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狼商人と獣の拮抗

 ここで突然だが───ヴォルフは、ある獣を飼っている。とてもとても、強く危険な獣だ。


 …あらかじめ断っておくと、それはもちろん心の一部分のことを例えとして表したものであって、実際にヴォルフが広大な私有地と財力を使い、猛獣を飼育しているという訳ではない。

 言ってしまうとそう───ヴォルフの闘争心や野望といった感情を、端的に一括りにして表現する際に便利な、ただの『比喩』に過ぎないのである。だから決して、その範疇を越えるものでは無いと──少なくとも、「文字通りの独立した自我をもつ獣などではないのだ」と──ヴォルフ自身はそう考えていた。



 ───さて。ではここらで、獣の見た目について説明をしよう。

 その獣は、ふさふさの美しい毛皮を携えた四つ足の獣で…………一見すると、普通の犬のようだった。

 だが、実物のそれよりももっとずっとなりが大きい。どれくらいかと言うと、ヴォルフの背丈をゆうに越える程の体高だ。そしてその獣は、他の追随を許さぬほどに能力が抜きん出ていた。


 長く尖った三角の耳は、どんなに些細な情報も聞き逃さない。

 うんと利く鼻は、どんな獲物の匂いも嗅ぎ分けた。

 速さと持久力を兼ね備えた脚があり、その先には鋭く尖った爪が伸びている。飛び掛かって肉を切り裂くために適した牙が、ずらりと生え揃った強靭な顎だって、もちろん持ち合わせていた。



 獣のそうした要素の全ては、ヴォルフの夢を達成するのに不可欠なものであった。そして、ヴォルフの夢にも果てがない。

 そのおかげで、獣はどこまでも自由に駆けることが出来たし、存分に力を振るうことが出来た。



 そう。2人は元々良き『相棒』だったのだ。



 ヴォルフはこちらを尊重してくれたし、獣はいつだって力を貸してやった。

 そうするだけでいくつもの結果を出せたのが面白かったし、これが2人で協力して得た未来だと思うと、とても充実した気分だった。


 きっと、今日も明日も、その先も──ずっとこうしていられる。

 獣はそう信じて疑わなかった。それくらい、圧倒的な強さを自覚していたし、心から自分を誇りに思っていたのである。



 だが、幸せな日々は突如終わりを告げる。


 ───ある日、一人の女が現れたことによって。



 その女は、名を『アリアナ・フロージ・マクホーン』と言う。


 暗めの柔らかそうな毛皮を持っていて、目が新緑の色に輝いており、人間の女にしては身体が大きかった。

 穏やかで、鳴き声がキンキンしていなくて、綺麗で、強くて、笑った顔が可愛い。

 それに何より、感じが良くてとても優しそうだった。


 ヴォルフは一瞬で、アリアナに心を奪われてしまったようだ。

 獣も、ひと目で彼女を気に入ってしまった。


 ぱたぱた……と尻尾を振り、耳をピンと立て、ぴくぴくと細かく動かす。

 臭いを嗅いで、顔をペロペロ舐めて、アリアナに挨拶をしてみたかった。彼女の本質がどういったものなのかを、直感的なやり方で確かめてみたかったのだ。


 …そう。ただ、それだけだったのに。


 ヴォルフは問答無用で、自分をこの檻の中に閉じ込めたのである。


 ガリガリ……と前足で床を削り、獣はヴォルフへ訴える。


 ──「自分が何をした?」、「ただ普通に振る舞おうとしただけだ」、「どうして檻になんて入れるんだ?」。



 こちらは、至極当然の問い掛けをしているはずだった。なのにヴォルフの方は、「リアは実直過ぎて危なっかしい」、「放っておけない」、「理想的な契約相手なんだ」、「逃がす手はない」とかなんとか、ズラズラと言い訳にもならない言葉を並べ立てた。それが自分を幽閉してもいい理由になると、本気で思っているのか??


 獣は考える…「一体自分の、何が駄目なのだろう?」──と。

 凶暴そうな見た目だから?力が強すぎるから?

 それとも…………自分が本気を出せば、ヴォルフにも止められないから────??


