鹿騎士と狼商人の参戦
とんでもない長さになりました。ゆっくりお読み下さい。
時はあっという間に過ぎ去り、とうとう訪れた舞踏会当日。
「はい。これ着て」とタキシードを渡されただけのヴォルフとは違い、アリアナは準備のため部屋に籠りきりだ。
「………、」
「…時計が気になるのか?ボス」
「!……嘘だろ…俺、そんなに分かりやすく見てたか?」
「はは、いや……待ち遠しく思うのも分かるよ。アハルティカもデザイナーのエミリーも、今日のために物凄く頑張ってたからな……俺だって楽しみさ」
「ふふふっ、それはきっと姉上自身もですよ。昨日は、なんだかずっとそわそわしていたんです。あんな風に夜会を待ちわびる姉上は、初めて見ました。よほどドレスの仕上がりが良かったんでしょう」
通されたマクホーン邸の客間。そこでお茶を頂き待たされているのは、ヴォルフとレイバンである。それに付き添っているのは、アリアナの弟でこの家の長男、ユーストスだ。
他の2人がやたら期待値を上げるような発言をするので、ヴォルフはたまらなくなって、手をヒラヒラと左右に振った。
「ああもう……分かった、やめろ。…余計に焦らされてる気分になる」
くすくすと2人に笑われたヴォルフの元へ、ようやく報せが入る。マクホーン家に仕える侍女からだ。どうやら、無事アリアナの夜会準備が完了したらしい。…ちなみに、同じく夜会へ出席するヴォルフとユーストスの方は、すでに準備万端である。
向かった衣装部屋の前にはアハルティカが待ち構えていた。やって来た3人を、大変機嫌良く出迎えてくれる。
その様子を見るに、かなり満足の行く出来映えに仕上がったのだろう。アハルティカがドレスの考案にも携わった上、もう何日も前から「アリアナとそのドレスに1番似合う化粧を施そう」と試行錯誤していたのは、ヴォルフも知っていた。
やりきった風にご満悦なアハルティカに、ヴォルフは片手を上げながら笑んだ。
「……あら、ユーストス様もご一緒でしたのね。うふふっ、きっとお姉様の変身ぶりに腰を抜かすこと請合ですわよ!」
そう言って笑うアハルティカに、ユーストスも笑顔で応える。
「それは楽しみです」
「…では、お披露目いたしますわ。──いい?開けるわよ、アリー」
「ああ…」
軽くノックをして声を掛けたあと、アハルティカは扉を開いた。
「「「!!」」」
「、───どう………かな……?」
瑠璃色のドレスに身を包んだアリアナ。
彼女は、少しだけ俯いていた。ゆるり……と目線だけ上げ、気恥ずかしさとほんのちょっぴり残る不安を覗かせながら、その姿に意見を求めてくる。
「………───」
───ヴォルフは目を僅かに見開いて、アリアナだけをじっと見つめた。
…マーメイド?というのだろうか。アリアナのドレスは、「引き締まった腰から太腿にかけてのシルエットを綺麗に出す」という形をしていて、そこから裾にかけてはヒラヒラと布が重ねられていた。目を引くなんとも魅惑的なカーブを各所に仕込むことで、彼女の引き絞られた美しい体型が「これでもか」と引き立てられている。
───そして、何より布地の色がとても神秘的だった。
…光の加減によっては海の色にも見えるし、または夜空の色のようにも見える…。そんな生地には、所々大柄に花の刺繍がされていた。が、シルバーの糸で品良く整えられているので、うるさい印象ではない。
そしてその柄は、ヴォルフが今着ているスーツの裏地にも採用されていた。「男が着るにはやたら凝ってるな」とは思ったが───どうやら、アリアナと揃いだったらしい。
「………」
(……とにかくリアに似合ってる。色も形も、何もかもが)
今日初めて完成品を見たが、アリアナのイメージにぴったりだった。アハルティカが見込んだ通り、エミリーの洋裁師としての腕は確かだったらしい。あの店への投資額を上げることにしよう。
「…………」
続けて、ヴォルフは視線を上にやった。
アリアナの、細くてふわふわと揺れるヴォルフお気に入りの髪の毛。それも今日は、綺麗に撫で付けられていて小さな頭が強調されている。ただでさえ恵まれたその体躯とヒール(動きやすさを重視し低めではあるようだ)に上乗せして、一体何頭身になるつもりなのか。
(…………?)
