鹿騎士と狼商人の円舞※
ヴォルフはアリアナをエスコートし、王城へと足を踏み入れた。
輝く黄金のシャンデリアに、オーケストラが奏でる重厚な音楽…ピカピカに磨き抜かれた床は、鏡と変わらないほどに像を反射している。方々から聞こえてくるのは、やたらと気品のある笑い声だ。
誰しもが気圧されてしまう───そんな王宮の中を、ヴォルフは何食わぬ顔で歩いていた。
紛れ込んだのは、『マクホーン家』の一団。その先頭を行くオスカーとマリアムの後ろにユーストスが続き、その更に後を、アリアナと一緒に付いていく形である。
ヴォルフは、チラリと隣を見つめた。
「………」
…アリアナはおそらく、少し緊張している…。
久しぶりの舞踏会で、力が入っているのだろう……けれども足取りは軽やかで、怖じ気づいている態度をおくびにも出さなかった。
気付いているのは、彼女のちょっぴりだけ強ばった指の感触を、手の平で直に得られている自分だけ。
そんなアリアナを優しく支えながら、ヴォルフは内心唸り声を上げていた。
(…見ている)
会場中の全ての人間が───隣を歩く、変貌した婚約者サマのことを。
アリアナは知らないかもしれないが、王立騎士団王都支部で行われた剣術大会で、女性騎士が初の快挙を遂げたことは、新聞記事にもなった。決して小さくはない記事で、アリアナの勇姿もバッチリ写真に写って載っていたのだ。その果敢な印象を丸っきり塗り替えるほど大変身した彼女は、老若男女、貴族から給仕を行う使用人に至るまで、あまねく人間の視線を集めている。
しかも何を思ったのか、彼女が目の合った人間に可愛らしく小さな微笑みを返すので、その場が色めき立っていた。
(───見てんじゃねぇよ)
「俺のだぞ」、と。
…そう周りに毒づいて、舌打ちしてやりたくなる自分を、ヴォルフは心の中で殴り付けた。注目されるよう自らお膳立てしておいてこの調子じゃ、救いようがない。
なぜなら、アリアナをここまでに仕上げたのは、人の目を引くために他ならないからである。
今日の目的は、アリアナの祖父、グレイズ・トール・マクホーンから課された結婚の条件を満たすこと。
そのためには「自分がアリアナにふさわしい男である」と………つまり、少なくとも本来彼女と結婚するはずだったであろう者たち──この場合は貴族のご子息たち──より自分は優れているのだ、ということを明確に知らしめなくてはならないのである。
この課題の合格ラインは、「目立たず無難にやり過ごす事」などではない。
「己の力を目一杯、この場にいる全てに見せつける事なのだ」、と。
…ヴォルフはそこのところを、正しく理解出来ていた。
そして予想通り、「あの美しい女性の隣にいるのは誰なのか?」と思わせるのに、アリアナの話題性は十分で、かつ最高の出来に仕上がっている。
だから、間違っても馬鹿な執着心を剥き出しにして、チンピラ染みた台詞を吐くわけにはいかなかった。それに、自分がそこまで青いとも思いたくはない。
自身の気持ちを認めてやることで、執着心をある程度コントロール出来るようになっていたつもりだったが…………どうやら、まだまだ御し切れていなかったようである。
(………いや)
「それもこれも全て、隣を歩くやけに愛想の良い婚約者のせいだ」──と、ヴォルフは内心で決めつけたのだった。
「───皆、本当によく集まってくれた。今宵は心行くまで楽しんでくれ」
玉座に座る王を中心に、序列順で並んだ貴族たち。ヴォルフもその中に加わり、皆で大きな拍手をして舞踏会の開催を歓んだ。
…どうやら、この並び順で王への挨拶を行っていくらしい。爵位授与をされてから、日が浅いマクホーン家である。お鉢が回ってくるのは、当分先のようだった。
「さあ、挨拶のタイミングは私たちが合図するから、子供たちはダンスホールへ。楽しんでおいで」
と、オスカーが優しく若者たちを送り出してくれる。その言葉をありがたく受けて、ヴォルフは礼を取った。
「ユース、しっかりね」
「はい、母上。行って参ります」
マリアムに念を押されてユーストスは苦笑いだ。彼はこれまで、その若さを差し引いても王城の夜会へ参上するに十分な成績を残していたし、かつその有能さが知れ渡っていたのにも関わらず、招待を固辞していた。
そんな息子が「今回は参加する」とのことで、マリアムは浮き足立ってしまったのだ───「きっとユーストスに、この夜会でしか会えないような、目当ての相手が出来たに違いない!」、と。