 「だからって、そうあることが罪なのか?」、「いつもはそれで助かってたクセに」、「こんなのは横暴だ」、「弾圧はよせ」と獣はヴォルフを責め立てた。が、その吠え声は全て一蹴されてしまった。

 そうして檻には無情にも、錠が掛けられたのである。



 初めて鎖の首輪まで着けられた獣は、不満から大きな唸り声を上げた。錠前にガジガジと牙を突き立て、耳障りな音も鳴らしてやった。……でも、ヴォルフは何も言わず、こちらを気遣うこともなかった。


 …………。


 ………獣は寝転んで、だらりと力を抜く。

 遠くの檻の中から眺めるヴォルフは、いつもアリアナを見ていた。そして、彼女と会うときはまるで獣など有していないかのように──そう、言うならば別人みたいに──振る舞ったのである。



 途端に、獣はアリアナのことが大嫌いになってしまった。


 彼女が来たせいで、何もかもが変わってしまった。

 彼女のせいで。彼女のせいで。彼女のせいで………。



 その頃から獣は、アリアナのことを「いつか喰ってやる」と思っていた。


 だって、新参者に自由を制限される謂われはないのだから。

 それに、ヴォルフの『相棒』という座を掠め取られて、むしゃくしゃしていたのもある。



 そして何より──────彼女はとてもとても、美味しそうだったから。



◇◇◇



 ───バキリッ。


「……ッ?」



 アリアナを抱き締めていたヴォルフが、ハッ!と目を見開く。

 脳内で明確に響いた音に、驚いたのだ───ヴォルフはすぐさま頭の中を探索し、その物騒な音の出所を突き止めた。


 ………………見ると、ついさっきまで寝そべって、大人しく尻尾をたしん、たしん、とゆったり床に打ち付けるばかりだったはずの獣が、「待ってました」とばかりにユラリと立ち上がっていた。


 ………いや、「大人しく」と言うと語弊があるかもしれない。「期が熟すのを待っていた」と言ったほうが正しいだろう。美味しそうな獲物を前にして飛び掛からなかったのは、ただお腹がいっぱいだったからじゃない。


 「アリアナを大事にしたいから」とかそういった綺麗事はもう、いっそのことどこかへ置いておくとして。


 単に、彼女が隠し持った鋭い角としなる体を警戒し、万一にも返り討ちにされないよう気を十分に満たしていたのだ。………それが研ぎ澄まされ、今、最高潮に達した。


 ………しかも、獲物は抵抗しないときている。



 ヴォルフは悟った。

 さっきのは、この獣に課していた『自制』と言う名の鎖がブッ千切れた音だ。



 一応、獣とアリアナの間にはまだ檻がある。ご立派な錠前だってかかっていた。

 でも、理性を擁したもう一人の自分は慢心せず、賢明な行動に出る。瞬時に、檻の扉を外側から押さえ付けたのである。


 しかし、状況はとても悪かった。自分は知っていたのだ───この檻の鍵が、もうずっと前から壊れかけだったことを。


 ヤツは内側からグイグイと力押しするのでは飽きたらず、矢継ぎ早に語りかけてくる。


 ──「もう十分我慢しただろう?」。

 ──「まるで飼い慣らされた無害な犬のように、愛想を振り撒くのは楽しかったか?」。

 ──「見ない振りはやめろ。卑怯で臆病なお前は、アリアナを尊重できていた訳じゃない。相手からこっちに近付くよう仕向けていただけだ」。

 ──「………まさか、彼女をこれから先も騙し続けられるだなんて、思っていないだろうな?」。


「………………………」


 「こんなのは、本来のやり方じゃないだろ?」───と。獣に言われて、ヴォルフはひっそりと狼狽える。…全部、その通りだった。


 では、「本来のやり方」───「本当の自分」とは何だったのか??