そこまで考えてから、ヴォルフは内心で首を傾げた。……髪の下にあるアリアナの『顔』が気になったのだ。
「………」
化粧は極控えめ……なのだと思う。少なくとも、素人のヴォルフから見るとそうだ。アリアナは元々目鼻立ちが整っているから、その位がベストなのだろう。だが……。
(…???)
ヴォルフは内心で首を傾げた。そう、決して「厚化粧」には見えないのだ……それなのに、アリアナの顔から受ける印象は、いつもと決定的に違って見える。
どちらかと言うと、彼女の顔立ちは男性的な魅力が強かったはずだ。水に濡れた顔まで見ているから、それはきっと間違いないはずなのに………今日は一段と娘らしい。言ってしまえば、めちゃくちゃに可愛いのだ。つるんとした、淡い色の乗っている唇……いや、気持ち緩やかなアーチに整えられた、眉のせい……なのだろうか…?
(??なんだ?……薄化粧……なんだよな?)
ヴォルフの認識的に、『化粧』とは『元ある顔に色を重ねていく』作業のことなのだが………。
(それをすると、何がどうして顔が変わっちまうんだ?………全くわからん)
などと多少疑問は残すものの───すべてが素晴らしい仕上がりであることは、確かだった。
「………ヴォルフ…?」
「…うん?」
目の前の美しい人が、自分を呼ぶ声。それが耳に届いて、魔法に掛けられたみたいに止まっていた時間が、ふいに動き出す。
ヴォルフは自然とアリアナに歩み寄り、完成された彼女へ誘われるように手を伸ばしたが───「今のリアの何か1つでも損なわれることがあってはまずい」と思い直し、手を引っ込めた。
羽化したての蝶に、いきなり素手で触れようとする馬鹿はいない──…。…例えるなら、そんなような、何とも言えない不思議な感覚であった。少なくとも、王への挨拶が済むまでは控えるべきだろう。
ヴォルフは理性的になれた自分を褒め称えつつ、アリアナを見つめた。
「────本当に似合ってる。リア、綺麗だ」
「!…」
そう声をかける……。…すると、アリアナがひどくホッとしたように表情を緩めた。
「『変』じゃないなら良かった」とでも、言いたげに。
「…………言っとくが勘違いするなよ」
「…え」
ヴォルフはそれが我慢ならない。
顔をアリアナの耳元に寄せ、そこから彼女の頭に直接言い聞かせるようにして囁いた。
「───『着飾ったお前が可愛い』のなんて、俺はずっと前から分かってた……」
「、」
そう吹き込むと、アリアナが息を飲んだ。…それが分かるほどに、2人の距離は近かった。
くつくつと笑いながら、ヴォルフは続ける。
「いつものお前だって可愛いんだから、当然だろ。
さっきの褒め言葉は、『その想定よりももっと』って意味だ」
「………!」
………ふい、と。ヴォルフは顔を離した。…目を見開くアリアナと、視線が合う。
「───綺麗だよ、リア。
…なあ。俺がお前のことを、どんだけ本気でそう思ってるか、わかってくれたか?」
「………」
ヴォルフが訊ねると、アリアナはようやくこくり……と小さく1回だけ頷いた。
「わかっ、…た」と、続けて聞こえてきた声は未だ半信半疑のようであったが………まあ及第点だろう。彼女には普段からもっともっと自分の美しさを自覚していただきたいところだが、今のところはこれで。
「よし」
ヴォルフは満足気にアリアナを見下ろしたあと、1歩退いて道を空けた。
「見違えるようですよ。アリー」
「姉上、お綺麗です!すごく」
「何度でも言うけど、とっても似合ってるわ!さっすが私のアリー!」
「馬鹿、お前のじゃないだろ」
(俺のだ)
