも、それって変な話だろう…?だって当時の君と私は………契約以外で、相手を繋ぎ止めていい関係じゃなかった。

しかもその時の私は、『君が好き』ってことさえ自覚してなかったのに───………」



 ヴォルフは黙り込んだまま、ごくり。と喉を鳴らしていた。───胸が、ドキドキと高鳴る。



「…ああもう!ふふふ…っ。ほら、どうだい?…私って、君が思うよりずっと浅ましいやつだろう!…そういうおかしな自分がいることに、私がいちばんビックリしたんだよ?

それで……。…あの日帰ってから、ベッドの中で反省したんだ。『ああいうのは全部、止めにしよう』って。

だってなんだか………すごくみっともなくて、自分がちいさな人間に思えてくるんだもん…」


「────」



(…………もう1回)


 …今、もう1回さっきと同じお願いをしたなら、なんとなく、アリアナは「うん」と言ってくれそうな気がした。



 ────だが、ヴォルフの予想はまた外れる。



「だから、私は君を縛ったりしない……。


…けど、そのせいでもし、君が帰り道に迷うようなことがあったなら───私が必ず、迎えに行こう」



 そう言って、アリアナがフッ…と笑う。



「安心してくれ。君が世界のどこで迷子になっても、絶対に見つけ出すから」



「────、」


 ヴォルフは息を飲んだ。………そしてそれがバレないよう、すぐに笑みを浮かべて茶化す。そうでもしないと、馬鹿みたいに舞い上がって、どうなるかわからなかったからだ。


「…わお。そっちのが、ある意味情熱的かも」

「気に入った?」

「気に入った!」


 そう言って笑う。…アリアナも笑っていた。びゅうっと風が吹いて、ダークブラウンの髪が彼女の頬に掛かる。


 ……ヴォルフはそれをするりと撫でて、元に戻した。


「…!…んっ」


「………!!」


 ヴォルフは咄嗟に、目を閉じたアリアナの肩を掴み、背後から隠すようにして自分の前に引き寄せていた。……ギャラリーの盗み見ている前でもろに口付け、酔いの覚めた彼女に咎められては敵わないと思ったからだ。

 ただ、だからといって「止める」という選択肢はない───ヴォルフは遠慮なく、キスの合図と勘違いして素直に差し出された彼女の唇に、自分のそれを落とした。


「────……」


 すると、小鳥同士が親愛をこめ毛繕いをするように、アリアナの唇が何度も柔く触れてくる。

 ヴォルフは近づけた顔をふいに離した。


 それは何も、紳士的な自制心を持ち合わせていたからではない。

 普段のアリアナは、恥ずかしがり屋で基本的に受け身なのだ……。そんな彼女が乗り気になってくれるのはまあまあレアなのである。

 「自分と同じように、本当はアリアナもこちらを欲しがってくれているのだ」と──いや、今回は酔ってるからだけど──実感できるその瞬間が、ヴォルフは大好きだった。

 だから、あえてこちらからは引いて、彼女の好きにさせる。それが、貴重な瞬間を少しでも長引かせるための手口だったのである。予想通り、今回もアリアナは引いた唇に追い縋って来てくれた。


 とは言え、いつもは良いとこ1分かそこらで我に返り「………すまない。気が逸って、ついはしたない真似を……」とか何とか、もごもご言い訳するのに……。…今夜は一味違うらしい。


「……?…??……、」


 ノーリアクションに焦れたのか、ふに、ふに…としたキスの合間に、ちろ…ちろ…と、別の感触が挟まるようになってきた。可愛らしいキスの継ぎ目に、これまた愛らしい誘惑を仕掛けてくるアリアナ。その様子に、ヴォルフの心は恐ろしいほど華やぐ。


 アリアナの手が、ヴォルフの膝に乗った。そこに体重が乗り、反対側の手がこちらの頬をなぞってくる。

 ヴォルフはまだ、そのキスに応えなかった。彼女の肩に添えた手もそのままだ。


 さすがのアリアナも、ここまで来ると泳がされていることに気付いたらしい。……へそを曲げてしまったようだ。

 むむむ……と引き結ばれ、やや固さが感じられるようになった唇が離れてしまう前に、ヴォルフはそれを食んだ。


 ぎゅうぎゅうと両腕でアリアナの全部を抱き寄せて、彼女がしてくれた分のお返しをする。……いや、それ以上か。


「…ぅ……」


 しっかり支えると、アリアナの両手がこちらの背中に回った。………まずい。彼女の手が「もっともっと」とせがむみたいに背を撫でるのが情熱的過ぎるせいで、後ろから見ても何をしているか丸分かりだ。

 ───それでも、ヴォルフはキスを止めなかった。


「………ふ、」


 息継ぎの間に、アリアナはふと目を開けたらしい。

 瞬間、「あ…!」と声が上がる。


「…………、どうした?」


 尋ねると、ほんの少しだけ顔を離したアリアナが、触れていたこちらの唇──そのすぐ下を、ゆっくりと指で拭った。


「………はみ出した………」

「……ぶはっ」


 堪えきれず、ヴォルフは吹き出す。


(───『はみ出した』、って!)