(……)


 ヴォルフは驚いた。サッと答えも出ないほど、自分は獣と距離を置いていたのだ。


 そう遠くない昔───あれほど、自分たちは良いチームだったのに。



 にやり、と知らぬ間に膨れ上がっていた獣が、大きく口を開く。

 実を言うと、ヴォルフは獣を封じ込めた時………「もしかしたら、居なくなってくれるんじゃないか」と期待していた。少なくとも、「小さくはなってくれるんじゃないか」と。


 『じゃなきゃ、リアに嫌われる』。


 そう思っていたからだ。



「………」


 だがご覧のとおり、期待した結果にはならなかった。

 …念を押して置くが、こうした獣への仕打ちをどうか、虐待だなんて思わないで欲しい。


 だって、ヤツは自分だ。



 ──「そら。アリアナがお前を好きになってくれたら、自由にしてくれる約束だったろう?」。


 と。にやにやしながら獣は語る。「どうした?ほら、やってみろよ」と言わんばかりだ。


 確かに──たった今、アリアナは自分のことを「好きだ」と言ってくれた。

 けれど、そもそも本当に『男』として好かれているのかは曖昧だ。…きっと『相棒』と境界が融合している。


 ──「そんなもん知るかよ!!!このドレスを引き裂いて、その中身まで愛する権利を、今やっと手に入れたんだ!!!!」。


 そんな獣の大きな唸りに、ヴォルフも同じくらい大きな声で怒鳴り返した。


(──馬鹿がッ!!!男とのキスすら知らない女にして良いことじゃない!!!!)




「「……………」」


 …ごつり……。


 と、ヴォルフはアリアナの額に自分のそれを合わせていた。…不思議と、温度は同じくらいだ。真っ赤に頬を染め上げた彼女と、同じくらい。


「…………」


 目の前の男が、身の内で理性と本能を激しく拮抗させているだなんてことに、アリアナは気付いていないみたいだった。

 真ん丸い緑色の目が、こちらを無垢に見上げている……。


 ヴォルフは瞬きもせずに、それを見つめ返した。

 これから行われる所業を知識として理解していても、まさか己がその対象にされるとは思ってもいない……それが良く分かる、綺麗な瞳の騎士様だった。



 ヴォルフは理性をかき集め、獣を落ち着かせようとする。だが、頑張り虚しく鍵は壊れ落ち、扉はほとんど突破されかかっていた。


「っハァ…、……ふ――――……ッ」


 と、ヴォルフは苦しくなって、浅いような深いような何ともいえない呼吸を繰り返す。そうしている間にも上体をアリアナに押し付け、「もっともっと」と体重を掛けながら、彼女の動きを封じ込めていた。


 アリアナの腰に回していた方の手で、引き締まった脇腹を撫で上げる。我が物顔で、布地の下にある肉体の感触を、じっくり確かめた。


「……」


 …柔らかい。だが、柔らかいだけの触り心地ではなかった。

 熱された表面にプツ…ッと歯を立てれば、その瞬間肉汁が弾け出るくらいに中身がギッチリ詰まった、一番旨いソーセージみたいに張りがある。



(…何だろう、筋肉か───?)


 脂肪だけじゃ出ない、不思議と癖になる絶妙な触り心地だ。このまま全部の感触を、直接確かめたい……。


(───ちがうッ!!…我慢、しなければ。我慢を……………っ)


 一瞬我に返った意識が、またすぐに覆い尽くされる。手は開け放たれたアリアナの背中へと回り、直に背筋の形を辿った。

 彼女が今日、何故か自ら申告してくれた性感帯に、ヴォルフは遠慮なく触れる。


「、」


 アリアナが小さく息を飲んだ。見開かれた目にじわりと滲んだ薄膜の中に、恐怖が混じっていないことだけを確認する。

 「それがなければ止まる理由はない」、と本気で考えていた。「そこに気を配れさえすれば、何をしても良い」、とでも思い込みたかったのかもしれない。


「「……………」」


 ヴォルフは食い入るように、アリアナの表情を観察した。ほんの少しでも彼女からO()K()のサインが出れば、絶対に逃がしはしない。絶対に、喰らい尽くしてやる…………………………………………。


 そして、アリアナに()()()()()()誘導するのは、ヴォルフにとって造作もないことだった。


 上から一つ一つ胸椎を数えるようにしながらスルリと手を下ろし───最後に腰の皮膚とドレスの境目を、じわりと押しながら掘り返すみたいになぞる。


「…?…??」

「……………」

「…???…」


 アリアナが疑問符を浮かべている。それは自身が誘われていることに対してだろうか、それとも、無理矢理悦びを教えられそうになっていることについて??