「ありがとう…」
おそらくここ最近は、あまりドレス姿を褒められる機会がなかったであろうアリアナ。畳み掛けられる褒め言葉に、照れ臭そうにして笑うのが微笑ましい。
「…ドレスが素敵なだけに、『着こなせなかったらどうしよう』と本当は不安だったんだ……。でも皆に褒めてもらえて、一安心だよ」
「あら。『着こなせない』なんてこと、あるわけないでしょ?そのドレスは、あなたを輝かせるためだけに作られた、最高の1着なんだから!」
そう言って笑うのはアハルティカだ。
「───ふふっ!ねぇヴォルフ。誉めてくれて良いのよ?今夜のフェアリーゴッドマザーをね!」
指を立てて魔法を掛ける素振りをするアハルティカに、ヴォルフは吹き出した。
「そうだな。今日手を掛けてくれた全ての人間に感謝する。───どうもありがとう」
アハルティカや服飾店の者たちはもちろん、この日のためアリアナの肌や髪の手入れをしてくれただろうマクホーン邸の侍女たちにも、その意を表する。部屋一体にスッと広がったヴォルフの声に、全員が恭しく礼を取った。
そのうちの1人──マクホーン家では中堅の侍女──が、思わず涙ぐんでしまう。
彼女は、アリアナを小さな頃から見守ってきた専属の侍女だった。アリアナがオスカーに内緒でグレイズの元へ通っていた頃、付き添っていたのがこの侍女なのである。
何度も何度もガタガタの山道を付き合わされたのも今は良い思い出で、彼女はアリアナが騎士になってからもずっと、「ただ1人の主」としてアリアナを想い続けてきた。
──「誰にでも優しく公平で、真っ直ぐなお嬢様。そんな彼女に、『幸せになってもらいたい』と思わない訳がない」──と、侍女は考える。
彼女はずっと、待ち望んでいたのだ。「人を幸福にすることばかり考えてしまうお嬢様を、目一杯愛してくれる人」が、いつか現れる日を。……それはもう、アリアナ自身よりもずっとずっと前から。
そんな生活も、アリアナの婚約によりいよいよ終わりを迎えそうである。それもこれほどの男性と夫婦になられるとあらば、嬉しさもひとしおだった。
「!…ふふ」
「…?───ああ、」
アリアナは「やはり」というか当然というか、直ぐ様目を潤ませて震える侍女に気付き、にこっとそちらへ笑いかけた。ヴォルフもアリアナの視線の先に目を遣り、柔らかく微笑んだのだった。
◇◇◇
「こうして並ぶと、お前らやっぱり似てるなぁ」
「そうですか?」
ヴォルフからの言葉にどことなく嬉し気なユーストスを、アリアナは見つめた。
自分たち姉弟は、両親の良いところを沢山受け継いでいると思う。その中でも特に、自分は父の。そして、ユーストスは母の要素が際立っている。
今日は、アハルティカにメイクをしてもらったアリアナ。鏡の中の自分は、いつもより何だか女性らしく見える。そのため、母似で普段「似てない」と言われがちなユーストスと、今だけはずいぶん『姉弟』らしく見えた。
珍しい出来事にアリアナも嬉しくなって、弟と向き合いふふふ、と笑い合う。
「同じご両親からこんなにタイプの違う美形が生まれるなんて…本当に素晴らしいですわ!是非今度、姉弟で揃いのスーツを作らせて頂きたいです」
「それはこちらも是非…」
商魂たくましくも和やかな歓談が続いたところで、アリアナは「あっ!」と声を上げた。大事なことを思い出したのである。
「そういえば、ネックレスを着けなければいけないんだった!」
アリアナはスッキリとした自分の首元に手をやった。普段、「飾りを身につける」ということ自体が少ないため、全く違和感がない。それだけに、「気付けてよかった」と胸を撫で下ろした。