 ひとしきり笑ったヴォルフは、デートの前にアリアナがする仕草を真似て、「ぱっぱっ」と唇を鳴らした。


「……どう?似合うか??」


 ヴォルフがふざけて聞いてみる。すると少し口紅を薄くしたアリアナが、こちらの顔をぽぉーっと眺めて、心底感心しきったように「私の恋人は、なんでも似合ってしまうなぁ」と呟いたのだった。



◇◇◇



「~♪~…♪♪」


 アリアナはご機嫌な鼻唄を聞きつけ、ゆるりと目を覚ます──どうやら慣れないお酒を入れすぎたせいで、いつの間にやら眠ってしまっていたらしい。

 体調は………うん、だいぶ回復したようだ。



「お。起きたか」


 鼻唄が止まり、肩を貸してくれていた主が、こちらの覚醒に気付く。喉仏でなく、彼の顔を視界に入れようとして、アリアナは驚いた。


「??………君、唇が腫れて……」

「違うよ?これはお前の口紅」

「は……っ?」


 言われて、アリアナは咄嗟に自分の口許を押さえた。そうしたところで、何も変わらないのに。


「……き、君!!人が眠ってる間に何をしてるんだ!!」

「いや俺じゃない……お前が付けたんだよ、覚えてないのか?」

「え……?…ぁ。ぅわあ………!」


 問われて、甦ってくる記憶。アリアナは頭を抱えてしまった。何てことだ、外で───しかもこんな大事なパーティーで、気の赴くままに口付けるなんて!!


「お、落とせっ…頼むからその紅を落としてくれ!私が悪かったから……!!誰かに見られる前にっ」


 そう言って、アリアナは証拠隠滅を図ろうとした。「何か拭くものはないのか!」と辺りを見回してみても、エミリーが丹精込めて作ってくれた洋服しかない!拭けるか!こんな素晴らしいもので、破廉恥な行為の跡を!!


 気が動転したアリアナは、咄嗟に自分の手の甲でヴォルフの口許を拭おうとした。

 そこへ、こちらの慌てっぷりを余裕綽々で見守っていたヴォルフが「待てよ。手でゴシゴシしたら、逆に赤くなるって」と、最もな意見を述べる。

 しまいには簡単に手を取られて、ベンチから立ち上がるようエスコートされてしまう始末だ。


「まあまあ。落ち着け……言うほど濃くないだろ?普段から俺を見慣れてる人間しか気付かないって、こんなの。

さあ、それでも心配ならこれから手洗いに行って流し落とそう。………お前も一旦控え室行って、塗り直したら??」


 そう丸め込まれ、アリアナはあっさり頷いた。


 何せ、パーティーは未だ続いているのだ。自分たちは出来るだけ早く身支度を整え、『変わりなく』会場に存在せねばならない。それが今日の任務だからだ。控え室に戻るためには、会場を抜けるのが近道だった。


 アリアナとヴォルフは、会場の隅を壁を伝うようにして歩く。その間、アリアナは身を可哀想になるほど縮こませ、自分の口をそれとなく隠すよう手を当てていたのだけど、ヴォルフが堂々と顔を晒して歩くので、特に意味はなかった。


 「気付かないって」とヴォルフは言ったが、当然そんなことはない。皆、ヴォルフの唇がアリアナの紅と同じ色で色付いていることに気付いていたし、「新婚の2人が、庭に抜け出してまでこっそり合瀬を楽しんでいた」とガッツリ誤解したまま、パーティーは終わったのである。





 ────それから少ししたある朝。


 アリアナとヴォルフは朝食を済ませ、それぞれに紅茶とコーヒーで食後の一時を楽しんでいた。

 ミズガルダも素敵なところだけど、やはり今はこのマーナガラム本邸が、2人の最も落ち着ける場所である。


 ゆったりと椅子に腰掛け、ヴォルフは読み物をしていた。新聞ではなく、レイバンが集めてきた商会内の意識調査資料である。


 それによるとどうやら、「商会長は貴族の飼い犬に成り下がった」という見方から、「むしろ、骨抜きにされているのは夫人の方であった」という見解になりつつあるらしい。


 「さすが商会長の魅力は、階級の枠などに囚われない」と、もっぱらの噂だ。


「───とかなんとか。

……また好き勝手言われてるけど、これは良いのか??リア」


 資料から目線を上げた恋人から、面白がるように訊ねられ、アリアナは「…うーん…」と首を捻った。


「『好き勝手』と言うより、ただの事実だからなあ…」

「!」


 そうアリアナが言うと、ヴォルフがにこにこと幸せそうに笑う。……分かりやすくテンションが上がってしまう彼のことも、「すごくすごく魅力的だ」と思ってしまうので、きっと周りの評価は全然間違っていない。


 ちなみに、今回の騒ぎに加担した者には、一律出向の業務を課したらしい。「そんな突然?彼らの生活は大丈夫なのか」と心配したら、「出向先に寮も用意してるし、残された家族は()()()()()()()()()()()()()から大丈夫さ」とヴォルフは言った。

 ひとまず商会運営における目下の問題が解決し、ヴォルフの憂いは晴れたようだ。最近はより仕事に集中し、精を出しているように見える。集会に出席して、本当に良かった。


 ヴォルフはふと、腕時計に目をやる。


「お、もうこんな時間か。そろそろ出ようかな?」

「忘れ物はない?ルゥ」

「ああ。家から持っていく分は、全部ここに入ってる!」

「そうか。じゃあ気をつけて」


 誕生日にプレゼントした鞄を掲げ、笑うヴォルフ。明るく「行ってきます」と声を掛けられ、頬にキスが降ってくる。アリアナもそれに対し、笑顔で「行ってらっしゃい」と返した。彼はこれから、1週間の出張だ。



 そうしてヴォルフはいつもと変わらぬ態度で出掛けて行き───帰ってくるはずの日になっても、家の扉を叩くことはなかった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