 アリアナは、ぷるぷると唇を細かく震わせ始めた。折角綺麗に色が付いているのに、あまりその震えが大きくなると、口紅がこちらの口に付くかもしれない。別に、こっちは付けてくれて構わないのだけど、よれて悪目立ちすると、帰りにアリアナが困るのだろう……なんて、変なところで理性が顔を出す。


 動揺が極まったのか、アリアナの瞳孔がふわっと開いた。そのタイミングで、ヴォルフは彼女の仙骨をぐりっと押し込む。


 びくりッ──!と彼女の背が反るように震え、歓迎するみたいに、ドレスと皮膚との接地点が歪んで隙間ができた。そこに滑り込むようにして、ヴォルフの指が押し入ろうとする。驚いて体勢を崩したアリアナは、無意識に1歩斜め後ろへ右足をやり、バランスを取ろうとした。僅かに開かれた膝と膝の間に、ヴォルフは自分の膝を挟み込む。そして、白い柵の上にアリアナを持ち上げて座らせようとした。


 彼女の口から、初めての発情期を迎えて戸惑う仔猫みたいな啼き声を上げさせるまでに、もうあと1秒も掛からない。


 ─────その瞬間。



「ヴォルフ君」



 名を呼ばれ、ヴォルフの侵攻する手がピタリと止まった。

 …響くバリトンには、聞き覚えがある。


「…。」

「…フェルビーク、小隊長…?」


 自然な流れで、アリアナがそちらを見ようとする。

 「───嫌だ」と、ヴォルフはグッと額を押し付ける力を強くした。


「ぁ、の………」

「…」

「……………なあ、ヴォルフ君。悪く思わないでくれ。この歳で出来た貴重な友人と、大事な部下の恋路を、面倒にしたく無いだけなんだ」


(……………………………………………………)



 …………その言葉に、ヴォルフはゆっくりと瞳を閉じた。

 同時に、アリアナの緊張に晒されていた体が、息を吹き返す。


「いえ、…感謝しますよ。ベルさん、ありがとう」

「いいさ」


 本気で「助かった」、とヴォルフは思った。「何で邪魔すんだ」、が1発目に来たのは内緒だ。



 第3者が現れたおかげで、完全に檻から飛び出していた獣は一旦どこかへ雲隠れしたらしい。

 ヴォルフは苦労しながら息を整えた。

 質の良い筋肉に包み込まれた、アリアナの柔らかく弾力がある肢体から、自分の意識を引き剥がそうとしたのだ。


 そうする内、ゆっくりとではあるが脳が冷静になってくる……。

 …普通に考えて、ここで手酷く愛すのは下策だ──ようやく通じ合ったというのに、未だ無知なアリアナに怯えられて次に繋がらなかったら、取り返しがつかない。

 到底、1回きりなんかで自分が満足できないことは明らかなのだから、もっと長期的に彼女を愛せるようプランを立てなければ。

 ……それに、アリアナには貴族としての外聞がある。


 ふー…と息を吐いたヴォルフが、押し付けていた身体をゆっくりと離し、最後に絡んだ指先をほどいた。…本当は、離れたくなかったけど。


「悪かった、リア。驚いたよな……?」


 ヴォルフは、さながら躾をはじめたばかりの子犬みたいな顔で、アリアナに謝った。

 「悪いことをしたのは分かっています、許して」とでもいうような、いっそ憐憫を抱かせる目でアリアナを見つめる。


 だが、「次からは絶対しない」とは言っていないことに、気付かれてしまったらしい…。…ぎゅう、とアリアナの眉根が寄せられてしまう。


 しかし、彼女はこちらを叱り付けたりはしなかった。やや戸惑うようにしながら口を開く。


「…………いや、良い。…たぶん、嫌じゃ無かった…から」

「!」


 ヴォルフは驚いてアリアナを見つめた。そんな表現をされるとは、夢にも思っていなかったのだ。

 …彼女は強い。だから「蹴り上げるなり何なりの実力行使には至らなかった」という事実が、彼女の中で「嫌じゃない」と同義になっているのかもしれなかった。………それにしても、こちらが意図して「そうさせなかった」とは考えないのだろうか??