貴族は自身の権威を、身を飾ることで表現し合う。「価値」を纏うことで、それに見合う己の身分を、他者から一目で分かるようにしているのだ。
アリアナにとっては今日のドレスやお化粧だけで十分過ぎるほど価値があるのだけれど、こればかりは主観を捨てねばならない。客観的に見て分かるような物を着用するのが、ある種の作法なのである。
アリアナの昔から使っているネックレスは、空色の宝石が並んだ物だった。母のマリアムが、自分の社交界デビューのために誂えてくれた物である。
宝石商がいくつも持ってきた箱の中───思春期のアリアナが興味を示したのは、その宝石だけだった。
──「本当にそれでいいのね?もっと美しくて、あなたに似合いそうな品も沢山あるけど…」。
そう何度も確認してきた母に、アリアナは言った。
──「これが良いです!だって、母上の瞳みたいに綺麗な色だ───」。
母は一瞬固まってから、もごもごと口を動かして、「あなたがいいなら、まあ…」と何やら困ったように言った。
「…良いですか?今後気に入った物があれば、好きなように入れ替えてしまって構わないんですからね。…母はそう言いましたからね??」と幾度も念押ししてくるので、アリアナは当時首を傾げて「??そうですね、もし気に入る物が出来れば……」と返したのだが───結局、今でもこのネックレスは現役だ。
そんな大事な品だからこそ、社交の場を離れて久しくなってしまったアリアナにも、存在を思い出させてくれた。
(何だか懐かしいな───)
そう思いつつ、化粧台の上に用意されている装飾を身に着けるため、アリアナがそちらに踵を返した瞬間。
「、ちょっと待て!」
「…どうしたんだ?」
アリアナが声の主の方へ振り返る。すると「きょとん、じゃない。きょとん、じゃ」と言って、ヴォルフがこちらを見下ろしてきた。
「───何だ、その後ろ姿は?」
訊ねられ、アリアナは目をパチパチさせる。ヴォルフが腕を組んで、さながら子供を叱るような体勢をとったためだ。……悪いことをした覚えは全くないのに。
「ええと…?」
(──『後ろ姿』?)
アリアナは戸惑い、とりあえず身を捻って自分の背中を確認しようとした。その様子を見たヴォルフの眉がぐっと寄せられ、目も細くなる。彼が自身の下唇を軽く噛んだのが見えた。
(………そこまで、見苦しくはないはずだが………)
結局、自分では見えなかった背後を、化粧台の鏡に写しながらアリアナは思う。
バックリと割れたドレスの背面───そこからは、鍛え上げられた背中が露になっていた。
アリアナとて、例えばこれが仮に、腕や脚の露出だったのであれば、大いに躊躇しただろう。そこには薄らではあるけれど、騎士として負った擦過傷や火傷痕などが残っており、見る人が見ればぎょっとさせてしまうかもしれないからだ。
だけど幸いなことに、背中にはそれが見当たらず、この大きな穴は生地が厚くなりがちなドレスの風通しを良くするのに、一役買ってくれていた。
「私も最初は珍しいデザインに驚いたけれど……おかげで着てみるとすごく涼しいよ!」
「…………はあ。…おい、アハルティカ。」
どこか諦めたようにため息をついたヴォルフは、説教のターゲットをアハルティカに変えたらしい。不満を隠さず、彼女の名を呼んで問い詰めた。
しかしアハルティカは、ヴォルフのそんな様子など気にもとめなかったらしい。むしろ「よくぞ気付いてくれました!」と言わんばかりに、意気揚々と説明を始めた。
「ね、良いでしょ~??この綺麗なライン!