3人は、廊下を挟んで向かい側のダンスホールへ足を向ける。その途中、ユーストスは苦笑しながら弁明した。
「姉上たちにはお伝えしておきますが……今回出席を決めたのは、目的があってのことではないですよ。単に姉上たちが心配だったからです。
何かあったとき、その場にいれば……『俺』でも少しは手助け出来るかも、と思って」
「だから、必要なときは遠慮なく呼んでください」。…そう続けられて、ヴォルフは片眉を上げた。
抱いた違和感に首を傾げる。その瞬間、くい、と隣のアリアナに肘辺りの袖を引かれた。
「……君の真似だよ……。ユースはヴォルフに憧れてるんだ」
「…なんだと?可愛いヤツだな」
「ちょっと!やめてくださいっ、姉上!」
導かれるままそちらに身を傾け、アリアナからのこしょこしょ話に聞き入っていると、ユーストスから制止が掛かってしまった。
頬を赤くして言う彼に、ヴォルフは笑ってしまう。隣のアリアナもである。
ただ、それも仕方のないことに思えた──なんてったって、この少年は未来の義弟なのだ。憧れられるのは正直、悪い気がしない。愛おしさについ、笑みがこぼれたのである。
ひとしきり笑ったあと、ヴォルフは「ごめん、ごめん」と謝りながら、気安くユーストスの肩を引き寄せた。
「ありがとな、ユース。頼りにしてるよ」
「…!はいっ!どうぞ任せて下さい」
「ああ。……でも、ちょっとくらい羽を休めたって良いんだぜ?だって見てみろ、皆がお前と踊りたそうにしてる────ほら」
ヴォルフが目線をやった先には、ユーストスよりもう少し年下だろうか……デビュタント特有の白いドレスに身を包んだ少女たちが、こちらをチラチラと窺っていた。
「…な?」
「………」
ユーストスは無言で、ヴォルフに視線を戻す。そして、少し目を伏せながら言った。
「………うちは、先祖代々恋愛結婚だったそうで……」
「へえ?」
「だから『貴族』の儀礼でもって、女性とお近づきになろうとするのは……いまいち気が進まなかったんです。
けど………、」
ユーストスはヴォルフの耳へ口を寄せ、こそりと呟いた。
「意図的な出会い方も悪くない……ですよね?」
ヴォルフはにっこりと微笑んだ。
「儀礼」的と言えば最たる機会を使って──なんなら戦略的に、アリアナと知り合った自分である。
「ああ。最高だよ」
ユーストスはフフっと笑う。
「それを聞いて、安心しました。
……もうすぐ、夜会1回目のダンスが始まります。これはデビュタントとそのキャバリエたちがメインのダンスですから、義兄上たちは2曲目から輪に入ってください」
「分かった。楽しんで来いよ、ユース」
ヴォルフは力強く、ユーストスの背を押し出した。ユーストスはとりあえず、親族の男性に付き添ってもらっているとおぼしきご令嬢に目星をつけ、声を掛けに向かったようだ。
「ありゃあ罪作りだな。…そこら一帯の女の子たちは、きっとユースが初恋になる」
そう言いつつヴォルフは、見事相手の心を射止めたらしい義弟を眺めた。彼はこの先、少女を落とそうとする男たちにとって、相当高いハードルになるのだろう。
「ああ、君の言う通りだと思うよ!私が言うのも何だけど、ユースはどこに出しても恥ずかしくない『紳士』だからね」
と、アリアナは頷く。
「小さな頃から本当に努力家で…、…しかも向上心があるんだ。
──最近はなんと、剣術にも興味が出てきたらしくてね!父上を師範に、稽古も始めたんだよ。2人ともすごく楽しそうに鍛練をしていて……週末は私も、ユースと手合わせしたりするんだ!」
「へえ。じゃあ、これからますます格好良くなっちまうな」
今のままでも過剰なくらい他と差をつけているというのに、ユーストスもえげつない。彼の心境にどのような変化があったのかは分からないが……『自身が決めた役割』に固執するのは、もう止めにしたようである。
嬉しそうなアリアナに、ヴォルフも笑顔で返す。───すると。
「…ヴォルフ」
「うん?」
唐突に、アリアナがやたら真剣な目付きでこちらを見てきた。ヴォルフは顔をそちらに向ける。彼女が口を開いた。
「君が婚約してくれてから、本当に我が家は良いこと尽くしだ」
「!…」
───「それは、お前が今日まで頑張ったからだろ」、と。
…そう返す前に、アリアナが眉根を寄せた。