 ポンポン、とアリアナの手が遠慮がちにヴォルフの後頭部を撫でる。…その時初めて、彼女が自分を受け入れようとしてくれていたことに気付いた。


「こちらこそ……ええと、不適切?なやり取りを止めずに悪かった」


 真っ赤になって、生真面目にそう続けたアリアナを、ヴォルフは穴が空くほど見つめる。


 そして「いや、これは…」と、ベルガレットにアイコンタクトした。

 ベルガレットは、こめかみに軽く手を当てる。


「頼む………俺に何かを言わせようとしないでくれ」


 そう言ったベルガレットは、続けて「まあ、一方的な追い込み猟じゃ無くて良かったよ」と呟いた。しかしほんとにそれで良いんだか悪いんだか、深くは考えたく無かったようで、遠くの方を眺める目をし始める。


 ヴォルフはくつくつと苦笑した………多分、アリアナは自分が襲われかけたことに気付いていない。


 アリアナはその強さと経験不足ゆえに──恋愛的な面においてあるべき危機感がないのだ。この寛容な振る舞いがその証拠である。

 そのことを察していたのに、「ならむしろ、誘惑されたのはこちらだと言っても良いよな?」と、ヴォルフは彼女の対応を都合良く解釈した。

 別に、これが100%事実をねじ曲げた発想だとは思わない。

 だって、始まりはほんの少し、彼女の指先を愛してやっただけなのだ。そんな軽い戯れで腰砕けになられてみろ。駆り立てられない男の方がおかしい。


 「もしかしたら自分が思う以上に、アリアナから想われているのかも」、という嬉しい誤算。……それに対してティーンみたいに舞い上がり、迫ってしまったのは情けないが。



 ヴォルフはにこにこ上機嫌で笑った。


「サンキュー、リア。じゃあ、()()()()()?」


 「だって俺たち、晴れて『本当の』恋人同士になったんだもんな?」とアリアナに念を押しておく。…婚前交渉禁止の貴族ルール付きではあるが、関係に見合ったコミュニケーションは許されるようになった!


「…、うう…」

「ほら。ハグはするだろ?友達でも」

「…うん」

「おでこにちゅうも」

「…ああ」

「よし」


 ヴォルフは愛を込めて、それらを済ませた。これで、今回のことはお互いに手打ちとさせていただきたい。盛り上がり過ぎて悪かったが、こっちだって急に告白されて驚いたのだ。


 アリアナから「婚約破棄を考え直して欲しい」などという奇想天外な申し出をされた瞬間はびっくりしたが、逆にそれまでの不可解な行動にも合点がいき、ヴォルフはスッキリとした心持ちだった。

 おそらくこの間、勘違いでやきもきしていたであろうアリアナには悪いが、自分にとっては彼女の世界観に変化が訪れたという意味で僥倖である。

 なぜそんな行き違いが起こったかは、これからいつかのタイミングでゆっくり答え合わせをすれば良い………何せ自分達は、そうやって長く過ごすことが認められた関係なのだから。


「…♪」


 満足気にぎゅっと抱き締めた胸の中で、アリアナがもごもごと口を動かしたことに、ヴォルフは気付いた。


「うん?」


 「どうした?」と片眉を引き上げて、アリアナの顔を確かめようとする。だが、彼女は頑として顔を上げようとはせず、少しだけ首の角度を変えたあと、ポツリと呟いた。


「…知らなかった。恋愛って、なんだか忙しいんだな…」


 ハーッとため息を吐いたアリアナは、さらにぐいっ…とヴォルフの腕の中におさまる。

 堪えきれず、ヴォルフは吹き出した。


(忙しかったのは、お前だけだろ?)


 ヴォルフとアリアナは、嬉しさに逸っているお互いの心音にしばらく耳を澄ませ、心底幸せに思いながらも回した腕を解いた。




 その後、挨拶前にした約束通り、2人はダンスホールへ戻る。

 ヴォルフはアリアナに確認されるより前に、キチンと手袋を嵌めていた。

 もう自分勝手にアリアナを蕩けさせたりはせず、実に節度あるリードをしてみせたが、それでも2人のダンスはかつてないほど情熱に満ちていたのだった。





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