アリーは元が引き締まってるから、コルセットを巻かなくても良いの!それを取っ払うことで『背中から腰までの大胆な露出』を可能にしているのよ!エミリーが考えついたの。ああ、本当に素敵……」
「どうよ!」と胸を張るアハルティカに、アリアナが拍手を送る。
自分はこれまで、『胸が邪魔にならないように』という意味も込めて、いつも丈夫な革のコルセットを着けてきたのだ。社交から退き騎士となってからも、それは変わらなかった。「鞣し革のほうが、さらしなどの布よりも防御力が増すのでは」と期待したのである。
だからコルセットを『あえて着けない』だなんて方法は、思い浮かびすらしなかったのだ。
「とても画期的だよ!凄いなあ、ハルたちは!」
「でしょお~」
「…………」
手放しに褒めるアリアナと、無限に気分を良くするアハルティカ。対するヴォルフは、苦虫を噛み潰したような顔だ。
アハルティカは不思議そうに、黙るヴォルフを見た。
「なあに~?まさか不満?」
「いや。最高に唆る。」
即答したヴォルフに、アハルティカは笑う。「だと思った~」と言って。
「正直『良くやった!』って拍手を贈りたい気分だよ───着るのが今日じゃなきゃ、な?」
「どうして?」
「おいお前……。今日、リアをどんだけ人のいる場所に連れ出すか、解ってんのか?目の遣り場にだって困るだろ」
「馬鹿ね、ヴォルフ。あんたぐらいの男がそうなら、他の貴族は尚更よ。きっと尻込みして、アリーに手も足も出せないわ。丁度いい虫除けでしょうが」
「んな訳あるかよ……逆に悪い虫が寄ってくる」
「だったら寄せ付けないようになさい。あんた、あの娘の1番になるんでしょう?それくらい出来なくてどうするの?」
「言ってくれる………」
何事かやり合っている2人の会話が終わるのを、アリアナは大人しく待った。込み入っているらしい話に無理やり割り込むのは、得策ではないと思ったのだ。
「さてはあのドレス、お前が着せたかっただけだな?…無理強いしたとかなら許さないぞ」
ヴォルフの言葉に、アハルティカが眉を吊り上げる。
「私、そんなことしてないわ!疑うんならアリーに直接聞いてご覧なさいよ!ほら」
そう促されたヴォルフが、口を開いた。
「……………。…リア」
「!なんだ、ヴォルフ?」
アリアナが首を傾げて応じる。ヴォルフは少し咳払いしてから、こちらを見た。………とても真剣な眼差しである。
「あー……そのドレス、本当に似合ってるけど……」
「……??」
「………もう1着の方は、どうだった?」
「!」
ちょっぴり窺うように聞かれて、アリアナは目を見開いた。
「たしか、ドレスは2着作ってただろ。俺は現物を見てないけど──ほら、フリルが多めの…なんか可愛いヤツだ」
「……!」
そう言われて、アリアナは確信する。
……確かに、夜会用ドレスは2着用意されていたのだ。その2つがあまりに系統の違うドレスだったので、不思議に思っていたのだけれど────。
(…ヴォルフが……用意するように言ってくれたのか)
それは、可愛い黄色のドレスだった。レースとフリルが要所要所に使われた、華やかで………とても女の子らしいドレス。
そう、その1着は………自分が幼い頃、「着てみたい」とこっそり願っていたようなデザインだった。
───そのことを打ち明けたのは、今までの人生でヴォルフにだけだ。
(…………ああ───)
アリアナは内心でため息を漏らし、思わず唇を噛み締めた。そうしていないと、鼻の奥の方がツンとして、なんだかみっともないところを見せてしまいそうな気がしたから。
「…そっちも、お前に文句なく似合うように作られてたはずだろう…。なのに……、」
と、ヴォルフが思いやりに満ちた瞳でこちらを見てくる。
「………良かったのか?お前は、それで」
「………」
訊ねられて、アリアナは微笑んだ。
「──ああ。もう1着もとても気に入ったんだけど……今日はこちらにするよ」
「へえ??そうか……じゃあ当てが外れたかな」
「いや……、」
アリアナは片眉を引き上げたヴォルフの顔を見て、1度言葉を切る。今日のために手を尽くしてくれた彼には、正直な気持ちを伝えるのが道理だと思った。でも、なんと言葉にしたら良いものか……。
「………うん?」
「……」
迷って───アリアナは結局、いつも通りストレートな言葉を選んだ。
「こっちのドレスの方が………君好みじゃ、ない?」
どちらのドレスも、同じだけ好きになった。それは本当だ。───けれど今日は。
(きっと、お嬢さん風の可愛らしいドレスより、こちらの方が似合いのはずだ……。なんでもスマートに着こなしてしまう君の隣に、『立ちたい』と望むならば)
「どうだろうか……」と、アリアナは窺うようにヴォルフを見る。
そして、絶句してしまった。
「……ふぅん?」
そう言って、こちらに手を伸ばしてくるヴォルフから、目が離せない。
(…何だ、その顔は)
「───ああ、凄く好い。」
「ありがとうな」と言って頬に触れるか触れないかの位置で手を止めたヴォルフは、これまで見たこともないような表情を浮かべていた。
「………」
──そう、まるでこの世の幸せすべてを煮詰め、一口で平らげてしまったような──。
美丈夫がたたえる蕩けた微笑みに、思わず目がチカチカしてしまう。
(どうして、そんなに嬉しそうなんだ………)
と、アリアナは面食らい、目を見開いた。
(いや、最近見せていたあの表情をさせるよりかは、断然良いのだけれど……)
…如何せん、破壊力が強すぎる。
「「………」」
(ああほら見てみろ。レイとハルが、目を点にさせてるじゃないか!)