「言葉ではとても言い表せないくらい、感謝しているんだよ。本当に、ありがとう………。
…なあ。私のこの気持ち、君にきちんと伝えられているか──………?」
「──ああ。痛いくらいに」
さも縋るような切実さで訴えかけてくる、アリアナの瞳。
それは何だか、意味ありげにきらめいているようにも思えて───直視してしまったヴォルフは、アリアナをうっかり抱き込んでしまいそうになった。
しかし、そこは理性でグッとこらえる──なぜなら彼女はただ、純粋に謝辞を伝えてくれているだけだからだ。特別な愛情について、打ち明けてくれているわけではない……。こんなにも可愛くて愛おしいのに、である。
だから、ここで尻尾を振り回し飛びかかるなんて、勘違いも良いところ………と。頭では分かっていたのだけど。
……どうにも、胸の熱が冷めやらない。ヴォルフはこっそりと、誰かに鉄の自制心を褒めて欲しいと思った。
そんなことなど、アリアナはもちろん知らないのだろう。
ホッとしたように表情を緩めたあと、少しだけ眉を垂らした。
「そうか……。…それなら…………、ひとまずは良かった…」
───♪~♪♪~♪~♪♪
そこで鳴り始めたのは、クラシック音楽である。
「……」
「あっ、ユース…!頑張れ……!」
…ヴォルフはそっと隣を盗み見た。
こちらを焚き付けておいてそのまま……当の本人は弟のダンスを見守るのに忙しそうである。
(お前は一体………俺のこと、どうする気なんだよ)
と、ヴォルフはそう不貞腐れてしまう。…いや。自分が勝手に、してやられているだけではあるのだけど。
(…………はあ)
ヴォルフはやきもきしてしまう感情を、強引にねじ伏せた。
一息吐いてから、気を取り直してアリアナの手を取る。───1曲目がもうすぐ終わりそうだ。
「さあ、俺たちも楽しもう。準備は良いか?」
「もちろん!」
ヴォルフとアリアナは、2人でダンスホールの中央へ歩み寄っていき、1歩、踊る人々らの輪へと足を踏み入れた。
◇◇◇
「………………?」
曲が始まってすぐのこと。アリアナはその違和感に気付いた。…なんだか足元が、ふわふわするのである。
「どうした?リア」
なんとか調子を取り戻そうとして、自分が余計に入れた力……それが、繋いだ手を通じヴォルフに伝わってしまったようだ。
小声で聞いてくるヴォルフに、アリアナは軽く頭を振る。
「いや……、大丈夫だ」
そう言って、どうにか立て直そうと足に力を入れるのだが……それは長続きしなかった。力がフロアに吸い取られるようにして、流れ出していく。
(どうしてだ??体が、思った通りに動かない……)
そんな戸惑いとは裏腹に、ダンス自体は問題なく継続されている。これ程の違和感があるのだ…少しくらい、リズムがずれたり体勢がよろめいても、おかしくなさそうなものなのに。
(………?じゃあ私は一体、誰の意思で動いているんだ……??)
…考えられる人物はもちろん、混乱するアリアナとは対照的に、目の前で涼しげに踊る男だけだった。
剥き出しになった自分の背。
そこに、ヴォルフの暖かい右手が直に触れて、意思を直接こちらへ注ぎ込んでくる。
─「疲れてないか?」とか、─「テンポが早い」とか、─「もう少し歩幅を広げて」。とか。
「………ッ」
とても、親切だと思う。
しかし、それが過剰だった。
───騎士であるアリアナはいつも、相手の動きを良く見ている。戦場では生死を分けるかもしれぬのだから、それを怠らないのは騎士として当然なのだけど……アリアナの場合、その力が人よりうんと優れていたのである。
祖父のグレイズは、身体が出来てくるまで、決して自分に真剣を握らせなかった。やっていたのは、軽めの木刀を用いた素振りと体力作り。
そして1番時間を割いたのが───立ち回りの練習だったのである。
祖父は、暇さえあれば丸腰の自分に手合わせを仕掛けてきた。
彼はあらゆる武器を巧みに操ることが出来る人間なので、攻撃の手数は優に千を越えている。
それらを避けたり受け流したりするのに、アリアナは何年も掛かった。
──「攻撃を見てからじゃ遅い。相手の意図を読め。『起こり』を見極めるんだ」──。
そう言った祖父は、こちらが慣れてくると、攻撃するために行う動作の起点を、もっと分かりにくくした。
自分はそれを読み解こうとするのに必死で───いつの間にか、そうすることが常となっていたのだ。