…これを目撃していたレイバン達は実際のところ、『ヴォルフの』というよりは『ヴォルフとアリアナの』やり取りに衝撃を受けていた。だって、あまりにも空気が甘いのだ───もはや、これで「通じあっていない」と言うのは、不自然が過ぎる程に。
───「なにか2人の間に、重大な見落としがあるのではないか」───。
そう懸念したレイバンとアハルティカだったが、2人は素早く目で会話した。
「なんでも良い。ヴォルフとアリーが幸せなら」、と。
遊ぶことはあっても、これまで仕事を第一に据えてやってきた仲間兼親友にようやく春が来て、さらにその相手は極上の精神と肉体をもつ美しいご令嬢なのだから、文句の1つもない。何を思ったかそちらから歩み寄ってきた獲物に、ヴォルフの『理性』という名の首輪がぶち切れないことを祈るばかりであるが───そこは、なるようにしかならない。
「「………」」
レイバンとアハルティカは見ないフリをした。
もし危なくなったとしても、アリアナにはそのしなやかに鍛え上げられた脚があるのだ。
2人は考えるのをやめる……「だから、逃げるなり蹴り上げるなり、好きにするだろう」───などという、あんまりな思考を最後に。
「…まあ、そういうことなら良かったよ。でもとにかく、ネックレスは待て。───レイバン」
「はい、ボス」
アリアナにそう言ったヴォルフが、控えていたレイバンから宝石箱を受け取った。そしてこちらに差し出す。
「俺からの贈り物だ。ドレスだなんだは俺じゃさっぱりで、人に任せっきりだったから。
……けどこれは、俺自身で選んだんだよ。お前に似合う奴をホント一生懸命探してな。
もし気に入らなかったら、今日だけ着けるんでも良い。……受け取って、くれるよな?」
片眉を引き上げて、茶化すように言うヴォルフ。
「……、」
アリアナは堪らず目を泳がせた。だってこれは───あまりにも、貰いすぎだ。
そんなアリアナに、ヴォルフは続ける。
「どこで買ってきたと思う?──マスプルヘイムだよ」
「マスプルヘイム!?」
アリアナは仰天した。マスプルヘイムとは、アスガルズよりだいぶ南に位置した大陸だ。
(国外にまで買い付けに行っただなんて…!!)
と、宝石を差し出されているアリアナは、身を縮める。すると、ヴォルフが先回りして言った。
「そうしたのは単に、これが今日の切り札になるからだよ。リア」
「…宝石が、『切り札』に?」
意味が汲み取れず、聞き返すアリアナ。ヴォルフは1つ頷いてから、にんまりと笑った。
「ああ。だから、着けておいて欲しいんだ。頼む。…な?リア…」
「ドレスを貰った手前、宝石までは受け取れない」だなんて言わせる気は、さらさらないらしい。ヴォルフはそこまで読んでいたのだろうか。
(………)
アリアナは考える。「いや。ヴォルフがそう言うならば、きっとそれは、言葉通りの意味なのだろう」、と。
「これは切り札」。「そのために用意した」。
おそらく方便ではないはず───だけど、ヴォルフの瞳にこちらへの期待と不安の色が見て取れるような気がして。
…アリアナは、思わず目を伏せた。
(…………断らなければいけないのに。ドレスを作ってくれていた時と同じだ)
…じんわりと深く染み込むように嬉しくて、受け入れてしまう。
アリアナは、箱の蓋にそっ…と手を添えた。
「……本当にありがとう。『今日だけ』と言わず、パーティーがある時は必ず着けるよ。君が選んでくれた物なら、きっと気に入る。
………あの、……開けても?」
「…もちろん」
パカリ、と開けた宝石箱。そこには緑色に輝く大粒の宝石が収まっていた。イヤリングとネックレスのセットだ。
「───すごく……綺麗」
宝石に詳しくないアリアナでも、これが高品質で、とても値が張るものだということが分かった。
「あら、アリーの瞳と同じ色ね」
「ああ。悩んだ末に、な。……無難すぎたか?」
「いいえ、定番だけど間違いないわ。それに、これを見て選びたくなる気持ちも分かる───私もアリーの眼が好きだもの。
品質も最高級よ!さすがの目利きね、やるじゃない!ヴォルフ」
「まあ、『商人』としてこれぐらいはな」
言いつつ、アハルティカからのお墨付きをいただけたヴォルフが、一息ついている。
アリアナは空色の宝石があしらわれたネックレスをケースに仕舞った。ようやくそのネックレスは務めを終えたのだ──まさか今日が、母の言ったその日になるとは、アリアナ自身思っていなかったのだけれど。
アリアナは丁重に、ヴォルフから貰った宝飾を箱から出す。
ネックレスの方は、アハルティカが鏡を見ながら慎重に長さを調節して着けてくれた。イヤリングは、アリアナ自身が目の前の自分と対峙しながら、覚束ない手付きで着ける。
宝石が大粒なので、結構な重量だ…。その分、ゆらゆらと揺れたときの輝きは格別である。
ヴォルフに言った先の言葉通り、それらの宝飾はアリアナにとって1番のお気に入りとなった。
アリアナはイヤリングを指先で軽く弾いてみる…。きちんと留まっているのか、気になったのだ。
(……もしもダンス中に落としてしまったら、どうしよう……。絶対嫌だ……)
その上、傷でも入ってしまったら?あるいは、そのまま失くしてしまったら?……きっと、自分の気分まで最下層へ落ち込むことになるだろう。
その上もし耳から外れたとして、鏡が無いと着け直せる自信がなかった。
「………」
不安げにむむむ、と鏡に映るイヤリングとにらめっこしていると、その雰囲気を察したヴォルフがクスリ、と笑う。
「もし落ちたら俺が着け直してやる。
───さて。そろそろ行くか」
その掛け声で、全員が気を引き締めた。
マクホーン家の紋章が入った馬車が2台、玄関前に停められる。そこでアハルティカは、アリアナを励ますように「頑張ってね」と言葉をかけてくれた。ヴォルフの方は、手を差し出してきたレイバンと一言二言交わし、握手する。
「じゃあボス。アハルティカと先に<R's>で待ってるぞ」
「ああ。良い報告が出来ることを祈っててくれ」
「誰が言ってる」
「俺だな」
くっくっとヴォルフが愉快そうに笑った。
「───足元、気を付けろよ」
「ああ」
そう言って、ヴォルフが乗車を手伝ってくれる。侍女に美しく整えてもらった爪先を、下からそっと掬うようにして手を貸してくれた。
そうして───いよいよ始まるのだ。…アリアナとヴォルフの、今後を決める戦いが。
これを無事突破しなければ、結婚はない。
「……………………」
「リア?」
「っ?なんだ、ヴォルフ?」
走り出した馬車からしばらく外を眺めて、思考を巡らせていたアリアナ。ヴォルフに声を掛けられて、そちらに振り向く。
「真剣な顔して。何考えてた?」
「!えっ……と、」
問われて、アリアナは言い淀んだ。実際のところ、脳内を占めていたのは実にとりとめのないことばかりだったから。アリアナは、その中の1つを言葉にする。
「今夜の君は一段と男前だから……『きっと、今日やってくる貴族皆が、君に見惚れるだろうな』……、って」
「…そう考えてたよ」と、アリアナが白状した。
ここまで魅力的な男性を、「下賤な商人だから」などと言う良く解らない理由で放っておく貴族がいるなら、その人には「見る目がない」とさえアリアナは思う。ゆえにきっと今夜は、色んなご令嬢がヴォルフと「お近づきになりたい」と思うに違いなかった。
(…………)
アリアナは考える。ヴォルフは今日の仕上がりをとても褒めてくれたし、自分だって満足しているのだ───けれど。
アリアナは知っていた。
この世の中には、目を見張るぐらいに素晴らしいものが、信じられない程に溢れ返っていることを。
だから、油断してはならない………自分と他のご令嬢方とでは大きな開きがあることを、弁えておかなければ。………そしてそんな彼女らに、「ヴォルフが自分へ向けるよりももっと大きな展望を抱くことになるかも知れない」……ということも。
(………そうなってしまったら、私は──?)