────くっ…、と。
背に置かれたヴォルフの指が、軽くこちらの肌を押し込み、力を伝えてくる。
─「中央が込み合ってきたから、外側に抜けよう」。と提案をしているのだ。
その他にも色んなことが、間を置かずに次々と流れ込んで来る。
(く、ぅ……)
いつもの訓練とは、比べ物にならない情報量。
…思えば、手を繋ぐほど近くにいる相手を、ここまで必死に読み取ろうとしたことはなかった。ダンスが始まる前から、自分は無意識に気を張っていたらしい……。……いや、「今日は失敗があってはならない」のだから、当然と言えば当然である。どうして気がつかなかったのだろう。
その上、さっきから背中の様子がおかしい。皮膚の極表面が、ひりひりと痛むように感じるのだ。もちろん外傷などない。ただ、そこをほんの少し押されただけで、くすぐったさに似た何かが全身を苛む。
未知の感覚に困惑するばかりで、されるがままになってしまうアリアナ。
そこへなんとかエラーに対処しようと、脳が苦し紛れの指令を出す。更に触覚以外の感覚も総動員させて、不調の原因を究明しようとしているのだ………そうなってしまえばもう、負のループである。だって、これ以上の情報受信は、ただの毒でしかない。
思い起こすと、背中を誰かに直接触らせたことなんて1度も無かった。
だから、そこがこうした不具合をもたらす引き金……いわゆる自分の『弱点』であることを、今日まで知らなかったのである。
(目まい、が……)
アリアナに搭載された、ただでさえ高性能なアンテナ。それが、もはや思考の濁流に飲まれ、ずいぶん遠くまで押し流されてしまっている。情報過多で息継ぎが出来ない。
頭がガンガンする。酔わされている。分かるのは、掴めるのは………もうヴォルフのその手だけだ。
堪らなくなって、アリアナは遂にヴォルフの肩口へ頭を乗せた。
「う…ぁ、まって、ヴォルフ…頼むから……」
「どうした?リア……」
囁きかけられたその言葉は、さっきと同じ台詞だった。
…でも、響きが違う。うっすらと、からかいの色を含んでいる。
手を握り合っているヴォルフは、同じように気づいているのだ。自分が彼に参っていることを。
アリアナはなぜだかそれが、ひどく気恥ずかしいことに思えた。
「ほら、もう少しだ。頑張れ」
「……っ」
(何をどう頑張れと言うんだ…!)
アリアナは内心で言い返す。五感がフルに───いや、それ以上に冴えてきている。
ヴォルフの首筋からは、甘いようなピリッとしたような、不思議な香りがした。それが、抜けずに脳で蔓延する。
(───こっちは君のつけてる香水にすら、過敏になってしまうというのに!!)
「………ぅ、」
ヴォルフの意地悪い言葉に、アリアナはぎゅう、と握った手に力を込めて、恨みがましげに彼を睨み付けた。それを感じ取ったのか、ヴォルフがくつくつと笑う。ひっついている部分から、彼の胸が上下し、肺が震えているのが伝わってきた。
「…………はぁ」
(…もう、良いか)
と、アリアナは唐突に思う。
それはもはや、ちょっとした諦めの境地だった。この広い海に投げ出されてしまっては、もう打つ手がない。荒波に無闇矢鱈とあらがうより、身を任せてしまった方が楽だし、むしろ疲れないかもしれない。
それに目の前には丁度、丈夫そうな丸太が浮かんでいるのだ。
「これを離さなければ、きっと溺れはしないだろう……」という妙な確信と安心感があった。
───「ヴォルフの奴を信じて」。
……遠くで、聞き覚えのある優しい声がした。
「──リア?」
「………もう、喋らないでくれ。全く君って奴は…、声まで良いみたいだ……」
観念して、すり…と頭を寄せたのと同時に、背にあるヴォルフの指先がピクリ、と震えたのを感じた。
───♪~……。
と。そこでちょうど、音楽が途絶えた。
ホールドが解かれるのを感じる。
(終わった…のか……?)
アリアナは身体を起こす。
(…やった!!!私はなんとか乗り切ったんだ!!)
「ダンスを無事に踊り切った!」という達成感と喜び。それに打ち震えながら、アリアナは顔を上げる。
すると、婚約者殿がそれはそれは優しく、ホールドを組み直した。
「リア」
「…え?」
「────もう1回。…な…? 」
それはもう、語尾にハートマークが付いても良いくらい、甘やかな死刑宣告だった。