「………っ、」
(いや、ヴォルフの意思決定を尊重するんだ!……だからこそ、『相棒として選んで貰えるように頑張るんだ』って、そう決めたんだろう……?)
思わずぎゅっ…と握り拳を作ったアリアナ。それに対し、返ってきた返事は。
「ふーん」
………という、あまりにも気の籠っていないものであった。
「それで?」
「え?」
間をおかず聞き返されて、アリアナはきょとんとする。
「お前は?」
「『私』?」
問いかけながらヴォルフは、脚をゆったりと組み換えた。今夜のヴォルフは、元気過ぎる髪の毛をきっちり固めたアリアナとは対照的に、ゆるく髪を遊ばせている。なので、そんな何気ない動作の中でも、前髪が空気を含んでフワリと揺れた。その柔らかさが、彼の一番の長所を際立たせている。
凍っている湖のごとく、キンと冷えて美しいまま動きを止めたような瞳──それが、こちらを射抜いた。
「お前は俺のこと、どう思う?」
「───格好いいよ」
考えるよりも先に、言葉が転がり出ていた。
「すごく素敵だ、君は。
今まで見た、どんな人よりも」
すると、ヴォルフが満足気に笑う。
「うん。ありがとう。俺はこの世のどんな人間からよりも、お前からの褒め言葉が1番嬉しいよ」
「??………どうして??」
アリアナは聞き返した。その質問が、馬車の中という他から切り取られた空間の中、やけに間の抜けた感じに響いた気がして、アリアナは焦る。
…でも、聞かずにはいられなかった。だって、自分は決して誰かの美しさを、確固たるものとして保証できるような立場の人間─例えば、そういった世界大会の審査員とか、専門家とか─では無いのだ。
それに、「滅多に人を褒めない」と言うわけでもない。むしろ、素敵だと思ったことは素直に相手へ伝えるようにしている………。だから、「自分の褒め言葉」なんて特に珍しくも何ともないし、ましてやヴォルフのように称賛され慣れている人間にとっては、日常茶飯事の一片のように思われた。
…そう表していただくにはやや見劣りするであろう言葉が、どうしてヴォルフにとっては「1番嬉しい」のだろう??
「………」
ヴォルフは一瞬じっとこちらを見た後、目を伏せて微笑んだ。
「……さあ。…どうしてだろうな??」
ガタゴトと鳴っていた車輪の回る音──それがピタリと止む。馬車が停まったようだ。御者が開けてくれたドアから、ヴォルフがスルリと地へ降り立つ。そして振り向いた。
「難しく考えなくて良い───今日はただ、見せつけてやれば良いんだ。……俺たち『2人』で」
手を差し出したヴォルフの顔には、余裕の微笑みが浮かんでいる。その瞳はめらめらと輝き、中心には自分が映っていた。
それに感化されるように、アリアナの心に炎が灯る。
「…ああ!」
2人は手と手を強く結んだ。




